8、イザークの誘い
「イザーク、君の馬もこの馬舎だったのか」
確か北側に詰所のある隊は、第一、三、九、十五、二十部隊だった。
第十五部隊のイザークも同じ並びの詰所にいたのだ。
秘密裏に鍛錬を行うロッテたちの部隊とは別行動だから今まで気付かなかった。
「二十一部隊は今までどこにいたんだ?」
むすっとした表情でイザークが自分の馬を撫ぜながら尋ねた。
「それは……どんな些細な事も口外してはいけないことになってるから……」
任務の内容も鍛錬についても秘密だった。
「ちぇっ。なんだよ。俺だけ仲間はずれなんだからな。兄上が隊長なら、俺は真っ先に入れてくれても良さそうなもんなのに。フロリスとステファンだけ入れるってひどいよ」
人事権は確かにルドルフが握っていた。
だがきっとフロリスとステファンを入れたのは王様の意向だ。
カタリーナ姫の近くに、よく知っている二人を付けたかったのだろう。
「どうせいつもの兄上の意地悪なんだ。俺だけのけ者にして笑ってるんだ」
「ルドルフ隊長は仕事でそんな悪ふざけはしないよ」
ロッテは苦笑して答えた。
イザークは、でかい図体になっても中身はあまり変わっていない。
感情がすぐ表に出る男だった。
そういう所が憎めなくてみんなに好かれているのだが。
「ルドルフ隊長ね。二人にとっては直属の隊長だもんな」
どうやら自分の兄を二人に取られたみたいで嫉妬してるのだ。
そういう感情が見え見えで、ロッテは時々弟のような親近感がわいてしまう。
「機嫌直しなよ。同じ隊だからって馴れ合ってるわけじゃない。むしろいつ怒られるかと思ってピリピリしてるよ」
「ふーん。それにしても二十一部隊はどこに配置されるんだ? 北門の警備に出るわけでもないみたいだし、どんな任務なのかってみんな噂し合ってるよ」
「噂ってどんな?」
「シエル様を極秘でお迎えにいく部隊だとか……」
「シエル様を?」
的外れな噂だが、それが本当ならロッテはもっと喜んだ。
「違うのか? じゃあ遠征にいくわけじゃないんだな?」
「それは……」
「そこまでだ、イザーク。どんな小さなことも口外してはいけないと言われてるんだ」
うっかり答えてしまいそうなロッテを遮って、ステファンが答えた。
「ちぇっ! ステファンは最近フロリスに構いすぎだぜ。いくら西大公家の子息だからって、お前の過保護は姫君を扱うかのようだよ。ちょっとおかしいぞ」
「……」
イザークは腹立ちまぎれに言ってみただけだが、ロッテとステファンはギクリとした。
こういう訳の分からないところでイザークは無駄に鋭い。
「なんだよ。怒ったのか?」
二人が黙り込んだので、イザークは少し言葉を柔らかくした。
「別に怒ってないよ。僕はウィレム公にフロリスを命がけで守れって言われてるんだ。変な噂を流さないでくれ」
「噂なんか流してないよ。怒るなって。それより二人も成人したんだし、いい所に連れてってやるよ。これから付き合わないか?」
「いい所?」
「南の広場に新しく出来た大浴場だ」
「大浴……場……?」
ぶほっと隣でステファンが咳き込んだ。
「すげえんだぜ。風呂も広くて豪華だけど、最新の運動器具があってそれで鍛えれば細っこいフロリスだってすぐに筋肉隆々になるよ。他にも図書室や談話室も綺麗だし、酒や料理もうまいんだ。俺が案内してやるよ」
目を輝かせて説明するイザークに、ロッテは楽しそうな光景を想像した。
「行ってみたいけど……」
「フロリスッ!!」
思わずうなずきそうなロッテを、ステファンが一喝した。
「ダメに決まってるだろ、イザーク。ウィレム様に怒られる」
あわててステファンが断った。
「ウィレム様もちょっと過保護だよな。町民もいるけど、貴族もみんな行ってるよ。他の部隊の近衛騎士とも仲良くなれるのに」
「ダメだ。僕がウィレム様に叱られるから。分かってるよね、フロリス」
畳み掛けるようにステファンがロッテに言い捨てた。
「うん。ごめん、イザーク。せっかくだけど行けないんだ」
「なんだよ。たまには羽目を外したっていいと思うぜ。行こうよ、フロリス」
まだ誘おうとするイザークに、ステファンはむかっとした。
「しつこいな! 君はなにか下心でもあるのか!」
「下心?」
思わず強い口調になったステファンに、イザークが首を傾げた。
その顔は以前と違って、下心など皆無の清々しさだ。
ステファンは言った自分の方が恥ずかしくなって赤面した。
「いや、なんでもない。とにかく、今日は疲れたから帰る。行こうフロリス」
「うん。じゃあな、イザーク」
馬に飛び乗って去っていく二人を、イザークは残念そうに見送った。
…………………
「君はまさか僕がそばにいなかったら行くつもりだったんじゃないだろうね」
二人になると、すぐにステファンがロッテに注意した。
「行かないよ。行けるわけがないじゃないか」
それは充分分かっているが……。
「でも男だったら行きたかったな。運動もできるし、いろんな騎士さまとも知り合いになれるし、いろんな文化にも触れることが出来たのに」
ステファンはやれやれとため息をついた。
「君が好奇心旺盛で向上心のかたまりなのは知ってるけど、僕の心が持たないから無茶なことはしないでくれ。ヒヤヒヤしたよ」
「ごめんね、ステファン。なんだか魔法の下着をつけてると、自分が男のような気になるんだ。女だってことを時々忘れてしまう」
「君は忘れられるかもしれないけど……」
ステファンは忘れられるはずもなかった。
一度見ただけのドレス姿のロッテが、ずっとずっと心に棲みついている。
魔法でどれほど男に見えようとも、自分が守っているのは、あの華奢な肩幅の、抱き締めたら壊れてしまいそうなか弱い姫君なのだと、心のどこかが疼くのだ。
自分の苦労も知らず屈託のないロッテが時々うらめしくなる。
「怒ってる? ステファン」
でも不安そうに自分を窺うロッテを見たら、結局いつも何も言えない。
「怒ってないよ。屋敷まで競争だ、フロリス」
「あ、ずるい! 待ってよステファン」
ステファンは馬を蹴って、邪念を払うように駆けた。
◇
そんな日々を過ごして十日ほど過ぎた。
「ねえステファン、またあの人は来てないみたいだよ」
最近ロッテは二十一部隊の一人の人物が気になっていた。
「ヨルダンのこと? そういえば今日もいないね」
初日にルドルフ隊長に真っ先に質問されていた第五部隊出身の町民騎士だ。
影の薄い男だから、他のみんなは気にしてないようだが、ロッテはなぜか気になった。
初日以降、まったく姿を見ていなかった。
みんなはそんな人物がいたことすら忘れているようだ。
「もしかして町民一人で居心地が悪くて元の部隊に戻してもらったのかもよ」
「そうなのかな……」
でもその夕方、ロッテは別部隊への使いを頼まれて、一人で戻ってくる途中ヨルダンを見かけた。
(ヨルダン? あんな所で何を?)
ヨルダンは北門の中に入っていくところだった。
北門の中とは、つまり後宮だ。
慣れた様子で門番も頭を下げている。
(なぜヨルダンが後宮に?)
次話タイトルは「ヨルダン騎士」です