1-81:79年目の冬です5
広場には子供達の笑い声が響き渡る。
どうやら、鬼ごっこをしているようで、一人の鬼っ子が他の子供達を追いかけている。
キャアキャアと叫び声を上げ走り回る子供達の様子を大人達は目を細めて眺めていた。
しかし、もしこの様子を人族が目にしていたならば目を剥く事となったであろう。まず、スピードが違う、どの子供達も一流の戦士たちもかくやと言った速度で、軌道で、走ったり、飛び上がったりしている。
この情景が日常となっている住民たちは、当初はともかく今更驚かなくなっている。
領主館の窓から子供達を眺めていたゾットルも、笑い声が響き渡る情景を見て、漸く平和が訪れた事に安堵した。ゾットルは思い返す。今年も、昨年も、近年まったく心休まる事が無かった、それが此処に来て何とか皆が笑顔を浮かべて生活していける、その事が無性に嬉しかった。
その為、ゾットルの表情にも自然と笑顔が浮かんでいる。
「うわ~~気持ち悪!子供見てニタニタ笑ってるってどこの変態?」
執務室へ入室してきた現在ゾットルの補佐をしているマルシェがゾットルを見て思わず口に出す。ゾットルは今まで浮かべていた笑顔を引っ込めて無表情に戻る。そしてマルシェへと顔を向けた。
「何を馬鹿な事を言っている。俺は漸く訪れた平和を甘受していただけだ。貴様の言う下世話な話とは違う」
「ん、まぁゾットルが幼女趣味だろうが、ロリであろうが私は気にしないよ?ただ、その年で今まで独身だったのはそういう趣味があったんだな~って思っただけ」
「馬鹿な事を言ってないで仕事をしろ!」
「誤魔化しました?ってまぁいいですけどトーラス様の報告書です、置いておきますね」
至極軽い調子で報告書を机の上へと置いて、さっさと部屋を後にしようとする。
その様子に思わずため息が出そうになる。というか、そもそも俺は何でこいつを補佐官にしたんだ?
もっとまともな奴が探せば幾らでもいそうな気がするのだが。
そんな思いでマルシェの後ろ姿を見ていると、部屋を出る瞬間にマルシェはゾットルへと振り返る。
そして、あざとらしい笑顔を浮かべて言う。
「もう、す・け・べ」
ゾットルは思わず手近にあった本を扉に向けて投げつけていた。もっとも、マルシェが素早く扉を閉めた為、本は扉に当たって床に落ちただけの結果しか得られなかった。
「ううう、うが~~~~~!!!」
怒りと苛立ちの持って行く場が無く、ゾットルは思わず叫んでしまった。しかし、ゾットルは後で何度思い返してみてもこれは仕方がないと思う。もっとも、思い出すたびに苛立ちは強くなるのではあったが。
暫くして漸く落ち着いたゾットルはトーラスからの報告書へと目を通していた。
その結果、彼らが察知した通り人型木の実はポートランド領へと向かっている事の裏付けが取れた。
幸いにして木の実は移動速度が遅く、又、日中の太陽の下では移動を行わない為、トーラスは先行してアルバートへと連絡、対処する事が出来る。しかし、その結果木の実が討伐されるとこれも問題だ。その為、連絡した方が良いかの判断を迷っているようだった。
「速度的に言ってもまだ間に合いそうだな。指示を出すのと、アルバートへの報告書を書くか」
ゾットルは漸く事務処理を再開する。
その後、問題なく伝令を走らせ指示を出すと、先日の死人騒動の幾人もの見解書へと目を通す。
どの見解書においても、糸の様な生物を警戒する旨が綴られている。特に、森で実際に死人と戦闘を行った者達の警戒具合は非常に強かった。
「木の実様の天敵かもしれないっか、まったく、面倒くさい事になったな」
一通りの報告書へと目を通した後、一番最悪の内容を加味して準備を行おう。そんな事を考えていると先程のマルシェではなく、サバラスが慌てたように執務室へと駆け込んで来る。
ぜ~ぜ~と息を吐き、とっさに会話を出来ない。それ程の慌て様にゾットルの表情は次第に暗くなっていく。こんな中で御目出度い話が舞い込んで来る訳がないのだから。
「落ち着いたか?で、何があった」
サバラスの状況を見て声を掛けたゾットルは、サバラスの報告を聞いて思わず眩暈がした。
トーラスへと送った伝令が、こちらへと向かって来るフランツ王国の軍隊を確認したのだ。更には、フランツ軍は運悪く人型木の実の進路を塞いでしまった。ただ、フランツ軍にとって今回幸いだったのは遮蔽物の無い、見通しの良い荒れ地での遭遇であった。この為、人型木の実は一方的に駆逐されてしまった。
ただ、問題となったのは、その際に人型木の実から魔の森へ向けて何らかの思念が飛んでいた事を伝令達は気が付いた。その為、彼らは伝令の内1名を報告の為に帰還させたのだった。
「くそったれ、で、魔の森に変化はあったのか!」
「巡回部隊に警戒させている。ただ、巡回部隊からではないが、耳長の子供達の様子がおかしいとの報告が入って来ている」
「ああああああ、まったく、何か起きるぞ、とにかくダルタス達にも連絡を入れてやれ、あいつらは森の気配など感知出来ん。それと、巫女様に神樹様の様子を聞いてくれ、他の耳長の子供達は俺達では意思疎通が出来ん」
「解った!あとは何かあるか?」
「あとは俺が動く、森はともかくフランツ軍と戦闘になる可能性が高い、またもや戦争だよ」
今更、人族との戦闘に対して何ら恐れる気持ちは無い。ましてや、秋に神樹様から多くの木の実を頂いているのだ、どれだけの人数かは知らないが、こちらは死者0名という事もありうる。もっとも、フランツ軍の死者がその場で起き上がってこないとも限らないのだ、当たり前だが油断は出来ない。
「こんな時に限ってトーラスは居らん。まったく、あいつは余程女神様に愛されているのだろうな」
ゾットルの捨て台詞に、それを聞いた他の面々は一様に苦笑いを浮かべる。
実際にはそんな事は無いのだが、大変な時に役に立たないトーラス、何となくそんなイメージが付き始めていた。
もっとも、もしこの場にトーラスが居れば、彼は逆に一々他人と交渉したり、駆け引きしたりするより、力で強引に解決できる戦いの方を喜んで選ぶのであろうが。
誰もが望む位置につくことが出来ない現状を、第三者が眺めていたとしたらきっと別の感想を持つことだろう。