勉強
由香がこの世界に来てから一週間が過ぎようとしていた。この一週間は魔法の基本概念や魔族について勉強する日々だった。
「姫巫女様、本日は加工法則にも組み込まれている、魔力を具現化する呪文について学びましょう。」
グライスはそういうと、由香の前に分厚い本を何冊か積み上げた。5年前とはいえ、前作のウィッチクラフトを一通りプレイした由香にとっては知っている知識の復習みたいなもので、さして苦にはならなかった。しかも、この世界にいるからなのか元の世界にいたときには欠片もなかった魔力もあるようで、グライスが教える基礎魔法も難なくできた。
ただ、問題なのはグライスとの関係性だった。ここ一週間、グライスとは朝目が覚めてから夜眠るまでの、ほとんどの時間を共に過ごしていた。食事の用意も、着替えの用意も、お風呂の用意もすべてグライスが担当していた。しかし、二人の間には必要最低限のやりとり以外の会話はなかった。それどころか、グライスは由香の名前すら知らない状態だ。由香も姫巫女と呼ばれてしまっているので、最初の自己紹介の機会を逃してしまってからなんとなく言えないでいる。
「―――――このように、呪文…つまり言霊の詠唱により効力を発動させるわけです。これが、世間一般で言われるところの魔法というやつですね。しかし、魔力を持たぬものが詠唱しても一部例外を除いて、効力が発動することはありません。魔力をもつ者が詠唱して初めて力を表すのです。そして、呪文は理論を知っているだけでは意味がありません。どれだけ難解な呪文をしっていても己の魔力を言霊にのせられないといけないのです。」
グライスはそういいながら、浮かした黒板のようなものに図をかいた。
「呪文は3つの要素で構成されます。まず、契約した精霊への呼びかけです。例えば、火の魔法を使用するならば『火よ』と呼びかけます。次に、契約者たる自身を表します。私の場合は『影の矛が命ずる』ですね。そして、発動するものを示します。例えば、対象物を焼きたいのであれば、『これを焼け』となります。」
グライスは、ガラスの器に紙片を置くと右手をかざした。イケメンが右手をかざし真剣なまなざしをしている姿は、喪女街道邁進中の由香には少々刺激が強く顔が自然に赤らんだ。
「火よ、影の矛が命ずる これを焼け」
グライスが囁くようにそういうと、紙片から小さな火があがった。由香は思わず拍手をし、立ち上がった。
「すごい!ものすごい魔法っぽいですね!」
「魔法ですからね。」
グライスは表情を全く変えずに右手を一振りし火を消した。
「はじめは、うまく力の方向を定められませんの、で、午後は闘技場で呪文を使い、基礎魔法を使用しましょう。」
グライスは、とても優秀な先生だった。必要な情報をわかりやすく説明してくれる。ただ、ものすごくものすごーくそっけなかった。
グライスは、昼食を食べる由香の横顔を用心深く伺った。ただの町人のような雰囲気の女性はわが国を救う姫巫女というのだ。目の前で魔法加工を見てもまだグライスは、納得することができていなかった。年齢は聞いたことがないが、おそらく自分より少し年下ぐらいなのに、さっきもまるで今まで魔法を見たことがないような反応だったことが、グライスの疑問をさらに深めていった。
「では、先ほど学習した呪文を詠唱してください。魔力は、身体の中心に込めるイメージをしてください。」
闘技場でグライスがそういうと、由香は緊張した面持ちで小さくうなづいた。念じて物をちょっと浮かせる程度の小さな魔法の実践はあったが、呪文のように本格的なものは初めてだったのだ。由香は小さく息を吐いて体の中心に力をこめた。