表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/20

六話:逍遥

「すげぇよシン! こんなにすっきりした朝は久しぶりだ!」

「そうかよかったな。分かったから離れぬか。暑くないものも暑苦しい。」

「シンがなんかしてくれたんだろ!? 朝食が美味しく食べられるなんてほんとに久々! ありがとな!」


 朝を迎え、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる直之に鬼はうんざりし始めていた。此奴、我に対し遠慮がなくなっていないか。こちらから近づけば困り果てていたくせにそちらからは見境ないではないか。嗚呼、それは初めからか。


「今日はどっか行かねぇ? 暑いけど。ずっと部屋ん中ってのも面白くないだろ。暑いけど。」

「出とうなければそう言えばよかろう……別に我は外に出向きたいなどとは言うておらぬ。」

「いやそうだけどさ、折角だからシンと街歩きたい。もうあと二日しかないし。」


 直之がやっと離れて、乱れた服を直す鬼は仕方なく考えてやることにした。どこかに行く、鬼が行きたいところなど特にない。腹の空いている時であれば街中へ出向きたくなるところだが、今はそういうわけでもなく。であれば。


「なら逍遥でよかろう。」

「しょーよー……?」

「……散歩だ。」

「ああ。散歩かぁ、二十年ぐらいしてない気がする。でも目的ないまま歩くのも面白そうだな、行こ行こ。準備してくる。」


 嬉々としてクローゼットに向かう直之は、まるで遠足前の小児のようで。その喜びの中に、何かが僅かにミえたような気がしたが、鬼は見て見ぬ振りをした。


 突き抜ける青空に蝉の合唱、照りつける太陽。まだ時期ではないはずだろうに、既に夏本番と言わんばかりの暑さでも、鬼には関係ない。ただ少し、周囲に溶け込むべく暑さを覚えている演技をする必要がある、くらいで、暑さに困ることはないのだ。だが人間はそういうわけにもいかない。


「あちー。今年の夏気合い入りすぎだろぉ。歩いてるだけで溶けそうなんだけど!」

「そうなのか。人間は大変だな。」

「シンは平気なのか? こんなに暑いのに。」

「我らは暑さにも寒さにも強い。」

「いいなぁ、この暑さが平気なんて。俺もうヘトヘトだわ。あ、向こうに店があるんだ、ちょっと寄ってかねぇ? 喉渇いた。」

「ああ。散歩なのだ、御前の自由にしていい。」

「やった。」


 着いた店の自動ドアを開けば、エアコンの効いた涼しげな風が体を包む。灼熱の外界から来た者にとってはまさに天国。直之が無意識に「はー文明の力最高。」と呟くのも無理はない。

 店内は広く、木目調の壁にははめ込みの大きな窓、天井ではゆったりとファンが回り、有線の音楽がポップ調で流れている。現れた店員にお好きな席へどうぞと声掛けられ、直之と鬼はテーブル席に座った。


「ここはどういった店なのだ。」

「んー、喫茶店みたいな、レストランみたいな、夜は酒場になる店。店主が洋食に力入れててさ、おすすめは三種の野菜とトマトソースのパスタ。あ、俺これ頼も。あーでも、シンは食べないんだっけ。」

「ああ。」

「じゃあレモネードがいいよ。ここのレモネードはここらで一番うまいから。」

「……ではそれで。」

「ん! すみませーん。」


 直之は楽しげに、店員を呼んで注文する。その姿はこれから死ぬ予定がある人間とは思えないほど精力に溢れている、ように見える。


 ああ、此奴そういえば、死ぬつもりであったな。


 鬼は思い出したように思考する。注文した後でも、これもうまそうだな、などと言いながらメニューを見る直之は、死を望んでいる人間であることを度々忘れさせてくる。

 孤立を長く経験している割には、人懐っこく、無邪気で、天真爛漫とも言える性格。素直で真直、迷いのない様は死を目の前にしているからなのか、元からなのか。だがもし生まれつきであるのなら、この複雑な人間模様を抱える世を生きるには、大層苦労しただろうと推測できる。

 そこらでは中々ミない人間。直之ほどの人間に、出会ったのはそういえば久々……最後に会ったのは――


「なぁシン、聞いてる?」

「……ああ。なんだ。」

「だから、もしもパフェ食べるならイチゴとチョコ、どっちがいいかって。」

「我はどちらも食わぬ。」

「もしもだってば。俺はイチゴ。」

「……我も苺だろう。」

「いぇーい同じ! 今度来た時は頼んでみよーっと。」


 まぁ、今度なんてないけどさ。直之はそう笑ってドリンク欄を見始めた。やはり此奴、本当に死ぬつもりなのか分からなくなる。鬼は呆れにも似た感情のままに眉間を揉んだ。


 店員が二つのレモネードとパスタを持ってきた辺りで、直之は突然話を切り出した。


「なぁ、俺を初めて見つけた時の話してくれよ。シンはどうして俺を食おうと思ったんだ?」

「なんだ急に。」

「いいじゃん、聞かせてよ。流石にまずそうだったから、なんてことはないだろ?」


 直之はピーマンを口にしながら尋ねてくる。鬼はというと、当時の状況をすぐには思い出せなかったために、想起にいくらか時間がかかった。


「……御前を見つけたのは不味い人間を食ってしまった後だった。」

「俺以外にも食べてたんだ。」

「御前の前に一人喰っていた。飢えが収まらないままに選んだために悪いのを引き当ててしまってな。その後に、人混みの中でどれよりも美味そうな御前を見つけた。肉の色艶良く、質感の良かった御前を。」

「はは。なんかそう言われると、運命的出会いしたみたいに感じちゃうな。」

「何故。」

「だって、俺シンに食われて目が覚めた後からずっと、あんたのことが忘れられなかったんだ。最初は戸惑いの方が勝ってたけど、でも次第に、またどこかで会いたいって思うようになって、そのためにも生きてたいって思うようになって。見覚えないこの痕ができてたし、もしかしたらこれを目印にあんたの方からまた会いに来てくれるんじゃないかとか、思ってたんだけど、でもそっかぁ、これがあると食ってもらえねぇの、残念だなぁ。」


 片手で痕のある首筋を掻きながら、直之は至極未練そうに言う。レモネードを一口飲んで、「じゃあさ、」と。


「俺のどこが美味かった?」

「そのようなこと聞いてどうする。」

「気になるんだよ。どこ?」

「……心の臓、だが肝も中々美味であった。」

「へぇ。他には?」

「血が美味かった。混じり気のない苦味と滑らかな舌触りが食を進めたな。」

「そっか、ふぅん……俺ってほんとに美味かったんだ。」

「美味かったな。だが今の方がまた違った味がして面白みがありそうだ。」

「へ? なんで?」

「今の御前からは妙な匂いがする。樹木の液の甘味を帯びた、人間からはまず発されるはずのない匂いだ。」

「俺そんな匂いがするの? 全然実感ないんだけど。」

「忍耐のない鬼であれば、一昨日の時点で御前は喰われていたやも知れぬな。」

「えーなんでシンは忍耐あるんだよぉ。」

「そう考える御前の頭を心配しても良いか。」


 不満そうな直之に鬼は溜息を。そして付け加える。


「……我の腹をくすぐろうとするのは止めよ。いくら言われようと我は御前を喰いたいとも言わぬ。」

「言ってもくんねぇの? さみしー。」


 直之が口を尖らせながらテーブルに突っ伏す。鬼は意外と良き味がすると思いながら、レモネードを一口吸った。


「……『咬み痕』の掟ってさ、そんなに守んなきゃいけねぇもんなの? なんで破っちゃいけねぇの?」


 まるで空はどうして青いのとでも言うような調子だな。そんなふうに思いつつ、鬼は仕方ないと、話す内容を整理しながら口を開いた。


「『咬み痕』の掟は、破ると喰った鬼も、喰われた人間も、消滅するのだ。」

「……え?」


 顔を上げた直之は、まさかそんな言葉が出るとは思わなかったらしい。鬼は続けた。


「まず鬼というのは、いや、鬼という呼び名は、本来人間の想像から生み出された名なのだ。人間の恐怖、雑念、煩悩などが形となった、恐ろしい概念を、人間は鬼と呼んだのだ。」


 それまでの『鬼』は、荒ぶる勇猛な神のことを指した。だが穢れや邪気といった考えが浸透していく中で、『鬼』の意味は次第に邪念を意味する妖怪、化物の意を持つようになった。人々はそんな鬼を信じ、鬼を恐れた。それがより妖怪の存在を強くさせ、数を増やし、神よりも妖怪、化物の方が鬼と呼ばれるようになった。


 総じて鬼とは、信仰を強さの糧に変えることのできる存在であった。


 しかし時代が移りゆくと共に、妖怪の鬼の存在を信じる者、恐れる者が減ったことで、鬼が存在できなくなり、鬼の絶対数が減っていった。すると一部の鬼達が、人との共生を図ろうとしたのである。


「だが鬼は想像から生まれた存在であり、神が生んだものではない。人間の想像は偶然の産物であり、『辻褄合わせ』は偶然によって存在する者に対し厳しい。故に、鬼が下手なことをすれば『辻褄合わせ』が働きかねなかった。そこで、鬼共は昔からいた食人鬼共に目を向けたのだ。」


 そのままで人を喰らうと天罰が下ることはわかっていた食人鬼達は、消滅するのみの並行世界に態々獲物を連れ込んでいた。世界の本線にいる人間が、本来その並行世界に存在するはずがないのに存在し、そこで死ぬ、という現象、歪みを起こし、『辻褄合わせ』を作動させ人間を本線に戻すというサイクルを利用することで腹を満たしていた。つまり、『辻褄合わせ』が人間にとっても鬼にとっても有用に働いていたのである。


 鬼は人を食らう、という伝承が人々の間に広く知れ渡っていることを鬼共は知っていた。よって、鬼共は人を喰らうことで存在を安定させるべく、食人鬼となっていった。だが唯一、『咬み痕』のある人間を喰らった鬼は、その人間と共に消滅した。恐らく、一度喰われた者が再び喰われるという現象を、限りなく予期せぬ歪みであると『辻褄合わせ』が判断し、両者を消去するに至っているのだと言われている。


「故に鬼は『咬み痕』のある人間を喰わぬのだ。喰えば最後、抹消されるからな。」


 ずず、と鬼がストローを吸う音が鳴る。しばらく、直之は食べる手を止め、何も言わなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ