19、剣術試合
「アン、もっと強く巻いて。
今日はイザークと剣術試合をするから負けたくないんだ。
この間は試合の途中でこの胸に巻いた布が取れそうになって集中出来なくて負けたんだ。
実力なら絶対負けない!」
「ですが、これ以上強く巻くと胸の形が崩れるかもしれませんわ。
せっかく形良い胸をなさっているのに……」
「よしてくれ。こんな胸などなければ良いのにと毎日思っているのに……」
「なんと勿体無い事を……」
アンは侍女として、ドレスを着たら誰よりも美しくなるに違いない姫の身の上を嘆いた。
「また少し膨らんだ気がする。
私は自分の体の変化が恐ろしい。
なぜ私は男に生まれなかったんだろう」
痩せた体は布を何重にも巻けば、胸も隠せて体格がよくも見える。
夏でも首までのブラウスと厚めのベストは必ず着込んだ。
うっかり体に触れられても女だとバレる事はまずないだろう。
でも……。
「少し食事を減らしてくれ。
太ったら体の変化を隠し切れなくなる」
女に変わっていく自分が怖かった。
「ですが、今でもあまり食べてらっしゃらないのに」
「大丈夫だよ。それよりもっと強く巻いてくれ。
今日は絶対イザークに勝つんだ」
男より負けず嫌いの姫だった。
◇ ◇
「アーレッ!」
ロッテとイザークの試合にアカデミーのみんなは見入っていた。
カンッ! ザッ! ガシッ!
他の生徒の試合より、倍速で早い剣が繰り出される。
攻撃的なロッテと確実に受け止めるイザーク。
イザークは確かに剣が巧かった。
しかも大柄で力が強い。
拮抗する腕前なら、どうしてもフロリスが不利だった。
(でもセバスチャンほどではない……)
勝算はあるとロッテは思っていた。
(力はないけど、剣筋がいいな……)
イザークもまたフロリスの腕を認めていた。
絶妙に突いてくる剣を、力でなんとかねじ伏せてる感じだ。
余裕などない。
フロリスを傷付けたくはなかったが、負けたくもなかった。
ガンッ!!
剣を重ねたまま睨み合う。
いや、睨んでいるのはフロリスだけだ。
ムキになって自分を見上げる碧い瞳を、イザークは感動の思いで見つめていた。
(可愛い……)
この場面で考える事ではなかったが、自分の重い剣に立ち向かおうと懸命になっている姿がまたイザークには愛らしくてたまらない。
「何を笑っている?」
「え?」
どうやらうっかり顔に出てしまっていたらしい。
「私をバカにしているのか!」
「い、いや。そんなつもりじゃ……」
「今日は絶対勝つ!」
フロリスはイザークの剣を跳ね上げ、続けざまにイザークの脇を切り込んだ。
「うわっ! おっと!」
イザークは大柄なくせに敏捷な動きでそれをかわす。
「くそう……」
ロッテは、むかっと頭に血が上ったかと思うと、急速に血の気が引いていくのが分かった。
どうやら胸の布の圧迫と、食事を減らしていたせいで貧血を起こしているらしい。
目の前のイザークの顔にチラチラと光が飛び、景色が白に埋められていく。
(なにこれ……)
「フロリス?」
驚いたように自分を見るイザークの顔が白に溶け込んでいく。
そして白一色になったと思うと、目の前が反転するように真っ黒になった。
「フロリスッ!!」
気を失うフロリスをイザークは剣を放り出して受け止めた。
◇ ◇
はっと気付くと、フロリスはベッドに寝かされていた。
「フロリス! 気がついたか? 良かった」
フロリスを覗き込むようにイザークの顔があった。
心底ほっとしているような顔だった。
「イザーク……。私は……」
「剣術試合で倒れたんだ。
驚いて医務室に運んできたんだけど医務官がいなくて、今テオが探しに行ってる」
「テオが?」
「こいつに行けって行ったんだけど、ここにいるってきかなくてさ」
イザークがこいつと指差した背後には、ステファンが立っていた。
「君こそ探しに行ってくれればいいのに」
ステファンは怪しむようにチラリとイザークを見た。
どうやらイザークと二人きりになる事を心配して見張ってくれてたらしい。
それで年少のテオが探しに行く事になったらしい。
でも医務官がいなくて良かった。
もし体を見られていたらと思うとぞっとする。
この状況で女だとバレたら、もう隠しようもない。
ロッテはあわてて自分の衣類の乱れを確かめた。
「な、なにも触ってないから。ここに運んだだけだから」
イザークは身の潔白を証明するようにあわてて弁解した。
「うん。そうみたいだね。ありがとう、イザーク。それにステファン」
ロッテはベッドに起き上がって、立ち上がろうとした。
しかしまだ足がふらつく。
「フロリス! 無理するなって。医務官が来るまで寝てた方がいい」
イザークが受け止めようとする腕を避けるようにロッテは踏ん張って立った。
「いや、ただの貧血だって分かってるから。
最近食事を減らしてたから……」
それと月のものが来るようになってから、よく立ちくらみをおこすようになっていた。
今回ほどひどくはないが、貧血気味になっている。
「どこか悪いのか? ちゃんと医務官に診てもらった方がいいよ」
「いや、屋敷にかかりつけの医師がいるから。
よく知らない他人に体を診られるのは好きじゃないんだ」
見られるわけにいかない。
こんな体……。
みんな驚いて、ショックを受けて、軽蔑して、嗤うに決まっている。
医務官も、イザークも、ステファンも、テオも。
女に変わっていく自分がひどく汚らしい者のように思えた。
(生まれた時からきちんと男だったみんなには分からない。
私のこんな苦しみなど……)
「だからって……」
「もう、うるさいなっ!!
ほっといてくれよ!」
つい怒鳴ってしまった。
「フロリス……」
イザークは傷ついたようにロッテを見ていた。
ステファンも様子のおかしいフロリスに驚いている。
みんなと同じになれない自分への怒りを、イザークにやつ当たりしてしまった。
「ご、ごめん……。
俺はただ……心配だったから……」
(私は最低だ……。
心配してくれているイザークにこんな言い方しか出来ないなんて……)
「いや、こっちこそごめん。
君は何も悪くないよ……」
落ち込んだようにベッドにもう一度座り込むフロリスを、ステファンは考え込むように見つめていた。
次話タイトルは「ルドルフ近衛騎士」です