龍の谷
レアは馬車で龍の谷に向かった。同行者はモーリスとアンジェリーヌだ。今回はレアが行っている執務をパスカルとヤンに任せてきた。もちろんレアが確認しなければいけないものを除いて、だ。本格的にレアの後継者修行に入ったのだ。パスカルは気合が入っている。
理由は色々ある。第一に、もうすぐ行われる王家主催の夜会だ。そこで正式にパスカルを後継者としてお披露目する。もちろんヤンも同席する。そしてそこにベラも出席させるのだ。今回のピンキーの里での一件はベラを大きく成長させた様だ。というのも、里で魔鉱石を生成する時に手伝わせたのが良い影響を及ぼした様で、あの後数日は高熱でダウンしていたが、熱が下がったら覚醒していたのだ。どうやらベラが吸い上げた中に、400年前にレアが魔鉱石にして封じていたベラの魔力が混ざっていた様なのだ。そんなに多くはなかったと思うのだが、それがダークピンキーを討伐するのに放たれた膨大な魔力と共に馴染みベラの中に戻って行ったらしく、ベラの力を覚醒させる一助になった様だ。
そもそも件のベラの魔力で起きた騒動で魔力枯渇していたのもあり、どうしても全盛期のベラには到底及ばない力となっていた。それが幼児退行の原因ともなっていたのだ。レアもそれには気がついていたが、レアの魔力を定期的に吸い上げて補助したら、時間は掛かるだろうが戻るだろうと思っていた。パスカルが成人するまでには復活するだろうし、その時に婚約を発表させるので良いと思っていた。それが思いの外早く、レアとしても想像していない形で復活したため、今度の夜会での公表に踏み切ったのだ。
復活したベラはまさに地上に舞い降りた天使の様だった。黄金の髪は腰まで伸び、幼さの残る顔は小顔で色白。まさに毒の花。美しく、可愛らしく、そして妖艶にも見えるその容姿は、さっさと婚約発表しないと周囲を煩い虫が飛び回る事になってしまう。しかも、中身も少し大人っぽくなり、事あるごとにパスカルに遊んでもらおうとしがみ付く事もなくなったし、セバスチャンのバナーヌケーキをおねだりする事もなくなった。それでもセバスチャンのケーキが出てくるとウキウキしている辺り、まだまだ子供っぽいが。
そんな2人の婚約発表を屋敷で行い、その後に行われる夜会で公表する予定なのだ。その前にパスカルには辺境伯としてのお勉強をしないといけない。それを今回のレアが遠征している間に行う事になっていた。お目付役はセバスチャンだ。彼にはパスカルとヤンの他にカミーユの教育も頼んでいる。レアが引退したら、セバスチャンもレアに付いて神殿に行く事になっている。セバスチャンの後継者はカミーユだ。カミーユにはセバスチャンの知識と技術を惜しげもなく注ぎ込む事になっている。また最近は、モーリスも屋敷によく来ている。その理由はアニエスの執事としてアベラール領に向かう事になっているからだ。下が育って来ているのを機に、モーリスはギルドマスターを引退する事にしているらしい。その後はレアの側で仕えたいと思っていた様だが、レアには完璧執事のセバスチャンがいる。彼がいる以上はモーリスも形なしである。そこで、パスカルがレアの跡を継いだ時に領地の代官として向かう予定のアニエスに付いていく事になったのだ。その研修も兼ねて、今回はレアの執事として同行する事になった。
アニエスは王家に戻る気はさらさらない様だ。まあ理解はできる。領地の代官を勤めるのがもっとも良い方法だったのだ。
そして第二の理由に、パスカルをお披露目するに当たって、ちゃんと辺境伯後継者だとしておかないと貴族達からの横槍が鬱陶しいのだ。しかもご令嬢達のアタックもあるだろう。いくらレアがいるとしてもずっと一緒にいるわけではない。パスカルもそういうご令嬢達のハイエナの様な目と勢いには慣れていない。だからベラに同行してもらうのが良い。最近はアニエスからの子女教育がうまく行っている様で、対外的には楚々とした麗しいご令嬢となっている。クリストフも驚いていた。これなら夜会に出ても問題ないだろう、という事でパスカルとヤンの他にベラの分の招待状も用意させると言ってくださっている。これで牽制は問題ないだろう。まあ、この国は一夫多妻だ。パスカルの第二夫人に、とご令嬢達が賑やかだろうが、あの美しいベラを前にしてアピールする胆力のあるご令嬢なら、むしろパスカルの第二夫人に相応しいだろう。そんなご令嬢はいないだろうが。
そして最近のレアの活躍によってレアを恐れる者が減って来ており、それ故にレアの配偶者を押し込もうとする貴族が増えて来たのも理由だった。養子はいるが、実子が生まれれば後継者も養子も出し抜ける、という脳内お花畑の貴族がレアのストレスを増やすのだ。しかし弟子の筆頭と養子が婚約したとなったら話は別だ。もう婿を押し込んでも間に合わない。諦める者が殆どだろう。
そんな理由があり、レアがいない間に強化合宿よろしくの集中講義が行われるのだ。
龍の谷までは1ヶ月はかかる。そこから会談をして、もろもろを処理し終わるのに更に1ヶ月。帰りは転移魔法でサクッと帰宅できるにしても最短でも2ヶ月はかかる。そのくらいあれば教育には十分だろう。
馬車は屋敷の様なものなので、移動中はモーリスの入れる紅茶でゆったりとした時間を過ごしている。
『ふむ。このアロンティーとは美味しいものであるな。あの悲劇の茶葉がこうして味わえるとはな』
「この紅茶は我が主人が気に入っているものです。私の所にも残っているので、あと数年は安心ですな」
「とはいえ、あと数年でなくなるのよね……ま、今後はオクレール公爵の所の紅茶があるから良いけどね」
あれも美味しいのよね、と言うとモーリスは微笑んで頷く。今では月に一度、一定量のオクレールティーが届けられている。今では領地にも1/3程の量が運び込まれている。レアの紅茶好きは知られているから、様々な紅茶を手土産にレアに面会を申し込む貴族が多いのだ。もちろんそれらの紅茶も美味しいのだが、やはりオクレール領の紅茶は別格なのだ。
「確か城で飲まれている紅茶もオクレールティーでしたね」
『ふむ。あの花の香りの紅茶か。確かにあれは美味であったな。アロンティーとは違った良さがある』
「そうね。今では世界中の紅茶が来ているから、この移動中に楽しみましょう」
『うむ。楽しみじゃ!』
オクレールティー以外も決して不味いわけではないので、ストレートで飲むこともあるし、フルーツを入れてティーソーダにしたり、ケーキやゼリーにしたりもしている。移動中はスイーツは無理でもティーソーダは作れる。モーリスもセバスチャンの手解きを受けているからか料理上手だ。アンジェリーヌもそこは知っているため、とても楽しみにしている様だ。
龍の谷に到着するまであと3日となった。鬱蒼とした木々の中を抜け、バルバストル王国の背後に聳え立つ万年雪の山脈の中でも特に背の高い山の真ん中には遥か昔に噴火で出来た大きな窪みがある。その上部には常に霧が発生しており、中を見通す事は出来なくなっている。しかしうっすらと見える緑色から推察するに、霧の下には木が生えているのは分かっている。そして何度か立ち入っているレアはその中を知っていた。
『ここが龍の谷……』
「アンジェリーヌは初めてよね。この下は創造神様が保護する神族神獣が神龍が末裔、龍種が暮らしている街があるわ」
「某も中々立ち入れない場所ではあります。今回は別の様ですが」
モーリスの言う通り、目の前にある大きな門が開け放たれ、その先から牛車が現れた。牛車と言っても人間達が使う倍程の大きさで、それを引く牛も魔獣であるためとても大きい。
レア達の目の前で牛車は停まり、中から執事であろう若い男性が出てきた。烏帽子を被り、着物は赤系統で尚且つ濃い色である事から執事長クラスである事が分かる。龍の谷では冠位十二階が用いられており、紫系統は王族が、青系統は貴族が、王族使いの使用人達は赤系統を身に付けている。位が高い程に濃い色を使える。
「賢者レア・フォン・アベラール様。ご無沙汰いたしておりました」
「久しぶりね、アダン。貴方、執事長になったのね」
「はい。これもレア様に鍛えられたおかげかと」
「私こそ、神獣の末裔と訓練なんてそうそう出来ることではなかったから、良い経験だったわ。貴方との訓練なんて特に、今でも教えて欲しいくらいよ」
「ご冗談を。私の方こそ、ご教授願いたい程です」
アダンは400年前のレアが素材を仕入れる、という体で訓練相手をして貰っていた男だ。レアの訓練相手が務まる者など中々おらず、龍相手でようやく互角といった所だったのだ。それでも状況次第では龍達に勝てる辺り、レアの実力は神獣クラスだという事であるのだが。
「そしてアンジェリーヌ様。よくぞお戻り下さいました」
『うむ。妾も初めて故、頼んだぞ、アダン』
「は。もったいないお言葉です。モーリス殿、我らが龍姫をお守りいただき、感謝の念が絶えません」
アダンはアンジェリーヌを前に感涙し、モーリスに感謝の意を伝える。この調子だと、何が起きていたかは伝わっているな。
「いえ、某など何もしておりませぬ。我が主人であるレア様のご命令に従ったまで」
「それでもです。ありがとう存じます」
龍の谷に住まう龍種にとって龍姫アンジェリーヌは神にも等しい存在。それを守れなかった中で、レアの命令があったとはいえ、それに手を貸したモーリスはまさに英雄なのだ。信仰にも値する存在になっていた。
「こんな所で立ち話も何ですな。どうぞお乗りください」
アダンはそういって牛車を開ける。アンジェリーヌが乗るのに手を差し出すと、ニコッと微笑んで手を預けたアンジェリーヌにアダンは感無量の様子。こういう所がモーリスと似ているな、と密かに思っていたりする。何しろレアの乗車に手を貸すモーリスも毎回レアの手を恍惚とした目で見ているのだから。
牛車の中は空間魔法で広げられており、レアの馬車と同じくらいの広さになっている。
まあ、お分かりだろうが、これもレアが作った代物だ。テオファヌがレアの馬車を見て羨ましさのあまりに駄々を捏ねたのだ。そう、文字通りである。仕方がないので作ってはあげたが、『師匠、甘やかし過ぎていませんか?』とアニエスに飽きれ半分で言われたのは良い思い出である。
「綺麗に使っているのね」
「もちろんです。王も気に入っておられますよ。特に移動の予定がなくても牛車に乗ってお茶を飲まれる程には」
『それもどうのなのじゃ?』
アンジェリーヌは呆れた様に笑っていた。お気に入りのオモチャを手に入れた子供の様な様子に当時のレアも呆れたものだが、それだけ喜んで貰えて400年経った今でも大切にしてくれているのだから、作り手としては冥利に尽きるというものである。
中はいくつかの部屋とそれを繋ぐ廊下がロの字に作られ、その真ん中に庭園が広がっている。そう、『庭園が広がっている』のだ。そこに大きなテーブルと椅子が並べられて食事が出来るようになっている。
ちなみに当時の王国には言っていない。だって作れと言われても無理だし。この庭園を維持するのに使われている魔石は神龍の魔石なのだから。そんなものホイホイと手に入るわけがない。王太子だったアレクサンドルは煩かっただろうし黙っていた。
「出発いたします。すぐにお茶のご用意も致します」
この国のお茶はほうじ茶か緑茶だ。今回はほうじ茶だった。
「美味しいわね」
「ありがとうございます」
『うむ。紅茶とは違った味わいと香りじゃな。香ばしさがたまらぬ』
アンジェリーヌも気に入った様だ。帰りに仕入れて帰るとしよう。
「さて、龍王には何処まで話が伝わっているのかしら?」
「はい。龍姫が龍脈鉱に封じられた、という話は既に」
「その経緯は?」
「公式発表がハリボテだというのはご存じです。実際に何があったかまでは情報が足りませんでしたので……」
「なるほど」
事実を知ったら怒るだろうなぁ……
『母上のその後は?何処まで把握しておるのじゃ?』
「人間でいらっしゃいますからね。もう寿命は尽きていらっしゃるのはご覚悟の事と存じます」
『……死の真相は知らぬ、と。これは悩ましいのぉ』
「ええ。何処まで伝えるか、考えものね」
「真実の全てを知らせては世界がいくつあっても足りません」
モーリスさえ困り顔になっている。アンジェリーヌが無事だし、彼女自身がそこまで怒っていないからそれで納得……しないだろうなぁ。
「えっと……真実、とは……」
『うむ。レア殿、アダンにはまず伝えた方が良いじゃろう。その上でアダンの采配を聞いてはどうか?』
「……そうね」
とりあえずアダンに真実の全てを話すことにした。したのだが……
「……少々、王国を滅ぼしに参っても?」
「止めてちょうだい。復興途中なんだから」
『レア殿が世界の復興を創造神と確約なさっておる以上、王国を滅ぼすのは悪手じゃ。控える事を勧めるのぉ』
冷静に言っているが、レア達は冷や汗が止まらない。とてもとてもお怒りなのだ。アダンでさえこれだ。龍王がどれ程お怒りになるかなんて想像したくもない。
「なるほど。慎重になるわけですな。あの時も龍王が救助に向かおうとしたのを創造神様の神託によって思い止まった程です。そんな真実を知れば世界が滅びてしまうでしょう」
「そうよね。だからどうしようかと思って」
「こちらとしても、世界にもしもの事があっては困ります。妃様はどちらにしても崩御なさっていたでしょうし、結論が変わらない以上は真実まで知る必要はないかと思われます」
「そうね。龍王には邪神封印に尽力していたアンジェリーヌが今回の騒動で復活した。そして奥さまは既に亡くなっている。その事実だけで十分ね」
『そもそも封印のせいで妾が王太子と結ばれなんだ事も知っておるじゃろうし、今回の邪神騒動も知っておったのじゃろう?』
「はい。神託がございました。その内に親書が届くだろうから、それまでは行動を慎む様にと」
『うむ。ならば、今回の邪神騒動で邪神のエネルギーをダークピンキーの魔石に封じ込め、残ったエネルギーで妾の身体を復活させた。その真実だけで満足して貰うとしよう。妾も謀りに気がついておったのじゃから、あれは必然じゃ。事故でもないし、不意打ちでもない。妾のオクタヴィアン殿下をお慕いする気持ちに変わりはない。結果としてオクタヴィアン国王が守った王国を父上が壊してしまう事は妾の本望ではない』
時には方便も大事だ。しかも今回は嘘を吐く訳ではない。ただあえて伝えない事があるというだけだ。
「……龍姫がそれでよろしいのでしたら、私めに異論はございません」
『すまぬ。妾としても母上の話しは思う所もあるのじゃが、こと今の国王や王太子を見たらその様な事を引きずっても詮無い事なのじゃ』
「人間の寿命を考えればそうでしょう。納得も出来る話しです」
とりあえず方針は決まった。あとはほうじ茶を楽しみつつ、都までのんびりと進むとしよう。
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