第16話 皇帝は若き剣闘士に勇気を与えねば!
闘技場の剣闘士たちは、専用の宿舎で訓練している者が多い。
アーティスに敗北したヒリアムもその一人であった。
「このへっぴり腰が!」
ブラッドの一味にヒリアムはイジメを受けていた。
罵倒される。使い走りをさせられる。訓練にかこつけて暴行される。
剣闘士の業界は強い者が絶対の世界である。経験を積めば、王者バイロンのように人格を備えた剣闘士になっていくのだが、未熟なうちはこういった問題が後を絶たない。
散々に暴力を受けたヒリアムを、ブラッドは立ったまま見下す。
「今日の訓練はこれで終了だ。病院送りにして、試合を棄権されてもつまらねえしな」
ブラッドは仲間を連れて立ち去る。
「う、うぐ……!」
そこに一人の男が現れた。
「立てるか?」
「あなたは……」
手を差し伸べたのは剣闘士姿のアーティスだった。
アーティスはヒリアムに水を飲ませ、落ち着かせた。
「お前、いつもあんなイジメを受けてるのか」
「は、はい……」
「やり返せばいいのに」
「やり返すだなんて無理ですよ。僕みたいな人間に……」
長年虐げられてきたのが祟り、すっかり卑屈になっている。
剣闘士に必要なものは、実力はもちろんだが「俺は強いんだ」という自信も不可欠である。自分を信じられない人間に、思い切った戦いができるわけがないからだ。
アーティスは告げた。
「実は俺、来週チャンピオンのバイロンと対戦することになった」
「ええっ!?」
ヒリアムは目を丸くした。
「バイロンさんと戦うなんて無茶ですよ!」
「なんでそう思う?」
「だって……あの人と戦うなら、少なくとも僕ぐらい簡単に倒せる実力がないと……」
自分に辛勝した程度のアーティスでは、王者バイロンの相手になるわけがない。ヒリアムはそう忠告した。
「だけど俺はやるよ。だって、自分に自信があるからな!」
こう言い切るアーティスに、ヒリアムは圧倒されてしまう。
「すごい……」
「すごいだろ」歯を見せて笑うアーティス。
「僕にはもう、あなたみたいな自信を持てる気が……」
「自信なんてものは人それぞれだしな。それより、今日の夜ヒマか?」
アーティスはいきなり話題を切り替えた。
「ええ、まあ。特に予定はないです」
「だったらさ、俺の家でパーッとやろう。ちゃんとした自己紹介もしたいしさ。な?」
「は、はい……」
強引なアーティスの誘いを、ヒリアムも断ることはできなかった。
宿舎を出て、二人は歩いて“アーティスの家”まで向かう。
帝都メランの中心部にたどり着く。
「あなたの家、こんないいところにあるんですね」
こう口にするヒリアムは、まだアーティスをどこか裕福な家の人間程度に思っている。
「もうすぐ着くぞ」
だんだんとヒリアムの顔色が白みを帯びていく。
なぜなら、明らかにある場所に向かっているから。
「あの、これって……帝国のお城ですよね……」
「そう、あれが俺の家だ!」
帝国の城を「家」と言い切るアーティスに、ヒリアムは困惑する。
「あの、冗談ですよね?」
「冗談言ってる顔に見えるか?」
アーティスの顔は真剣そのものだった。
「あなたはいったい……!」
待ってましたとばかりに、アーティスは自己紹介する。
「メギドア帝国皇帝アーティス・メイギスだ」
「な……!」
失神しそうになるヒリアムだったが、あわててアーティスが体を支える。
「危ないな。なにも倒れることはないだろ」
「で、で、でも! 皇帝陛下が剣闘士だったなんて……! しかも僕と対決を……!」
「俺はよくこういうことするから、あまり気にするな。それより、家の中を案内するよ」
本当に家の中を案内するノリで、アーティスは城内を案内する。
一生入ることなんかないと思っていた城内の荘厳さに、ヒリアムは圧倒されっぱなしだった。
さらには――
「宰相のボルツと申す。おぬしと陛下の戦いは観戦していた」
「聖女レイラです! 今はアーティス様の元で世の中をよくしようと勉強してます!」
一生出会うことすらないと思っていた宰相や聖女とも面識ができてしまう。
食事ももちろん、宮廷料理が出される。緊張で味なんか感じないと思いきや、肉も魚も舌がとろけるほどに美味しかった。
食事を終え、ヒリアムは当然の疑問を口にする。
「皇帝陛下、あなたはなぜ僕なんかにこれほどのことを……」
「ん~、なんでだろうな。剣闘士デビューの相手だったから、せっかくだからお友達になりたかったんだ。ほら、皇帝なんて職業だと同世代の友人なんてなかなかできないし」
「めっそうもない! 友達だなんて……!」
「ん? 俺と友達になるのは嫌か?」
「いえ、そうじゃなくて……」
「分かってるよ。とりあえず気持ちを受け取ってくれればいいさ。それに……」
アーティスの顔つきが変わる。
「皇帝である俺が権力を使えば、お前をイジメてるあの連中なんかどうとでもできる。だけど、それはやっちゃいけないことだと思う。剣闘士には剣闘士の世界があるし、お前もそれは嫌だろう」
「はい」
ヒリアムははっきりと答えた。この若き剣闘士はアーティスによる救済を望んでいない。
「やっぱりお前は俺が見込んだ通りの男だ」
ニヤリとするアーティス。
「だから、お前……ブラッドに勝て」
「……!」
「皇帝としてのじゃない。友達としての願いだ。あいつをブッ倒して……あいつらを見返せ!」
ヒリアムの中で何かが弾けるような感覚があった。
皇帝という雲の上の人間が自分を認めてくれている。自分を激励してくれている。自分に期待してくれている。これが自信にならないわけがない。
「勝ちますっ!」
「よく言った!」
「その代わり、皇帝陛下も勝って下さいね! あのバイロンさんに!」
「ああ、皇帝だってことを観客の前でバラして、華々しくチャンピオンを倒してやる!」
年は近いが身分は違いすぎる二人。そんな二人が“友人同士”として約束を交わした。
***
試合当日、闘技場の控え室にて、ヒリアムは落ち着いた態度で出番を待っていた。
「よう、ヒリアム」
話しかけてきたのは宿敵ブラッド。
未来の闘技場スターと噂される、若手ナンバーワン剣闘士。ヒリアムに負けるとは微塵も残っていない。
「せっかくメインどころで試合を組まれたし、今日はてめえをボコボコにしてやるぜ。せいぜいいい引き立て役になってくれよな」
しかし、ヒリアムは黙っている。
「おい、何とか言ったらどうだ! シカトしてんじゃねえぞ!」
すると、ヒリアムは――
「悪いけど、今日は僕が勝つ」
「なにい!?」
ただならぬヒリアムの迫力に呑まれ、ブラッドはそれ以上何も言えなかった。
……
興行は進み、今日の試合は残り二つ。いよいよヒリアムに試練が訪れる。
観客の熱気と野次に包まれつつ、ヒリアムとブラッドは試合場で睨み合う。
「てめえ、控え室での暴言、ここで返してやるから覚悟しな!」
「望むところだ!」
戦いが始まった。
ブラッドが踏み込む。若手トップといわれるだけあって凄まじい猛攻で、ヒリアムは防戦一方となる。
このままアーティスとの戦いのように、剣を叩き落とされてしまうかと思ったが――
「あの青年、落ち着いている……」と観客席のボルツ。
「はい、余裕があります。全ての攻撃に落ち着いて対処してますね!」レイラも戦況を見抜いている。
「クソがっ!」
攻めているブラッドの方に焦りが生じる。
これだけ攻めているのに、なぜ守りを崩せない。しかもこんな格下相手に。
焦りは冷静さを奪い、冷静さを失えば当然、攻撃の組み立てが雑になる。
そして、その雑になる瞬間を今のヒリアムは見逃さなかった。
肩へ稲妻のような一閃。
「ぐあああっ!」
この一撃でブラッドは崩れ落ち、動けなくなった。勝負ありである。
連敗記録を伸ばしていた若手が、未来のスターに土をつけた。
メイン試合の一つ前だったこともあり、まさかの大金星に観客が沸き上がる。
「すげえぞー!」
「あのブラッドに勝っちゃうなんて!」
「やるじゃねえか!」
声援を受けるヒリアムの表情からは、かつての気弱さは消え失せていた。
「ありがとうございます、皇帝陛下……!」
……
メイン試合、アーティスvsバイロンが行われる。
観客は当然、無名剣闘士なのにバイロンに挑むアーティスに疑問を持つ。
通常、王者への挑戦権は幾多の戦いを勝ち抜いて得られるものなのだ。
「誰なんだ?」
「アーティス……どこかで聞いたような。誰だっけ……」
「そんなに強いのか?」
疑問に答えるように、アーティスは満を持して剣を掲げた。
「観客諸君!」
観客はぎょっとする。
「俺はメギドア帝国現皇帝アーティス・メイギスだ!」
この名乗りに、皆がどよめく。
客席のボルツはハラハラしており、レイラは拳を振り上げて喜んでいる。
「俺がこうして剣闘士になったのは、闘技場興行がどういうものか知りたかったためだ。やはり自分で体験するのが一番だからな」
観客が静まり返る中、アーティスは続ける。
「闘技場興行、実に素晴らしいものであるとよく分かった! これからは俺ももっと観戦したいと思うし、帝国としてももっと盛り上げていきたいと思う! 闘技場は最高のエンターテインメントだ!」
アーティスの宣言に観客が総立ちになり、歓喜の声を上げる。今闘技場の主役は紛れもなくアーティスである。
「わぁっ、みんな熱狂してますよ!」レイラが喜ぶ。
「陛下のくせに……」なぜか悔しそうなボルツ。
アーティスは剣を下ろす。
「そして今日、俺は皇帝権限で王者バイロンと試合させてもらうことになった! 市民たちよ、俺と王者の試合を心ゆくまで楽しんでくれ!」
今の演説を聞いたバイロンも剣を構える。
「この闘技場がこれほど沸いたのは初めてですよ、陛下。正直、嫉妬すら覚えます」
「ありがとう」
「失礼ながら、あなたがこれほどの皇帝だとは思いませんでした。剣闘士アーティス様、存分に戦いましょう!」
「おう! 本気で来い!」
これまでバイロンはアーティス相手に手加減した戦いをしようと決めていた。
しかし今、アーティスという皇帝を心の底から認め、己と雌雄を決するに値する男だと判断した。
皇帝vs闘技場王者、誰もが見たい戦いが始まった。
……
アーティスは医務室にいた。ベッドに横たわっている。
「いだだだ……」
レイラが手をかざし、アーティスを癒やす。
「アーティス様、しっかり! 傷は浅いです!」
闘技場支配人フェリペは号泣し、
「皇帝陛下~!」
王者バイロンは土下座する。
「申し訳ありませんでしたッ!」
ボルツはそんな二人に声をかける。
「気にするな。全部陛下が悪いのだから」
ちなみにアーティスvsバイロンは一瞬で終わってしまった。
演説で勢いに乗ったアーティスが無策で突撃をして、カウンター気味にバイロンの一撃を受けて失神。
今、アーティスは治療を受けているという状況である。
「ボルツ……」
「なんでしょう、陛下」
「俺が負けた後、観客たちの反応は……?」
「陛下は開始5秒でKOされまして、どうやら闘技場最速記録なようですよ。みんな爆笑してました」
これを聞いて、アーティスはニヤリと笑う。
「そうか……。国民に笑顔を届けられて、よかった……」
「そうですよ、アーティス様は最速です! 最速皇帝なんです!」
レイラもとにかく“最速”であることを褒め称える。
「あと……ヒリアムを呼んでくれるか? 少し二人で話をしたい」
「承知しました」
すぐさまヒリアムが連れてこられる。ブラッドに勝利したことで、すでに若獅子のような風格が備わっている。
「皇帝陛下……!」
「悪かったな、約束果たせなくて」
「いえ! そんな……!」
「だけど、お前ならもう大丈夫だ。これからも友達として、そして一ファンとして、お前を応援するよ」
「はいっ! 僕……必ずチャンピオンになってみせます!」
アーティスは確信する。ヒリアムはきっと闘技場のスター選手になれると。
その思惑通り、ヒリアムは連戦連勝し、誰もが認める若手剣闘士に成長していくのである。