その三 カエルがために犬は鳴く
そこに四つ足の足音が草木をかき分け静かに近づいてきた。
その三 カエルがために犬は鳴く
◇
ブラッディ・メリーと呼ばれていたヒキガエルは、自分の手を見、足を見、大粒の涙で草葉を濡らした。
怒りの叫びも、嘆きの声も、一切意味のある言葉になることは無く、メリーの喉はただただケロケロと単調な調べを鳴らすのみだった。
と、そこに四つ足の足音が草木をかき分け静かに近づいてきた。
プッチはメリーの匂いを嗅ぎながら、彼女の周りをぐるぐると三周ほど回ったあと、顔を幾度か舐め、涙を拭ってやった。
「そんなに泣くもんじゃない。干からびてカエルの干物になっちゃうぞ」
カエルになったからなのか、メリーは犬語を話すプッチの言葉が不思議と理解ができた。
「オイラ思うんだけど、命があるだけめっけもんだぞ! あの魔女とはかれこれ30年余りの付き合いになるけど、とんでもない跳ねっ返りのじゃじゃ馬の人でなしなんだ!」
プッチはだんだんヒートアップして話し出す。
「ほんの20年前なんか、ブリュー(粥)が辛かったって理由だけでコック3人を丸焼きにしたんだ! それに比べりゃ、命があるだけありがたいと思わなきゃだよ」
プッチはメリーを慰めてくれているようだった。
しかし、絶望のただ中にいるメリーにはただの気休めにしか聞こえなかった。
「さあ、さあ、これからは立派なカエルとして胸を張って生きていくことになるんだ! ちょうどいい具合にここは森だから、君の大好物の毛虫や芋虫がわんさかいるよ。好き嫌いなんかせずにたくさん食べてクソして寝る! ――これが幸せの第一の秘訣だよ。人間万事健康が第一さ」
プッチは目をつぶり、何度も頷きながらそう言った。
「じゃあ、そろそろオイラは行くよ。あの魔女を怒らせたら怖いからね。運が良ければまた会おう」
そう言い終わるや否や、プッチは来た時と同じように3~4回メリーの周りを回ったあと、メリーの顔を舐め、静かに茂みの中へと消えていった。
プッチが去った後も、森からは悲し気なカエルの鳴き声がいつまでもいつまでも聞こえていた。
◇◇
――《セデス エレメス ラーダ ヴィアン 久遠の果てより紡がれし 誓言を持ちて 神秘は解かれん レメテル(識別)‼》
呪文が完成すると、ショコラの右手人差し指の先に灯っていた青白い光が、ふよふよと浮き上がって、ショコラの眉間に吸い込まれていった。
「――識別の魔法だな。ショコラ」
ショコラは不意に名前を呼ばれて驚いた。
そして左手に持つ帳面を一瞬落としそうになったが、ショコラのわきの暗がりにたたずむプッチの声だと気づいたので、なんとか持ちこたえた。
「オイラの話が聞きたくなったのか? ならとっておきの話があるぞ! よし! 特別に聞かせてやってもいいぞ!」
プッチの目は爛々と輝き、ショコラは引きつった笑みを浮かべて半歩後ろに身じろいだ。
「3日前の朝、オイラ厠でうんちをしたんだけど、それがとんでもなくバカでかいうんちでさ、信じられないかもしれないけど――1.5mぐらいはあったんだ! で、その形がもっと驚きなんだけど、……どんな形だ思う?」
ショコラの反応も待たずプッチはまくしたてた。
「――なんと、ショコラそっくりのウンチだったんだ‼ で、あんまりショコラそっくりだったからオイラ、ウンチがショコラか、ショコラがウンチか、だんだん分からなくなったんだ――だから……今、話してるショコラももしかしたらウンチじゃないかってずっと疑ってるんだけど……お前、ウンチか?」
「ウンチなワケねえだろ! バカ‼――だいたい、お前の汚いうんち話を聞くために大事な呪文を使うかよ‼」
ショコラは眉根を吊り上げ激昂した。
「……じゃあ、何ためだ?」
キョトン顔でプッチが聞いた。
首をかしげて……本当に検討が付いていない面持ちだ。
「アサシンの闇符丁を読むためよ!」
ショコラは呆れたようにそう答えると、ペラペラと帳面をめくり始めた。
帳面に描かれた文字は確かにアルダイン(西方人)の文字であったが、一切意味をなさない言葉の羅列に見えた。しかし、識別の魔法を使ったショコラの目には、はっきりと正しい文章が重なるように浮かんで見えた。
「ビンゴよ。思った通り。これはアサシンのブラックリストね」
「おお! じゃあ載っているのか? レディーキラーが?」
ショコラは自分の体を這い上って帳面を見ようとしてくるプッチを片肘で制して答えた。
「……待って。焦らせないで……あった! 義賊カスター・ド・プリン! ……隠れ家は……バローズにある思いがけない宝亭‼」
「おお! やっと見つけたな!」
ショコラの目が冷たく輝いた。
「やっと見つけた……。ここに、あたしの愛しい夫を殺したカタキが――‼」