第18話 たまには宰相に休暇を与えねばな!
奴隷から侍女となった少女ミグは、皇帝の間でくつろぐアーティスに紅茶を差し出す。
ボサボサだった髪もすっかり整えられ、頭にはリボンをつけている。侍女としてのエプロン姿もよく似合っている。
「どーぞ、アーティスさま!」
「うむ、いただくとしよう」
優雅な仕草でミグの入れた紅茶を飲む。
「なかなかの味じゃないか。さては最高級の葉を使ったな?」
「ううん、その辺で買った安物」
「ハハ……ハハハ……」
アーティスは背伸びしたことを後悔する。
「ミグちゃん、一緒に遊びましょ!」
「はーい、レイラさま!」
どんな遊びかというと、組手である。
パンチが得意なレイラとキックな得意なミグは妙に相性がよく、お互いをみるみる高め合う。
そんな二人を見ながら、ボルツがつぶやく。
「とても聖女と侍女のやり取りには見えませんな」
「まあ、いいじゃないか。おかげで頼もしいよ」
「確かに……あの二人をかいくぐって陛下を害するのは難しいでしょうな」
「かいくぐったとしても……俺のメギドアソードでバッサリだがなぁ!」
「バッサリいかれないで下さいよ」
「あぐぐぐ……」
ボルツもまたこんな調子で補佐をしてくれている。
無茶なことばかりやる自分を見捨てないでくれて、ありがたいことだ。
そして、こうも思う。たまにはボルツを休ませてやりたい、と――
……
「私に休暇を?」
「ああ」
アーティスはボルツに休暇を出すと告げた。
「いつも俺の補佐をして大変だろ? だからたまには骨休めを……と思ってさ」
「なんか気持ち悪いですな。なにを企んでるのです?」
「なにも企んでないって!」
「……まあいいでしょう。陛下の心遣い、ありがたく頂戴いたします。今は大至急行わねばならない政務もありませんし」
「そうか!」
ボルツはアーティスの申し出を快く受け入れ、休暇を取ることになった。
***
ボルツが城に不在の日、帝国は穏やかであった。
政務にひと段落をつけたアーティスは安堵する。
「よかったー」
「どうしました?」とレイラ。
「今日はボルツがいないだろ。あいつがいない時に国内で大問題が起こったら危なかった。イディスだってさすがに急な事態には対処できないだろうしさ」
「そうですね。神様に感謝です!」
喜ぶ二人に、ミグが苦言を呈する。
「ボルツさまがいなくても大丈夫なようにしないとねー」
「うぐ……おっしゃる通り」
「でもアーティス様にとって、宰相様はかけがえのない人ですよね」
「まあな。俺の側近であることはもちろん、叱ってくれる父親でもあれば、年が離れてる友人なような存在でもあるし、恋人……オエーッ!」
うっかり自分とボルツが抱き合ってる光景を想像し、吐き気をもよおすアーティス。
それを見てレイラとミグは笑う。
レイラがふと思う。
「宰相様って休日は何をしてらっしゃるんでしょうね?」
「うーん、想像がつかないなぁ」
アーティスの中に一つのひらめきが浮かぶ。
「そうだ!」
「どうしました?」
「ボルツの家は知ってる。どんなことしてるかこっそり見物してやろう!」
「いいですね、それ!」
「やろうやろう!」
レイラもミグも乗り気だ。こうして三人は「休暇中のボルツ見学ツアー」に出発した。
***
ボルツの邸宅は帝都内にあるが、決して大きくはない。
本人が贅沢を嫌っているためだ。使用人の数も必要最低限にしている。
こっそり庭に忍び込んだ三人が窓から覗くと、ボルツがいた。
妻と会話をしている。ボルツの妻は穏やかな顔をした優しそうな中年女性だった。
「こんなゆっくり家で過ごせるなんて珍しいわね、あなた」
「陛下が休暇をくれてな」
「陛下……アーティス陛下よね。あなたの目から見てどう?」
「とんでもない人だよ」
いきなりとんでもない言葉が出てきて、アーティスは頭に石が降ってきたような気持ちになる。
「先代陛下と私はまさに阿吽の呼吸だったが、今の陛下は何をしでかすか分からん。まったく予測ができないよ。現に急に休暇を言い渡すのも予想外だった」
「あらま」
「この間も『奴隷が欲しい!』といってある町に行ったら、結果的に奴隷扱いを受けていた女の子を侍女にしてしまった。いやはや、何が起こるか分からん」
「ユニークな皇帝陛下なのね」
「ユニークというべきなのかなぁ」
こんな風に思われていたのか、とアーティスは顔を下に向ける。
小声でそっと励ますレイラ。
「さて、出かけるとしようか」
ボルツが自宅から出る。
すぐさまアーティスたちも後をつける。
ボルツは帝都中心部から少し離れたところに向かうようだ。
「ボルツさま、どこ行くんだろ?」
「教会にお祈りかも……」
ミグとレイラはあれこれ推測するが、ボルツが出かける先、アーティスには心当たりがあった。
この方向は――
やがて、ボルツは帝都内のある場所にたどり着く。
厳重な塀で仕切られており、外からでは敷地内を覗くことはできない。
「ここはなーに?」尋ねるミグ。
「墓だ……」
「だれの?」
「俺の父上と母上の……」
ボルツが入ってしばらくして、アーティス達も忍び足で中へ入る。
メギドア帝国では、皇帝の墓はそこまで大きく造らないというのが慣例であった。
なので、アーティスの父母の墓も石柱程度の大きさだ。そこに二人の名が刻まれている。
ボルツは頭を下げてから、墓に祈りを捧げる。
「陛下……皇后様……」
アーティスの父母に語り掛けるボルツ。
物陰に隠れて、アーティスらはその様子を見守る。
「あなた方のご子息、アーティス陛下とイディス殿下は立派に成長なさってますよ」
これにアーティスは目を丸くする。
「特にアーティス陛下は……私でも何をやるか予測できません。よくも悪くも、今までの皇帝とは違うお方といった印象です」
しかし、とボルツは続ける。
「市民にも分け隔てなく接し、何事にも興味を持ち、国内で問題があればすぐさま立ち向かい、異民族や魔物とも仲良くなってしまう。なにかこう、不思議な力を持っておられます」
アーティスは「そうかな……」と恥じ入るような顔になる。
「私はあの方ならばきっとこのメギドア帝国をより豊かにできると、国民を幸せにできると、そう信じております。むろん、私を始めとした臣下も、あの方を支えて参ります。イディス殿下もそのおつもりのようです。ですからどうかお二人とも、安らかにお眠り下さい」
祈りを終え、帰ろうとするボルツは何者かがすすり泣く声を聞いた。
「!? 誰だ!?」
ボルツは一瞬墓荒らしを警戒した。
振り向くと、アーティスたち三人が泣いていた。
「えええええ!?」
「ボルツ……俺、頑張るよ」
「感動しましたぁぁぁ……!」
「あたしも……泣けてきちゃった……」
「休みをくれたと思ったら私をつけてたんですか、陛下。まったく……」
「ごめん……」
アーティスは素直に謝る。これでは休暇を取らせてプライベートを暴きたかったと思われても無理はない。
「まあいいですよ。私と陛下の仲ですから」
「おいおい、それはプロポーズか?」
「私、妻がいるんで!」
ボルツは慌てて否定した。
それから三人はボルツの家に行き、ボルツの妻の手料理を食べた。健啖家のアーティスとレイラは特によく食べ、ボルツの妻を喜ばせた。
食事を終えたアーティスはボルツに宣言する。
「ボルツ、俺はこれからも俺らしく皇帝をやるからな!」
「ええ、望むところですよ!」
皇帝アーティスと宰相ボルツ。親子ほど年の差がある二人だが、長い付き合いになりそうである。