帰り道
帰る支度を終えやっとこの生徒指導室という名の牢獄から抜け出せる時間が来た。
とは言ってもここに監禁されていた理由は反省文を書く事だったのだが。見ての通りまっさらな400字詰めの作文用紙の紙束が机の上に置かれてあるのが現状。
反省の色がまったくもって皆無な俺たちが只々駄弁りまくった末路がここにはあり、それは監督する教師がいなかったからできたことだったが、今となっては後悔が残るだけとなった。
「明日先生に怒られるんだろうなぁ」
今頃になって嘆く俺だったがそんなことを言ったところで何も変わりはしないし救われないことも知ってる。もう何もかも諦めて帰るとしよう。
部屋を出ると普段人通りの少ないこの廊下は電気もついておらず暗闇に包まれていた。
生徒指導室は廊下の一番端に位置していてその右隣には職員室その向こう側に靴箱がある。この時間まで残ってる先生も少なく職員室の電気もところどころ消えている。
「私、職員室にちょっと用事があるから先に靴箱行っててくれる?」
俺は頷き部屋を後にした。
しかし用事ってなんだ? この時間だと残ってる先生も少ないだろうから用事のある先生に会えるかもわからないのに。
そんなことを思いながら靴箱についた俺は靴に履き替え葉月が来るのを待つ。
「お待たせ」
靴に履き替えてから一分経たないうちに葉月がやってきた。用事とやらは果たすことができなかったのだろうか思っていた以上に来るのが早い。
「先生いなかったのか?」
わかりきったことだが、その用事も気になるし一応聞いてみることにした。
「先生? 私は先生の机に用があったのだけれど」
机? 何か提出するものでもあったのだろうか。
「何か提出し忘れてたのか?」
この質問に葉月は靴箱から靴を取り出しながら答えた。
「なにって、ただ反省文出してきただけよ?」
反省文……?
どうして、葉月は俺と同様にまだ書き終えていないはずじゃ……
「君、何か勘違いしてるようだけれど私は反省文をとっくに終わらしてるわよ」
俺の心を見透かしたかのように葉月は言った。
「え? いや、だってさっきこんなの書く気なんてないって言ってたじゃないか」
「終わったものをこれ以上書くなんて気あるわけないでしょ。君はまだ終わってないみたいだけど明日大丈夫なの?」
嘘だ! なんて顔を顰めて怒鳴ってやりたい気分だったがやめておくことにしよう。元はといえば口車に乗った俺が悪い、自業自得って言うやつだ。
「うん、もうどうでもよくなったよ……帰ろうか」
涙ながらに告げた。
「え、何泣いてるのキモイからやめて」
相変わらずの毒舌ぶりだが葉月、90%くらいお前のせいだからな!?
そんなことを思いつつも二人は学校を後にした。
***
辺りはすっかり暗くなり街灯が放つ光に照らされた道を二人は歩いていた。
さっきまで後悔するほど喋っていたのが嘘だったかのように会話という会話をすることがなく沈黙が続き、代わりに聞こえるのは二人の足音だけだった。
「葉月ってさ、学校から家近いの?」
沈黙に耐え切れずにたわいもない質問を繰り出す。
「電車に乗って2駅のとこだからちょっと遠いかしら」
「そうなんだ……俺は駅から5分くらいのとこ」
「そう……」
会話がまた終わってしまう。そして気まずい空気と沈黙が再び二人を包み込んだ。これを幾度か繰り返して互いの情報を少しずつ交換し合っていたが、ついにそのネタも尽きてしまったようだ。
あぁ、気まずい。さっきまであんなに話してたのになんで全く話さなくなってしまったんだ。葉月今何を考えているんだろうか、顔を見れば少しは何を考えているかわかりそうなもんだが、何故か見れない。まるで己自身が見ることを拒んでいるかのように顔を動かすことができない。
どうせまた四次元とかについて考えてるに違いない。
そんなことを考えながら歩いていたが、目の前に赤に変わったばかりの信号機が現れ自然と足を止める。それは葉月も同じだった。
ここの信号、車あんまり通らない割に変わるの遅いんだよなぁ、現に今だって通ってないし通る気配すらないのは明らかだ。それなら渡ってしまったって問題ないだろう。
そう決心し一歩踏み出した途端今までの沈黙がいとも簡単に破られた。
「ちょっと今赤信号なのだけれど。君、色の識別もできないほど目悪いの?眼科行くことをおすすめするわよ」
いつもの毒舌っぷりの葉月だったが何故か懐かしいとも思えるこの感覚に安心してしまう自分がいた。いつからこんなにもMになってしまったのだろうかと自分でも驚く。
「車なんて来てないのになんで信号を待つ必要があるんだよ。信号なんて交通上弱い立場の奴が安全に進むことができるためにあるやつだろ、安全に進むことが出来るこの状況で信号が赤だからって渡らない奴はただ時間を無駄にするだけじゃないか。悪いがそれを認知した上での行動であって目に異状なんて何一つないぞ、周りの確認ができないお前の方こそどうかしてるんじゃないのか」
懐かしいこの感覚。言い合い。お互いをバカに仕合、本心から言葉でケンカをするこんな会話をずっと待っていた。なんだかとっても楽しい、自然と笑みがこぼれてしまう。それにさっきまであんなに見ることができなかった葉月の顔を自然と見られるようになっている。葉月は俺と同様に笑みをこぼしていた。
「いい? 赤信号を渡ると道路交通法の違反行為だから悪いことなのよ。わかるかな? 危なくないなんて勝手に決めているけれどそれもまだわからないじゃない。それと周りを確認する点で言ったらあなたの方が私よりも断然劣っているからその言葉そっくりそのまま返させてもらうわ」
幼稚園児に言い聞かすような言葉使いで言いやがって、それに周りを見渡す点で言ったらってなんだよ、車なんてどこにも見えないじゃないか。俺としたことが少し頭にきてしまった。
「そのくらい分かってるよ、でもバレなきゃいいことだろ、あと危なくないなんてまだわからないってなんだよ。なにか、F-1カーが300キロ超えてこの道を走って来るとでも言うのか?」
万一、F-1カーが300キロで走ってきたところで音でわかるだろ。万一? バカか俺は。一万回この道を通って一回でもそんなもん通ったら怖すぎるわ、億一いや兆一いやいや無量大数一ないことだ。
「F-1カーが300キロで走ってくるなんてあるわけないでしょう、私の言う危ないというのは敵は車道にいる敵だけじゃないっていうことよ。君はバカだからもう一度だけ言っておいてあげるわ、もう少し周りを確認しなさい」
敵ってなんだよ敵って車はみんな敵なのかよ。それに車のほかにも敵がいるのか? 全く、ちゃんと単語で伝えればいいのにそれをしないからタチが悪いんだよな。
もう俺だけでも渡ってしまおう。そう決意し再び足を踏み出そうとした時に俺は葉月の言った言葉を思い出した。
周りをよく確認しろ? 周りって言ったって車道しかないじゃないか。なんて思いつつふと車道とは反対の左側に目を向けた瞬間、ようやく葉月の言う周りを確認するという言葉の真意を理解することとなった。
そこにあったものは白くて四角い建物だった。上の方に星のようなマークが付いておりその建物の入口には青の服とズボンを着て星の形をしたバッジがついた黒い帽子を被った男性がこちらの様子を何一つ見逃さぬような目つきで覗っていた。
そう、学校に入学して30回は通ったであろうこの道。この信号機の隣側にはひっそりと交番が位置していたのだった。
「どうしたのかしら、さっきまであれほど渡るって言っていたのに、片足を上げたまま固まっちゃって」
無理だ。こうも警察に見張られている中で渡れるはずがない。さて、信号が青に変わるのを待つとしよう。
おそらく人生で一位二位を争うほどの心代わりの早さがこの信号機前でランクインされてしまった。
「いやぁ、昔から言うじゃん急がば回れって、冷静に考えたらやっぱり回ったほうがいいかなぁって思ったんだよ」
なんて下手な言い訳だろう、もはやプライドすら感じられない。
「そう、回っちゃうのね。これから君のことお回りさんって呼ぼうかしら。ちなみにまわるって字は巡るじゃなくて回転する方ね」
笑いながら発言した葉月を見てタチが悪い女だと改めて実感した。
そうこうしているうちに信号は青へと変わり再び歩き始めた。
なんだろう、さっきとは全く違って道が明るく感じる。あんなに息が詰まるような空気も幻を見ていたかのように感じられるほど今の空気は軽い。
「この辺に大きな公園あるからさよかったら寄っていかない? 結構お気に入りの場所なんだけど」
帰り際に誘った時と同様、半分自覚していないのに不思議と発せられた言葉に俺は驚いた。これで断られたりしたらさっきまでの重い空気が作り出されることになるだろう。
「いいわよ、どうせ帰っても暇だし。結構楽しかったりするのよね、お回りさんといると」
そんな不安も今までに見せたことがなかった笑顔と普段の葉月から出てきそうもない言葉を聞きどこかに飛んでいってしまった。代わりにある意味反則とも言うべきその行動に、俺の心は彼女への好意に満ちることとなった。
そこで俺は改めて気づかされた。やはり葉月 凛のことが好きだということを……
「ありがとう。俺も葉月といると楽しいよ、でもな。お回りさんはやめろ」
そんなことを言いながら俺たちは一歩一歩、二人にとって掛貝のない思い出が詰まった公園へと向かっていった。