27、夢の終わり
「なあステファン、系譜学の宿題やってきたか?
ちょっと見せてくれよ」
アカデミーでは朝からイザークがステファンに話しかけていた。
「僕の家の系譜を見てどうするんだよ。
君の家の系譜を調べて書いてくるんだろ?」
「何か書いてたら叱られないかと思ってさ。
だって俺ん家って側室が多くて家系図が複雑なんだよ」
「あちこちに側室を作るから複雑になるんだよ」
ステファンはため息をついた。
「俺のせいじゃないだろ?
俺は妻は1人と決めている」
イザークは鼻息荒く反論する。
「君がそれほど身持ちが固いとは思えないけどね。
君みたいなタイプは、情にほだされてずるずるとあっちにもこっちにも子供を作るんじゃない?
そして、男色にまで手を出してのっぴきならなくなるんだ」
「か、勝手な想像をするなよ!
俺はこれでも一途なんだ!」
「まさか男色に一途なんじゃないだろうね」
「ばっ!!」
イザークは慌ててフロリスが周りにいないか確かめた。
良かった。教室の隅でテオと話している。
その狼狽ぶりを見て、ステファンは苦笑した。
「もう、分かったよ。
東大公家の系譜ならだいたい分かるよ。
教えてあげるから、書いていって」
「えっ! ホントかよ。
ステファンっていいヤツだな」
「君は調子のいいヤツだな」
やれやれと思いながらも、憎めないヤツだった。
「ねえ、最近ステファンってイザークと仲いいよね」
その様子を遠目に見ながら、テオがフロリスに囁いた。
「うん。イザークのパーティーで結構気が合ったみたいだよ」
イザークの家で、ルドルフ様に翻弄されていじられているイザークを見て、ロッテも結構いいヤツなのかもしれないと見直した。
しかも、ロッテの気分が悪くなっていたのをステファンと共に助けてくれた。
あの時、3人の間に不思議な絆のようなものが出来たような気がした。
ステファンとのあの出来事さえなければ、きっと3人で仲良くなれたような気がする。
でも実際は……。
イザークもステファンもロッテにだけ、どこかよそよそしい。
あれから数日が過ぎても、ステファンはロッテに最低限の言葉しかかけてくれない。
かと言って無視したり、嫌みを言うわけでもない。
だからぎこちない空気のまま時だけが流れていた。
「ステファンはイザーク達と仲良くしたくなったのかなあ……」
テオはしゅんとしてロッテに呟いた。
ロッテのそばにいるせいで、テオにまでそっけない態度に見えるのだ。
「そんな事ないよ。
たぶん……ステファンは私が嫌なんだと思う……」
◇
「テオ、悪いけどこの本を歴史の本棚の一番上に上げてくれる?」
司書のステファンは、手隙の見習いに仕事をふる役目も負っていた。
「君はこっちの本をアカデミーに運んでおいて。
君は王太子様の侍従の所に行って本を下げてきて」
図書房の仕事は結構な肉体労働だった。
分厚い本の束をあちこちに運ばなければならない。
「フロリスは……新しく入った本のリストをカードに書き加えて」
「え? また?」
それは見習いのみんなが一番やりたがる仕事だと聞いた。
リストを書き込むだけだから重い本を運ばなくてすむ。
フロリスが来てからは、それは専任のように自分に振られた。
みんなが西大公の小公子は特別扱いでいいなという顔をしている。
「わ、私も別の仕事をするよ。
いろんな仕事を覚えたいし」
「……。じゃあ今日の返却リストをチェックして……」
「ステファン!」
言いかけたステファンに、思わず叫んだ。
「テオの仕事と交換してくれ!
梯子を上って高い本棚にしまうのはテオには危険だよ」
「君こそ危険じゃないか」
「私の方が年上だし力だってある!」
「でも君は……」
ステファンは言いかけて口を噤んだ。
みんなはステファンの言葉の続きを、「西大公の小公子じゃないか!」と言いたかったのだと思っていた。
しかしロッテにはステファンが何を言おうとしたのか分かった。
『でも君は女じゃないか!』
(やっぱり気付いてるんだ……)
ステファンの態度は、ロッテの正体を知ったすべての男の態度だと思った。
きっとみんなロッテが女と知れば、こんな風に避けて、軽蔑して、気味悪がって、無能だと思って、距離を作って、役立たずだと決め付ける。
女だって重いものも持てる。
女だって梯子にも上れる。
女だって努力すれば何だって……。
でも男達は女は何も出来ないと思ってる。
男が優位であるために無能でいて欲しいんだ。
そして女も無能でいた方が幸せだと思っている。
男のように能力をつける事など愚かだと思っている。
でも私は……。
「テオの仕事と交換する!
いいよね、テオ?」
ロッテは意地になって言い張った。
「え? 僕はもちろんいいけど……でも……」
テオはフロリスとステファンの間でおろおろしている。
ロッテは積み上がった本の束を持って、さっさと歴史の部屋に歩いて行った。
「フロリス!」
ステファンの呼び止める声にも振り向かなかった。
結構ずっしりと重い。
でも剣の稽古をしてきたロッテは他の非力な姫君とは違う。
これぐらい持っても平気だ。
ステファンがこんなに狭量な男だとは思わなかった。
「疎外したいんだったらすればいいよ。私は負けないから」
涙が溢れそうになった。
一番聡明で差別心のなさそうなステファンでもこうなのだ。
他の男だったらもっと手酷く無視されていただろう。
心が折れそうになる。
男のフリなどもう無理だろうと耳元で囁く声がする。
ロッテは涙をこらえて歴史の部屋に入ると、梯子をかけた。
全部持って上がろうとしたけれど、さすがに片手で持つのは難しい。
でも1冊ずつ持って上がるのは癪だった。
「あっという間に終わらせて、力を見せつけてやるんだ」
ロッテは5冊を1度に抱えて梯子を上り始めた。
2段上っただけで、やっぱり5冊は無茶だったかと思ったが、意地になっていた。
ふらふらとバランスをとりながら梯子を上っていく。
「あっ! 何やってんだよ! フロリスッ!!」
突然怒鳴られて、ぐらりと体が傾いだ。
「うわっ!」
落ちそうになった本を支えようとして、今度は自分の体のバランスが崩れる。
「危ないっ!!」
ドサッ ドササッ ドン!!
衝撃と共に本ごと落ちた。
「いたたた……いた……あれ?」
落ちた衝撃ほどには痛くなかった。
はっと気付くと、ロッテの下にステファンの体がある。
「ステファンッ!!」
ステファンはお尻をさすりながら起き上がった。
「もう! だから言ったんだ!
僕だって2冊ずつしか持ってあがらないのに。
無茶しないでくれ!」
「ご、ごめん……」
力を見せつけるどころか、無能ぶりを証明してしまった。
「いいかげん、どいてくれる?
重いんだけど……」
ステファンは目をそむけたまま冷たく言った。
「あ、ごめん!」
ロッテはあわててステファンの体から離れて本を拾った。
「怪我はなかった?」
ステファンは腰をさすりながら、ポソリと尋ねた。
「あ、うん。ステファンの方こそ大丈夫だった? ごめんね」
「見習いを怪我させたら、責任者の僕のせいになるんだ。
分かったら大人しくリスト作成にまわってくれ」
「い、嫌だ! 大丈夫だよ。
今度は2冊ずつ運ぶから。
ちゃんと出来るんだ!
バカにしないでよ!」
ロッテは縋るようにステファンを見つめた。
ステファンは驚いたようにロッテを見つめてから、ぱっと目をそらした。
「バ、バカになんか……。
そんなつもりじゃ……」
「バカにしてるじゃないか!
どうせ一人前に出来ないと思ってるんだろ?」
「だって君は……」
ステファンは言葉を途切れさせてから、決心したようにもう1度口を開いた。
「君の妹のロッテは今どうしてるの?」
「ロッテ?」
ドキリとした。
まさかここで問い詰めるつもりなんだろうか。
「ロッテは……ホーラントで静かに暮らしてる」
「じゃあ、ホーラントに行けば会える?」
「そ、それは……」
まさか会うつもりだろうか?
「ロッテは……その……人見知りが激しくて、病弱だから……その……」
必死で言い訳を探す。
「人見知りが激しくて病弱って、確かフロリスもそんな風に言われてたよね。
だから人前に姿を出せないって、ずっと噂になってた。
それなのに、突然君は現れた。
人見知りでも病弱でもない、見事な小公子の君が。
これってどういう偶然?」
「……」
ステファンが真っ直ぐにロッテを見る。
(やっぱりすべてに気付いて……)
もうダメだ……。
終わりだ……。
私はもうここにはいられない……。
男の仮面を剥がされると、必死に強がっていた心が崩れていく。
ポロリと……我慢していた涙がこぼれた。
「フロリス……」
ステファンがロッテの涙に驚いたように目を見開く。
「フロリス……、違うんだ。
責めるつもりじゃ……」
ロッテはだっと駆け出していた。
もう私の夢の時間は終わった。
王様の期待に応える事も、シエル様の側にお仕えする事も……。
すべて終わってしまった。
「フロリスッ!! 待って!!」
ステファンの声を置き去りに、ロッテは逃げ去った。
次話タイトルは「ロッテのいない王宮」です