17、エマとヨルダンの覚悟
「エマ! エマはどこですか? まったくどこに行ったのかしら」
外で女性の声が聞こえる。
「大変。女官長だわ。妙に勘のいい方なの。隠れて下さい」
ロッテとヨルダンは魔法石の小箱を持って、あわてて地下の階段に下りた。
そして天井の扉を閉じると、すぐにエマの話す声が聞こえた。
「女官長さま。すみません、気分が悪くなって部屋で休んでおりました」
「またなの? 最近よく部屋に戻ってるようだけど」
「申し訳ございません。少し魔力にあたり過ぎてるのかもしれません」
「あなたまでなの? 最近不調を訴える子が多くて困るわ」
どうやら普通の人が魔力にあたり過ぎると体調不良になるらしい。
ロッテは隠し部屋の天井に耳をつけて会話を聞いていた。
「ところで何かご用でしょうか? 女官長さま」
「そうだったわ。フアナさまに薬湯を持って行って欲しいの」
「え? フアナさまのお部屋にですか?」
「そうよ。すぐに塔の上に上がってちょうだい」
「でもフアナさまのルカセントからお連れの侍女さまは?」
「彼女なら少し体調を崩して今朝ルカセントに返したの」
「今朝? そんな急に? そんなにお悪いのですか?」
「ええまあ……。そんなことよりすぐ行ってちょうだい。フアナさまのご機嫌がひどく悪いらしくて、みんな怖がって行きたがらないのよ。あなたはフアナさまに気に入られてたでしょ」
「わ、分かりました。身支度を整えてすぐ参ります」
「頼んだわね。私は薬湯を準備させるから」
「はい」
ドアの閉まる音がして、エマが再び天井を少しだけ開いた。
「ごめんなさい。もう行かなきゃ。魔法石は出来た?」
「ああ。なんとか魔力を押し込んだ」
暗闇の中であわてて水晶に魔力を込めていたヨルダンは、紫に色付いた水晶を懐に入れ、小箱だけを天井の隙間からエマに返した。
「聞いてたでしょう? 今から塔の最上階にいらっしゃるフアナさまの所に行くことになったわ。そこに入れるのは限られた侍女だけで、私もまだ行ったことはないの」
「それだけ気に入られてるってこと?」
ロッテは不安を浮かべたまま尋ねた。
「気に入られたというより……人手不足でついに私にまで声がかかったということだと思います」
「人手不足?」
「今までの侍女を今朝ルカセントに返したと言ってましたけど、おそらく殺されたのです。この紫の塔では月に二・三人は突然消える人間がいます。他の四人の密偵もそうやって突然消えたのです」
「じゃあエマも危険じゃないのか?」
ロッテは青ざめてヨルダンを見た。
しかしヨルダンは特に慌てる様子もなく少し疲れたように胸を押さえている。
「もとより覚悟は出来ています。次に来たときにこの扉を開く人間はいないかもしれません。今日もらった水晶の準備が出来たらベッドの下に隠しておきます。ですが扉を開ける時は誰がいるかも分かりませんからくれぐれも注意して下さいね」
「まさか……死ぬ気なのか?」
落ち着き払って説明するエマに驚いた。
「いいえ、もちろん生き延びるつもりではいます。出来れば最上階の様子をくまなく観察して、次にヨルダンが来た時に報告できたらと思っています。でも……フアナさまの怒りをかって突然消えてしまう可能性ももちろんありますから……」
大らかで明るいエマを見ていると、その立場の不安定さを忘れてしまいそうになるが、日々死と隣り合わせに生きているのだ。その危うい現実に今さら気付いた気がした。
「そんなに不安な顔をしないで下さいませ、フロリスさま。これが最後になろうとも、あなたさまのような方が私のことを心配して下さっただけでも、私の人生はそう悪くなかったと思えますわ。お会い出来て光栄でした。ヨルダン、ありがとう」
エマは穏やかに微笑んで、ゆっくりと扉を閉じた。
◇
「もしかして……エマのために私を連れていったのか?」
手持ちの燭台を持って暗い通路を戻りながら、ロッテはヨルダンに尋ねた。
見張り役として手伝わせるためかと思っていたが、正直言ってロッテが役に立った気はしない。わざわざ足手まといのロッテを連れて来た意味が分からなかった。
「あいつさ、あの容姿のくせにすっげえ面食いなんだよな。あんたの噂を聞きつけて、フロリスさまってどんな方だろう。一度でいいからお顔を見てみたい。そしたらもういつ死んでも思い残すこともないなんて言いやがるからさ。まあ、いつ死ぬとも分からないなら、思い残すことのないようにしてやろうってな」
孤高を好むヨルダンが、なぜロッテに声をかけたのか……。
今頃になって、ようやくその不可解な行動のわけが分かった。
そんなことなら、もっとエマに気のきいた言葉をかけてあげれば良かった。
他にも何か出来たのではないかと、ロッテは申し訳ない気持ちになった。
「最後のあいつの顔を見ただろ? 今までの中で一番幸せそうな顔してやがった」
「でも私はただ普通に会話しただけで……」
「それでいいんだよ、あんたは」
「え?」
「オレは正直言って貴族さまがなんだ、同じ人間じゃないかってずっと思ってきたんだけどな。でもあんたに会って少しだけ考えを変えた」
「私に会って?」
「なんていうのかな。美しい男も悪くない。育ちの良さや持って生まれた気品っていうのかな。特別な人間っていうのがいるんだと気付いた。その人のためなら死んでもいいと思えるような特別な存在。そんな人に会えたなら、そしてその人のために死ねたなら、こんなちっぽけな自分にも生きた意味があるんじゃないかと思える。人を治める人間ってのは、そういうものを持ってるべきなんだな。そうであってこそ民は幸せだと感じるんだ」
「私はそんな立派な人間じゃないよ」
こうしている今も、男と偽ってみんなを騙しているのだ。
エマだって憧れた人間が女だったと知ったらどれほどがっかりするだろう。
「ふざけるなよ。殴るぞ、フロリス」
「え?」
「あんたが自分を否定するということは、エマの覚悟さえも否定するということだ。いずれ民を治める立場になるなら、民の期待と羨望を全部背負って受け止めるだけの人間になれ。それがあんたら上に立つ人間の責任だろう」
そこまで言うと、突如ヨルダンがガクリと膝をついた。
「ヨルダン?」
「……っ……くそ……。やっぱりちょっと無理しすぎたか……」
ヨルダンは胸を押さえて、地面に座り込んだ。
「ヨルダン! 具合が悪いのか?」
「あわてて魔力を込めたから、ちょっと限度を超えたみたいだ。へっ。オレの限度なんてフアナ姫に比べたらカスみたいなもんだからな。少しだけ休ませてくれ」
苦しそうに胸を押さえている。
その姿は、以前にも北門の前で見かけていた。
「もしかして……いつも命を削りながら魔法石を作ってるのか?」
ロッテはうずくまるヨルダンの背をさすりながら尋ねた。
「ふん。オレの命なんざ、すでにもう僅かしか残ってない。若い頃に近衛騎士に一刻も早くなりたくて、無茶して魔力を使ってたからな」
「そんな……。それなのにどうしてこんな仕事を引き受けたんだ!」
「引き受けないでどうするんだ。残り僅かな命を、家にこもって静かに静かに消費するのか? 違うだろ? どうせ死ぬなら、がっぽり稼いで貧しい親兄弟や近所にバラまいて、英雄だと崇められながら死にたい。そして美しい王女さまのために最後まで力を尽くしたなんて、語り草になるのも悪くないだろ? 女神のために命をかけるなんざ男冥利に尽きるってな」
「ヨルダン……。君は最初から……」
この任務で死ぬつもりだったのか。
ロッテにはヨルダンの覚悟がはっきりと分かった。
「オレはオレの、エマはエマの、最高の終わり方を目指して生きている。だが、あんたはまだ死ぬな。あんたを必要な人間はたくさんいる。だからこれを持っていろ」
ヨルダンは懐から、さっき作ったばかりの魔法石を取り出した。
「護身石と……こっちはリストシールドにつけたらいい。ルドルフ隊長の命じた通り、あんたに最優先に一番出来のいい石を預ける。本当はもしあんたが嫌なヤツだったら、失敗作を渡してやろうかと思ったが、そんなことしたらエマに恨まれるからな。今までの中でも最高の魔力を込めて作ってやったぜ。感謝しろよ」
「ヨルダン……」
ヨルダンはふっと笑って、紫に輝く大きな石を二つロッテに差し出した。
次話タイトルは「不機嫌なステファン」です