九灯 紅の縁(えにし)
――夢を見ていた。
懐かしい匂いのする、雨の夜の夢。
橋のたもとで、幼い自分が泣いていた。
雨に打たれ、泥だらけの手に、母の残した小さな包み。
中には、紅い金平糖。
『……母さん、どこに行ったの……?』
声が掠れたその時ーー
ふいに、優しい鈴の音が響いた。
『坊や。どうして泣いておりんす?』
振り向けば、そこにいたのは紅の着物を纏った妖。
金の瞳に灯を宿し、微笑んでいる。
『……誰?』
『あちきは、あなたの“寂しさ”から生まれた妖でありんす。あなたが、母の温もりを求めた、その願いから』
紅は膝をつき、濡れた少年の頬をそっと撫でた。冷たい指先が、なぜか温かかった。
『もう、ひとりじゃありんせん。これからは、あなたが人と妖の縁を結んでいくんでありんす。その灯が増えるほど、寂しさは薄れていく』
――夢の中の少年は、泣き止んでいた。
◇
目を覚ますと、部屋の灯りがぼんやりと揺れていた。胸の奥が、やけに静かだった。
だが、そこにいたはずの紅の気配が――消えていた。
「……紅?」
呼んでも、返事はない。
机の上には、硝子瓶。中に入っているのは紅色の金平糖がひと粒。
それが、かすかに光を放っていた。
澪は拳を握りしめ、立ち上がる。
「……いやだ。今度こそ、失くしたくない。」
◇
川辺の夜は、霧が立ち込めていた。
灯籠の光がゆらめく中、紅が静かに立っていた。風に髪を揺らし、背中が少しだけ透けている。
「やっぱり、ここにいたね」
「旦那さま……夢を、見たでありんす。あちきはあなたの寂しさから生まれた妖。だから、旦那さまがもう寂しくなくなった今――あちきは、役目を終えんした」
「勝手に終わらせるな!」
澪の声が震えた。
紅は静かに微笑む。
「旦那さまはもう、自分で縁を結べるでありんす。狐火庵の藍之介とも、夢子とも、春太とも。それらの灯があなたの心を満たしている。……もう、あちきは要らんせん」
「……違う」
澪は紅の腕を掴んだ。
触れた指先が、すり抜ける。
光がこぼれ落ちるように、紅の姿が淡く揺れた。
「僕が一番、離したくない縁は――紅だ!」
その叫びに、紅の瞳が大きく見開かれた。
澪の姿が、十年前の泣き虫な少年に重なる。
「旦那さま……」
「君が僕を救ったんだ。僕の命を灯したのは、君だ。その縁をどうして“切る”なんて言えるんだ!」
紅は唇を震わせた。
「……そう言っても、あちきは、薄れていくんでありんす。寂しさが消えるたびに、存在が薄まる。それが、“生まれ”の定めでありんす」
「なら――また結べばいい。縁が切れるなら、僕が何度でも結び直す!」
澪の声が夜気に響く。
紅の頬を、光の粒が伝った。
「……旦那さま。なんて、人間はずるいんでありんすか」
「君が教えたんだ。ずるくても、離れたくないと願う心が“縁”だって」
紅が、そっと微笑んだ。
鈴の音が、遠くで鳴る。
「……好きでありんす、旦那さま。あちき、この縁を、誇りに思いんす」
次の瞬間、紅の姿が光に包まれた。
無数の灯籠が夜空へ舞い上がり、紅色の光が澪の周りを巡る。
指の隙間から、金平糖のかけらがひとつ、掌に落ちた。
「……紅!」
澪は光の中で、強く願った。
「――もう一度、君に会いたい!」
◇
目を覚ますと、夢子が傍にいた。
彼女の瞳は涙で濡れている。
「澪兄ちゃん……紅ちゃん、まだ夢の中にいるよ。強く想えば、また会える。夢の中なら、縁は切れない」
「夢の中……か」
澪は静かに目を閉じた。
再び闇に沈むと、そこはあの夜の灯町だった。
霧の中、紅が立っている。
紅色の糸が、風に揺れている。
「……来てくれたんでありんすね」
「当たり前だよ。縁を結びに来た」
紅の目が潤む。
「人と妖が結ばれることは、許されんす。この世界では、それは歪な縁」
「それでもいい。僕は、“紅色の縁”を結びたい。この色は君にしか見えてない特別な縁だろ?だったら――僕が、その片端を握る」
紅の頬を、涙が伝った。
「……旦那さま。あちきは妖でありんす」
「知ってる」
「また、消えてしまうかもしれんせん」
「その時はまた結ぶさ。何度でも。僕が君の灯を見つけるから。」
紅が嗚咽を漏らしながら微笑んだ。
「……旦那さま、好きでありんす」
「紅。この縁は、君が嫌と言っても切るつもりはないよ」
澪は紅を抱きしめた。
紅色の光が二人を包み、霧が溶けていく。
温かく、柔らかく、まるで春の風のようだった。
◇
目を覚ますと、窓の外で朝日が昇っていた。
澪の隣には、紅が静かに座っていた。
その手を取ると、指が確かに触れた。
「……旦那さま?」
紅の頬が赤く染まる。澪は笑った。
「金平糖でも食べようか」
紅が目を見開き、そして泣き笑いを浮かべた。
「……はいでありんす。今度は、溶ける前に一緒に」
澪は金平糖をふたつ取り出し、ひとつを紅に渡した。二人の掌の上で、紅色の粒が光る。
それはまるで、“紅の縁”そのもののように。
◇
灯町の空に、鈴の音が響く。
紅の笑顔が、朝の光に溶けていった。
――人と妖の間に結ばれた、ひとつの紅い縁。
それは、消えることのない灯となって、今日も町を照らしている。
ここまで閲覧してくださりありがとうございました!一応この話で区切りになります。紅がどのようにして生まれた妖なのかが判明しました。
この先は縦軸に敵キャラを登場させつつの1話完結になります!よろしくお願いします!




