1-86:80年目の春です
ビルジットは、目の前にいるトールズの額へと視線を向けたまま、しばらく言葉を紡ぐことが出来なかった。
当初より、報告書では何度か彼らの姿について言及されてはいたが、実際に目にするまで何処か信じきれていなかったのだ。
「トールズ、その角は貴様お得意の冗談、ではないな?もし冗談であれば流石のわたしも容赦はせんぞ?」
ビルジットの表情には、少しの余裕も感じられなかった。普段のビルジットはいつも無理をしてでも表情や、仕草などに余裕を感じさせる。それが駆け引きなどにおいて有効であることを経験が教えてくれていた。
そのビルジットを持ってしても持ち込まれた情報も、そして目の前に突き付けられた現実も、とても平常心でいる事を出来なくさせていた。
「おいおい、どっちかっていうと角が有る方が不味いんじゃねえの?なんで角が無くて容赦しないって話になるんだよ」
ビルジットは、相も変わらず飄々としているトールズを見て、ギリギリと歯を強く噛みしめる。
その様子を横で眺めていたロマリエは、トールズの相変わらずの強心臓に呆れかえる。なにせ、今この場にはビルジットと同様に強い視線を送るアルバートがいるのだから。
「戯言はあとにしろ、それで我が領地はその後どうなったのだ」
本国へと護送される中、幾度も脱出を図ろうとするアルバートは、結局は凶悪な囚人を護送するかのような物々しさで王都に到着していた。護送していた者達は、この護送の重要度を理解していたため、アルバートの脅しも、懐柔も、一切受け付けなかった。ただ只管速度を重視し、休憩も極力少なくした為、ポートランド領から僅か10日という速さで王都まで到着していた。
そして、その1週間後にトールズとロマリエが状況を報告する為に王都へと現れたのだ。
「アルバート様の領地においては、小規模な暴動などが発生はいたしましたが、現在は沈静化しております。ただ、ポートランド領内におきましては、熱病は原因不明にて伝染の可能性ありとして、患者を集めて隔離するように指示いたしました」
「隔離だと!それでは、妻たちはどうしたのだ!」
アルバートの最大の懸念事項である妻の安否において、この隔離は安心できる材料では無かった。特に、今回の騒動においてもっとも被害が発生したのが領主館である。
「ポートランド領都における兵士の約半数近くが熱病に倒れました。この為、隣接する国境を警備している者達からそれぞれ兵士を呼び寄せ、領都及び近隣の村や町の治安維持に当たらせております。ただ、間違いなく情報が他国に流れます、早急に対策を」
アルバートの発言を一切気にする事無く、ロマリエは淡々と現状報告を行う。アルバートは自分の妻の状況が解らず、更に苛立ちを強めていく。そして、ロマリエに怒鳴りつけようとした時、会議室に一人の女性と子供が案内されてきた。
「おお!エリザベート!無事だったか!」
どちらかと言えば地味に感じられる水色のドレスが、その女性が身に着けると清楚な雰囲気を纏う、そんな言葉の典型とも言える、癒し系の顔立ちをした女性、それがエリザベートであった。そして、そのエリザベートに結婚した後も強い恋情を持ち続ける男アルバート、彼はエリザベートへと駆け寄り接吻をしようとして顔を寄せる邪魔をする角に気が付いた。
「む、これは角か」
その言葉に、エリザベートは思わず顔を伏せる。
目が覚めた瞬間より、現在に至るまで突然自分の額に生えた角に気が付き、その状態に何ら違和感のない自分に不安を感じていた。ましてや、自分の世話をしてくれる侍女たちの視線が、何か恐ろしい物を見る眼差しをしていっれば尚更であった。
そして、アルバートのこの言葉で思わず顔を伏せてしまったのは仕方のない事である。
「むぅ、(接吻するのに)邪魔だな」
エリザベートは、アルバートの言葉に思わず驚きの表情を浮かべ、顔を上げて見つめ返してしまう。
「エリザベート様、体調は回復されましたか?」
アルバートとエリザベートの間に一瞬漂った緊張の糸は、トールズによってあっさりと霧散する。
しかし、アルバートにとっては別の緊張が走った。もっとも、この時に話題が移った事が良かったのかどうかはまだ不明である。
「御蔭様で、世話をしてくれる者達も同様の為、今は心安らかに過ごせております」
エリザベートはトールズを見て、そう言葉を返す。今、エリザベートの身の回りの世話は、トールズの部下が行っていた。もちろん角付である。
「こちらにお連れするのは余り賛成出来ませんでしたが、御息女がこちらにお見えであれば致し方ありませんからね」
「はい、娘にも無事に会う事が出来、誠にありがとうございました」
深々と頭を下げるエリザベートに、トールズは大きく頷いた。
その様子を見ていたアルバートは、エリザベートをトールズの視線から隠すように体を割り込ませる。
「おや?ポートランド公は思いの外、焼餅焼きでおられる」
そう言うと、ニヤニヤと明らかに揄うような笑みを浮かべた。
「うるさい!トールズ、その方が妻をこの地へと連れて来たのか?」
「ええ、こちらへ向かう際に運よく意識を回復されましたので、そのままポートランド領へと置いておくよりお連れした方が何かと安全かと思いまして」
トールズの言葉に、何を言っているのか最初は理解が出来なかったアルバートであったが、改めてエリザベートの額にある角へと意識が向かう。
「報告にあった木の実の副作用か・・・」
「いえ、進化における神樹様の恩寵、または眷属の証ですかな?」
「何を馬鹿な事を、まぁとにかく、妻を保護してくれた事は礼を言う。ただ、もうこれ以上妻に関わるな」
アルバートは苦々しい表情で、そう言い捨てた。
そんなアルバートに対し、トールズが更に何かを言おうとするが、その言葉を遮りロマリエが話し始める。
その語調は明らかに苛立ちを感じさせる。
「ともかく、話を進めさせていただきたい。今この時にもどの様な危険が迫っているかもしれぬのです」
「確かにそうですね、まずはポートランド領における治安回復、国境の強化、熱病の対策、この三つが主題となります。優先順位は国境の強化です、これは私が指示を出しましょう。ロマリエはポートランド領を含めた全体の情報収集、治安維持を頼みます。熱病対策は・・・ほっとくしかないですね」
ビルジットの言葉の、最後の部分において角付以外の者達は顔を顰める。
しかし、熱病は今出来る事は殆どない。あるとしても栄養補給などに限られている。対策しようにも原因を除く方法などまったく存在していなかった。
そんな中、トールズは追加の提案を行う。それは、新たに生まれた角付達、その身柄を自分達が引き取るという物であった。人は理解できない者、更には自分より弱い者を容易く迫害する。トールズはその事を十二分に理解していたし、それ故にただ素直に同朋達の為に行っている事であった。
それに対し、アルバートが強い抗議を行うが、ビルジットがそれを窘めた。
「ポートランド領復興を最優先でお願いします。今は有事ですよ?それを貴方は何と心得ているのですか?」
その言葉にアルバートは遂に黙り込んだのだった。
そんな時、小さな声が響いた。
「ママいなくなっちゃうの?どこか行っちゃうの?」
声に出した途端、その事が心の中で溢れてしまったかのように、涙が溢れだした。
しがみ付く娘をどうしたら良いのか解らず、エリザベートはとっさにトールズを見る。
「う~~~あ~~~、その、なんだ、俺は子供だから構わねぇっちゃあ構わねぇんだが、うちらの所へ連れてくるとまず眷属になっちまうぞ?俺は構わんのだが」
その言葉に、また一同揃って顔を見合わせるのだった。
遅くなりました。お待たせしておりました。
4月中はちょっとバタバタ継続しています><
▷可能な限り更新していこう
に設定が変わりました!(ぇ