14、フロールの泉で待つ人物
「あの……フロリス……えっと、この間は馬番頭の俺が気をつけなければならなかったのに……その……君だけ謹慎処分になったりして……いや、なんで君だけ謹慎になったのか俺もよく分からないんだけど……出来れば君ではなく俺が謹慎になれば良かったのに……」
フロリスの謹慎が解けた朝、出仕してくるだろう彼になんと声をかければいいかと、朝からイザークは何十回も練習していた。
だが、どれも言い訳がましくてカッコ悪い。
何かもっとフロリスが尊敬の念を抱くようなカッコいい言葉はないものか。
そんな様々な思いは、フロリスの顔を見た途端吹っ飛んだ。
薄く切られただけのはずの頬に痛々しい青アザがあったからだ。
「フ、フロリス!
どうしたんだ? そのアザは?」
思わず駆け寄って尋ねていた。
「……」
しかしフロリスは何も答えず、チラリと視線を向けただけで無視された。
「おいおい、なんだよ無視かよ」
「自分だけ謹慎になったからってイザークに八つ当たりすんなよな」
「お前の態度がそんなだからシエル様も厳しい処分にしたんじゃないのか?」
いつもの取り巻き3人が、余計な事を言う。
「いや、あれは俺も不公平な処分だったと思ってる。
それよりその青アザは……」
「うるさいな! 父上に殴られたんだ!
ほっといてくれ!」
フロリスはキッとイザークを睨みつけた。
「ひゃははは、ご愁傷様」
「そりゃあ怒るよな。出仕4日で謹慎だもんな」
「大公家の子息が前代未聞だぞ」
取り巻きはイザークの気も知らず、さらに煽る。
「フロリス……、違うんだ。
俺はバカにするつもりなんか……」
イザークは、立ち去ろうとするフロリスの腕を慌てて掴んだ。
「放せ! 君と関わるとろくな事がない!
もう私に近寄らないでくれ!」
フロリスはイザークの手を振り払って行ってしまった。
イザークは絶望の顔でその後ろ姿を見送るしかなかった。
◇◇
「フロリス、さっそくだけどシエル様のこの馬を南のフロールの泉まで走らせてくれるか?
謹慎明けの君に行かせるようにと上からの命令なんだ」
馬舎に入ると、最初説明してくれた馬番係が告げにきた。
「上からの命令? 誰の?」
「さあ、知らないよ。
近衛騎士様の一人が直々においでになって命じられたんだ。
君、また何かやらかしたの?
近衛騎士様が馬番にわざわざ言いつけるなんて滅多にないんだけど」
馬番係は出仕始めから問題ばかり起こすフロリスを警戒しているようだ。
出来れば関わりたくないらしく、それだけ言うと逃げるように行ってしまった。
(まさかこれもイザークの罠……?
いや、でもさすがに近衛騎士様を巻き込んでまではしないか……)
それよりも……。
(まさかフアナ姫……?)
フアナ姫なら、近衛騎士だって充分動かせる。
(なぜかひどく敵視されている気がする。
あの方なら気を引き締めて行かなければ……)
ロッテはシエル様の馬に乗って警戒しながらフロールの泉に向かった。
◇◇
ロッテはシエル様の馬を走らせ、無事フロールの泉に辿り着いた。
ここまでの道のりは特に変わった事もなかった。
だがフロールの泉と指定しているからには、ここで待ち伏せしている可能性は高い。
ロッテはわざと木立に隠れた場所に馬をつないで、辺りを警戒しながら泉に近付いた。
(泉まで馬を走らせろと言われたんだ。
命じられた事は達成した。
後は誰が命じたのか確認したら、秘かに立ち去ろう)
ロッテはこんな時だけはチビで良かったと思った。
草むらに隠れて移動するかくれんぼも、いつもセバスチャンとしていた。
足音を忍ばせ、泉の様子を窺う。
しかし泉には人影はなかった。
(私の方が先に着いてしまったのか……)
そう思って踵を返そうとした途端……。
「わああっっ!!」
いきなり腰から持ち上げられた。
「だ、誰だっ!! 放せっ!!」
驚いてもがいてみたが、華奢な体は簡単にすくい上げられてしまった。
「なんのマネだっ!!」
腕を突っ張ってその人物を見上げて……言葉を失った。
「!!」
「かくれんぼが上手だな。馬はあるのにどこに行ったのかと思ったぞ」
「シエル様……」
「驚かせて悪かった。それにしても軽いな。
……!? その頬のアザは……」
シエルはロッテの頬のアザに気付いて、地面に下ろして顔を覗きこんだ。
信じられないほどの至近距離にシエル王太子の顔があった。
「まさか……ウィレム公に……?」
ロッテは慌てて、その場に跪いた。
「王太子様と気付かず失礼致しました」
胸に手を当て、拝礼する。
「挨拶などよいから答えよ。
その頬のアザはどうした?」
「これは……私の不徳ゆえに父に叱られ……」
「先日の謹慎処分の事だな?
それで殴られたか?」
「い、いえ。これは私の日頃の行いゆえに……」
どう言い訳しようかと口ごもるロッテの頬が、不意に温かくなった。
驚いて顔を上げると、シエルが痛々しい頬に手を添えていた。
深く優しげな黒い瞳がロッテを見つめている。
「すまなかった。許せ」
「シエル様……」
鼓動が激しく脈打つ。
この人に触られると、どうしてこんなに心が揺り動かされるのか。
ひどく心が波打つのに、不思議に心地いい。
「恋人同士の密会みたいなシーンはやめてもらえますか? 気持ち悪い」
うっとり見つめていたロッテは、背後から出て来たアベルによって現実に引き戻された。
「し、失礼致しました」
慌てて一歩さがり、拝礼の姿勢に戻った。
「やはり私の心配した通りだった。
私の謹慎処分のせいで父上にひどく怒られたようだ」
「まあ……出仕4日で謹慎処分ですからね。
そういう事もあるでしょう」
「フロリス。私にとってもあれは不本意な申し渡しだった。
理由は言えぬが、あの場ではああする他なかった。
決してそなたに怒ってなどおらぬ。
まずはその事を言いたくてここに来させたのだ」
「では、フロールの泉に行けと命じたのは……」
「そう。私だ」
ロッテは信じられない思いでシエルとアベルを見た。
いつもは大勢の側近に囲まれているが、今日はこの二人しかいない。
本当にお忍びで自分のためにここまで来てくれたらしい。
その事がロッテの心を舞い上がらせた。
(私の事を気にかけていて下さった)
もうそれだけで父に殴られた事もどうでもよくなった。
「それから……以前に交わした約束の答えを……。
それを聞きたくてここに呼んだのだ」
ロッテは、シエルがあの約束を覚えていてくれた事に再び舞い上がった。
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