二十九時の回想
『彼女』についてのことを思い出してしまったので、少しだけ話をしたいと思う。溜まったガスを、少し逃がさせて欲しいのだ。
彼女は僕と同じくらい背が高く、つまり一七五センチを越える身長の高い人だった。彼女は僕より三つ歳上で、大学一回生の僕を何でもない学生生活の中で唐突にナンパした変わり者だった。確かそれは、講義の合間に昼食を買おうと入ったコンビニのおにぎりの棚の前だった。そんなことは今はよくて。
彼女は一際目立つ容姿をしていた。女性にしては高い背も因むひとつだったが、周囲より一回り薄い色した短めの髪と、それと同じ色にしっかり染められた眉、はっきりとした二重と歪みのない鼻立ちでアイドルか何かやっていてもおかしくなさそうなくらいには整った顔を、いつも奇抜に染め上げていた。その割りに服装は白のシャツに黒のスラックス。スレンダーな体つきも相俟って傍目には彼女を女性と思わない人も少なくなかった。
そんな奇天烈に目を付けられた原因なんかも今はどうでも良くて、ただ、彼女のたびたび行った『儀式』について少しだけ話をさせて欲しい。
明確に付き合う前から、交際を始める前から彼女は僕の少しばかり広めな下宿に度々やってきた。
そして彼女は、大して強くもないのにこれしかなかったとパーセントの高い缶チューハイらしきものを買ってきて、一人で啜り始める。ダイニングの僕が明かりを使っていて、彼女はリビングの電気も付けず、少しだけ離れたダイニングの暖色灯を夕焼けみたいに浴びながら、ソファに座らずもたれ掛かって、ローテーブルを挟んだ向こうの真っ黒なテレビをただ見つめて何を言うでもなく缶に口を付けていた。
ちなみにそれを僕が分けて貰うことは終ぞ無く、彼女が僕に晩酌をせがむことも同じく無かったのだけど。
大抵いつも一時間くらいかけて、三五〇ミリリットルの内の二一〇ミリほどを減らすと、気の抜けたような溜め息をひとつ吐いてフラフラと立ち上がり、彼女はベランダへの大窓を開け放つ。
そういう時僕は大抵、ダイニングの背の高いテーブルを占領して課題に取り組んでいるか、夕飯の食器を洗っているかなどしているけれど、彼女が土の敷き詰められただけの鉢植えの前に屈み込むのを横目に捉えると、顔を向けるでもなくその光景を眺める。
鉢植えに屈んだ彼女は、一四〇ミリくらい残った缶をゆっくりと逆さにして、鉢植えに水を遣るのだった。
水を遣る、とは厳密に言えば間違っていて、果汁とアルコールと甘味料などを含んだ水分を、土で濾しているに過ぎない。
確かに鉢植えには、昔サボテンか何かの種を植えたのだけれど、それはちょうど冬の時期だった為にうまく成長せず、芽まで出たところから枯らしてしまったのだった。
なかなかできないんじゃないの、サボテンを枯らすなんて?と二人で笑い合ったのは一昨年の春先で、彼女のその習慣が始まったのもその頃からだった。
彼女は、命の欠片も埋まっていないその土で満たされた鉢を、それはそれは愛おしそうに見つめ、酒を注ぐ。宗教画として描き残したっていいだろうくらいには美しい表情で、僕はその頬にかかるがさがさした金髪を見ると胸の内で何かがねじれるのを感じたものだった。
そして最後の一滴まで丁寧に流し尽くすと、彼女は空いた缶を片手にまたフラフラとリビングに戻って、ソファに横になった。
だいたいそれから彼女は三時間くらい眠り、やり残したことを思い出したように起き上がると、すでにベッドで眠りにつく僕のもとへと潜り込んでくる。
僕が起きても起きなくても、彼女は僕の顔を五分くらいは見つめ続けているようで(僕が起きていないときのことは、もちろん彼女自身に教えてもらった)、たまたま目が覚めると僕は彼女の生気の無い瞳に冷や汗をかかされた。(ちなみに眠っていたとしても夢見が悪くて、それが原因でこのことに僕は気付くこととなったのだけども)
そうして綴りながら、僕自身今、飲み慣れない強い酒を飲んでいる。ただ、見栄を張って買ってきたこの五百ミリの缶はやはり厳しくて、一人の部屋で視界に映り込んだベランダの鉢植えが、そっと僕を引き付けた。
だからこんなことを書いてしまった訳で、でも恐らくこれを、半分よりも多く減らしたこれを、僕は飲み干して空けてしまうつもりでいる。この部屋からいなくなった彼女にしかできないあの『儀式』だから、この部屋に留まり続ける僕にはできやしないことなのだ。