第9話 皇帝は弟と権力争いをしなければならん!
玉座に腰かけたアーティスがぼそりとつぶやいた。
「争いがしたい……」
それを聞いたレイラがファイティングポーズを取る。
「え、やりますか?」
「やらないやらない! 絶対勝てないし!」
「あ、そうですか」
アーティスと殴り合いができず、残念がるレイラ。もし、やるとなったら彼女は本気でアーティスと勝負するだろう。おそらくアーティスが負ける。
「そうじゃなくて、皇帝といったら権力争いだよなと思って。血肉を分けた肉親同士でドロドロとしたやつをさ」
「アーティス様は争わなかったんですか?」
アーティスは父が亡くなり、自分が皇帝になった時のことを思い返す。
「俺が皇帝になる時は全然なかったなぁ。スムーズに戴冠してもらえたよ」
「アーティス様の戴冠式! 見たかったです!」
「そんなかっこいいもんじゃなかったけどな」
「そうなんですか?」
初めて皇帝としての衣装を着て、自分が戴冠した時のことをしみじみ脳裏に浮かべる。
「戴冠式ってさ、それ専門の人が俺に冠を被せてくれるんだけど」
「重要なお仕事ですね!」
「その人、ずっこけてまるでダンクシュートするみたいに俺の頭に冠をぶつけてさ」
「痛そう!」
「ホントに痛かったよ、あれは……。ま、なんともなかったけど」
レイラがおそるおそる尋ねる。
「それで、冠を被せた人はどうなったんですか? 大失敗しちゃって……」
「え? 別に今も普通に働いてるけど」
「アーティス様、怒らなかったんですか?」
「わざとやったわけじゃないし、別に怒ることでもないしなぁ。平謝りしてたから逆にこっちも申し訳なくなって、お互いに謝ってたよ。ぺこぺこと」
「アーティス様って心が広いんですねぇ……」
アーティスの妙な器の大きさに感心するレイラだった。
ここで話題は権力争いに戻り、
「アーティス様と皇帝の座を争える方はいなかったんですか?」
「弟が一人いるよ」
「アーティス様、弟さんがいたんですか!」
「ああ、俺より一つ年下で可愛い奴だよ」
「へぇ~、ぜひ会ってみたいですね」
レイラの言葉に、アーティスもうなずく。
「そうだ、会ってみるか!」
「いいんですか?」
「ああ、俺も皇帝になってからはほとんど会えてないし、ここらであいつと権力争いするのも悪くない!」
「やったぁ!」
宰相ボルツに目を向けるアーティス。
「お前も来るんだぞ」
「来ますよね」レイラも続く。
「なんで私が……」
「皇帝とその弟が久しぶりに会うんだぞ? 当然宰相も立ち会わなきゃダメだろ」
「うむむ、なんだかもっともらしく聞こえてくるのが悔しいですな」
アーティス、レイラ、ボルツの三人は“アーティスの弟”に会いに行くことになった。
***
アーティスの弟の家は帝都内の片隅にあった。
「お城には住んでないんですね」とレイラ。
「ああ、あいつが一人暮らししたいなんて言ったからさ」
とても皇族の家とは思えないこぢんまりとした一軒家。ただし独特な装飾が施され、おしゃれではある。
「おーい、俺だ! アーティスだ!」
ガンガンとノックするアーティス。
まもなくドアが開いた。中からアーティスによく似た金髪の青年が顔を出す。
「兄上!?」
「よう、久しぶり」
弟に対し、アーティスは笑顔で挨拶する。
「お久しぶりですな、殿下」
「初めまして!」
ボルツとレイラも続く。
「これはこれはおそろいで……とにかく中へどうぞ」
整理整頓がなされ、しっとりとした雰囲気のリビングに案内される。三人は紅茶を振舞われる。
「僕はイディス・メイギス。アーティス兄上の弟です」
「私はレイラ・ローズと申します!」
「存じていますよ、聖女様ですよね。しかし、なぜ兄上の元に?」
「アーティス様が誘って下さったんです。一緒に国をよくしないか、と」
「聖女様を直々に誘うなんて、兄上らしい。普通、皇帝は自分で動かず使者を使うよ」
「照れるな」なぜか顔を赤くするアーティス。
兄弟同士、しばらくは世間話や近況報告など雑談に花が咲く。雰囲気もくだけたものになっていく。
「兄上が立派に皇帝をやってるようで僕も嬉しいよ」
「ハハ、まあなんとかな」
「イディス様はここで何をしてるんですか?」
レイラの問いかけにイディスが答える。
「さまざまな学問を学んでいるよ。兄上の役に立つためにね」
ボルツが補足説明する。
「イディス殿下は非常に優れた頭脳を持ち、この若さですでに数々の論文を発表しているのですよ。オールマイティという言葉が相応しい方なのです」
「すごい!」
アーティスとイディスを見比べるレイラ。
「こうして見ると、イディス様ってアーティス様と似てますけど、アーティス様より眉が整っていて、鼻も高くて、目も澄んでますね!」
素朴ゆえにド直球な感想を述べるレイラ。
確かにアーティスとイディスは目や鼻はよく似ている。しかし、並ぶとイディスの方がぐんと眉目秀麗に見えてしまう。パーツの微妙な位置取りがその差異を生み出しているのだろうか。
「え!?」焦るアーティス。
「こうしてお二人が並ぶと、まるで陛下はイディス殿下の廉価バージョンに見えますな」
ボルツもニヤニヤしながら追加攻撃する。
「廉価バージョンて。せめて劣化バージョンって言えよ!」
「余計ひどくなってると思いますな」
兄を自分の劣化扱いされ、イディスもそれを否定はしない。
「その通り。兄上に比べたら、僕の方が知力、政治力、判断力、ルックス、どれも優れてると思う」
「お、おいおい。確かにそうかもしれないけど……もうちょっとオブラートに……」
兄よりも弟が優れていると皆から言われ、アーティスは青ざめる。
「でも、それでもやっぱり皇帝に相応しいのは兄上なんだよ」
「どういうことだ?」とアーティス。
イディスはこれには笑みを浮かべるだけで答えない。
やがて、アーティスは棚に置いてあるチェス盤を見つける。
「お、チェスあるじゃん! ボルツ、ちょっと勝負しないか?」
「いいですな、やりましょう」
アーティスはボルツとチェスを指し始める。もはや権力争いの件は頭になさそうだ。
期せずしてイディスと二人きりになったレイラ。
レイラは先ほどイディスが言ったことについて尋ねてみることにした。
「イディス様」
「なんだい?」
「さっき……なぜアーティス様の方が皇帝として優れていると言ったんですか?」
イディスは少し考えてから、回答を始める。
「兄上には不思議な力がある」
「不思議な力?」
「うん、なんていうか突拍子もないことをして周囲を注目させ、自然とみんなを巻き込んで、いい結果をもたらす……そんな力が」
「あ、分かります分かります!」
レイラにも心当たりはあった。
すぐ思いつきで行動を起こすのだが、強盗を職につかせたり、死刑囚を冤罪から救ったり、ゴブリンと和解したり……。
結果として、物事はいい方向に動いていた。
「私がアーティス様のおそばにつくようになってからも、そういうことはありました!」
「だろう?」
イディスは窓の外を見つめる。
「もちろん僕にも皇帝になりたいって野心があった時はあったよ。スポーツも勉強も、ゲームをやったって僕の方が上だったからね。先に生まれただけの兄上なんかに絶対負けないって思ってた」
「そうだったんですか」
「城の中庭でかけっこする時はいつも僕が勝ってた。兄上はいつも変な走り方をしてたからね」
「変な走り方?」
「千鳥足でよろよろと走るんだ。僕はある日聞いたんだ。なんでそんな変な走り方するのかって。そうしたら兄上はこう言ったんだ」
イディスが遠い目をしながら語る。
「虫とか踏まないよう走ったらついこうなっちゃう……って」
「まあ……」驚くレイラ。
「なんというか目の付け所が妙なんだよね、兄上は。“いい”というより、“妙”」微笑むイディス。
イディスはさらに昔話を続ける。
「それに、僕たちの母上は僕を産む時に亡くなってしまったんだけど」
「え……」
「大きくなってからそれを知った時、僕は落ち込んだんだ。僕のせいで母上はいないんだって。本当に死のうかと思った」
暗い表情をするイディスにレイラは何も言えない。
「でも、そんな僕に兄上は言ったんだ。『イディス、お前という立派な子をこの世に送り出せたから、母上は安心して旅立てたんだ』って。『だから何も悔やむな』って」
「アーティス様が……」
「あの時僕は分かったんだ。僕は兄上には敵わないって。だから一生懸命勉強して、僕は弟として、皇帝となる兄上を支えると決めたんだ」
イディスが後継者争いをしなかったのは、野心がなかったからというわけではなかった。
兄を支える存在になりたいととっくの昔から決めていたのだ。
「きっと兄上はいつかこの国を……いや、世界を救ってくれる、そんな気がするんだ」
「私もそう思います!」
レイラも同意する。
「レイラさん、どうか兄上を……よろしく」
「はいっ!」
レイラは元気よく返事をした。
「ちくしょおおおおおお! 負けたあああああああ!」
大声が響いてきた。
アーティスの声だ。
「ボルツ、お前は“接待プレイ”って言葉知らないのかよ!」
「知ってますが、接待は嫌いでしてね。ここまで圧勝すると気持ちいいですな」
アーティスがチェスでボロ負けしたようだ。
悔しさで奇声を上げるアーティスを見ながら、イディスとレイラはこれでこそアーティスだと笑った。
……
「じゃあな、イディス。また権力争いしようぜ」
「うん、兄上も元気で」
挨拶をして別れる兄弟。雑談をして、ボルツにチェスでボロ負けしただけだが、アーティス的には権力争いをした気分らしい。
城に戻る途中、レイラはイディスが言っていたことを思い出す。
「アーティス様!」
「ん?」
「アーティス様はもしかしたら、いつか世界を救うかもしれませんね!」
「俺がぁ~?」
ボルツは冷めた表情でこう言った。
「足をすくわれる、ならあるかもしれませんな」
「ボルツ!」
「申し訳ありません!」
「俺は足なんかいつもすくわれてるぞ!」
「怒り方がおかしいですよ、陛下……」
「ふふっ、アーティス様ったら!」
アーティスが皇帝として必要なものを持っているということは、レイラも感じていた。
いつか世界を救う。イディスの言っていたことは決して絵空事ではかもしれない、と思うのだった。