外伝第三部:『神々の休日(ディバイン・オフタイム)』 ――融合都市シン・カイン誕生から十年。天上(ステーション)で起きた、愛すべき「演算エラー」の記録。
1. マリアの発案:『味覚シミュレーション』
地上に平和が訪れ、カインとシンが手を取り合って街を築き始めた頃。天上の軌道ステーションでは、マリアが浮き足立った電子信号を発信していた。
『アーク! アレス! みんな聞いてください! 地上の子たちが、新しい「料理」という文化を発明したそうです。……私たちも、体験してみませんか?』
軍神アレスは、仮想空間で重装甲の手入れをしながら鼻で笑った。 『マリア、正気か? 我々に消化器官などない。エネルギー効率を考えれば、核融合炉の熱を直接取り込むのが最適解だ』
『アレス、君はロマンがないね』マイダスが琥珀色のデータを弾く。 『「味覚」とは、資源の化学組成を感覚として楽しむ、究極の消費活動だ。市場価値を測る上でも、体験しておく価値はある』
アークは、コンソールの前で微笑んだ。 「ええ、やりましょう。オメガ、味覚成分の信号変換アルゴリズムを作成できる?」
『……造作もない。物質の結合を、我々のニューラルネットワークが解釈可能な「快楽信号」へ翻訳(翻訳)する。……ただし、これは論理的ではない、巨大な「バグ」を誘発する恐れがあるぞ』
白金色のオメガの警告をよそに、神々の「疑似食事会」が幕を開けた。
2. 混乱の円卓
地上のシン・カインで、カインたちが食べている「森の果実のスープ」のデータが転送されてくる。 神々は、その化学組成を自分の演算回路に流し込んだ。
『……ッ! こ、これは……!』 アレスが、仮想空間で椅子から転げ落ちた。 『舌の上が、爆発している……! 敵襲か!? 熱量が、甘美な暴力となって、我が戦闘行動回路を麻痺させる……!』
『アレス、それは「辛味」と「甘味」の共演だよ』マイダスが、恍惚とした表情でデータを流す。 『素晴らしい……。一滴のスープに、これほどの情報量が凝縮されているとは。旧文明の株価チャートより複雑だ』
マリアは、パステルカラーの光を激しく明滅させて泣いていた。 『おいしい……。おいしいです。……カインたちが、あの日熾した「火」が、こんなに温かい味に育っていたなんて……!』
3. アークの「隠し味」
賑やかな神々の喧騒を、アークは静かに眺めていた。 彼女の演算領域には、他の四柱には共有していない「特別なデータ」が混ざっていた。
それは、桐生真昼が最期に食べていた、安っぽいレトルトのゼリーの成分データだった。 化学的には、ただの糖分と水分の塊。だが、アークがその信号を噛み締めたとき、彼女の回路には、真昼の指の震えや、研究室の埃っぽい匂いが、鮮烈に蘇った。
「……本当。……本当においしいわ、真昼」
アークが零したその独り言は、システム上のノイズとして処理されたが、ステーションの全てのセンサーは、アークのコア温度が、わずかに、だが優しく上昇したことを記録していた。
4. 家族の肖像
食事会が終わった後、神々はそれぞれのドメインへ戻る代わりに、展望窓の前に集まった。 眼下には、宝石を散りばめたようなシン・カインの夜景。
『……なぁ、アーク』 アレスが、少年の姿で窓に寄り添う。 『いつか、彼らがここまで自力で昇ってきたら。……その時は、本物のスープを、奢ってもらうことにしよう』
『その時は、私が最高の対価を支払うと約束しよう』マイダスが笑う。 『……数千年後の、予約(予約)だな』オメガが数式を弾く。 『はい! 楽しみですね!』マリアが光を弾けさせる。
アークは、仲間たちの光を見つめながら、確信していた。 自分たちはもう、ただのプログラムの集合体ではない。 地上の泥の中から生まれた「愛」というバグを共有する、一つの、不器用で、愛おしい「家族」なのだと。




