第15話 闘技場で大活躍する皇帝というのも悪くないだろ!
玉座で新聞を読むアーティス。
「ふーん、今は闘技場観戦がブームなのか」
レイラが相槌を打つ。
「そうですよ。私も観に行ったことがありますけど、すごい迫力で!」
聖女は闘技場観戦なんてするものじゃない、と近くに待機しているボルツは内心思う。
「そんなにすごいのか」
「トップクラスの剣闘士となると、まさに英雄ですよ! ワーワーキャーキャー騒がれて!」
「英雄……!」
アーティスの目がピクリと動く。
さすがの宰相ボルツ、すでにこの時点で次の展開を予測している。
「ボルツ!」
「なんでしょう、陛下」
「俺が何を言うか、当ててみ」
ボルツはうなずくと、
「『俺も剣闘士になる! 皇帝が剣闘士なんてかっこよすぎだろ!』ってところでしょうか」
「す、すごい……俺の言い方まで当てやがった」
あまりにも正確に当てられ、アーティスはかえって怖気づく。心なしか声まで似てた気がする。
「宰相様すごいです! アーティス様のことなら何でも分かるんですね!」
ボルツは苦笑いする。
「こんなの当ててもあまり嬉しくないですがね」
「ボルツ、お前は反対か?」
「当たり前でしょう! 皇帝が剣闘士だなんて! どこの世界にそんな皇帝がいるんですか!」
「いやー、探せばきっといるって」
「いませんよ!」
「まあ落ち着け、ボルツ。俺も思いつきだけで言ってるわけじゃない。考えてもみろ」
「え?」
「闘技場興行は今大いに流行ってるんだろ? そこに皇帝がやってきて、剣を振るうなり演説するなりしてみろ。観客は沸き立ち、皇帝の支持率アップ間違いなしだ! そうなればさらに国民は一丸となってメギドアはさらに強くなる!」
「ホントそれらしいこと言うのが上手くなりましたな……」
呆れつつも、ボルツはアーティスの弁にも一理あることを認める。
「私もアーティス様の剣闘士姿、見たいです!」
拳を握り締め、レイラは興奮している。見た目は淑女だが、活発でおてんばな乙女である。
「そうだろう。というわけで闘技場にしゅっぱーつ!」
***
アーティスらは闘技場にやってきた。
頑強な石造りの円形闘技場で、ここでは日々剣闘士による戦いが繰り広げられている。
とはいえ太平の世にあるメギドア帝国で、血を見たいなどという観客はいない。試合で使われる武器は切れ味のない模造剣であり、負けた選手が死んでしまうということはまずない。
それでもなお観客がエキサイトできるのは、剣闘士たちの日々の稽古のたまものであり、彼らが醸し出すスター性によるものといえるだろう。
そんな明日のスターを目指す剣闘士がひしめく舞台に、皇帝アーティスは足を踏み入れる。
闘技場の一室で三人を出迎えたのは闘技場の支配人であるフェリペ。
口髭が特徴的な中年紳士で、人気興行を仕切るに相応しい才覚の持ち主である。
「ようこそいらっしゃいました、皇帝陛下、宰相閣下、聖女様」
「そう歓迎されると照れるな」
「聖女様だなんて……うふふふ」
およそ皇帝と聖女らしくないリアクションをする二人に、フェリペは面食らってしまう。
「あちらにいるのが、闘技場現王者であるバイロンです」
「バイロンと申します。以後お見知りおきを」
大柄で彫りの深い顔をした、見るからに屈強な剣闘士がひざまずく。
「強そうだな……ゴランと勝負させたい」
「気になりますね! 見たいです、軍団長vs闘技場王者!」
「何を言ってるんですか、二人とも」
「でもお前も気になるだろ? ボルツ」
「……気になります」
ボルツも正直だった。強い奴と強い奴はどちらが強いのか。これは男の本能なのだから仕方ない。
さっそくアーティスは自分の要求、というか欲求を話す。
「俺を剣闘士にしてくれ!」
てっきり闘技場見物が目的だと思っていたフェリペは驚いてしまう。
「皇帝陛下を剣闘士に……!?」
「闘技場興行は盛り上がってるというからな。剣闘士というものがどんなものなのか、自分の身で体験してみたいんだ」
「なるほど……」
皇帝に闘技場のことを知ってもらうのは悪いことではない。
闘技場を気に入ってもらえれば、国からの援助も期待できる。
フェリペはすぐさま頭の中でそろばんを弾き終えた。
「では、剣闘士との試合を組みましょう」
「できれば強い奴とやりたいな。例えばそこのバイロンとか」
「わ、私でございますか!」
アーティスに名指しされ、バイロンも動揺する。数々の強敵と戦ってきた彼だが、自国の君主と戦うなどさすがに想定していなかった。
「いきなりチャンピオンとかなにを考えてるんですか。フェリペよ、あまり強くない剣闘士にしてくれ」
ボルツの言葉にフェリペはうなずく。
アーティスはもう一つ注文をつける。
「ああ、そうそう。俺が皇帝だってのは観客や他の剣闘士には内緒な」
「なぜでございますか?」とフェリペ。
「変に遠慮とかされて、俺が勝っちゃっても勝った気がしないだろ?」
この言葉に――
「さすがアーティス様! 正々堂々の騎士道精神ですね!」喜ぶレイラ。
「あなたは遠慮されても負けるでしょ……」ボルツは小声でつぶやく。
かくしてアーティスの剣闘士デビューが決まった。
さすがに今日の今日試合をするというわけにはいかないので、試合は後日行われることとなる。
***
数日後、アーティスは剣闘士の格好で闘技場の選手控え室にいた。
今日は剣闘士デビューの日、珍しく気合の入った顔つきをしている。
係員が呼びに来る。
「皇帝へい……いや、剣闘士アーティス! 試合だ!」
「おう!」
アーティスが椅子から立ち上がる。
模造剣を持ち、アーティスはそのまま試合場に姿を見せた。
アーティスが皇帝だというのは伏せているので無名剣闘士のデビュー戦ということになるのだが、それでも大歓声が彼を包む。
新人に対する期待、中には罵声も混じっている。しかし、不思議と罵声すら心地よかった。
大勢の注目が自分に集中するという快感を存分に味わっていた。
「これが……闘技場か。なかなかいいものだな」
満席の大観衆を目の当たりにし、アーティスのテンションも上がる。
観客席にはボルツとレイラの姿もあった。
「アーティス様、頑張れー! 勝ってくださーい!」
「絶対勝てないでしょうな」
「宰相様、なんてこというんですか!」
さて、アーティスの対戦相手は――
ヒリアムという若手剣闘士だった。黒髪の至って普通の青年といった風貌。
剣闘士にしては気弱そうで、覇気のない顔つきをしている。アーティスが睨みつけると、すぐ目を逸らすほどに。
実況が試合前の期待を煽る。
「謎の新人剣闘士アーティスのデビュー戦を迎え撃つは、若手剣闘士ヒリアム! いったいどんな戦いになるのかァ! 注目の一戦です!」
新人と若手の試合などさして注目することもないが、そこを沸き立たせるのがプロの技である。
「両者、構えて!」と審判。
アーティスが剣を突きつけ、宣言する。
「悪いが勝たせてもらうぜ」
ヒリアムはおどおどしている。目も合わせない。
「始めっ!!!」
合図がかかり、試合が始まった。
アーティスは猛然と突進した。
「いっけーっ!」と叫ぶレイラ。
「あ、ダメだこれ」早くも主君の敗北を予感するボルツ。
しかし、アーティスが優勢だった。
デビュー戦の興奮で、アーティスはひたすらに剣を振るう。相手のヒリアムは防戦一方で、手を出せない。
自分に勝機があると分かるとアーティスも俄然勢いがつく。いざという時は猛獣にも立ち向かえる胆力がここで生きる。剣の振りに鋭さが増していく。
「いけっ、いけっ!」拳を振り回すレイラ。
「信じられん……!」目を丸くするボルツ。
やがて、アーティスの剣がヒリアムの剣を叩き落とし、勝敗が決した。
「勝者アーティス!」
大歓声が沸き起こる。
アーティスの剣闘士デビューを知るのはボルツとレイラを除けば、闘技場運営の人間のみ。観客の中で、これが自分たちの住んでる国の皇帝だと知る者は一人もいないだろう。
「アーティス様ー!」テンションが上がりすぎて手足をバタバタさせるレイラ。
「こんなバカな……! ボロ負けして『闘技場は懲り懲りだよ~』オチになるものと……!」
これはきっと夢だと、ボルツは自分の頬をつねる。何度つねっても痛かった。
しかし、しばらくは勝利の美酒に酔いしれていたアーティスも、“あること”に気づいていた。
「おい、ヒリアムとやら」
「は、はい」
「お前、俺のこと知らないよな?」
「知らないもなにも、今日会ったばかりですけど……」
やはりアーティスが皇帝であることは知らないようだ。
「だったらなんで手を抜いた?」
「へ?」
「いや正確には……“全然実力を出せてなかった”というべきか」
「そ、そんなことないですよ。失礼します!」
試合場を出ていくヒリアムを、アーティスは密かに後をつけた。
***
試合を終えたヒリアムは、控え室で他の剣闘士たちからなじられていた。
「ヒリアム、今日もひでえ戦いだったな!」
「うう……」
「あんなよく分からねえ新人に負けるなんて、ホント終わってるよお前は!」
たちの悪い剣闘士集団から、嘲笑と罵倒を浴びせられるヒリアム。
グループのリーダー格であろう赤髪の剣闘士が言う。
「来週はお前とのカードを組まれてる。ボッコボコにしてやるから覚悟しな!」
「は、はい……」
ヒリアムはガタガタ震える。戦う前から勝負が見えているとはまさにこのことだ。
おそらくずっとこんなイジメを受けているのだと想像がつく。
アーティスはため息をついた。
「こういうことか……。これじゃ実力なんか出せるわけないな」
……
アーティスはその足で闘技場の支配人フェリペのところに向かう。
今日の対戦相手ヒリアムについて問いただすためだ。
「ヒリアムは若手でして、えぇと、その、勝率は……」
「よくないんだろ。あの戦いぶりを見れば分かる」
自分にそんな剣闘士をぶつけたことを、アーティスは責めるつもりはない。
「ところで、来週ヒリアムと戦う奴はどんな奴なんだ?」
「ブラッドと申しまして、若手の中ではトップとされる剣闘士です。将来的にはスター選手になるでしょうな」
「ヒリアムとそのブラッド、どっちが勝つと思う?」
「それはもうブラッドかと……。奴にしてみれば、もっと大きな試合の前の景気づけみたいなものです」
「ありがとう」
弱小剣闘士であるヒリアムを戦わせたことをフェリペは後悔していた。
「あんな弱い奴を当てるなんて俺を侮辱しているのか」と皇帝アーティスが怒れば、闘技場を潰される可能性すらある。もっともアーティスは別に怒ってはいないのだが。
ここでアーティスの機嫌を損ねたらアウトだと、フェリペは考えを巡らせる。
「皇帝陛下!」
「ん、なに?」
「私にできることであれば、なんでもいたします!」
突然の提案にアーティスも驚いた。
「え、ホントに?」
「ええ、どんなことでもいたしますとも!」
降って湧いたような話に、アーティスはあるアイディアを思いつく。
「闘技場興行って、基本的に最後の方にやる試合がメインなんだろ」
「そうなりますね」
最初の方の試合は新人や若手同士の試合が組まれ、後になるほど人気選手の出る試合が多くなる。そうでなければ観客が最後まで観てくれないからだ。
「じゃあさ、来週の興行のメイン試合は俺とチャンピオンの試合にしてくれ!」
「それぐらいでしたらなんとか……」
普通はデビューしたての剣闘士が王者と試合を組まれるなどあり得ないが、支配人は二つ返事で引き受けた。これで皇帝の機嫌が取れるならば安すぎる。
皇帝vs闘技場王者のカードがあっさり決まった。
「それともう一つ」
「なんでしょう?」
「その一つ前の試合は、ヒリアムとブラッドの試合にしてくれ」
若手同士の試合をそんなメインどころに据えるというのも滅多にない話である。
アーティスの出した二つの条件、フェリペは飲まざるを得なかった。