1-58:78年目の春は続く
小さなテントの中で、男は家族と共に具の少ないスープを啜っていた。
妻と、まだ幼い娘と共にこの地へと逃げてきた時の事が頭に過った。
生まれ故郷で代々受け継がれてきた農地を捨てる、この決断をするのに2年が必要だった。
年々作物の収穫量が減って行く、この為、その2年において知りうる限りの努力をしてみた。
麦を諦め稗や粟といった作物に切り替えて収穫量を増やそうと努力してみた。
国も税の軽減を決めてくれた。又、稗や粟の種籾すらくれた。
後は自分達の努力次第で何とかなる、現実はそんなに甘くなかったのだった。
そして、昨年秋に畑で収穫される作物を見て、王都へと家族みんなで逃げる事を決めたのだった。
この地より更に南に行けば、まだ生きていけるかもしれない。しかし、この地にしがみ付けば確実に飢えと寒さで死ぬことが予想できた。その為、家族だけでなく村の仲間たちみんなで王都へと向う事を決めた。
そして、なぜか現在魔物の住む森の側でスープを啜っているのだ。
「このまま此処にいても先が見えない。明日鬼達の住む村へと向おうと思う」
男の言葉に妻が驚きの表情を浮かべた。
娘はまだ幼く、今一つ状況が掴めていないようだ。
「それは、この場所で暮らしていく事は出来ないのですか?ここは緑が豊かですから、ここで畑を作って以前のように暮らすのでは駄目なのでしょうか?」
縋りつくような眼差しで妻が見返してくる。その表情には明らかに不安と怯えが感じられた。
「お前も気が付いてはいるだろうが、森に入って得られる食べ物はそれ程多くは無い。それに、分かれた集団同士で争いも起き始めている。このままでは危険だと判断した」
「でも・・・」
「鬼とはいえ元は同じ人間だ。それに、あまりお名前をお聞きした事は無いがゾットル様は元々この地の御領主様だそうだ、きっと受け入れて下さる」
「でも、人を焼いて食べるって噂が」
「そんな物はあくまで噂で真実ではない。ましてや英雄トールズ様もあちらには居られるらしい。とにかくこの子の未来の為にも明日あちらの村に向かう。これは決定だ」
男の言葉に妻は不安ながらも了承したのだった。娘は、不安そうに私達の表情を見比べている。その娘を安心させる為に笑顔を浮かべ頭を撫でてやる。
「お父さんはもうお腹がいっぱいだから、これも食べていいぞ」
自分の器に入っていた茸を娘の器に移してやると、娘は笑顔を浮かべて茸を食べ始めたのだった。
◆◆◆
「明日、他の皆と魔物の村へ行く事になった」
俺は自分の妻にそう告げた。この場所へと辿り着いたとき、その緑豊かな様子に思わず涙を流したものだった。しかし、それも数日が過ぎれば厳しい現実へと直面した。移民者が多すぎたのだ、その為確保出来る食料の量が制限された。そうすると、当たり前に争いが発生する。そして、今では大小合わせると8か9の集団に分かれている。
「ちょっと!あなた何言ってるの!どういう事なのよ!」
妻の声に怒りが混じるのを感じた。故郷にいる時から苦労を掛けっぱなしの男は、思わずその声に首をすくめた。
「黙ってないで説明して!」
俺が下を向いて黙っていると、妻が痺れを切らせて突っかかってくる。
「このままこの場所で生きていくのは厳しい。だから思い切ってみんなで魔物の村へ入れてもらえるよう頼みに行く事になった」
「何馬鹿な事言ってるのよ!相手は角の生えた化け物なのよ?!」
「五月蠅い!そんな事は解っている!だが、このままここで生活出来ると思うのか!」
俺は思わず怒鳴り返してしまった。
「どうせ貴方の事ですから、周りの意見に流されたのでしょう!私は嫌ですよ?あんな所死ににいくようなものです」
「このまま此処に居たところで栄養不足で死ぬか、派閥争いで殺されるだけだ!」
「まだ畑すら作ってもいないのに何を言ってるの?!まだ何もやってないじゃない!森で生えてる植物漁ってたって知れてる事は解りきってるでしょう!」
「だから、何度も言ってるだろうが!時間が無いんだ!」
「貴方達はいっつもそう!争ってる暇があるなら畑を耕しなさい!私達は農民なのよ!」
妻は頑として移動に反対だった。おれは結局妻を説得する事が出来なかった。
そして、俺はここまで一緒に流れてきた仲間たちと離れることになった。そして妻と共にこの居留地の隅で持って来ていた鍬をもって土を耕し始めた。
その後、俺達の様子を見た者達が少しずつ同様に土を耕し始める。
相変わらず、派閥を作り争っている者達もいるが、妻はいつの間にか他の者達と畑を耕す順番、森で食べ物を探す順番を決め新たな集団を作っていた。
「あなた、頑張りましょうね!」
俺はきっとこの先もこの妻には敵わないのだろう。まぁそれもいいか。
◆◆◆
この魔の森に辿り着けばすべてが良くなるなど思ってはいませんでした。
しかし、それでもこの森周辺の豊かさを目にした時、わたしはすべてが良くなるのでは?との思いが心の中で膨らんでいく事を押さえることが出来なかったのです。
でも、今ではそんな事は幻想でしかない事を感じています。
わたしの父は、地方でもそこそこの力を持つ豪族だと思います。近隣の村々からは盟主のような扱いを受け、時には領主様にさえ意見をする剛の者と言われていました。
そうです、すべては過去のお話、今は自然の驚異から土地を捨て、最終的にはこの辺境にまで流れてきました。そして、この地を国王様より賜ったゾットル様を父達は訪問しました。
場合によっては私をゾットル様の妻に押し込む気満々であった父は、わたしも面会のメンバーへと組み込みました。
そして、初めて私は角の生えた人を目にしました。
始めに額から生えている角に気が付いたときは驚きで言葉が出ませんでした。
そして、次にこの人達は人ではないのではないか、そんな思いが込上げてきました。子供の頃、童話で読んだ悪魔とはもしかしたらこのような生き物だったのでしょうか?そんな思いが胸を過ります。
そして、それは父以外の他の人達も同様だったのか、会談は特に何かを話す事無く終了し私達は居留地へと戻ったのです。
そして、それから父は多くの人にゾットル様達は悪魔に魂を売り渡したと話、この地を人族に取り戻すのだと説得を始めついには派閥を組織しました。
でも、私は気が付いていました。ゾットル様の村から去る時に、父が村の畑や建物などに鋭い視線を送っていた事を。更には、彼らの大体の人数などを把握し、あの村を攻め取る為に必要な条件を考えている事を。
それ以降、移民達は多くの主義主張の違いによって分かれていきました。
そして、今この時、父のテント内ではあの村をいかに手に入れるか、他の派閥をいかに解体し取り込むかの議論が行われていると思います。
それと、最近居留地の外れに畑を作り始めた人達がいます。父達は、彼らも派閥の中へと取込もうと考えているようです。皆に平等に食料を配る為にと言ってはいますが、もしあの畑で作物が成った場合横取りする気でいる事は見ているだけで解りました。
畑を作っている人たちは、秋に少しでも収穫するには今から動いても遅いぐらいだと言っています。だから、父達にも遣り方は教えるので共に働こうと誘ってくれます。
でも、父は彼らを馬鹿にして取り合おうとしません。それよりも、民兵なる組織を作ろうとしています。
わたしは、何度か父へと異見を述べましたが相手にして貰えません。
神様、どうすれば皆が幸せになれるのでしょうか?




