神を信じない筆者がキリストという現象についてをWikiを眺めながら真面目に考えてみる(ひまつぶし)
最初に筆者のスタンスとして。
筆者は神を信じない人間である。
そもそも「信じる」という言葉自体が好みではない。
筆者にとって「信じる」という行為は、考える余地もない絶対的な物にのみ適用される。ゆえに「信じたいもの」はあっても、様々なことを知れば知るほど、信じることの出来る「不変なるもの」は減少していく。
長年、筆者にとって「信仰」とは「思考停止」と同義のものとして語られてきた。そのため、筆者自身も自分のことを宗教否定論者であると信じ、内容そのものにすら、ほとんど興味を持ってこなかった。
なので今回はWikiを眺めながら、イエス・キリストという現象について、気力の続く限り、真面目に考えてみようと思う。いつもより妙に早い時間帯に目が覚めてしまったので、ひまをつぶす程度の意味合いで。
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まず漢字表記の「耶蘇基督」から。
耶蘇はイエスを意味し、日本語で「やそ」と読む。
だが、これはラテン語の「Jesus」の中国音訳語。
音訳語をさらに日本読みに変換しているので、ほとんど意味不明となっているのが、この「やそ」である。
次に基督だが、これも音訳語なうえ、略語でもあるらしく、正式には「基利斯督」と書く。中国にいたイエズス会士による当て字のようだが、Google翻訳で基利斯督を読み上げさせると、ジーリースドゥ(Jī lì sī dū)と、なんとなくキリストとなったので、基督という略語も意味を成しているとは思えない。
前振り部分で時間を割き過ぎた。
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イエスは多くのキリスト教会派において、神の子とされる。
受肉して人の形をとった神の子。
真の神であり、真の人である救世主。
これがいわゆる「三位一体」と呼ばれる解釈の一位で、多くの会派で根幹思想とされている。だが、この考えは新約聖書を構成する書簡群の中では、明確には記述されてはおらず、後付けで聖書に付け足された解釈とも言える。
イエス自身はユダヤ教徒で、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)というユダヤの宗教家・預言者によって、洗礼を受ける。この時、初めてイエスは自分自身が神の子であることを「示唆」するような発言をしたそうだが、それを「明言」と取るかは解釈の分かれるところ。
ただ、イエスの考えの多くは、ユダヤ教指導者たちのそれとは対立関係にもあり、最終的には処刑へと至る。
キリスト教とは、彼の考えに従った弟子たちが、彼の死後に教団化させたもの。なので、ユダヤ教の中の異端宗派という側面もあるのかもしれない(事実、イエスは処刑されてはいるが破門までは、されてもいないようなので)―― などと述べると大バッシングでも受けるのだろうか、キリスト教徒たちからは。
ユダヤ教との決別は、彼の死後に弟子たちによる教団化という形で成立しているわけだが、当のイエス自身はどう考えているのか、本人に聞いてみたい部分でもある。
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おそらく実際のイエスは、様々な絵画で描かれているような白人のような風貌はしていない。弟子のパウロがヘブライ人に宛てた手紙の中でも「わが主がユダ族出身なのは明らかだ」という記述があり、また出自もパレスチナの南ユダヤ、ベツレヘムにあるのだから、もう少し丸顔であることが予想される。
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イエスの略歴。
昔は「イエスが生後8日目に割礼を受けた日」を西暦元年一月一日と定めたと言われていたが、現在では紀元前4~6年あたりが実際の誕生年であると推定される。
幼少期にユダヤ王国の統治者ヘロデ王からの迫害を恐れ、エジプトに逃れたとあり(迫害の原因はなんだ?)、のちにナザレ(=イスラエルの都市)に戻ったとされる。ヘロデ王の治世の最終年度(=紀元前4年)から考えても、彼の生まれが紀元前であることは、ほぼ間違いない。
12歳の頃には、エルサレムの神殿でラビ(=先生)と呼ばれるユダヤ教の指導者たちと議論をし、まともな教育も受けていないのに鋭い洞察で驚かせたとか、なんとか。
青年期には、父の職業と同じく、大工として働いたとされる(この時代に職業選択の自由はおそらくないため)。
ちなみに、ここら辺りの記述はWikiにはなく、言語生成AIを使ってまとめているのだが、出典の信憑性までは吟味していないので、異説はもちろんあるのかもしれない。
紀元27年頃に、ヨハネからバプテスマ(=洗礼)を受け、宣教活動を開始。
27~30年頃に十二名の弟子を得る。
30年に最後の晩餐が開かれ、4月3日にエルサレムのゴルゴダの丘にて磔刑(十字架刑)に処される(享年33~35歳あたりか)。
処刑の三日後には復活し、弟子たちに自らの教えを全世界に広めるよう「大宣教命令」を出す(これな)。
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さて、ここまで調べていて、思ったこと。
調べ始めた当初の目的は「誰がイエスの神格化を最初に始めたのか?」の部分であったが、やはりWiki程度ではそこまで深くは言及されていない。
イエス自身が自らを神の子であると宣言したという事実は、今のところは見つけられず、後世になって「そう解釈した」というものが大半か。
福音書の類も「預言的記述」ではあるが、実際には彼の死後に書かれた物ばかりで、過分に「物語化」の色合いが強く、筆者的には「原始なろう」もよろしく、ご都合主義ファンタジーの風味を強く感じ取ってしまう(幻臭)。
よくよく考えれば、イエスの教えから派生させ、教団化まで始めるような弟子たちによる後世での回顧録。思いっきり対象を偶像視している盲目的なドルオタたちが、悲劇的死を迎えた自らの推しと自らとの関係性を評伝形式で描く大スペクタクル浪漫にも近い風合い(近いか?)。ゆえに信者ごとの「解釈違い」も無数に生まれ、実像との大きな齟齬も必然的に生じる。
そして、それらの客観性皆無の評伝を読み解き、また派生解釈が産み落とされる(なろう×なろう)。
筆者が知りたいのは、イエス本人の「生の声」の部分だったのだが、これには当然、弟子たちの後世の記述の中から「多くが合致している部分」を抜き出していく作業が必要となり、それらの成果物は残念ながらWikiにはなかった(当たり前か)。
ひまつぶしに始めた考察ではあったが、考察に至る前の略歴確認だけで時間が潰れてしまったので、本稿はここまでとする(いつもどおり中途半端だな、おい)。
続きは、折を見てまたやる予定。
投稿するかどうかは、まだ分からないが。