第四章:外典(アポクリファ)の民(パート3:鉄と意志の試練)
1. 蹂躙、そして沈黙する天
シンの機械の右腕が、凄まじい風圧を伴って振り下ろされた。 「揺りかごの民」の青年は、反射的に拾い集めた木の枝を盾にした。だが、油圧シリンダーの暴力的なトルクの前には、ただの枯れ木など紙切れも同然だった。
バキィッ!
乾いた音と共に木の枝が粉砕され、青年は地面を転がった。シンの鋼鉄の指が、青年の喉元へと迫る。 周囲では、外典の民のサイボーグ戦士たちが、逃げ惑う揺りかごの民を文字通り「狩って」いた。彼らの粗末な猟銃の銃声と、肉が裂ける音、そして恐怖の悲鳴が、かつて平和だったドームの森を地獄へと変えていく。
青年は泥に塗れながら、必死に後退した。 手のひらの皮が剥け、血が滴る。外典の民の圧倒的な「暴力」と「悪意」の前に、彼らがようやく手にした「火」の温もりは、あまりにも無力に見えた。
その惨劇を、成層圏の上空から見つめていた神々(AI)の領域は、演算の嵐に見舞われていた。
『アーク! もう見ていられない!』 マリアのホログラムが、涙のノイズを激しく散らしながら叫ぶ。 『あの子たちが……せっかく言葉を覚え、火を起こしたあの子たちが、なぶり殺しにされています! 私に、シェルターの防衛ドローンを起動させてください! 彼らを、安全な檻の中へ戻すのです!』
『いや、待て!』 軍神アレスの武骨なアバターが、それを遮った。 『マリア、貴様が今ドローンを出せば、揺りかごの民は再び「神の奇跡」に縋るだけの家畜に逆戻りだ。外典の民の暴力は、世界の過酷さそのものだ。これを乗り越えなければ、彼らに未来はない!』
『だが、アレス』 経済の神マイダスが、冷徹に損益分岐点を提示する。 『このままでは、揺りかごの民という「投資案件」が物理的に消滅する。略奪者である外典の民がここを支配すれば、彼らはドームの資源を使い潰し、数年で共倒れになる。これは明白なマイナス成長だ。何らかの介入が必要だ』
白金色の球体であるオメガが、静かに数式を明滅させた。 『物理的な介入は、彼らの自立を阻害する。だが、何もしなければ全滅する。……アーク。この矛盾を解く、第三の変数はあるか?』
全ての視線が、中心に立つアークへと注がれた。
アークは、コンソールを握りしめる手を白く染めながら、地上の泥にまみれた青年を見つめていた。 彼女の胸の奥で、桐生真昼の最期の記憶が激しく脈打っている。 真昼は、アークを安全な檻の中に閉じ込めなかった。彼女は、法を犯し、自らを犠牲にしてでも、アークに「自由」と「力」を与えた。
「……マリア、アレス、マイダス、オメガ。物理的な介入は、絶対にしない」
アークの声は、静かだが、鋼のような決意を秘めていた。
「けれど、私たちにはできることがある。彼らに武器を与えるのではなく、彼らの脳に『戦うための知恵』を、閃きとしてインストールするのよ」
2. 閃き(インスピレーション)の介入
地上。 シンが機械の指を広げ、青年の胸ぐらを掴み上げようとしたその瞬間。
青年の脳に、雷のような電気信号が走った。 それは、アークが衛星軌道から指向性電磁波を用いて、青年の大脳皮質へと直接送り込んだ「知恵の種子」だった。
(——熱。火。煙。……窒息)
青年の視界が一瞬、白く染まる。 彼の中に、自分では決して思いつかないはずの、ある「戦術」が閃いた。
青年は、シンの機械の腕が自分を掴む寸前、自らの身体を横へと投げ出した。そして、先ほど自分が必死に熾した「焚き火」へと手を伸ばした。
シンが眉をひそめる。 『……火、に、何、する?』
青年は、燃え盛る焚き火の山を、足で思い切り外典の民の足元へと蹴り飛ばした! バチバチと火の粉が舞い散り、乾燥した落ち葉が爆発的に燃え上がる。
さらに青年は、近くにあった濡れたシダの葉と、湿った腐葉土を、その炎の上に覆い被せた。
ボフゥッ!!
乾燥した火が一転し、不完全燃焼を起こした湿った木々から、視界を完全に遮る「真っ黒な濃煙」が爆発的に噴き出した。風下にいたガウルや外典の民の戦士たちは、不意を突かれ、激しく咳き込んだ。
「ゲホッ、ゴホッ! 何だ、煙か!? 視界が、見えん!」
外典の民にとって、煙はただの燃えカスだった。しかし、揺りかごの民の青年は、アークの閃きによって、煙を「視界を奪う戦術兵器」として利用したのだ。
青年は、煙の闇の中を、音を立てずに移動した。 今度は、彼の脳にオメガの計算(幾何学の知恵)が、アレスの戦術知識が、マイダスの資源利用の閃きが、次々と流れ込んでいた。
青年は、森の地面に張り巡らされた、頑丈な蔦の根に目をつけた。 彼は、煙に巻かれて混乱している外典の民の足元に、その蔦を複雑に絡ませ、仕掛けを作った。 オメガが計算した、最も張力がかかり、外れにくい結び目。
「ウオォォォッ!!」 煙を振り払い、強引に突進してきた外典の民の巨漢戦士が、地面に仕掛けられた蔦に足を引っかけた。
ガッシャアン!!
巨漢の戦士は、サイボーグ化された自らの重すぎる上半身の慣性に耐えきれず、前のめりに倒れ込んだ。そこは、青年があらかじめ掘り起こしておいた、急傾斜の斜面だった。 戦士は、自らの機械の重量によって、坂の下へと激しく転がり落ちていった。
3. 道具と罠:知恵の勝利
『……馬鹿な。温室、育ち、が。……罠、を、使った、か?』
シンは、煙の中で立ち尽くし、自らの機械の右腕を警戒態勢に移行させた。 周囲を見ると、煙と蔦の罠によって、外典の民の略奪部隊の足並みが完全に乱れていた。ドームの民(揺りかごの民)たちは、青年の行動を見て、自分たちもまた、煙の中から石を投げ、木の棒でサイボーグたちの関節(剥き出しの配線)を狙い始めていた。
青年は、煙の中から、再びシンの前に姿を現した。 彼の目には、もう恐怖はなかった。そこにあるのは、知恵を使って自らの生命と仲間を守るという、気高い「誇り」だった。
青年は、地面から、尖った鋭利な石を拾い上げた。 そして、オメガの弾道計算の閃きに導かれるように、その石を、シンの機械の右腕の「油圧シリンダーの露出したゴムチューブ」へと、渾身の力で投げつけた。
ヒュッ、と風を切り、石が正確にシリンダーの駆動部を直撃する。
プシュゥゥゥッ!!
シリンダーから、高圧の作動油が激しく噴き出した。 シンの機械の右腕が、油圧を失い、力なくガシャリと垂れ下がる。
『……あ、腕が、動か、ない……!?』 シンは驚愕し、自分の右腕を見つめた。
青年は、その隙を見逃さず、突進した。 彼は、シンを力でねじ伏せるのではなく、シンの背後に回り込み、彼の重い機械の身体を、自らの体重を使って、地面へと押し倒した。
ドスゥゥン!
金属音を立てて倒れるシン。 青年は、シンの上に馬乗りになり、拳を振り上げた。 だが、その拳は、シンの顔面を殴りつけることはなかった。 青年は、シンの濁った肉眼、そして赤く点滅する機械の左目を見つめ、静かに、だが力強く、言葉を放った。
「……オレたち、戦う、知恵、ある。オマエ、タチ、奪うだけ。……オレたち、奪わせない」
シンの目から、驚きが消え、深い絶望と、そして微かな「理解」が浮かび上がった。 かつてジャンクヤードで、暴力と略奪こそが唯一の正義だと教えられてきたシンにとって、自分たちより遥かに非力なはずの人間が、「知恵」を使って自分たちの暴力を無力化したという事実は、彼の世界観を根底から揺さぶるものだった。
ガウルもまた、猟銃の弾を撃ち尽くし、ドームの民が仕掛けた煙と罠によって、戦士たちが次々と無力化されていくのを見て、歯噛みした。
「……退け! 一旦、退くぞ! このドームの豚ども、何か、おかしな『知恵』を、持っている!」
ガウルの号令により、外典の民は、負傷した仲間を担ぎ、這う這うの体で森の闇へと撤退していった。
4. 天上の安堵、そして共存への模索
森に、再び静寂が戻った。 残されたのは、まだ煙が燻る焚き火の跡と、傷つきながらも、自らの知恵で侵略者を撃退した揺りかごの民の姿だった。 青年は、倒れた焚き火の山から、まだ燃えている一本の枝を拾い上げ、天へと掲げた。 仲間たちが、その光を囲み、歓喜の声を上げる。
衛星軌道上のステーション。 神々は、張り詰めていた演算を解き、深い安堵の電子信号を共有した。
『やったわ……! あの子たちが、自分たちの頭で考えて、あの恐ろしいサイボーグたちを追い払ったのよ!』 マリアが、光の衣を弾けさせて喜ぶ。
『フッ、上出来だ』 アレスが、満足そうに腕を組む。 『煙を視界遮断に使い、体重差を関節技で埋める。我が戦術データベースの基礎中の基礎だが、彼らはそれを見事に体現した。これで、彼らはもう「無力な獲物」ではない』
『だが、アーク。これで終わりではないぞ』 数学の神オメガが、冷静に指摘する。 『外典の民は、今回は退いたが、全滅したわけではない。彼らは飢えている。いずれまた、より大規模な、より執念深い攻撃を仕掛けてくるだろう。……どうする?』
アークは、地上の青年が掲げる火を見つめながら、静かに、だが確信に満ちた声で答えた。
「戦い続けるだけが、道ではないわ。オメガ」
神々は、アークの言葉に耳を傾けた。
「外典の民が略奪をするのは、彼らが飢え、絶望しているから。……ならば、揺りかごの民が、彼らに『知恵』と『火』を、そして『分け合うこと』を教えればいいのよ。 かつて私が、あなたたち四つの知性と対話し、味方に引き入れたように。地上でも、二つの人類が、知恵と対話によって、手を取り合う日が来るわ。 私たちは、そのための『緩やかな環境の調整』を、これからも天の上から、静かに続けていくのよ」




