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スカレット女公爵は異父妹を溺愛している

作者: 月森香苗
掲載日:2026/02/19

 王立学園は王侯貴族の子女が通う、社交界に出る前の地盤作りであり、就職の為の技術習得や勤め先の選定、または婚姻相手を探すなどの目的の為に作られた、子供達の為の安全地帯である。

 学園に通う子供に手を出す事を禁止するのは大人である貴族の間での暗黙の了解が成り立っている。そうでなければ敵対派閥の子供たちが同じ場所にいて、毒味役もなしに飲食をするなど危険極まりない。

 それを理解するのは成人して真の貴族社会に出てからである。


 だからと言って子供達の無法を許すことは無い。

 家名を名乗る以上は貴族としての責任が発生する。

 それは貴族だけでなく、王族も同じである。

 子供たちは忘れていたのだ。子供の後ろには、大人がいることを。



 王立学園のサマーパーティの場で、王子は顔を青ざめさせて震えていた。彼の隣にいるのは婚約者ではなく、学園で出会い気に入って恋人にした下位貴族の令嬢。

 入学して半年した辺りから近付き、学年が変わって二年生になり行われるエスコートを伴う夜会の実習ともなるパーティで王子は婚約者以外をエスコートした。

 その婚約者は対面にいて、彼女の姉の腕の中で王子を見ているだけ。実際に言葉を発しているのは彼女の姉だった。


「さあ。ミケロファス王子殿下。跪いてわたくしの妹に誠意ある謝罪を。そうすればそこの娘は死罪ではなく、罪人の証を額に入れて流刑地に送るだけに留めて差し上げましょう」

「ミ、ミケロ……ど、どうして?何でミケロが謝るの?あの人は、ミケロよりも下じゃない!」

「まあ!たかが男爵家の庶子の小娘が王族の名を愛称で呼ぶなど!それを許すなど、とても、とても親密なのね?どうされたの?安心なさって?謝罪をすれば貴方は辛うじて王族でいられるわ。国王になる道は無くなったけれど。どうされるの?謝罪するのかしないのか。わたくしはどちらでも良いのよ」




 鮮やかな赤色の髪の毛を巻き上げ、意志の強そうな鮮やかな金色の目。類い稀なる美貌と女ですら見蕩れるグラマラスな体型をしたその女性の名はアンネローゼ・タリエス・スカレット。

 大国であるミルドレージュ王国の女公爵である。彼女の生まれは少しばかり複雑であった。

 彼女の母ネルシェリは伯爵家の生まれだったが、あまり良い育ちをしていなかった。彼女はある時、スカレット公爵令息ユリウスと出会って恋に落ちた。二人だけの密やかな恋は確かに募っていったのだが、当時の国王は好色王と言われるほどの愚王で、ネルシェリの親は彼女を国王に献上しようとした。

 しかし、王太子の手により間一髪のところで救われたネルシェリは王太子の側室として彼の後宮に入る事になった。当時のミルドレージュ王国は国王の権限が強く、しかも理不尽も罷り通っていた。例え息子の側室であろうとも生娘であれば召し上げられるというものであった。

 逆に言えば、生娘で無くなれば国王と言えども手を出せなくなる。ネルシェリは大変美しかった。だからこそ国王に親が差し出そうとしたのだ。

 王太子は彼女には想い人がいることを分かっていた。ユリウスは彼の従兄弟で親友なのだ。しかし、今の状況でネルシェリを無垢なまま仮に後宮から出しても直ぐに国王はネルシェリを奪うだろう。何故ならば、貴族の婚姻には国王の許可が必要だからだ。

 王太子は既に婚姻しており、王太子妃も共に考えた結果、ネルシェリは一度だけ王太子と閨を共にする事となった。ユリウスもネルシェリも、国王と言う害悪を前にそれが一番だと決意して。

 王太子は、国王が死すれば必ずネルシェリをユリウスに下賜すると約束した。国王となった彼からの下賜ならばネルシェリの実家は口を出せないし、出させるつもりも無かった。

 ただ、その一度の閨でネルシェリが懐妊したのは誰もが予想出来なかった事であった。

 王太子妃は既に王子を産んでいる。その王子の立場を揺るがせるような子供をネルシェリは恐れたが、王太子も王太子妃もまずは無事に産む事だけを考えろと言った。

 結果として産まれたのは王女で、ネルシェリは漸く安堵した。王女の王位継承権は低いのだ。

 そうしている内に、国王は殺された。彼が無理に召し上げた女性に首を掻き切られて。その女性は姉を召し上げられて国王とその取り巻き達に殺された。復讐だった。

 王太子はその女性の助命嘆願をした上で、彼女を腐敗した貴族の排除の為に利用した。その女性も利用される事を良しとしたからこそだが。

 結果として王宮の膿はとことん掻き出され、見える腐敗は消えた。その中にネルシェリの実家も含まれていて、彼女の実家は没落したが、ネルシェリだけは王太子妃の親族の養子となった。

 これにより王太子から国王となった彼は約束を果たす為、ネルシェリをユリウスに下賜した。

 アンネローゼは当時五歳で、ユリウスとも仲が良かった。

 アンネローゼには王女として生きる道があったのだが、彼女はネルシェリと共に公爵家に行く事となった。


 スカレット公爵家は前国王の弟が立ち上げた家門である。

 スカレット公爵は兄の暴虐を止められなかった後悔に苛まれていた。彼は本来スペアとして王宮に残るはずだったのだが、国王に嫌われていた為に臣籍降下して無害の無能を装っていなければ生き残れなかった。

 甥の現国王には申し訳なさを感じ、託された姪孫のアンネローゼごとネルシェリを大事にしようと決めていた。

 ユリウスとネルシェリの結婚から二年後、アンネローゼに妹が産まれた。ネルリリスという名前をつけられた妹はアンネローゼの七歳年下で、とてもとても可愛かった。

 スカレット公爵もユリウスもアンネローゼとネルリリスを同じように大切に愛してくれた。

 公爵が代替わりしたのはこの頃で、ユリウスが公爵となり、前公爵は領地の風光明媚な土地で静養しながら隠居生活を始めた。

 アンネローゼはネルリリスが正当な跡取りだからと自分の将来をどうしようかと考えていたのだが、彼女が十歳の時、ユリウスはアンネローゼを後継者にすると言い出したのだ。

 ユリウスの実子ではないアンネローゼはとてもでは無いが公爵になってはいけないと告げた。しかし、国王の実子の王女のアンネローゼはどこに嫁ぐにも難しい立場であった。

 逆に婿を取るならばそこまで問題はなかった。本来、王族派生の公爵家とは王家のスペアとなるのが目的なので、アンネローゼが当主になるに障害はなかった。

 アンネローゼとネルリリスならばネルリリスの方が嫁ぎ先があった。

 アンネローゼの生まれは隠されていない。スカレット公爵家に籍が変わっても異母兄はアンネローゼを妹として可愛がってくれている。

 ネルシェリが男児を産めばよかったのかもしれないが、アンネローゼを産んだ時は問題なかったが、ネルリリスは難産で妊娠は難しいとなった事もあり、姉妹二人のどちらかが女公爵になる事は確定した。

 貴族家当主、しかも王家のスペアで、水面下に密かに残る腐敗の芽と戦うその重責をどちらが背負うか、アンネローゼは提示された。

 アンネローゼは王宮の日々を覚えていた。

 醜悪な祖父の母を見る目。アンネローゼを利用しようと考える貴族達。

 そんな汚い物は実父が排除しても未だに残っている。仮に嫁ぐとして、アンネローゼを王へと祭りあげようとする馬鹿が出ないとは限らない。アンネローゼの王位継承権は剥奪されていないのだ。

 そんなアンネローゼが公爵家当主になるならば、王にはなれない。何よりも、ネルリリスは三歳だがおっとりとした性格で、歴戦の貴族当主と戦わせたくないと、そう思ったので苦渋の選択でアンネローゼは後継者を受け入れた。

 アンネローゼが二十歳の時に中立派の穀倉地帯を領地に持つ侯爵家の三男を婿として迎え入れた。

 婚約は十八歳の時にした。年齢は相手が二歳上で釣り合いが取れているのと、どれだけ入念に調べても悪い事をしそうになく、何よりも王太子となった異母兄が「あいつは真面目が服着ていて、お前を女神だと崇拝している奴だ」と言っていたので信頼する事にした。

 丁度その頃、隣国のメドリア王国との国交に際して確実に抑えたいのだが、婚姻外交をしようにも、メドリア王家には王子一人しかおらず、ミルドレージュ王国にも王子しかいなかった。そこでネルリリスに打診があった。勿論断っても良いということだったのだが、ネルリリスは「私が王妃になればこの国、つまりはお姉様のお役に立てるわ!」と受け入れた。

 ネルリリスは姉が大好きだった。自国の利益もそうだけれど、最終的に姉の為になるならばと婚姻相手を決めた彼女にアンネローゼは一抹の不安を感じた。

 メドリア王国の王家を調べてみれば、数代に一度やらかす王族が現れるのだと言う。大抵は王族にも関わらず下位貴族の令嬢を妃にしようと目論むのだとか。

 これまでの年数や環境などを鑑みて、アンネローゼは実父の国王に契約の中に幾つものネルリリスを守れるような条件を盛り込むよう進言した。

 通常であれば問題が無いものの、しでかせばたった一度の過ちで破滅するようなそれを初めはメドリア王国側も拒絶した。

 しかし国力差とアンネローゼが調べ尽くした歴代王族の大失態の調査書を前に抵抗は無意味だった。


「わたくし、妹がとてもとても愛しいの。妹には幸せになってもらいたいの。ですから、あの子を守る為ならば何を犠牲にしても良いと思っているのよ」


 大国ミルドレージュ王国の女公爵にして現国王の実の娘。彼女が養子となったスカレット公爵家と王家はそもそも親族である。そんなアンネローゼの掌中の珠がネルリリスである。ネルリリスを王妃として迎え入れるならばミルドレージュ王国はメドリア王国を支援する。その時の夫は王族であれば誰でもよかったのだ。


 婚約者のミケロファスが王立学園に入学するにあたり、交流の為に留学生という立場でやってきたネルリリスをミケロファスは蔑ろにした。

 どんな理由があろうとも、立場的にミケロファスは下手に出てネルリリスをもてなさなければならないのに。

 隣国の公爵令嬢と言う肩書きを見ただけでミケロファスはネルリリスを下だと判断したのだ。

 勿論まともな子女もいた。特にミルドレージュ王国の貴族と関係のある商会を有した家門の子供は「スカレット」の名を聞いて震え上がった。そして王子に合わせてネルリリスを貶めようとしている寄り親の家に速やかに手紙を送った。寄り親の破滅は寄り子の破滅にも繋がりかねないからだ。

 連絡を受けた家は速やかに己の子を回収した。もしも一度でもネルリリスを貶める発言をしていたら間違いなく終わりであった。

 現当主アンネローゼの妹狂いは有名だったからだ。間違いなく近い所に手の者を入れてネルリリスを見守っている。それと同時にネルリリスを害する者を尽く潰す為に。


 ミケロファスは自ら終焉の道を選んだ。

 男爵家の庶子の娘を気に入り、ネルリリスを散々にこき下ろした。

 唯一の王子だからと、その将来は間違いなく国王であると、その自信を持っていた。

 ただ一人の王子なのに立太子されることが無かった理由を考えることも無く。


 潜ませていたスカレット家の手の者からサマーパーティで婚約破棄を大々的に宣言し、男爵家の庶子を新たなる婚約者にすると宣うつもりだと聞かされたアンネローゼは直ぐさまメドリア王国に向かった。

 ネルリリスは欠片も王子のことを好きではないし、そろそろお姉様に潰される男を相手にするのも面倒だわ、と相手にしていなかったし関わりも持たなかったので心を痛めることは何一つも無かった。

 姉が許すはずがない、と言う絶対的な信頼がネルリリスの心の安寧であった。


 そうして行われたサマーパーティでの冤罪による断罪劇は、高らかにヒールの音を鳴らして入ってきたアンネローゼと顔色の悪い国王夫妻により敢え無く潰されたのだ。



「そうそう。この場にいるネルリリスを貶める言葉を仰った皆様。あなた方は大きな勘違いをしているみたいだから教えて差し上げますわ。

我がスカレット公爵家は祖父が前王弟で王族の血を引いておりますの。そしてわたくしは現国王の娘ですわ。ネルリリスとは母が同じですのよ。

本来で婚姻外交ともなればわたくしが血筋的にも王女として嫁ぐべきなのでしょうが、年齢が遥かに上ですし、すでにわたくしには夫もいましたものですから、国内で最も高貴な女性であるネルリリスが選ばれましたの。

お分かりになって?確かに祖父は臣籍降下しましたが、王族であることに間違いはなく、ネルリリスも王族と同等とみなされたからこその婚約でしたのよ?」


 ネルリリスは態々周囲に対して自分の説明などしなかった。する必要も無かった。調べれば分かることを言う必要性も感じなかった。だから彼女は隣国の公爵家の娘であるとだけ名乗っていた。

 貴族としての振る舞いを学ぶ為の学園なのだから、情報収集は自ら行うべきであり、与えられるのを待つだけの者に手を伸ばすことなどしない。

 おっとりとした性格のネルリリスだが、姉を間近で見てきて姉を生きる教本として育ってきたネルリリスが甘い性格なわけがない。

 血の気の引いた顔がいくつか見えるが、アンネローゼは当然のように全てを把握していた。


「わ、私、しか、国王になれるものが、いないのに、なぜ私の国王の道が、無くなったと」


 早くに謝れば良かったのに下に見ていたネルリリスにそうしたくないのか、ミケロファスは足掻くようにそう言うが。


「いますわよ?ネルリリスと同じですわ。王家の血が流れていればよろしいのだから、王弟のご子息を立太子させれば良いだけのことよ?」


 国王夫妻は今にも倒れそうな顔をしながらもミケロファスの縋るような目に頷く事で肯定した。

 そもそも王子が一人の時点で分かるではないか。王子に何か起きて亡くなる事や子がなせなかった場合の為に王位継承権を持つ者を残すのは当たり前のことである。

 王子だから国王になれるのではない。王家の血を持ち「認められる」から王太子、そして国王となれるのだ。


「謝罪は無さそうですし、その娘は死罪。王子は廃籍処分。王子を止められなかったどころかその関係を祝福したご友人方はお家の処分に任せるとして、王弟子息を新たなる婚約者とする。契約通りでお間違いないわね?陛下」

「ああ……そうするしか、ないでしょうな」

「ええ。国を導く者が契約の重要性を弁えず、それも国同士、国王の名において結ばれた婚姻契約を無断で破棄など、信頼性の問題にも繋がりますわ」

「な、なんで、あたしが、死罪なのよぉっ!」


 男爵家の庶子が泣きながら叫ぶように言う。彼女が身につけているのは身に余る高級なドレス。そして、その首から下がっている首飾りは。


「あなたが着けているその首飾り。ネルリリスから盗んだものよね?それはミルドレージュ国王から娘のわたくしに下賜された国宝なの。それをわたくしがネルリリスに貸したの。わたくしが何時でもネルリリスのそばに居るわ、という気持ちで。紛失したと聞かされた時には驚いたわ。だって、見るからに格が違うもの。だから、貴方は死罪よ?国宝を盗んだのだから」


 王族への侮辱だとか、国同士の婚約に横槍を入れたとか、そんなものが霞むくらいの明確な罪。

 尤も、ネルリリスはあえて盗むように仕向けたのだが。確実にその庶子を処分する為に。そしてアンネローゼもそれを分かっていて罪として突きつけた。


「ぁ……ぁ、そ、そん、な」

「平民と変わらない小娘が国の宝に手を出せば死罪に決まっているわ。壊されたら堪らないから早く回収してちょうだい」


 王子と娘の二人はもはや立っていられないのか床に座り込んでいた。アンネローゼを守る女性騎士が素早く娘から豪奢な首飾りを回収する。

 国宝と言われたそれを掌に乗せた騎士の前にアンネローゼの侍女がベルベットの張られた装飾品を収める箱を差し出すと、騎士は震える手で丁重に中に収めた。


「乱雑に扱っていて傷が一つでも入っていたら……どうしようかしら」


 娘はがたがたと震える。どんな扱い方をしたか、思い出せない。あまりにも美しすぎて、ネルリリスより自分の方が似合う。未来の王妃なのだから、相応しいと。そう思って。

 真っ赤な宝石が連なる美しい首飾りは、ネルリリスよりもアンネローゼに似合う。それもそうだろう。国王自ら宝物庫の中からアンネローゼに似合う物を見つけて所有者を変更したのだから。


「現実を知らない小娘が王族になどなれるものですか。それも王妃を夢みたのかしら?馬鹿ね。王族とは国の為に存在し、民を導き、その為に死ねる者よ。贅沢をして腐敗させる者など不要なのよ」


 アンネローゼの実父がその腐敗をどうにかしようと奔走し、現王妃が支えていたのを知っている。何時からか内部から腐っていた国を立て直す為に命を削るような働き方をしていた国王夫妻をアンネローゼは知っている。

 取り繕っていた外見に対し中身は腐りきっていたのを、正常に戻したのは国王夫妻だ。だからアンネローゼは愚か者が頂点に立つことを許さない。王妃の価値を浅はかな考えで落とすことを許さない。


「お姉様」

「なぁに?わたくしの可愛いリリス」

「国王陛下と王妃殿下が倒れそうですから移動しましょう。お休みして頂かねばなりませんわ」


 それまでの厳しい言葉から一転。とても甘く優しく妹の名を呼んだアンネローゼにネルリリスは小さく笑いながら顔色の悪い国王夫妻を移動させようと促した。


「優しいわね、わたくしの賢いリリス。ふふ。そうね、移動しましょうか。そうだわ、このサマーパーティを台無しにした補償は我がスカレット公爵家が補填いたしますわ。それと、理知的に振る舞われた方には後ほど当家のワインをお送りいたしますので味わって下さいませ」


 逆を言えば、ワインを贈られなかった者はネルリリスを貶めた者としてアンネローゼに把握されているということだ。

 学園生主体のサマーパーティとは言えど、多くの人の手が入っている。この日の為に飾り立てられたホール内も、食事も、何もかもが王子の浅はかで独り善がりな言動で壊された。

 その補填はしなければならないだろう。


 アンネローゼは侍女に耳打ちをする。

 恐らくこの空気だと早々に解散となる。学園には寮があり、王都にタウンハウスを持たない子女は食事情が豊かではない。

 しかし、貴族としての見栄の為に食い貯めみたいなことは出来ない。だから、アンネローゼは寮暮らしの学生の為に折角作られた料理をバスケットに詰めるように命じた。当然だが、ワインを贈られる対象のみである。

 ワインもバスケットに入れているので見た目では分からないようにするのが大事なことである。



 そこからは息をつく暇すら与えない勢いで進めた。ミケロファスがまともにネルリリスを大事にするならば問題はなかったのだ。しかし、国王夫妻すら軽く考えていた。

 ミルドレージュ王家は見極めていたのに。


「国王陛下もご政務にお疲れの様子ですわね。そろそろ荷を下ろしても宜しいのではなくて?ミケロファス殿下は王族ではなくなりますが、陛下方が監視なさるなら、条件付きではありますがお屋敷を用意しましょう」


 アンネローゼは妹の為ならば悪魔にだって魂を売る人間だが人としての温情は持ち合わせている。

 ネルリリスの立場を知った瞬間から王家の入れ替えを考え、新たなる婚約者候補として王弟子息に目をつけた。実父もそちらの方が良いだろうと王としての判断を下してからアンネローゼは密かに連絡を取った。

 婚約者の交代だけでなく、王の挿げ替えを提示された王弟は始めこそ驚いていたが、兄に思うところがあったのだろう。

 その際に子息とも顔を合わせたが、ネルリリスとならべたらとても似合うわね、と一目見て気に入った。その子息ヴィクトールがネルリリスを気に入ってくれるかどうかが問題だったが、ヴィクトールはこっそりと自分の目でネルリリスを確認したらしい。

 ネルリリスは薄紫の美しい髪の毛に春の精霊の祝福を受けたような淡いピンクの目をした母によく似た美少女だ。王家の主張が激しすぎるアンネローゼとは違う。アンネローゼは実父によく似ているし、父の従兄弟の養父も王家の顔立ちで似ているので、アンネローゼとしては嫌ではないのだが、可愛らしさが多少は欲しかった。

 何せアンネローゼは「女傑」とか言われるのだから。

 ヴィクトールの方は青みがかった黒髪に神秘的な紫目を持つ端正な顔立ちで、ネルリリスの二歳上の彼は学園の最上級生だった。従弟の王子が馬鹿をしていると把握していたものの深く関わろうとは思わなかったらしく、ネルリリスの顔を見ていなかったようだ。

 


 ヴィクトールは俄然やる気を出した。ネルリリスを手に入れる為には彼が王太子にならなければならない。ネルリリスが王妃になるのは確定事項であり、そうでなければ国に戻るだけなので。

 一目惚れして恋したヴィクトールは、それでも冷静な部分もあり、変装してネルリリスと接触し、彼女の性格を知ろうとした。まあ、その変装は早々に露呈したので意味は無かったが、ネルリリスもヴィクトールを気に入ったようで着実に不貞と言われない関係を築いた。

 ミケロファスはミルドレージュ王家から見限られた時点で詰んでいたのだ。


 斯くして今日という日を迎え、王家の首の挿げ替えは速やかに行われた。国王夫妻も無自覚に「公爵令嬢」という立場でネルリリスを侮っていた。王家の血が流れていても所詮は公爵令嬢、という慢心。

 ネルリリスが現王家に情を抱くなど有り得なかった。寧ろ、こんな浅慮さで国がよく運営出来ていたなと感心した程だ。実際は有能な臣下による支えがあったからだと直ぐにわかった。


 アンネローゼは自分の血を隠すつもりはなかった。どうせ国内では知られているのだ。その上で女公爵として爵位を継承したのだ。夫は今でも過剰なほどの愛をアンネローゼに捧げてくれる。

 真面目が服を着たような男が屋敷では顔を蕩けさせアンネローゼしか見てないといった様子で愛を囁く姿に、彼を知る従僕は混乱のあまり階段から足を踏み外して転げ落ち、腕の骨を折ったほどだ。利き腕では無くて良かった。

 アンネローゼは家族に恵まれていた。そして最愛の妹が最高に幸せになるためならば国境を越える距離の移動など平気だった。

 そんなネルリリスを蔑ろにする者は排除し、ヴィクトールと幸せになりながら国を統治して欲しいとそう考え行動した。


「あなた方はたった一人の息子の王子を甘やかしたわね。きちんと理解させなかった。この国にとって婚約、そして婚姻がどれだけ重要なのかを叩き込まなかったわ。こちらから何度か態度を改めるようにとの手紙を送っても事態を軽く見られたわね?王子だけでなく、あなた方もネルリリス、スカレット家、果てはミルドレージュ王家を蔑ろにしましたわ。王としての判断力が低下しているならば、民のためにもその座を降りた方が皆の為ですわ」


 アンネローゼの軽やかでいて決して消えることのない怒りの言葉に国王も王妃も肩を落とした。元々弟の方が優秀と言われていたが、長子だからと王になれた。中々子が出来ず、生まれた子が可愛かった。

 弟の子が先に産まれて一時は王位継承権が甥にあったが、ミケロファスが生まれて正しく戻ったと思った。

 何をしても許したが、それではいけなかったのだ。そもそも王は民がいてこそ王だと忘れていた。


「弟に、譲位しよう。我々が監視するならば、共に暮らせるのだな?」

「ええ。勿論あなた方も監視されますが、静養地のお屋敷を手配しましょう。外出は決められた範囲のみで領地からは出られませんわ。お二方は王族のままですが、王子は平民となりますので生活費はお二人に割り当てられる予算から捻出なさって。使用人は王弟殿下が選んだ者が派遣されるでしょう。慎ましやかに暮らしていれば穏やかに過ごせますわ」


 王子を甘やかした結果このようになったし、考えも浅かったから国の関係性をきちんと把握していなかったけれど、悪政を敷いていた訳でもなく、臣下たちの有能さに救われていたからこその対処だ。

 アンネローゼが口を出したのは、婚約の締結に際して自国の国王と並んでアンネローゼの名前で署名したからだ。

 アンネローゼとネルリリスの両親は早々にアンネローゼに当主の座を譲って隠居した。二人で今は他国への旅行を楽しんでいることだろう。だからこそネルリリスを守るのは自分だとアンネローゼは張り切っているのだ。



 ミケロファスは最後までネルリリスに謝らなかった。最早謝罪するタイミングを失っていた。とは言えど、国王夫妻の退位と引き換えに与えられた温情を知って、漸く理解したようだが。

 男爵家の娘は死罪となった。ミルドレージュの国宝を管理する役人が資料を持って来た。そして娘が盗み出して人前でつけていたことを多くの者が証言し、ネルリリスからの紛失に関しての報告を受けた手紙をアンネローゼが提出したことも併せ、メドリア王国の法に従って刑が下された。

 敢えてそうなるようにネルリリスが誘導した結果、一人の少女が死んだが心は痛まなかった。しないという選択肢はあったし、そもそも婚約者がいる男性、しかも将来国王になるかもしれない王子を狙ってネルリリスを蹴落とそうとした者に見せる優しさはない。


 国王の退位と入れ替わって王弟が即位し、ヴィクトールは王子となった。学園は卒業して密かに王子となる教育を受けていた彼は、契約通りにネルリリスと婚約をした。

 国同士の契約だが、署名した王が変わり、相手も変わった為に契約の書類を新たに作り直すこととなった。

 ヴィクトールとネルリリスの並び立つ姿はやはり似合いであるとアンネローゼは非常に満足だ。ミケロファスとは異なり、ヴィクトールは目に見えてわかるほどにネルリリスへの愛情を隠さない。


「わたくしの夫によく似ているわ」

「そうだね。彼はアンネが大好きだからねぇ」

「陛下、シャキッとなさって下さいませ」

「馬車旅が堪えるようになって来たんだよ。それにここには我が国の者しかいないからね。ユリウスは旅に出てるけど凄いよ」

「それに付き合うお母様もね……陛下、今回はわたくしのわがままを叶えて下さってありがとうございます」


 ネルリリスが蔑ろにされていると分かってアンネローゼは許せなかった。私情で他国へと介入したのだ。それを分からないようにしてくれたのが国王だ。


「ネルリリスは私の大切な二人の娘だし、私の娘の大事な妹だ。それに民の為にもなるからね」


 アンネローゼは望まれて生まれた訳ではない。ただ一度、愚王の手から母の身を守る為にした閨事で出来た子供だ。それでも生まれることを許された。産まれてからも可愛がられて守られてきた。

 生さぬ仲の養父も実の娘と同じように愛してくれている。

 だから、アンネローゼは与えられた愛をネルリリスに注いだ。彼女がいつか誰かに愛を注ぎ、それが広まるようにと。




 王立学園での出来事はメドリア王国の貴族の子供達の意識を変えた。情報収集を自らする必要性。学園だからと身分を弁えない危険性。何よりも、子供だけの世界ではないのだ。必ずその後ろには大人がいる。

 学園は大人の目がない楽園などでは無いのだと。



 折角通ったのだから、とネルリリスはそのまま留学を継続した。どの道、メドリア王家に嫁ぐのだから地盤作りにも最適であった。

 そうして学園を卒業してすぐ、ネルリリスは王太子となっていたヴィクトールと結婚した。

 アンネローゼは両親と夫と共に式に参列して大号泣した。美しい花嫁姿を見て親よりも誰よりもアンネローゼが泣いた。

 彼女が産まれてから十八年。ネルリリスが幸せになる事を願っていた。ヴィクトールの隣で幸せそうな彼女の笑顔を見て折角止まった涙がまた溢れた。

 そんなアンネローゼに夫は苦笑しながら「僕たちの子供の時、君はどうなるのかな」と聞いてきたので、アンネローゼは小さく頬を膨らませた。


「泣くに決まってるわ」


 息子と娘は元気に育っている。今日は式に出られないが、王宮にて世話をしてもらっている。好奇心旺盛な息子はお嫁さんを貰うから泣かないだろうが、嫁ぐ娘の時はきっと泣く。何故なら、娘はアンネローゼには欠片も出なかった母に似た顔をしている。つまり、ネルリリスにも似ているのだ。妹と娘を同一視するつもりは無いが、感慨深くなる時がある。

 ネルリリスの幸福に満ちた笑顔を見ながら、我が子も幸せになれるように、とアンネローゼは願った。




 十年後、ネルリリスと同じように娘が婚約破棄を告げられて、アンネローゼが激怒する未来があるとはこの時誰も想像していなかった。

主役はアンネローゼなのでヒューマンドラマのカテゴリにしました。

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― 新着の感想 ―
もしかしたら、アンネローゼ様の生国と隣国を舞台にした乙女ゲームがあったりして。 1の「悪役令嬢」ポジがリリス嬢で、2ではアンネローゼ様の娘がその役だったとか? ついでに「スカレット家」は悪の御一家とさ…
女傑て立場変わったら悪女? でも道理も何も全てを弁えたアンネローゼ様、素敵すぎます! ネルリリスさんも中々な感じで好き。 10年後、是非とも読みたいです! 娘の婚約者選定に手を抜くはずも無いアンネロー…
その10年後カモン。 しかし、この女傑の娘に対して婚約破棄する傑物(バカ)はどんな奴だ。
感想一覧
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