七話:百と牢舌
しばらく沈黙が続いたが、鬼が「我が話したのだ、御前の話も聞かせよ。」と言ったために、直之は気を取り直し、好きな漫画の話を始めた。
作品の内容は少年少女が術を駆使して妖怪と戦う学生ファンタジー系の物語で、毎話妖怪達が主人公達の通う学校を襲ってきては、主人公達が立ち向かい、最後は主人公側が勝利を収める展開となっている。
友情もさることながら、仲間愛に溢れているのが直之には面白いらしい。その中に登場する、主人公のサポート役の犬が直之は大のお気に入りで、断捨離する前は漫画を詰めた本棚の上に、その犬のグッズが大量にあったという。
「部屋に置いてあった人形はそれか。」
「そ。あれだけは手放せなかったんだよ。初めて買ったやつだったからさ、思い入れ強くて。うわっ外暑っ。」
店を出て、むわりとした熱気に直之が顔をしかめる。眩しい日差しが濃い影を作り、吹いてくる風は肌を焼くように熱い。顔を手で仰ぐ直之に、見かねて鬼は言った。
「近道しながら帰るか。そろそろ西日が強くなろう。」
「うー、そうだな、じゃあ道はあっち。」
行きとは別の道を通りながら家を目指す。その道中、コンビニ前で直之が、思い出したように声を上げた。
「あっ、歯ブラシ間違えて捨てちゃって困ってたんだ。ちょっとコンビニ行って買ってくる。シンどうする?」
「我はここで待っていよう。行ってこい。」
「ん、ちょっと待たせちゃうかもだけど待ってて。すぐ戻る。」
直之はぱたぱたと、二十四時間営業のコンビニに入っていく。その後ろ姿が自動ドアの向こうに消えるのを見ながら、鬼は現代技術の進歩を感じた。必要なものがあれば、時間問わず少し歩いた先で少しの金を出せば手に入る。地道な自給自足を主としていた昔と比べれば、流通の発達した現代社会は、見違えるほど便利になった、と言えるのだろう。
「まことに、無情なほど無常な世だことよ。」
そう呟いた刹那、鬼は顔を引き締めた。向こうからやってくる影、その内の一方の匂いの生臭さに、嫌悪を抱きつつ。現れたのは身なりの整った清潔そうな見た目をした、十代後半の少女。そしてその隣に、首元に銀のネックレスを鳴らすガラの悪い、二十代の青年が。先に鬼に気づいたのは、少女の方だった。
「あれ、シン様では?」
「……んーぁ? おお、随分だなぁ青鬼。なんだよ久々の再会だってのにそんな顔しやがって。」
「シン様お久しぶりです。」
「久しいな百。息災そうでなによりだ。」
「おい俺を無視するな。」
舌打ちをする青年に、少女が口元を手でおさえて笑う。この二人、見た目はそこらにいる兄妹のように見えるが、正体は鬼。性格は正反対であるのに気が合うのか連んでいる、実際は兄妹でもなんでもない二鬼である。
「牢舌……御前はまた悪食しおったのか。臭うぞ。」
「うるせぇなぁ他鬼の趣味にいちゃもんつけてくんじゃねぇよ。俺ぁクセのある肉が好物なんだ、美食を求めるお前と違ってな。」
「別に我は美食なぞ求めてはおらぬ。生を尊びその旨味を有難く享受しているだけだ。」
「そうですよ牢舌様。シン様は鬼としての心得をよく存じているのです。そう噛みつかないでください。」
「ハッ。殊勝な精神をお持ちだこって。鰯の頭でも吐きそうだぜ。」
牢舌はげぇ、と舌を出しながら顔をしかめる。牢舌はことあるごとに突っかかってくるため、鬼はもう慣れた。偶にこうして百がフォローに回るが、その内面百が牢舌の態度を面白がっているのは鬼も知っている。
「シン様は何故ここに? 某らは散策の帰りですが。」
「そうか。我も逍遥の最中であった。」
「それは奇遇ですね! 何か目ぼしいものでも見つけました?」
「いや……ああ、レモネードなる飲物を口にした。あれはまぁまぁ美味かったな。」
「なんと……シン様がそうおっしゃるのであれば余程のものなのでしょう。某も近い内に飲んでみたいです。」
にこにこと笑う百は、その見た目も相まって可愛らしい。昔からシン様シン様と呼んでくる百に、はてそれほど懐かれるようなことをしたか、鬼はとんと思いつかないが、そう呼ばれるのも特別嫌ではないため、好きにさせている。すると牢舌がすんすんと鼻を鳴らしながら鬼に近づいた。
「にしても……おい青鬼、臭いぞ、ああ、人間臭い。喰い終わった後にしては血の匂いもしねぇし、妙だ。」
鬼は些か冷たい汗が背を走った。まずい、直之の匂いが移っているのか。別段知られると悪いというわけでもないが、変に勘繰られて面倒になる可能性もある。
「……人の多い地を歩いたものでな。誰ぞのものが移ったのだろう。」
「へぇ? ……それにしては、やけに澄んでやがるな、なんだこの匂い? 何やら、まるで……」
「牢舌様、失礼ですよそんなに嗅ぎ回っては。人多い地を歩めば様々な匂いがひっついてくるものです。シン様すみません……」
「いや、気にしていない。それより、もう帰るのだろう。警戒すべきものはないだろうが、気をつけよ。」
「はい。有難うございます。では、ほら牢舌様、帰りますよ。」
「あっおい、くそ、じゃあな美食家、次会うまでにおっ死ぬなよ。」
「だから我は美食家ではない。」
百に引きずられるように、牢舌も去っていく。賑やかな奴らだ、と思いつつも安堵の溜息を。いや、何故我は直之の存在が露呈するのをこれほど心配しているのだか。そうやって自身の心内に首を捻っていたところで、背後から、最近は聞き馴染んできた足音が戻ってきた。直之である。
「お待たせ! 少し見えてたんだけど、さっきの人達は?」
「我の馴染みだ。」
「てことは……え、鬼? 鬼って結構たくさんいるんだ!?」
「いや、そういうわけではないが……此度は偶々だ。」
「へぇ、あ、そうだ、はいこれ。」
「……なんだこれは。」
直之が鬼に手渡したのは、深みがかかった青い鈴のストラップ。鬼が紐の部分を摘んで首を傾げていれば、直之が嬉しそうに説明した。
「さっきコンビニで見つけてさ、なんかこう、あっシンみたいだ! って思って、買ってみた! どう?」
「どう、と言われてもな……これはどうすれば良いのだ?」
「スマホにつけるとか、鞄や筆箱につけるとか……あ、でもシンってそういうの使わない?」
「使わぬな。」
「あーうーん……も、持ってるだけでもいいからさ、どう? もらってくんねぇ? 今回の感謝の印としてさ。」
どうやら、直之は鬼に贈りたいただそれだけの理由で鈴を買ってきたらしい。向こう見ずというか、なんというか、などと思ったものの、好意で贈られたものを受け取らないほど非情にもなれず、鬼は鈴を手に握った。
「……相分かった。所持しておこう。」
「やった! ちなみに、俺のも買ったんだ。おそろい! へへ。」
直之はポケットから、鬼の持つ鈴と同じ青い鈴をつけたスマホを取り出し笑う。全くもって無邪気。その笑みを見て、鬼は気が抜けてしまいつつも、どうしてか、苛立ちを覚えた。
此奴、それほどに明るく笑えるのを、何故死にたいなどと……。
そんな直之と鬼を、建物の陰から覗き見ながら笑みを浮かべた者に、流石の鬼でも気づくことはできなかった。