プロローグ
「うおおおおらああああ!」
咆哮にも似た力強い掛け声と共に白と黒の多角形模様の球体が天高く上った。それを僕は、遠くで観察する。
退屈だった数学の授業が終わり窮屈だった教室から開放された俺ら男子二十二名は、まるで別人のようにうって変わっていた。
二クラス合同での体育の授業。クラス対抗のサッカーバトル。晴れて爽やかな空気のグラウンドを駆け回る。たとえそれが高校生であろうとも、まじめに勉強するよりも身体を動かす方が楽しいに決まっている。
「いくぜっ、日向!」
聞きなれた声がかけられるとすぐさま約十メートルくらい離れたところから、鋭いパスがこちらに向かって飛んできた。
トラップで受けた俺は運がよかったのかノーマークだった。影が薄くて気づかなかったっていうのは無い。絶対に無い。
ボールを受け取った俺は、すぐさまドリブルして上がる。残り時間はあとわずか。そして3対3の童貞、じゃなかった同点だ。せっかくのチャンスだ。本気を出さないと後悔する。
「ここは通さないぜ」
目の前に壁・・・もとい巨体が現れた。相手チームのミッドフィルダー。二メートル近くの身長で、はっきり言って人間とは思えない。妖怪で言うならば塗り壁だ。
確かサッカー部のレギュラーで、ディフェンダーだったと思う。俺はサッカーを本職としていないから分からない。
すぐさまそんな思考を振り払い、目の前の相手に集中する。
「日向!」
「任せたぜ、翔!」
俺の目に飛び込んできたのは幼稚園からの幼馴染み兼悪友の姿だった。俺は全力で左にロングパス。
弧を描き飛んでいったボール。絶妙なコントロールのパスを翔は胸でブロック。勢いに任せて目の前のミッドフィルダーを突破する。さすがはサッカー部のエース。次元が違う。
「もらったぁ―――!」
ディフェンダーのスライディングをボールをちょっとうえに蹴り上げて、自分もジャンプしてあっさりと回避。
・・・すごい、テクニックだな・・・。
「いかせるかよ!」
「やらせるかぁ!」
「イケメンはすっこんでろ!」
翔を三人で囲む。一人はサッカー部レギュラー、残り一人はサッカー部所属だったはず。
てか相手チームサッカー部多くね?しかも最後の奴サッカー関係ないし。
翔が動いた。両利きの左足でボールを蹴る。自然と俺の身体も動いて―――
ダンッ
という力強い音。俺がダイレクトにボレーシュートをきめたところだった。
足の力でゆがんだボールは唐突に動き出し、相手キーパーの動きを先読みしカーブしたバナナシュートは触れることなく、白いゴールネットに叩き込まれた。
☆
「日向サンキュー。お前のおかげだ」
「そんなことねぇよ。お前が来てくれなきゃ俺らは勝てなかった」
ハイタッチを交わすと、クラスメートが集まってきた。
今回の体育も勝利。蝉の鳴き声が勝利を祝福してくれるファンファーレのように思えてくる。
「いっちょ胴上げだ。囲め囲め」
「ちょっ、俺乗り物酔い激しいんだ――――――!」
叫び声むなしく胴上げをされた。おんぶですら酔ってしまう俺を胴上げすんなー!!!
と心の中で叫ぶことしか出来ない。と言うか心の中で叫ぶことすら困難になってきた。
地面に下ろされて地獄と思えるような感覚が少しずつ収まっていくのを感じながら一言。
「あー、死ぬかと思ったー」
「そこまでか」
「いまも脳みそがメトロノームみたいになってる・・・うっぷ」
脱力感と吐き気と言う衝動から立ち直るまでの時間を置いてから、歩き始める。
目的地はバトミントン用のコート。女子は今日ここで体育の授業を行っているのだ。
スパンッ、スパンッとリズミカルでテンポのよい音が聞こえてくる。ラリーの音だろう。
男子とは違い、まだ続けているらしい。熱心なことだ。
それよりも女子があまりにも激しく動いてバトミントンをしているものなのだからたわわに実った揺れる胸に目がいってしまう・・・ってなに考えてんだよ、俺ッ!
「なあ、日向」
「ん、なんだ?」
「さっきの本音・・・モロ口に出てたぞ」
「しまったぁあああああ!」
俺は頭を抱えて地面に足をつけうめいた。試合を終えた女子達の一部が顔をきょとんとさせこっちを見ていたが、今の状況からすればどうだっていい。
「あははッ!やっぱり日向も男なんだね」
「笑うんじゃねぇ!つか男なんだねって、って何を思って言ったんだ!」
「ほら、『学園内腐女子が選びました。学園一もてそうな男(同性愛)編』で一位獲ったし、『校内ベストカップル同性愛編(男子)』で俺とお前で三位にランクインしていただろ」
「これっぽちも思い出したくもねぇことをいうんじゃねぇぇぇぇぇッ!」
たまらず叫ぶ。人の黒歴史を抉んな!
どうやら翔は大して気にしてないようす(というか、もうすでに何かを乗り越えた感じがする、もしくは初めっから気にしてない感じ)だ。
今は何も関係ないけど、一位と二位が気になる。この四人はどんな学園生活を送っているのだろうか?
「全く・・・これじゃ冬華に嫌われちゃうよ、ブイブイ」
「いや、何のキャラだお前は。っていうかなんで冬華そこに出て来るんだよ」
「さーね」
と言ってはぐらかす翔。
「気づけよ、『朴念仁』『唐変木』『鈍感』」
「ん?なんか言ったか?」
「何も言ってねーよ。バーカバーカ」
呆れるほど単純かつ明快、そして小学生レベルでも理解できる言葉で罵倒を浴びせられた。
どうやら珍しく、翔の様子がおかしい。ほんの稀にこういうことが起きるようになったんだよな。確か中二ぐらいからだったか?
『鈍感』しか聞き取れなかったな。『鈍感』って、俺に限ってそんなことあるはずが無い無い。これでも俺は気配とかに鋭いからな。
「・・・相変わらずはじけた二人。・・・くすっ」
若干ハスキーな声が耳に入る。聞きなれて心地よいとも思えてくる。
二人はこの声の主に会いに来たのだ。前を振り向くと案の定、いた。
「なんだよその含み笑いは」
「・・・いつ見ても二人の行動は面白い」
「冷静に分析すんな、どアホ」
「・・・どアホってなんのことかな」
般若の形相はともかと言うような笑み(矛盾してるよな!?)を浮かべ、手に持ったバトミントンラケットを振り上げた冬華を見て、殺虫スプレーから逃げ回るゴキブリを脱帽させる素早い動きでザザッ、っと後退りする俺ら。
桐島冬華。
中学からの唯一無二の女友達だ。
幼いころからスポーツに取り組んでいて球技となればソフトボールから始まり、テニス、卓球、バスケットボール、何でもこなしてしまう。その中で一番得意なのがバトミントンで、全国大会で優秀な成績を残したこともある実力者だ。
背は高く、スタイルはいいほうだ。顔立ちはかなり整っていて、可愛いより綺麗、美少女より美女が似合うタイプだ。
黒い長髪もその風貌ににあっていて、高校生ではありえないアダルティな色香を放っている。
容姿端麗。成績優秀。二つまとめて才色兼備。その言葉は彼女のためにあると錯覚してしまう。そこに立っているだけでも、ベンチに座っているだけでも絵になってしまう少女だ。
唯一の欠点と言えばむやみに喋ろうとしないことと、動物が苦手なことだけだろう。
でも俺たちには気を許しているのかなんだか分からないが、積極的に話しかけてくれる。
もう一人は五条翔。
特徴はイケメン。
背はとても高く、一八〇に迫る。いや最近越えたって言ってた様な気がする。
全身筋肉質ではなく、かといってナヨナヨしているわけではない細マッチョくらいの美少年。
コイツの所属しているサッカー部にはちゃんとファンクラブがあって試合のたびにあちこちから『翔さまぁ』と黄色い嬌声が上がってるらしい(校内新聞部男子作成『もてない男はつらいよ新聞』談)。
これまでにも両手で数え切れないほどの女子に告白されているが本人は全て即座に断っている。なんて羨ま・・・じゃなかった、女子が可哀想だ。もてない男子の敵だ。異端審問会にまず狙われるタイプの男子だ。
そして、俺こと榊橋日向。よく間違われるが日向ではない。
『日向』というなかなかかっこいいセンスあると親をほめたくなるが、実際はその逆。もてない男子代表。年齢=彼女いない歴というかわいそうな称号持っている。そして周りは美男美女で俺だけ妙に浮いている。
運動はすぐコツを掴んでしまうし、勉強も一度聞けばおおよそを理解してしまうから、教師生徒両親親戚近所関わらず『センスはある』と言われ続けているが、苦労や努力は大っ嫌い。覚醒系の主人公にあこがれている器用貧乏な少年と言えよう。
可もなく不可もない俺の唯一の悩みは、やはり周りのルックスしかない。俺もある程度の容姿さえあればもっと楽しい学園生活だろう。
けれど今は、さほど感じていない。今が、生活が、日常が、いつまでも変わらない日々が楽しいから。
高校に入って愉快な仲間達が増えたから。楽しみが何倍にも増えたから。
この時間が楽しくてたまらないから。
けれど、いつかは変わってしまう。
大学はみんな違うところに行くだろうし、みんな自立して違う生活をして生きていく。
そんなことはもう頭の中で理解しているのに、実感できない。まだ俺が、高校と言う箱庭で育っている子供だからか?
「―――――――――――――ッ!」
「ん?」
ふと何かが聞こえたような気がする。振り返っても視界に入るのは誰もいないグラウンド。
踵を返しても、辺りは男女の声。
・・・今の声が聞こえていないのか。
翔も冬華も何事も無かったかのように話している。気のせいだろう、疲れがたまっているのかもしれない。
キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り響く。体育の授業の終わりを知らせるチャイムだ。
みんな小走りで校舎内に戻っていった。不意に遠くから翔が俺を呼んでいる声がして、急いで俺も校舎へ駆けって行った。