第14話 帝国軍の訓練に参加して、皇帝の威厳を見せつけてやる!
帝都の訓練所で兵士たちが厳しい訓練をしている。剣を振り、槍を突き、汗を流す。
アーティスは真剣な眼差しでそれを見つめる。
「ほぉ~、ふむ~、なるほど~」
兵士たちの一挙手一投足に声を上げる。横で「うるさいな……」と思う宰相ボルツ。
「今日も我が帝国軍は規律正しく、精強だな!」
「それはもう。なにしろあのゴランが軍団長ですゆえ」
メギドア帝国が大国として君臨しているのも、この強靭な帝国軍のおかげといって過言はない。
「……そうだ」
何か思いついたアーティス。ボルツは嫌な予感がした。
「俺も帝国軍の訓練に参加する!」
「ホワイ!?」
「皇帝自ら訓練に参加すれば、士気は高まるし、軍も引き締まって、帝国軍の戦力は二倍……いや三倍になるって寸法よ!」
「1/2にならないことを祈ります……」
「何か言ったか?」
「いえ」
「ところでボルツも――」
「絶対参加しませんよ!」
「いいじゃないか、宰相だって鍛え直した方がいい」
「結構です!」
今回ばかりは強く断るボルツ。ほとんど武器も握ったこともない身で、軍事訓練は厳しいものがあるだろう。
「分かったよ。じゃあ、レイラー!」
レイラがすぐさま飛んできた。呼ばれたことがよほど嬉しいのか、満面の笑みだ。
「なんでしょう、アーティス様?」
「俺と一緒に帝国軍の訓練に参加しないか?」
「レイラ殿は聖女ですよ。するわけが……」
「します!」
「すると思ってました」
ヴィルト族の狩りにすら参加した聖女が、今更軍の訓練に拒否反応を示すはずもない。
「さすが聖女、では一緒にゴランのところに向かおう」
「はいっ!」
「行ってらっしゃいませ……」
見送るボルツとしては気がかりであった。
果たして訓練についていけるのだろうか。レイラではなく、アーティスの方が。
***
帝国軍団長ゴラン・ディゴス、重い鎧をまとったベテラン軍人。
軍の司令官であり、かつてアーティスが「世界征服しよう!」と軽い気持ちで口にしたところ、本当にその通りに動こうとした過去がある。
国家や皇帝というものに絶対の忠誠を誓う男である。
そんなゴランにアーティスは新たな命令を下す。
「ゴラン、しばらくの間俺とレイラを帝国軍に入れてくれ!」
「承知しました」
「相変わらず即答だな。ありがたいけどさ」
「私は軍を預かる身、つまり謀反すらできてしまう立場です。皇帝陛下の命令に尽くすのは当然のことだと考えております」
「な、なるほど……」
単に無機質に命令に従っているわけではなく、自分なりの信念があったのかと納得するアーティス。
「陛下、レイラ殿、さっそく軍に加わって頂きましょう。ビシビシいくのでお覚悟を」
「分かった」
ゴランの迫力満点の目に射抜かれ、一瞬後悔するアーティスだった。
さっそく帝国軍の訓練に加わる二人。
雲の上の存在である皇帝と聖女の登場に兵士たちはざわつくが――
「陛下が来られたぞ」
「マジ!?」
「聖女様、お綺麗だぁ~」
これをゴランが一喝する。
「静かにせんかぁっ!!!」
一瞬で場が引き締まる。おそらく一番驚いたのはアーティスだろう。
「お二人はしばらく軍の訓練を経験したいそうだ。決して気を緩めるな! 陛下の前でだらしない姿を見せてはならんぞ!」
「はいっ!!!」
ゴランのあまりの迫力にアーティスは青ざめる。
「ボルツより怖い……」
一方、レイラは好奇心をそのまま顔に出している。
「これが帝国軍なんですね! くぅ~、ワクワクしてきました!」
なぜかファイティングポーズを取っている。
「レイラも怖い……」アーティスはぼそりとつぶやいた。
とにかく二人とも兵装に着替え、訓練に加わることになった。
「腕立て伏せ、始めっ!!!」
ゴランの命令で腕立て伏せが始まる。
「くっ! くっ!」懸命にこなすアーティス。
「よいしょ、よいしょ」独特のリズムのレイラ。
特に回数の規定はない。己の限界まで続けるのが帝国軍伝統の訓練法である。敵は己の中にこそあるのだ。
「あ、ヤバイ……きつくなってきた……」
早くもペースが遅くなってきたアーティス。日頃から熱心に鍛えているわけではないので、こうなるのは当然だった。
「レイラ、悪い……俺ダウン」
「はい、ゆっくり休んで下さい!」
アーティスは腕立て伏せをやめようとする。
しかし、周囲の帝国兵は誰一人としてペースを乱していない。
「……」
これを見てアーティスの気も変わる。
「いや……みんな帝国を守るために頑張ってるんだ。俺だって少しは……!」
「アーティス様、無茶しない方がいいですって!」
「皇帝は無茶してナンボよぉ!」
腕立て伏せを続行する。歯を食いしばり、何度も何度も。
しかし、心がけは立派でも――
「はうっ!?」
「アーティス様!?」
「う、腕がビキッと……!」
「しっかりして下さい! すぐ癒やしますね!」
レイラに癒やされるアーティス。どうにか事なきを得る。
そんなアーティス達を無表情で見つめるゴラン。
アーティスは「俺、絶対情けないと思われてる……」と落ち込むのだった。
続いてはランニング。
訓練所の周辺をひたすら走るという訓練。
レイラはいつもの聖女としての白いローブ姿で走るつもりらしい。
「お前、それで走るのかよ」
「はい、これは私のユニフォームみたいなものですから! こっちの方が走りやすいんです!」
合図とともにランニング開始。
「うおおおおおおっ!!!」
猛ダッシュするアーティス。トップに躍り出る。
実に分かりやすいペース配分だった。持久走でこういうことをする人間は当然――
「はぁ、はぁ、横腹が痛い……!」
あっさりペースダウンする。
「大丈夫ですか?」
まだまだ余裕そうなレイラ。
「あ、ああ。悪いんだけど俺の横でお腹を癒やしながら走ってくれないか」
なかなかの無茶振りをするアーティスだが、レイラは快く引き受ける。
「分かりました! さ、走りましょう!」
「この程度の腹の痛み……ボルツの胃痛に比べれば……!」
「宰相様、いつもお薬飲んでますもんね」
へとへとペースでありながらも、どうにか走り切るアーティスだった。
「今日の訓練はこれまで!」
ゴランの命令で兵士たちは解散する。
「じゃ、ゴラン……明日も頼むわ……」
「承知しました」
レイラによりかかるアーティス。汗だらけの皇帝を、レイラは嫌な顔一つせず受け入れる。
「悪いな……」
「いえいえ、私なんかでよければ! いくらでもよりかかって下さい!」
よろよろと帰るアーティスを、ゴランは無表情で眺めていた。
***
翌日以降もアーティスは政務の合間を縫ってはレイラと共に訓練に参加した。
筋トレをし、走り込み、時には他の兵士と立ち合う。
アーティスが訓練用の木剣を持ち、若い兵士に試合を挑んだ。
「本気でやれよ、本気で!」
「よろしいんですか?」兵士が確認する。
「ああ、ただし俺が皇帝だということはどうか忘れないで欲しい」
「えええ……」
訓練ではもちろん怪我人も出る。そういう時はレイラの癒しの力が役に立った。
「うわぁ~、こいつ気絶してやがる」
「レイラさん、来て下さい!」
「はーい、ただいま!」
気絶から立ち直った兵士は、
「あ、ありがとうございます!」
穏やかな笑みを称えた銀髪の聖女、レイラの美しい容姿に見とれてしまう。
しかし――
「よかったです! そうだ、私とボクシングしません?」
「いや、それはちょっと」
外見と中身のあまりのギャップに戸惑うのだった。
二週間ほどが経ち、アーティスの帝国軍体験も終わりを告げる。
「陛下、レイラ殿、お疲れ様でした。軍でやっている訓練は一通り体験したことになります」
「楽しかったぞ、ゴラン」
本当はきつかったが、アーティスは強がる。体中が筋肉痛である。
「貴重な体験ができました!」
レイラは心底楽しそうだった。
二人に敬礼するゴランに、アーティスは「ところで」と切り出す。
ゴランに対してどうしても伝えたいことがあった。
「お前は軍を預かる身だから俺には絶対従うと言ったが、たまには好きな事してもいいんだぞ」
「そういうわけには参りません」
アーティスなりに軍団長に気遣いをしたつもりだが、ゴランも強硬である。
皇帝に好きなことをしてもいい、と言われてもするつもりはないらしい。
アーティスはそういうつもりなら、と攻め方を変える。
「だったら命令だ。何でもいい。今から一つ、お前のやりたいことをやれ」
軍団長にすら有無を言わせない迫力。時折アーティスはこういった面を見せる。隣に控えるレイラも緊張の面持ちとなった。
「よろしいのですか」
「ああ、何をやったっていい。俺が許す」
「かしこまりました」
ゴランも心を決したようだ。
アーティスはもし「あなたを殺して皇帝になりたい」とかだったらどうしよう、と思ってしまう。だとしたら、なるべく痛くないように頼む。あとレイラは見逃してくれ。物騒な思考が高速で駆け巡る。
「アーティス陛下」
「な、なんでしょうか」敬語になってしまうアーティス。
「あなたはすごい!」
「へ!?」
「先代陛下は名君であられました。しかしながら皇后様を亡くされ、ご自身も体調を崩され、無念のうちに亡くなられてしまった。その後を継ぐという重責、並々ならぬものがあったことでしょう」
アーティスは自分が皇帝になった時のことを思い出す。
父は名君だった。少なくとも在位中、国内で大きな問題は起こらなかった。が、元々体が弱く、さらに妻でありアーティスやイディスにとっては母である皇后を失ったことが決定的だった。
皇帝という激務は父の寿命を縮め、ついには崩御してしまった。
アーティス・イディス兄弟はさいわい健康に関しては父のものを受け継ぐことはなかった。医者のお墨付きである。それは父母の愛情のなせるわざだったのだろうか。
のんきな性分のアーティスとて不安は大きかった。だが、兄を立ててくれるイディスや、ボルツを始めとする優秀な重臣たちのおかげで今までどうにかやってきた。そのわりに色々と奇行もやらかしているが。
「重鎮であるボルツ閣下とも常に行動を共にし、時折町に出ては市井の人間とのコミュニケーションを大事にしておられる」
「う、うん」
「さらには自ら教会に出向き、聖女レイラ殿と協力関係になられた」
「そうなんですよ!」レイラがアーティスの腕にしがみつく。
「先日はあのヴィルト族の元に向かい、彼らと歴史的な対話を果たしたとうかがっております」
「歴史的……対話ねえ」
狩りや食事を楽しんだだけという気もしたが、言うのはやめておいた。感激している人間に水を差す趣味はない。
「そして、今また帝国軍の訓練に参加して、兵士達の士気を高められた。これでより一層、帝国軍は強くなれます」
褒められるのは大好きだが、こうまでベタ褒めだとアーティスもむずがゆさが勝る。
「陛下は皇帝という重責をよく果たしておられる。ご立派です!」
「あ、ありがとう!」
「私のやりたかったことは以上です」
「へ?」
「一度、陛下を褒めたかったのです。しかし、臣下が君主を褒めるなど、失礼極まりない行為ですから」
「そんなことは……。俺は褒められて伸びるタイプだし」
「でしたら何よりです。陛下、どうかこれからメギドア帝国をよろしくお願いいたします」
「……任せろ!」
力強く答えると、アーティスはレイラと共に訓練所を後にした。
***
次の日、アーティスは玉座でニヤニヤしていた。それを見てボルツは訝しむ。
「どうしたんですか陛下、ニヤニヤとしまりのない顔をして」
「いやぁ~、昨日はゴランに褒められちゃってさぁ」
「そういえば昨日まで軍の訓練に参加しておられましたな」
「ベタ褒めされたよ。『あなたは立派!』ってなもんよ」
「確かにすぐ音を上げると思ったので、その点に関してはご立派ですよ」
「だろ? 俺って褒められると伸びるタイプだと思うんだよね。ってわけでボルツ、たまには俺を褒めてくれよ」
ボルツは「分かりました」と言うと、コホンと一拍置いた。
「陛下は常に独特の感性を持っておられ、皇帝という立場を感じさせない自由な振舞いをし、歴代皇帝と比較することすらおこがましい名君といえましょうな」
「つまり、俺は変わってて、皇帝なのにフラフラしてて、歴代皇帝と比べると俺だけめっちゃ浮くような皇帝だと」
「正解です!」
「クイズやってるんじゃないんだからさ!」
アーティスは呆れてしまう。
「しかし、あのゴランがそこまで陛下のことを買っているのです。陛下もその心に応えねばなりませんぞ」
「ああ、分かってる。今日の政務を行うとするか」
珍しく引き締まった顔をするアーティスを見て、ボルツも「訓練を経て、また一つ大きくなられたのかもしれない」と感じていた。