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二灯 硝子細工の涙

灯町の空気は、時々、泣いているような音を立てる。


 それは風が硝子を撫でる音。

 それとも、人が心の中でこぼす涙の響きなのか。


 蒼原探偵事務所の戸口で、春太が慌てて駆け込んできた。


「せ、先生っ! 来ましたよ、依頼人!」


「落ち着きなよ。お茶が冷める」


「お茶どころじゃないですって! 泣いてるんですよ、その人、ずっと!」


「泣く依頼人は珍しくないでありんすよ。泣き止んでから話せばええでありんす」


 紅が優雅に扇子をひらいて微笑む。

 彼女の声に春太は反論できず、もじもじと指を組んだ。


「いやでも、泣き方がちょっと変なんです。硝子みたいな……キィ、キィって」


 澪が湯呑みを置いた。


「硝子?」


「はい。まるで……人間の涙じゃなくて、鳴き声みたいで」


 その時、戸口の鈴がちりんと鳴った。

 白い息とともに入ってきたのは、痩せた中年の男だった。

 手には、小さな木箱。腕は細く、指先が少し震えている。


「……探偵さん、でございますか」


「ええ。蒼原澪と申します」


「すまねえが、見てもらいたいもんがありまして」


 男はそっと木箱の蓋を開けた。

 中には小さな硝子細工――掌ほどの人形。

 光を受けて、ほのかに青く輝いている。けれど、その胸のあたりには、ひびが一本走っていた。


 紅が身をかがめる。


「よう出来たお人形でありんすな。……でも、これ、泣いておりんすね」


 確かに。

 よく耳を澄ますと、かすかな“ひびき”が聞こえる。

 硝子が軋むような、微かな啜り泣き。


「娘が……作ったんです」


 男は膝の上で拳を握りしめた。


「硝子職人でしてね。娘は、見習いのくせに俺より腕が良かった。あの子が作ったこの人形が泣くんです」


「娘さんは今?」


「……行方が分からねえ。二週間前に、突然消えちまった」


 紅がそっと息をのむ。澪は静かに問いかけた。


「娘さんのお名前は?」


すみです。硝子の“澄”の字で」


      ◇


 硝子職人の工房は、町外れの細い路地にあった。

 灯助が先に入り、提灯の灯りで中を照らす。

 棚には色とりどりの硝子玉、吹き竿、金具――職人の手仕事がそこかしこに残っていた。


「誰もいない、ですね……」


 春太が小声で言う。


 澪は机の上の紙片を手に取った。そこには、硝子の配合比率とともに、一行だけ、文字がある。


 ――「あの人に、届きますように」


「恋文でありんすかねえ」


「それにしちゃ、相手の名前がないねぇ」


「恋でも、届かない想いはようござんす。名を出せば、余計に痛みんすから」


 紅は微笑んだが、その瞳はどこか寂しげだった。


 その時、机の隅の硝子人形がカタリと揺れた。

 同じ青色。けれど先ほどの人形よりも少し小さい。

 ぽたり、と硝子の涙が落ちる。


「動いた……!」


 春太が思わず身を引く。

 紅は人形を見つめ、細く息を吐いた。


「この子ら、澄さんの想いを宿しておりんす。形を保ったまま、泣いておりんすよ」


「想い、か」


 澪は手袋をはめ、人形を持ち上げた。冷たい。まるで氷のような温度。

 しかし、その胸のひびの奥に、淡い光が脈打っている。


 ――トクン。


 かすかな心臓の鼓動のように。


「澄さんは、何を想って作ったんだろうね」


「愛しい人に、届かぬ想いを、硝子に閉じ込めたのでありんしょう」


「閉じ込めた想いが、泣いてる?」


「想いは形にすれば、逃げ出せない。あやかしは、そういう“滞った心”に惹かれんす」


 澪はふと、棚の奥を見た。

 古びた棚に、一枚の写真。

 硝子を手に微笑む少女――そして隣に、五十嵐宗司の姿。


「……五十嵐?」


     ◇


 翌日、特異課の詰所。

 五十嵐は書類の山に囲まれ、澪を見るなりため息をついた。


「おまえ、また妙なもんを持ってきたな」


「これは君の知り合いの子の作じゃないかい?」


「……澄のことか」


「やっぱり知っているんだね」


「ああ。俺が巡査だった頃、町の工房を何度か見回りに行った。その時からの知り合いだ。澄は子どものころから硝子が好きでな、俺によく“もっと修行して、いつか警察の徽章を硝子で作る”なんて言ってた」


「ほう。それは粋な贈り物でありんすね」


「……澄は実際にそれを作ってくれた。しかし、俺はそれを受け取れなかった。その時、俺には婚約者がいたんだ。澄は、それでも笑って祝福してくれた。だが、二週間前、澄は姿を消した」


 五十嵐の声がかすかに揺れた。


「まさか、妖に……?」


「妖は、心のすき間に住むもの。すき間を作ったのは誰でありんす?」


 紅の言葉に、五十嵐は沈黙した。


   ◇


 夜。

 澪と紅は再び工房を訪れた。

 満月が硝子を照らし、青い光が壁を這っている。


「旦那さま、来ておりんすよ」


 紅が指差す先、硝子の棚の奥――

 そこに、淡く揺れる女性の姿。

 硝子のように透き通り、瞳は青。


「……澄さん、ですか」


 声をかけると、女がゆっくりと振り返った。

 頬に触れる指先から、細かい硝子の粒がこぼれる。


『五十嵐さん……は、元気ですか?』


「生きてますよ。あなたを心配して」


『そう……よかった。あの人に、謝りたかったの。嫌な女でした。笑ってるふりをして、心の中では――“あの人の幸せなんて見たくない”って思ってた。そんな私の心が、妖を呼んだんです』


 紅がそっと前に出る。


「妖が現れたのは、あなたの想いが“形”を求めたからでありんす。硝子は心を映す鏡。泣いてるのは、あなた自身でありんす」


『私、もう消えたいの』


「消えることと、終わることは違いんすよ」


 紅の金の瞳が澄を見つめる。


「未練を抱えたまま消えれば、それは“破片”になる。ほら、あなたの胸」


 澪が見ると、澄の胸のひびから光が漏れている。


「それが硝子細工の涙の正体。あなたの後悔が、形になって泣いている」


『じゃあ、どうすれば……?』


「伝えんす。心のままに」


 紅の声が柔らかく響く。


     ◇


 翌朝。

 工房には、五十嵐が立っていた。

 澪が扉を開けると、彼は息を呑んだ。


 棚の上の硝子細工がひとつ、陽を浴びてきらめいている。

 その胸のひびが、ゆっくりと閉じていった。


「……これが、澄の……」


「ええ。あなたへの想いを、伝えきったのでありんす」


 紅が静かに言う。

 五十嵐はそっと硝子細工を手に取った。


「泣いてない……」


「涙は全部、言葉になったんでありんしょう。あの子の想いは、ちゃんと届いた」


 その時、窓の外で光がひとつ瞬いた。

 青い硝子の欠片が空に昇り、朝の光の中で溶けていく。


 五十嵐の頬を、一粒の涙が伝った。

 それは、もう硝子の音ではなかった。


     ◇


 事務所に戻ると、春太が誇らしげに笑った。


「先生、また泣いてる人を助けたんですね!」


「助けたというより、泣き終わるのを見届けただけさ」


「にしても、金平糖が少なくなってるでありんすね」


「紅、君が食べたんだろう」


「あちきではありんせん。灯助が夜中に――」


「く、紅どの、それは口止めで!」


 天井の提灯がぶらぶらと揺れ、春太が笑い出す。

 灯町の朝は、いつもそんな騒ぎで明ける。


 澪は机に残った最後の金平糖をひとつ摘んだ。

 それは、澄の硝子人形と同じ、淡い青色をしていた。


「人の涙も、光に当たれば、案外きれいなもんだね」


「ええ。甘うて、脆うて、でも確かに、生きておりんす」


 紅が湯呑を差し出す。

 その中に、金平糖がひとつ溶けて、淡く光った。


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