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1、オレンジの騎士


 ここは温暖な気候に恵まれ、豊かな漁港の栄える国、オレンジ王国。

 王の一族と、それを支える東西南北の四つの大公たいこう家が治める王国であった。


 長い戦乱の時代を経て、ドム・デ・メーレン・オレンジ公が近隣国を制圧し巨大王国を築いてから、はや100年。

 国は安定し、かつてない栄華の時代を迎えようとしていた。


 そして……。


 華やかな文化が花開こうとしていたその年、王国に二人の赤子が誕生した。 



 チューリップの咲き誇る西のホーラント大公家では家人があっちにこっちに走り回っていた。


「なんとお可愛いらしい男子おのこでしょう。

 おめでとうございます、西にし大公たいこう様」

 第一執事と女官頭が、ガラス細工でも運ぶようにゆりかごに収まる赤子を連れて来た。


「これでホーラント家も安泰じゃ。良かったのうウィレムよ」

 西の大公は息子ウィレムの正妻が産気づいたと聞いて、王宮での政務を人に任せて駆けつけた。

 孫の代までの血筋を保った事で、そろそろ息子に大役を引き継ぎ、引退を考えていた。


「ありがとうございます、父上」

 ウィレム公もまた、男子に恵まれた事に喜びもひとしおだった。

 日頃は高圧的で家人に怒鳴り散らしているウィレムもこの日ばかりはご機嫌だ。


 オレンジ国では男子の世襲制が王家、貴族共に一般的だ。


「金の髪にあおい瞳。そなたにそっくりじゃ。

 じゃがそなたよりずっとハンサムじゃの」


「本当に。こんな美しい赤子は見た事がありません」

 ウィレム公は金髪碧眼ではあったが、少々小太りで容姿は平凡だった。

 だが眼光鋭く、絶対的支配者の貫禄を持ち、政治手腕もある男だった。


 華麗な調度品に溢れた部屋でみんなが赤子のゆりかごを覗き込んでいると、そこに第二執事が入室のうかがいもたてずに飛び込んできた。


「ウィレム様! アイセル様に姫君が生まれました!」

 巨人を思わせるほど背の高い第二執事は、真綿にくるまった赤子を両腕に抱えてドアを蹴破る勢いで駆け寄る。

 すべてのパーツが人の二倍ぐらいある執事に抱かれた赤子は、ひどく小さく見えた。

 その後ろから赤毛の女官が空っぽのゆりかごを持って追いかけてきていた。


 本来なら不躾な執事を怒鳴る所だが、それ以上に驚きがまさった。


「なんと。アイセルはまだ生まれる気配もないと聞いていたが、もう生まれたのか!」

 正直、第二夫人のアイセルの出産は、正妻ほど関心を持ってはいなかった。

 しかも男子に恵まれた今となっては、大して興味もない。

 ただ、当分先のことと思っていたのに、同じ日に生まれるとは不思議な縁だと赤子を覗き込んで、ウィレム公は更に目を丸くした。


「これはどうした事か……」


「なんじゃ、どうかしたのか?」

 大公も同じように覗き込んで、やはり目を丸くする。


「金髪碧眼はともかく……鏡に映したようにそっくりではないか……」


 そう。


 この日、西の大公家に生まれた二人の赤子は、違う腹から生まれたというのに、驚くほどにそっくりな、そして美しい男子おのこ女子おなごだった。



 ◆ ◆



「ロッテ様、お待ち下さい! 

 姫君がそんなに走るものではございませんよ!」


「早く、早く。セバスチャン!

 お母様が起きる前に庭のチューリップを摘んでお部屋を飾るのよ。

 近頃元気のないお母様も、きっと綺麗なお花を見たら元気になるわ」


 第二執事のセバスチャンは、10才になったばかりのロッテ姫を追いかけ、筋肉質な巨体を揺らして庭を駆けていた。


「セバスチャン、今日はなんて気持ちのいい天気なのかしら。

 ねえ、お花をお母様に届けた後は、裏庭で剣の稽古をしましょうよ」

 赤や黄色のチューリップを摘みながら、金の巻き毛を背に揺らす愛らしい少女は執事に提案した。


「ええ!? またですか?

 わたくし大公家の姫様に剣など教えていると知れたらクビになってしまいますよ。

 もう10才にもなったのですから、そろそろ姫様らしく刺繍や歌やダンスなどをたしなまれてはいかがでございますか?」

 この華奢で可愛らしい姫は、外見に似合わずおてんばだった。

 無尽蔵の体力がありそうなセバスチャンでさえ息を切らすほどに動き回る。


「まあ、セバスチャン! 

 私に屋敷の中に閉じこもれって言うの?

 さてはあなたったら、剣で私に負けるのが怖いのでしょう?」


「な、なにをおっしゃいますか!

 10才の姫様に負けたとあっては、王宮の17騎士の1席を頂いていたわたくしのプライドが許しませんよ」


「では証明してみなさいな。

 後で勝負よ。逃げないでね」


「に、逃げるなど、とんでもない!

 ようございましょう。受けてたちます!」

 そこまで答えてから、セバスチャンは(しまった!)と気付く。


 今日もこの愛らしい姫様の口車に乗せられてしまった。


 いつもこうなのだ。


 この利発で可愛らしい姫様に頼まれるとダメと思っていても、つい受けてしまう。

 しかも、剣も弓も国学も、気持ちがいいほど吸収していくロッテに、教える方も楽しくてどんどん新たな知識を与えたくなってしまうのだ。


(これが男子おのこであったなら、どれほど立派な青年になられたであろうか)

 

 ロッテの世話をする執事や侍女達は、みな心の中で何度も呟いた。

 文武の才に恵まれ、さらには人なつこくて機転もきく。

 そして誰もが振り返るような美少年でもあった。


 まこと、女にしておくのは勿体無い立身の才に恵まれていたのだ。


 しかし大公家の者がため息まじりに呟くのには、もう一つ訳があった。


(フロリス様に、ロッテ様ほどの快活さがあればなあ……)


 そう。

 同じ日に生まれた跡継ぎの小公子フロリスは、ロッテと正反対に可憐で細やかな少年であった。


 書物を読む事と室内の遊びを好み、静かで思慮深い所はいいのだが、男にしては人見知りが過ぎて、人前に出る事を極端に怖がる所があった。


 成長すればいずれはマシになるだろうと期待しつつ、すでに10才になってしまった。

 この国の貴族の子息は、早い子なら10才の年には王宮のささやかな公務につく。


 一番栄誉な子息の公務は王子のご学友となって共に勉強する事だが、残念ながらフロリスと同年代の王子はいなかった。

 

 現王には数人の王子がいたが、いずれも亡くなり王女が一人いるだけだった。

 今のところ世継ぎの王太子は年の離れた弟君が就任していた。


 今年17才になる王太子の学友としては幼過ぎるため、王太子の世話をする小姓のような仕事を仰せつかる事になるだろう。

 そうして王太子に気に入られ側近として立身出世をするのが、エリート貴族の道筋だった。


「ロッテ様、そろそろ屋敷に戻りましょう」

 チューリップの花畑にしゃがんでしまうと、小さなロッテは見えなくなってしまう。


「ロッテ様? もう、隠れてないで出てきて下さいよ」

 またいつものように隠れているのだと思っていたセバスチャンは、何度呼びかけても出てこないロッテに、ようやく異変を感じ始めた。


「ロッテ様、どこですか?! ロッテ様!!」


  ◇    ◇


 その頃、当のロッテは花畑の向こうに鮮やかなオレンジ色を見つけて興味を惹かれるままに普段は決して行かない来客用の正面通りまで出てきていた。


 等間隔に並んだ木立の向こうは手入れの行き届いた芝生が広がり、門から続く石畳が正面玄関まで貫いている。

 その石畳をオレンジのかたまりが移動していた。


 ロッテはそれがオレンジ色だという事は知っているが、景色の中にその鮮やかな色を見るのは初めてだった。だからとても不思議に感じたのだ。


(なんて華やかで綺麗な色かしら)


 近付いてみると、それは馬に乗った騎士の集団だった。

 真ん中に白馬に乗る黒髪の騎士がいる。

 その衣装も帽子もマントもオレンジ地に黒のラインが入っている。

 そして乗っている白馬さえもオレンジの鞍と装飾が施されていた。


 その騎士を取り囲むように10人ほどの騎士が白馬を並べている。

 彼らは反転して、黒地にオレンジのラインが入った衣装を着ていた。


 そして石畳の脇に立つロッテを見つけると、そのうちの1人が馬で近付いてきた。

「そこの女! 不躾ぶしつけに見るでない! 

 無礼であるぞ」


 見知らぬ男にいきなり怒鳴られた。

 ロッテは今まで屋敷から出た事はなく、もちろん父以外の男にそんな暴言を吐かれた事もない。

 腹が立った。


「あ、あなたこそ無礼ではなくって?

 レディにいきなり怒鳴るなんて紳士ではないわ!」


「なんだと? 

 誰に向かって言っているのか分かっているのか小娘!」


「こ、小娘ですって? 

 私にはロッテという名前がございます!

 わたくし、失礼な殿方は無視するようにお母様から言われておりますの」


 つんとそっぽをむくロッテに、高らかな笑い声が降り注いだ。


「ははは。アベル、お前の負けだな。

 女に毒舌のお前が言い負かされるのを初めて見たぞ」


 アベルと呼ばれた騎士の後ろから、オレンジの貴公子が近付いてきて、ロッテの前でふわりと馬から飛び降りた。

 緻密な刺繍で重くなったマントが空間を舞ったと思うと、長い黒髪の騎士が目の前にいた。


 それはオレンジの鮮やかさにも見劣りせぬほど輝くばかりに美しい青年だった。

 髪と同じ黒色の瞳は優しげに細まって、一層深い色でロッテを映している。


 そして呆然と見上げているロッテに向かって、右手を折って紳士の礼をした。

「私の従者が失礼を致しました、ロッテ姫」


 それは父のものとも来客の貴族がするものとも同じ仕草のはずなのに、全然違うものだった。

 すべてが洗練されて優雅だった。


「許して頂けますか? 小さなお姫様」

 まだ呆然としたままのロッテにオレンジの騎士はくすりと笑って問いかける。


 ロッテはようやく我に返って、あわててドレスの両脇をつまんでレディの挨拶を返した。

「は、はい。ゆ、許しますわ。オレンジの騎士様」


「オレンジの騎士? 

 ははは、これは素敵なあだ名をたまわった。

 光栄です、ロッテ姫。

 では今後、私をオレンジの騎士とお呼び下さい」

 片足を後ろに引いて、深々と頭を下げる。


「シエル様、おふざけもいい加減にして下さい。

 そんな小娘なんか放っておいて、行きますよ」

 アベルと呼ばれた側近騎士が迷惑そうにロッテを一瞥する。


「ロッテ様っっ!!」

 その時になって、ようやくロッテを見つけたセバスチャンが転がるようにロッテの隣に駆け寄ると、その場にひざまずいた。


「こ、これは失礼を致しました。

 姫様を見失った私の不始末でございます。

 どうか罰を与えるなら私一人に……」


「セバスチャン、罰って何を言ってるのよ」

「ロ、ロッテ様……。この方は……」


 言いよどむセバスチャンを見て、オレンジの騎士は飛び降りた時と同じ軽やかさで白馬に飛び乗った。

「この事は私と、そこのロッテ姫の秘め事だ。

 誰にも言う必要はない」

 オレンジの騎士はそれだけ告げると従者を引き連れ、颯爽さっそうと石畳の道に戻って行った。


「セバスチャン、罰って、私は何も悪い事なんてしてないわ」

「ひ、姫様、あの方は……。

 この国でオレンジ色を身につけていいのは……ほんの僅かな限られた方々です」


「そうなの? だから珍しく感じたのね」

「そうです。このお屋敷にいて目にする事など普通ではありえません」


「どうしてオレンジ色を着てはいけないの? 

 あんなに綺麗な色なのに」

「ダメです。

 なぜなら……なぜなら、オレンジは王家の色だからです」


「王家の色……?」


「つまり、あの方は王家の一員。

 しかもあのまっすぐな黒髪とお年頃からして……」



「おそらく……シエル王太子様でございます」




次話タイトルは「初めての男装」です。

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