八灯 小鬼と金平糖泥棒
――灯町の朝は、やけに甘い匂いがした。
紅茶の香りでも、菓子屋の匂いでもない。
それは、探偵事務所いっぱいに漂う――金平糖の匂いだった。
「先生っ! 金平糖の瓶、空っぽです!」
春太の悲鳴に、澪は筆を落としそうになった。
机の上の硝子瓶は見事に空っぽ。底にひとつだけ転がっているのは、かけらのような小粒。
「……犯人、甘党か」
「まさか先生じゃ……!」
「僕はこんなに沢山食べないよ」
「では、姐さんですか?」
紅が扇子をぱたりと閉じた。
「あちきは金平糖を舐める女ではありんせん。溶かす方でありんす」
「どっちにしろ、なくなるのでは……」
「春太。言葉の刃は、時に舌を斬りんすよ?」
「ひぃぃぃ、すみません!」
提灯の灯助が天井からぶらぶら揺れながら、のほほんと口を挟む。
「いやぁ、まさに金平糖怪盗でござるな! 予告状とか出てなかったでござるか?」
「残念ながら、糖の罪状だけが残ってる」
「洒落てる場合じゃないですって!」
◇
午後。
紅が川辺を歩いて情報を集め、澪と春太は妖たちの出入りを確認していた。
真っ先に怪しいのは――常連の小鬼たち。
探偵事務所の片隅、書棚の上で小さな影がもぞもぞと動いた。
「……おーい、出てこい。君らのしっぽ、見えてるぞ」
ぴょこん。
丸い頭と赤い鼻が顔を出した。
「み、見つかっちゃった!」
「また金平糖をつまみ食いしたのかい?」
「ち、ちがうもん! 今回は正当な理由があったんだよ!」
「正当?」
「夢子ちゃんのお誕生日なんだ!」
奥から、別の小鬼が顔を出す。
「だから! 金平糖でお祝いしようって思って……」
「勝手に盗むのはお祝いじゃなくて、泥棒でありんすよ」
紅が背後から静かに現れた瞬間、小鬼たちは石のように固まった。
紅の金の瞳が細く光る。
「あちきが甘いのは旦那さまだけでありんす」
「ひぃぃ、ごめんなさいぃぃ!」
小鬼たちが土下座するようにぺたんと座り込む。
灯助が笑いながら声をあげた。
「こりゃ金平糖裁判でござるな!」
「なにそれ!?」
「犯人の甘味をどうするか、裁きの儀でござる!」
「面白そうだね」
澪が微笑む。
春太が慌てて手を振る。
「え、先生もノリノリじゃないですか!」
「探偵は謎を解くだけじゃなく、正義を演出する仕事さ」
「演出の方向が甘いんですけど!」
◇
事務所の畳の上に金平糖裁判が開廷した。
裁判長:紅。
検察:春太。
被告:小鬼三名。
陪審員:提灯の灯助、猫又の沙叉、座敷童子の夢子。
「被告、罪状。――“金平糖三百粒窃盗、動機は祝福”」
「祝福は罪じゃないもん!」
「静粛に!」
紅が扇子で机を叩いた。
ぱん、と小気味いい音が響く。
「祝福の気持ちは美しゅうても、行いが伴わねば“想い”とは言えんす。どうして、あちきに頼まんかったんでありんす?」
「だ、だって紅姐さん怖いし……」
「正直でよろしゅう」
会場に笑いが広がる。
灯助がぴかぴかと光りながら言った。
「裁判長、減刑をお願いでござる! 夢子殿の誕生日祝いとは善き志!」
「そうでありんすね。では、罰として――」
紅がにこりと笑った。
小鬼たちがびくりと肩を震わせる。
「明日から一週間、掃除当番を命ずるでありんす。それと――」
紅は澪の机を指差した。
「金平糖を盗む代わりに、“笑い”を届けんす。毎朝、旦那さまを笑わせること」
「む、むずかしい罰だ……!」
「罰とは、苦いほど心に残りんす」
「紅、君はいい教師になれるよ」
「あちきは妖でありんすから、厳しゅうて当然でありんす」
◇
裁判が終わり、事務所に静けさが戻る。
夢子が澪の膝の上で金平糖をころころ転がした。
「甘いね。怒ってたのに、優しい味」
「怒るのも優しさのひとつだよ」
「……紅ちゃん、やっぱり好き」
「あちきも、夢子の笑顔には敵わんす」
紅が穏やかに笑う。
窓の外では、灯町の街灯がゆらゆらと灯っていた。
小鬼たちは反省文代わりに、菓子の包み紙で折った鶴を並べている。
「先生。これで、また新しい瓶を買わなきゃですね」
「いや、ちょうどいい。次は“紅色の金平糖”にしよう」
「紅色、でありんすか?」
「ああ。君の色だから」
紅の金の瞳が、少しだけ見開かれた。
「……旦那さま、そんな甘いことを言われると、あちき、瓶ごと溶けんすよ」
「それは困るな。また金平糖泥棒が出そうだ」
「ふふ、それなら――共犯でありんすね」
二人の笑い声が重なり、事務所は再び穏やかな甘さに包まれた。
提灯の光が揺れ、金平糖の瓶がきらりと反射する。
その音はまるで、灯町の心臓のように、優しく響いていた。




