5、イザーク小公子
「はじめまして。僕、ステファン・フォン・デル・ミデルブルフです。よろしくね」
金色のおかっぱ頭の少年が人懐っこい笑顔で近付いてきた。
「僕はテオ。西大公様の領地の男爵子息なんだ。
あ、なんです。
何か困った事があれば、何なりとお申し付け下さい」
父の元を離れ、子供の輪に入ると、すぐにわらわらと少年が集まってきた。
「敬語はいいよ。
私もみんなと同じように普通に接して欲しい」
テオはロッテの言葉を聞くと、ぱああっと笑顔になった。
「いいの? 西大公様に言いつけたりしない?」
「はは。しないよ。
まだ何の役職にも就いてないんだから身分とか関係ない。
普通に友達になってくれたら嬉しいよ」
「ほんとに? 君っていい人だね」
栗毛の短髪のテオは、この中でも一番年下らしく、屈託がない。
ステファンとテオの他の少年達は、西大公の小公子への遠慮からか、遠巻きに三人の様子を窺っていた。
そして……。
そんなロッテ達に、大柄な青年が近付いてきた。
青年の後ろには3人、同い年ぐらいの青年が従うようについてくる。
頭一つ分ぐらい高い4人の男に囲まれると、すごい威圧感だ。
「敬語とかいい? 身分とか関係ない?
さすが西大公様のご子息は、ご理解がおありになることで」
栗毛を高く結んだ青年は、小バカにするようにニヤニヤと嗤っている。
どうやらこの中で一番年上らしい。
体も大きいが、なんといっても態度がでかい。
「イザーク……」
テオは話しかけられただけでブルブル震えている。
「イザーク?」
馬車の中で父から聞いた名だと思い当たった。
「では東大公家の……」
「ほう。俺の事を知ってるのか。まあ当然か。
俺はこの中でも唯一、王宮の公務をいただいている身だからな」
お前らガキとは格が違うとでも言いたげな横柄な態度だ。
いや、まさにそう言ってるのだろう。
だが、ロッテはこういう横柄な男には慣れていた。
何より、父のウィレム公が娘に対する態度ほど横柄なものはない。
「王宮の公務を? 凄いね。
ではシエル王太子様にも会った事があるの?」
にこりと微笑んで大柄な青年を見上げた。
予想外に友好的なロッテに、イザークの方が驚いた。
しかも、その輝くばかりの笑顔に、不覚にも一瞬見惚れてしまった。
「お、おう。もちろんだとも。
お声をかけてもらった事もある」
ほぼほぼ嘘だった。
公務と言っても王太子様のお馬番の、さらに補佐だった。
何頭かいる王太子様の馬を運動不足にしないために、適度に運動させる役目だ。
直接お側で会った事などない。
遠目に何度か覗き見た程度だった。
「私も一度狩りをご一緒させて頂いた事があるんだ。
素晴らしいお方だった」
だからロッテの言葉にイザークは目を見開き、他の少年達はざわめいた。
「か、狩りにお供したって言うのか?
見え透いた嘘をつくなよ!」
イザークの後ろの少年が喧嘩ごしに詰った。
「そうだよ!
お前みたいなチビが馬にちゃんと乗れるわけがないだろ!」
「うん。実はそうなんだ。
だから側近のアベル様の馬に相乗りさせて頂いた」
「ア、アベル様の……?」
今度はイザークが青ざめた。
「アベル様ってイザークが言ってた女嫌いで有名な側近の?」
「良家の姫ですら毒舌でいびり倒すと言われてる?」
「いや、シエル様に近付く者は男でも容赦ないらしいぞ」
「シエル様に浮いた噂がないのはすべてアベル様のせいだって聞いたな」
ロッテはそんな噂になってるのだと初めて知った。
確かに女子供にも容赦ない、冷たい男だった。
「すごいね! フロリスってすごいや!」
テオが素直に賞賛の声を上げた。
他の少年達はそこまで無邪気ではなかったが、ロッテを一目置いた目で見るようになった。
しかし、イザークと取り巻きは面白くなかったようだ。
「ふ、ふん!
ちょっと狩りのお供をしたからって調子に乗るなよ」
「そうだそうだ!
イザークの兄上のルドルフ様なんてこの春から近衛騎士団に入られたんだからな」
「たぶん次の辞令で王太子様の17騎士に選ばれるに違いないんだ」
「17騎士に?」
それは貴族の子息にとっては憧れの地位だった。
たとえどれほど家柄が良くとも、剣技に優れていなければ決してなれない。
逆に言うと、さほど高い身分でなくとも、剣技が優れていれば17騎士に選ばれる事もある。
そして17騎士を経験して国の要職に就く者も多かった。
現在の宰相はじめ、国を動かす重臣は、いずれも現王の17騎士を経ていた。
ロッテの父ウィレムも、イザークの父も僅かの期間だが名を連ねている。
大公家はさすがに基準が甘くはあるが、それでも愚鈍な男はなる事は出来なかった。
つまり17騎士に選ばれた大公子息は、未来が約束されたようなものだった。
「知ってるか?
王様はもうすぐ王位をシエル殿下に譲位されるおつもりなんだ。
だからシエル様はご自分の17騎士を秘かに選んでおられるんだ」
「そうなのか?」
それでお忍びで各領地を回られているのかもしれない。
「アベル様と数人の騎士はもう決まっているが、東西南北の大公家からも数人選ばれる予定だ。
ルドルフ兄上はその筆頭ってわけさ」
イザークはまるで自分の事のように自慢げに宣言した。
ロッテは気持ちが焦るのが分かった。
(シエル王太子様の17騎士……)
なれるものなら誰もが憧れるそこに……自分はあまりに遠い。
王宮の公務見習いを経て、騎士見習いになって、近衛騎士団になって……そこから更に剣技を磨いて王太子様に選んでもらわねばならない。
考えますと言ったけれど、ロッテの気持ちはもうシエルに向かっていた。
(自分が仕えるならあの方以外いない)
ただ……。
本質が女であるロッテには、他の少年のように無邪気に憧れるだけでは済まない葛藤があった。
(命あるものを殺めるのが恐ろしい……)
それだけはどれほど男らしくしても、剣や弓が好きでも変わらなかった。
(私はあの方を守るためなら、人をも殺せるのだろうか……)
だが迷っている暇などないのだと、この日決意を固めた。
◇ ◇
歌とヴァイオリンをメインにした音楽会は、ワインや軽食を楽しみながらの気楽な会だった。
子供達には発酵を抑えた果汁水に近い飲み物が用意されているが、イザーク達は大人用のワインを飲んでいた。
「お前、まだ果汁水なんてガキの飲み物を飲んでるのか?
10才を過ぎたらワインを飲めよ」
イザークは他の子息達と歓談しているロッテの所にやってきては、からんでいく。
「私は……その……体が弱くてワインはまだ飲んだ事がないんだ」
体が弱いのは嘘だが、ワインを飲んだ事がないのは本当だった。
良家の姫は結婚するまでお酒は嗜まない。
真面目で敬虔な姫なら生涯飲まない人もいる。
女性の自由はこんな所でも縛られていた。
ロッテ自身も女を忘れている事はあっても、お酒を飲む事にはどこか後ろめたいものを感じていた。男の恰好をしていても、女性としての制約を反古にする勇気はまだなかった。
「ははっ! 飲んだ事がないだって?
情けない男だなあ!
大公家の子息がそんな事でどうするよ」
「ちょうどいい。今日飲んでみろよ」
「うまいぜ。持ってきてやるよ」
悪ガキは、こんな時だけとっても面倒見がいい。
「いや、お医者様とご相談してからにするよ、ありがとう」
「そんな事言ってたら一生飲めないぜ。
試しに飲んでみろって」
「酔っ払ったら俺たちが介抱してやるからさ」
「そうそう。
抱き上げてソファに連れていってやるよ」
ひゃははは! と四人は嫌な笑い方をする。
「いや、そんな迷惑をかけるわけにはいかないから……」
「迷惑なんて思ってないって。
俺たちもう友達だろ?」
しつこい。
どうしようかと困っていると、イザーク達が急に顔色を変えた。
「イザーク殿、すまぬな。
フロリスは元気そうに見えて、体が弱いのだ。
万が一の事があってはならぬから、酒は飲ませてない」
ウィレム公が口調とは裏腹に、恐ろしい目付きでロッテの後ろから四人を睨み付けていた。
「は、はい。つい仲良くしたくて余計な事を……。
失礼しました、西大公様」
さすがに西大公に睨まれると、四人はあっさり引き下がった。
そそくさと去って行く四人の背を見ながらウィレムがロッテに囁いた。
「東大公の悪たれめ。
お前の弱味を見つけようとしておるのだ。
気をつけろ。
あやつらに気を許してはならんぞ」
「はい。父上様」
しかしロッテは警戒するよりも、初めて自分を守ろうとしてくれた父が新鮮で嬉しかった。
女であったロッテには決して見せなかった親らしさだった。
そうして音楽会をそつなくこなして帰ろうとしていたロッテ達に、敵はさっそく罠をしかけてきた。
「ホーラント西大公殿。もうお帰りですか?」
話しかけてきたのは、イザークの父、東のヘルレ大公だった。
父ウィレムは小太りだが、ヘルレ大公は大太りだ。
一見おだやかな三日月目だが、口端に腹黒さが滲み出ている。
「ヘルレ東大公殿。
われらは自領の屋敷から参ったのでそろそろ帰らないと日が変わってしまうのでな。
お先に失礼しますぞ」
「それは残念ですな。
初めてご子息にもお目にかかれて、もっとゆっくり話したかったというに……。
そうじゃ。良かったら私の別邸に泊まっていかれてはいかがですかな?
幸いこのすぐ近くなのです」
今思いついたという風に言っているが、後ろで見守るイザーク達の様子からして、親子で手はずを整えてたらしいのが分かった。
「いや、残念だがまたの機会に……」
「息子のイザークもフロリス殿ともっと話したいと言っておるのじゃ。
イザークは同年代にも顔が広いゆえ、仲良くして損はありませんぞ。
それにこの機会に以前より計画していた航海船の発注についても話し合いたい。
今なら決して悪い話にはしませんぞ。是非泊まって行って下され」
ホーラント領では、最近造船に力を入れている。
領土に海岸線を持たぬヘルレ公は、外部に発注するしかない。
水面下で敵対しているとはいえ、ホーラント家にとっては上得意様なのだ。
「う、うむ……。しかし……」
「今宵決済するつもりじゃ。
これを逃すと次はいつになるか分かりませんぞ」
「わ、分かった。では一泊だけ……」
ウィレムは欲に目が眩み、甘い罠にのってしまった。
次話タイトルは「イザークの罠」です。