第二章
第二章
「ん……」
あれ? 私、いつの間に寝てたんだろう。
「わ、外真っ暗だ」
早く帰らなきゃ……。そう言えば、レイは? 私は教室を見渡した。さすがに、誰もいない。私、熟睡しすぎたのかな、だとしたら恥ずかしい……。寝顔とか、見られたり……して。
「ユリ」
私は心臓が止まりそうなほど驚いた。
「びッ……びっくりしたぁ。いたんだ? 気付かなかったよ。起してくれればよかったのに」
「起きなかったから、待ってたの」
レイはなんだか機嫌が悪そうだった。
「ご、ごめん」
「ユリ、下で待ってる」
「え?」
「いつものところ」
「あ、すぐ用意できるから……」
目線を少しずらして、またレイを見た時には、そこにレイの姿はもうなかった。
「あれ?」
私、何かしたかな? 思い当たる節はない。とにかく、待たせちゃってたんだから早く行って謝らなくちゃ。
「レイ! ごめん……待たせ……た」
ポトン。ポトン。ポトン。
「何……してるの?」
ポトン。ポトン。
「これはユリでしょ?」
ポトン。ポトン。ポトン。
花壇の百合の花が落ちていく。レイの手に握られた鎌が、百合の花をぼとりと落とす。椿みたいに頭が落ちる。大きな、頭が。
「裏切ったわね……」
そして、鎌を持ったままレイは立ち上がった。私に血走った大きな目を向けて。何? その目は。そんな目で、私を見ないで。
「レイ? どうして、こんなこと……」
「裏切ったわね……」
レイは鎌を振り上げた。「!?」
「きゃぁああああ!」
動かない。動けない。私の足が……。動いて! 私は下を見た。
レイ!?
レイの白い指が私の足を掴む。這いつくばって私を引き止めるレイ。何? 何が起こってるの?
「どうせ逃げられないのよ……」
いびつに笑ってみせたレイの顔。私はそのまましりもちをついた。そして鎌は振り上げられた。
「これは制裁よ」
いっ……嫌だ!!
「助けて!!」
「ケイ!!」
ケイ、助けて!
ボトリ。
私には見えた。頭を切られた百合の花壇の中に、自分の頭が落ちたところを。首をすっぱりと切られ、むせかえる純白の百合の仲間入りをした。
「あ……あぁああああぁああああああ!!」
真っ赤だ。真っ赤になっちゃった。
赤はだめ。赤はだめ。いつだって、真っ白な百合に憧れていたのに……。
「ユリ……」
その時遠くからケイの声が聞こえた気がした。
ケイ……。ずっと……、好きだったのに……。
「ユリ!!」
「きゃあああああああ!」
「おい、ユリ。いつまで寝てるんだ?」
あれ? ケイ? どうして……。
「はっ!」
私は自分の首を咄嗟に触った。……ある。繋がってる。てことは夢?
「あぁ……。ひどい夢を見てた……」
「なぁ、ユリ、レイがいないんだよ。心配だから、一緒に探してくれないか?」
「あ……」
私はあたりを見渡す。教室。そう、私はここで寝ちゃってたんだ。
「お前さ、理科室、行ってくれない?」
「え?」
なんで理科室?
「あいつ、今日理科当番だったろ。片付けしてるかも」
ああ、そういうこと。でも、だったら……。私は少し不思議に思う。
「ケイは理科室に行ってないの?」
「あれっ?」
そこにケイの姿はもうなかった。
「んもう……。こっちは夢見が悪いってのに……。ま、いっか。夢だったんだから」
私は文句を言いながらも席を立った。それに……、レイ。あなたに会いたい。
「レイ―?」
私は薄暗い理科室に入る。電気もついてない。人の気配なんてしない。
「……いない……か」
そりゃそうだよね……。
カタン……。
「?」
私が理科室の扉から出ていこうとしたその時だった。
「誰か……いるの?」
物音が聞こえた。でも、私の呼びかけにはなんの反応もない。理科室だもの、何か用具の音ね。私はあまり気にとめず、今度こそ扉から出ていこうとした。
ガタッ!
「ひっ!」
私にはなぜかわかったんだ。出ていかせないつもりだって。私をここから出ていかせないつもりだって。
「レイ? ケイ? ねぇ……、2人でしょ?」
だって、おかしいじゃない。放課後に理科室だなんて。
カン……。
音は、理科準備室から聞こえた。手招きするように、私が扉から離れると理科準備室から不思議な空気が流れでてくる。
「はぁ……、はぁ……」
私の手は、理科室から繋がる理科準備室のドアノブを掴む。1つの可能性だけを信じていた。
レイ……だよね?
私はグッと手に力を込めてドアノブを回した。
「レイ!」
私は恐怖を払拭するようにそう叫ぶと同時に勢いよく中へと入った。
「きゃっ!」
あぁ……、ばかばかしい。
人体模型なんかに驚いちゃったわ。「はぁ……」
もう……、いい。帰ろう。
「レイってさ、この人体模型嫌いなんだよ」
「!?」
人の気配なんて無かったのに……。私は理科準備室の奥に佇むケイを見つけた。
「ケイ……」
「これさ、人間っぽくないじゃん」
「え?」
「しょせん模型なんだよ。剥製ぐらいつくれないのかな、なぁ、どうなんだろ」
「剥製?」
「うん、解剖してさ、それを剥製にすんの」
「何を解剖するって?」
「人体だよ。生きてる人体」
「レイを、探しに来たんじゃないの? 私、もう帰るよ、いなかったんだよね」
人体模型よりも何よりも今の私にはケイが怖かった。
「待てよ。レイにプレゼントしたいんだ」
「……ケイ」
少しずつ、少しずつ、ケイは私に近づいてきていた。
「あいつの望みって、これだろ?」
パシャン。
「きゃっ……!」
ケイは私に液体をかけた。そして私の視界にうつるのは……。
ライター。
「やっ! やめて……」
「ぎゃぁあああああああああああああああああああ!」
まず髪の毛に火がつき、顔へと火は浸食していく。私は燃えていた。
「うん、見た目はさ、火傷の感じで、後は切り裂けばいいのかな。内臓とか」
ケイの手にはのこぎりが握られていた。
皮膚がただれ、まんまるい目の玉をむきだした私の目はそれを見ていた。
「まるで料理してるみたいだ」
ケイは冷静そのものだった。
「焼いて、削ぐんだ」
何……、なになになになになになに!? なんなの!?
助けて!! レイ!! 私、ケイに殺される!!
シュン……。
「薄皮一枚、剥ぎまーす」
私の腕の皮膚が、食用の肉みたいに削がれた。私のさらけだされた筋肉。どうせ一緒じゃない。人体模型のピンク色。
「ああああああああああああああああ!!」
レイ!!
「ユリ!!」
「きゃああああああああああ!」
「ユリっ! しっかりして!」
「あ……。あ?」
私を心配そうに見つめるレイの顔がそこにあった。レイ……? レイ。
「レイ、どこにいたの?」
「ここにいたよ?」
……夢……か。なんて夢を見るの。私は自分の顔を触った。『ある』。髪の毛も触る。私の決して長くはないショートボブの髪の毛。『ある』。じゃあ、夢だ。
「もう、うなされすぎだし心配しちゃったよ。一体どうしたの?」
「ごめん」
私は汗を拭って落ち着きを取り戻そうと深呼吸をした。
「何か……悩みごと?」
「ううん……、ただ、すごく怖い夢を見てたの」
「嘘だ」
その声にはトゲがあった。
「じゃあ、隠しごと?」
その顔にもそれは現れていた。
「え?」
私は疲れていた。
「ねぇ、言えばいいじゃないの。堂々とさ」
「何、怒ってるの?」
もう家に帰りたい。疲れた。
「何怒ってるの? って、決まってるじゃないの!!」
「嘘つきは針を飲むのよ」
そう言うと、レイはピンクのポーチを取り出し、その中に大量に入っていた針を机にばら撒いた。
「な……何してるの?」
「ねぇ、本当のこと言いなさいよ」
「え?」
「ケイのこと好きだって、言いなさいよ」
「!」
ガシャン!!
「いっ……! 痛いっ!」
私は机に出来た針山の中に無理やり顔をめりこませられた。顔の皮膚のいたるところに針が刺さる。
「はっ……、はっ……」
唇にも針が刺さる。上手く声を出すことができない。レイの力はものすごく強い。
「やっ……! いたっ……」
「嘘つき! 嘘つき! 言いなさいよ! 私を裏切りましたって!」
「やっ! やっ!」
痛いっ!
「ふんっ!」
レイは私の髪を引っ張って顔をあげさせた。
「いい気味よ、ハリネズミ」
レイ……?
「言う?」
レイの微笑。血に濡れた私の顔をなめまわすように見ていた。
「……、今更……、知ってたじゃないの……」
私はそう言った。
「嘘つきは、私なの?」
「な、なんで……、私たち、3人で……」
「そんな顔じゃ、ケイは愛してくれないよ? かわいそうなユリ。嘘つきだからだよ? ねぇ、ユリ、まだね、あんたの顔にささったのはほんの一部。ぜぇんぶ、千本飲んでもらうよ」
レイは針を握りしめた。
「ユリ……、裏切っちゃダメだよ」
体が動かない。なぜか私の口はひらいたまんま。粘膜にささる針は、敏感に私の痛覚を刺激する。
「~!? あ……!? っげぇっ!? おえっッ……」
「あっはははは! 不細工ね」
針と血と涙。そりゃあ、私は不細工でしょう。死にたい。死にたい。死にたい。この半殺しの状況。いっそのこと、包丁で刺してほしい。
だって、
「いだぁあああぁぁああああああああ!」
痛い。
「はっ!!」
私は目を開けた。
「ハぁー……、ハぁー……」
深く息を吐く。上手く、呼吸ができない。でも、痛みはない。私は恐る恐る口元に手を当てた。何もなかった。
また夢? いつから夢見てるの? 私。
私は1人残された教室を見渡した。誰もいない。
『帰らなきゃ』
明白にその意思が頭を支配する。私はバッグを持って急いで廊下へと出た。
「ここに取り残されてる……」
とにかく家に帰らないと……。
「はっ、はっ」
「はぁ、はぁ……」
いつの間にか頬を涙が伝っていた。
「どうして……? 何? これも夢なの?」
私は立ち止まってしまった。
「なんで廊下が永遠に続いてるの!!」
私は頭を掻きむしりながらそう叫んだ。夢なら覚めて!
「ユリ」
背筋が凍りついた。
「きゃああああああ!」
「ユリ、大丈夫?」
そこにはレイがいた。
「放してっ! 放してよっ!」
「ユリ、落ち着いて! 私も迷ってるのよ!」
そのレイの瞳は純真そのものだったけど、私にはもう信じられるものなど何もなかった。1人でこの学校から帰らなければ。
「ユリ!」
「もうついてこないで!!」
「ユリ……」
私の肩を揺さぶるレイの手は、だらんと下へと垂れた。レイはショックを受けているように見えた。だけど……。
「はぁッ……、はぁッ……」
もうレイは信じられない。
「はっ、はっ」
でも、あれは夢じゃなかったっけ?
「はっ……」
私、生きてるじゃない。私、レイのこと裏切ったの? あんなに好きだったのに……。
「こっちだ!」
その時ケイの声が聞こえた。私は反射的にその声のもとへと走り、ケイの肩を掴んだ。
「ケイ! レイを助けに行って! 私、酷いこと言った……」
「うん……、レイは俺が助けるから、ユリはここで眠っていいよ」
「……」
ポタッ
「な……、なんで……」
ポタッ
「レイは、ユリが来た方向にいるんだよな」
私の胸には包丁が突き刺さっていた。
「い……、行かせない……。レイは、私が守るの……」
「どーやって?」
「私、レイに酷いこと言った……」
「それ、さっき聞いたから」
ケイは薄らと笑みを浮かべ、私の胸から包丁を抜いた。
「レイのことは、俺に任せて」
ケイ……、レイ……。私、レイの手を振りほどいたの? これは、私への罰なのね。
「ユリ」
……。
「ユリ?」
……。
「レイ?」
「寝てたの? 先帰っていいって言ってたのに」
「どこに行ってたの?」
「理科室だよ。今日の実験の後片付け……って、ユリ、酷い顔してるよ? 早く帰ろう! 体調悪かったんじゃん! ほら」
目の周りが青い私をレイは心配するようにして手を取った。私はそんなレイのキレイな顔を見た。
「……。どこ? ここ」
「何?」
「どこ? ここ」
私は無表情に聞く。
「自分の教室だよ? ユリ、保健室に行く? 家の人に迎えにきてもらったほうがいいんじゃないの?」
「レイ。私、ケイのことが好きなの」
「……? 知ってるよ?」
「ケイは、もう帰ったよ」
「……」
ああ、ここはどこだろう。レイは誰だっけ?
「私、帰りたい」
「うん、早く帰ろう」
レイはにっこりと笑った。その顔は、優しかった。
「あ、待って。閉じまり……」
ビュウゥ…… この教室に風が舞っていた。全ての窓が開いている。
「無理しなくていいけど、ユリも手伝って」
「……」
私は席を立った。帰ろう。今度こそ。レイ、今度は、信じていいのかな……。
ドンッ!
「知らなかった……」
レイの冷やかな声。
「……」
スローモーションで景色が飛ぶ中、目の端でレイを捉えた。さっきまでの優しさなんて微塵もなかった。私の背中を押した白い手。
「ケイは、私のものなんだから」
むせかえる、百合の香りが近い。
ぐしゃっ
「仲間入り」
私は、百合の花壇の上に落ちた。あれ? 首が、首がボッキリと折れてるわ。
そっか。頭から落ちたんだものね。
「ユリ」