8 一時の別れ
「なぜ…こんな洞窟に棲んでいるのだ…! 貴族令嬢ならば! もっと良いところがあっただろう!」
今更かもしれないが、ふつふつと怒りがわいてくる。
エステルをこんな境遇にしておいているマハノヴァ辺境伯らに対してだ。
エステルがあまりにも明るくて活発で、そして不平不満を漏らさないからこそ今までそんな怒りも沸いてこなかった。しかし改めて考えればおかしな話だ。
しかしエステルは首を横に振って笑う。
「…兄は夫人から私を守ろうとしてくれたのです。ですから…ここに私を隠しました。全ては私の身の安全の為です」
「隠すにしてもだ! ここから遠く離れた王都とか、他国とか! 色々あっただろう!?こんな…誰もいない洞窟に一人ではなくっ!」
「……」
「結局エステルの家族は、エステルを捨てたんじゃないか! 何が夫人から隠すだ! エステル、君は兄が守ってくれたと言っていた。だがそれは違う! 君は捨てられたんだ! 侯爵家にはふさわしくないからと…!」
エステルがマハノヴァ辺境伯の侯爵夫人に失明する程虐待されたとしてもだ。その事実を隠すにも、エステルを世間の目に触れさせないようにするにしても、もっと違うやり方があったとアリヴィアンは主張する。
盲目なのをいいことに、光の届かない洞窟に一人で生活をさせるなんて。年若き貴族の令嬢が、たった一人で身の回りのことをするなんて。
部屋の造りや家具が立派だったのは、きっとエステルの兄が持つ罪悪感からくるものだろう。そうすることで、己の罪の意識を少しでも軽くしたかったのかもしれない。
「いいかエステル…!今の状況を、当たり前だと思わないで欲しい。君の置かれた境遇は…とても悲しいものだ!」
「………」
エステルはアリヴィアンの主張を黙って聞いていた。エステルの表情は変わらずで、包帯をしていないその目はじっとアリヴィアンの方を見つめている。アリヴィアンはエステルの顔を直視できなかった。
わずかに光射す洞窟の中で、アリヴィアンとエステルはしばし佇んでいた。
その沈黙を破るように、エステルはいつもの調子で口を開く。
「まあ…本音を言えば…。昔は私も騎士様と同じように考えました。私はあの屋敷では必要のない娘で、生まれてきてはいけなかったと。悲しくて、絶望した日も当然ありましたよ」
「……ああ」
「でもねえ…困ったことに、あの生活がとっても楽しかったんです」
えへへと照れたように笑うエステルの声に、アリヴィアンは顔を上げた。
「夫人に怯える必要もないし、煩い使用人たちもいない。無関心な父もいないし。嫌いな人たちがいないって最高じゃないですか!それに異母兄は同情したのか、快適な空間を作ってくれました。元々この洞窟の豪華な部屋は前マハノヴァ侯爵が作ったものらしいですけれど、兄がさらに私が暮らしやすいようにと手を加えてくれたのです」
「………それは、そのくらいして当たり前だ…!」
「加えて外に出れば、温泉があるではないですか! なにこれ!?って驚いて。兄に聞いて理解した後は独り占めですよ。あれに慣れてしまえば、貴族の屋敷で入る入浴なんて窮屈で仕方ないでしょう」
「……それは……否定できないが」
アリヴィアンも、もう何度も温泉に足を運んで大いにくつろいだ。今やアリヴィアンも、すっかり温泉の魅力にとりつかれている。
「外の空気は最高で、山の中はとても面白いです。目が見えなくなったことに絶望した時期もありましたけど、見えなくなってからの方が幸せでたまらないのですよ」
「………」
「それに、きっと世の中を探しても、私程優秀な盲目の女はおりませんよ!これは私が誇れることです!」
あっけらかんと言われてしまい、とうとうアリヴィアンはプッと噴き出した。どんな言い分だ、それはと。
「それは…確かに…。エステルが包丁や火を使って料理をする時は冷や冷やしたぞ…。普通はやらないだろう」
「訓練しましたよ! ご存じの通り、ぼんやりとですがモノを認識することはできます。火ならなおさらで、光るモノはちゃんと認識できますから」
「ただちょっと目に痛いだけ…だったな?」
「仰る通りです! 光るモノは目にキンキンときて少しだけ痛いです」
「どんなだ、それ…」
二人は楽しげに声を上げて笑い合った。深刻な空気は全て吹き飛び、先ほどのアリヴィアンの怒りは何だったのかと思う程だ。
「エステルがいいなら…いいと思いたいが…。しかし……」
アリヴィアンはそれ以上言わなかった。いや、言えなかった。
エステルの指がアリヴィアンの口元を押さえて、優しく笑うからだ。
「ありがとうございます、騎士様。兄ではない、他の誰かとここまで長い時間共にいるとは思わなかったので…とても楽しかったです」
「あ…ああ…」
「それにですよ。人生は、適度に適当が良いのです!これ、私のモットー」
「く……、その言葉…何回か聞いているな……」
アリヴィアンが笑うと、エステルも目を閉じてにっこりと笑った。
そうして笑うと、とても可愛くて。アリヴィアンはその頬に触れたくなったが、ぐっと拳を握りしめて堪えた。
エステルの柔らかい指が唇から離れると、アリヴィアンは自分の身体が急激に熱くなり、心臓がバクバク高鳴るのを感じる。
そんな様子を悟られたくなくて、アリヴィアンは急いで出口を見た。
「…っ!もう行く…!世話になった…。エステルには心から感謝する」
「はい、お気をつけて」
「……また、来る。私の馬も…いるしな」
「沢山可愛がりますね。安心下さい」
「……じゃあ……」
別れの言葉が思い浮かばす、そんな事しか言えない自分に情けなさを感じる。
洞窟から抜ける時、後ろを振り返ったが、洞窟の暗闇の中にいる彼女の姿を確認することはできなかった。




