29、フロリスの秘密
「フロリス、入ってもいい?」
ホーラントの領地に帰ったロッテは、離れの自分の部屋にいるフロリスを訪ねた。
本物のフロリスは、屋敷の者の目に触れぬようにロッテの部屋に移っていた。
女装まではしていないが、ほとんど部屋から出る事なく籠もっているらしい。
いつかロッテと入れ替われるように剣や馬術も練習しているが、離れの人目につかない中庭でひっそりと行われていた。
「ロッテ! 帰ってるって噂は本当だったんだね」
フロリスは驚いた表情でロッテを出迎えた。
そして、2人きりになれるよう、人払いをしてくれた。
ロッテはまだ男装のままだったので、そっくりな少年が2人ソファに並んだ。
「何があったの? 話して、ロッテ」
「うん、実は……」
ロッテはこの数週間の出来事をフロリスに詳しく話して聞かせた。
「そうか……。大変な思いをしたんだね、ロッテ」
「ごめんね、フロリス。
もしかして今頃私が女だってバレてるかもしれない。
そうなったらフロリスやお父様や、西大公家もどうなるか……」
「ロッテのせいじゃないよ。
そもそも僕が人前に出られないから……。
すべて僕のせいだよ。
辛い思いをさせてごめんね、ロッテ」
「フロリス……」
ロッテとフロリスはお互いにぎゅっと抱き合った。
秘密を共有し合う2人はいつの間にか固い絆で結ばれていた。
「僕ね、ロッテをいつか女の子に戻してあげられるように努力しようと思ったんだ」
「努力?」
「うん。今までロッテには言ってなかったけれど、僕には秘密があるんだ」
「秘密?」
肯いてから、フロリスは軽く深呼吸して口を開いた。
「僕は人が怖いんだ。
言っている事と思っている事が全然違うでしょ?
僕はね、みんなの心の声が聞こえるんだ」
「心の声が?」
ロッテは驚いてフロリスを見つめた。
「うん。声というか感情が分かる。
ニコニコ笑いながら、憎しみの感情でいっぱいだったり、悲しそうにしながら心の中で笑ってたり……。
恐ろしい感情が僕の中に流れ込んでくるんだ。
そんな人をいっぱい見て、怖くてたまらなくなった」
「えっ? じゃあ私の心も?」
フロリスはにこりと微笑んだ。
「ロッテは不思議に分からないんだ。
近すぎて自分の感情と見分けがつかないのかもしれない。
それにロッテって感情がストレートに顔に出る人だよね。
だから怖くない」
ホッとしたような、結局心の中が透け透けのような複雑な気分だ。
「それで人前に出るのが怖かったの?」
「うん。特にお父様の周りの人達ときたら、人の足を引っ張る事ばかり考えている。
男性も女性も腹の探り合いだよ。
僕を殺せないものかと考えてる人もいっぱいいる」
西大公家の唯一の跡取り息子なのだ。
フロリスさえいなければ自分の所に家督が舞い込んでこないかと考える貴族も多いのだろう。
そんな感情を幼い頃から感じていたなら、人が怖くなっても仕方がない。
「でもね、ロッテにだけ辛い思いをさせて逃げてちゃダメだと思った」
「辛いなんて……。
私はフロリスとして過ごす日々が楽しかったんだ」
「でもいつまでも男のフリなんて出来ないでしょ?
いつか入れ替わらなければダメなんだと思う」
「入れ替わる……」
ロッテはその言葉がショックだった。
「あのね、このホーラントの北のオークの森に賢者様が住んでいらっしゃるみたいなんだ。
訪ねたからって誰でも会えるというわけではないみたいなんだけど。
その人智を超えた力は凄いらしくて、世の理のすべてをご存知だとか。
だから会いに行ってみようかと思ってるんだ」
「賢者様……?
でも会ってどうするの?」
「僕がどうしてこんな力を持って生まれてきたのか、何か理由があるような気がする。
僕がこれからどう生きればいいのかお聞きしたい。
そして自分で制御できる方法があるなら、ご教示頂きたい」
フロリスは強い決心を秘めた瞳でロッテを見つめた。
ほんの数週間の間、離れていただけだけれど、フロリスは少し大人びたような気がする。
「分かった。じゃあ、私も一緒に行くよ。
私もこれからどう生きればいいのか聞いてみたい」
◇
翌日、ロッテとフロリスは身近な従者だけを連れて北のオークの森に向かった。
お忍びで、あまり派手じゃない馬車に乗り、セバスチャンと腕のたつ従者を連れて北へ進む。
フロリスは外出自体がほとんど初めてだった。
外の風景に目を輝かせるフロリスは、決して部屋に閉じこもりたい訳ではない。
生まれた時から備わっていた妙な力さえ制御出来たなら、きっと宮仕えも出来る。
(でも私はどうだろう……)
今更女に戻れるだろうか?
もしロッテがフロリスに成り代わって宮仕えをしていたとバレたなら……。
そんな男勝りの姫と結婚しようなどと、まともな貴族は思わないだろう。
だとすれば、結婚もせずに一生ホーラントの屋敷に籠もって過ごすのか……。
外の世界に触れる事もなく、何かを成すわけでもなく……。
単調で無意味な日々を延々と……。
考えただけで気が滅入る。
(賢者様なら、私がどう生きればいいのか指南下さるだろうか……)
やがて馬車はオークの森に入り、木々のトンネルの続く小道に進んだ。
オークの木々が葉陰を作り、ひんやりと薄暗い小道がどこまでも続いている。
「本当にこの道でいいのか?」
馬車の外でセバスチャンが御者に尋ねている。
やがて小道さえも途切れて馬車は進めなくなった。
「セバスチャン、どうしたの?」
「ロッテ様、これ以上馬車が進む事は出来ません。
どうしましょうか? 少し戻ってみますか?」
「この道じゃなかったの?」
「いえ、道は合ってるはずなのですが……。
地図ではもう少し進めば賢者様の森の家があるはずなのですが……」
「降りて歩いてみよう」
フロリスが勇気を振り絞って立ち上がった。
「え? でも大丈夫なの? フロリス」
ロッテと違って外を歩くなんて初めての経験に違いない。
しかもどんな獣が潜むとも知れない森の奥だ。
「怖いよ。でもこの先に行かなきゃいけない気がする」
フロリスは顔を上げて馬車の扉を開いた。
「分かった。じゃあ手を繋いで行こう。
獣が来ても、私がフロリスを守ってみせる!」
「僕こそロッテを守ってみせるよ。行こう」
ロッテとフロリスは手を固く結び合った。
木々の隙間をぬって森の奥深くへと突き進む。
手を繋いだ小公子姿のロッテとフロリス。
その周りをセバスチャンと他の従者が守るように取り囲んで進んだ。
バサッ! と木の上にいた鳥が飛び立った。
「きゃっ!」
悲鳴を上げたのはロッテではなく、フロリスだ。
「大丈夫だよ、フロリス。
私がそばについている」
ロッテはフロリスの手を更に強く握りしめた。
さっきからフロリスの手が震えているのに気付いていた。
青ざめた顔でキョロキョロと辺りを見回している。
「何か感じるの? フロリス」
みんなはフロリスが臆病だから震えているのだと思っていたが、ロッテはそうではないのだと、ようやく分かった気がしていた。
「何か生き物の気配がする。獣じゃない」
「え? じゃあ人間?」
「ううん。人間でもないような気がする」
2人は従者達に聞こえないようにコソコソと耳打ちし合う。
「悪いもの?」
「ううん。善悪というよりは、とても無邪気な子供みたいな……?」
「子供?」
「2人いる……。あ、笑ってる。
こっちを見てるよ」
フロリスはその視線の元を探すようにキョロキョロと木々のトンネルを見回した。
「ロッテ……気をつけて……」
フロリスはガタガタ震えながらロッテの手を両手で握りしめた。
「え?」
「何か仕掛けるつもりだ。
僕達に何かしようとしている」
フロリスの言葉が終わらない内に、ぶわっと突風が吹いて木々のトンネルが渦を巻き始めた。
「うわっ!! なんだっ!
ロッテ様、フロリス様こちらへっ!!」
セバスチャン達従者が慌ててロッテ達を守ろうと円陣を組む。
しかしそれを阻むように、ごうん、ごうんと竜巻のような風がロッテ達を包んだ。
「フロリスッ!! 私の手を離さないでっ!!」
「ロッテ!!」
手を繋いだロッテとフロリスの体が突風に巻き込まれ、浮き上がる。
「ロッテ様っ!!」
セバスチャンが慌ててその体を掴もうとしたが、激しい風が大柄の従者さえもなぎ倒す。
「セバスチャンッ!!」
「うわあああっっ!!!」
目も開けられない身を切りそうな激しい風に、ロッテとフロリスの体は巻き上げられるようにどんどん上空に持ち上げられ、セバスチャンの声が遠ざかっていった。
「ロッテ様ああああっっ!!!」
◇ ◇ ◇
どれぐらい時間が経ったのだろう。
ほんの一瞬かもしれないし、とても長い時間だったのかもしれない。
ロッテとフロリスは気付くと、手を繋いだまま地面に転がっていた。
「いたたた、フロリス、大丈夫?」
「うん。ロッテこそ怪我はない?」
寝転がったまま、ロッテとフロリスはお互いに顔を見合わせた。
体のあちこちを擦りむいて、ぐったりと動けない。
「ここはどこだろう?」
「僕達死んじゃったのかな?」
さっきまでの暴風は嘘のように、澄み渡った青空が広がっている。
「セバスチャン達は……」
「僕達だけ飛ばされたみたいだ。
他に人の気配は……」
そこまで言って、フロリスははっと頭の上に視線を向けた。
「え?」
ロッテも同じように視線を上に向けた。
そこには……。
イタズラっぽく笑う、2つの小さな生き物がロッテ達を覗き込むように立っていた。
次話タイトルは「森の賢者」です