7 闇の道
それから何回か、アリヴィアンの熱は上がったり下がったりを繰り返した。
エステルはアリヴィアンが寝込んでいる時に洞窟の外に出て食料を調達してきているようで、新鮮な食材で作った食事をいつも提供してくれるものだから、アリヴィアンはその度に一々感動していた。
温泉から汲んできたであろう少量のお湯でアリヴィアンの身体を丁寧に拭く時のエステルは、まるで聖母だとアリヴィアンは一人思い、そしてそんな事を考える己自身を恥じる。
そして今のエステルは目に包帯を巻いていない。
ある日のこと、アリヴィアンから「私の前では包帯を巻く必要はない」と言ったのだ。一々巻くのも面倒だろうから、外してくれて構わないと告げる。
「でも、私の目って気持ち悪いでしょう?ですから包帯を巻いた方が良いかなと」
「私は一度足りとも、そんな事は言っていないが?」
「はあ…まあそうですが…」
「折角の顔が見えないだろうに」
「別に見ても面白くないでしょう? 私の顔なんて」
「そんな事はない。エステルは…その……女らしいと…思う」
「女なので」
「いや…その、そういう意味では……」
「まあともかくありがとうございます?」
「……いや、どうしたしまして…」
今一つ嚙み合っていない会話も新鮮で楽しい。
思えば、女性との会話でこんな楽しいと感じたことはアリヴィアンにはなかった。
今まで会って来た女たちと言えば、アリヴィアンを見るなり目の色を変えて近寄って来て、色仕掛けをしてきたからだ。
だがエステルはそんな事をしない。
貴族令嬢でありながら全くそれを感じさせないのは境遇と今の環境のせいだろうが、不思議とそれがアリヴィアンにとって心地良いものだった。
結局アリヴィアンが全回復したのは約二か月後だ。
夜になれば足が痛む時があるものの、当初の頃に比べたら断然良い。ちょくちょくトレーニングを重ねたこともあり、体も調子を戻した。
そんなある日の夜のことだ。夕食時にエステルはアリヴィアンの体調が良くなったことを確認した後、
「明日にはある場所へ案内しますね」
とだけ言う。ある場所とは一体どこぞ?とアリヴィアンは首を傾げる。
「ある場所とはある場所です。本当は秘密の通路なので教えてはダメなのですが…騎士様ならばいいだろうと判断しまして。ですからご案内いたします」
どうやらドロニア国の騎士にとって有難い場所だというのは分かったが、エステルはそれ以上の事を話そうとしなかった。
そうして迎えた次の日。
「洞窟の外にいるお馬ちゃんは…その、今は諦めて下さい。一緒には連れて行けませんので」
「……そうなのか?」
どうやらエステルは洞窟の更に奥へ、奥へと行くつもりだったらしい。確かに洞窟の入り口はとても狭く、馬が通れるような広さではない。
戦が終わった時に、もう一度ここに戻るかとアリヴィアンは考えた。
(愛馬のためでもあるが…ここの温泉はなかなかだし…それに…エステルもいるし…)
やましい感情を抱えているようで、急に変な罪悪感にアリヴィアンは襲われた。
そんな思いを知ってか知らずか、濁った白い目をアリヴィアンの方に向けてじっと見つめるエステルに、アリヴィアンは苦笑する。
「ここから先は…申し訳ございませんが、光を灯しませんので…私が騎士様をエスコートしますね。決して私の手を離されませんように」
「…ランプを持って行かないということか?」
「……道を知られては、兄に怒られますので……」
「それは…分かった、よろしく頼む」
「ご理解頂き助かります。では改めてお手をどうぞ、騎士様」
このやり取りも何回目か。洞窟に来てからという二か月間、アリヴィアンはエステルのエスコートに慣れてしまった。
エステルの細く小さな手を握り、体を寄せ合って、光の届かない暗い洞窟の中を歩いて行く。
想像以上の闇だった。
男たるもの、暗闇など恐れるわけにはいかないと思っていたアリヴィアンでさえ、こうも闇が続くところをずっと歩くのは初めてで不安を感じてしまう。
幽霊や悪魔など信じているわけではないが、そういうモノが出現してもおかしくはないと。
エステルの表情は、闇のせいで分からない。
しかしその迷いない歩きから、この闇を何とも思っていないだろうということはアリヴィアンに伝わった。
(どうせ何も見えないし…とか言いそうだな。エステルの場合)
そう考えたら思わず笑いそうになった。
エステルは自分が盲目であることをちっとも隠そうとしないし、恥じてもいない。ただ事実を受け入れているだけだ。
その姿が、とても好ましいとアリヴィアンは思う。
「…随分長く歩くのだな…」
アリヴィアンの声が洞窟の、闇の中に響く。エステルは、ふふっと楽しそうに笑う。
「疲れましたか?」
「まさか。私は騎士だぞ? 体力はある方だ」
「それは良かったです。ここで倒れてしまわれては、騎士様のように筋骨隆々な男性を私一人で運ぶには骨が折れますから」
「……一度聞いてみたかったのだが、エステルは…私をどのような風貌の男だと思っている?」
薄っすらと見えると言っても、エステルの目はほぼ何も映さないに違いないとアリヴィアンは踏んでいる。
アリヴィアンは金髪碧眼の美青年だが、エステルはアリヴィアンをどのような男だと思っているのだろうか。
「騎士様の風貌ですか? そうですねえ…私の予想では、筋肉モリモリで、黒髪で短い髪の男性ですね。お顔はどちらかと言えば強面で、顔に傷がいくつもあります。戦場で受けたものです」
「…………」
「女性に不慣れかなとも思います。ダンスは下手な部類ですね。女性陣は騎士様を見たら、怖がって近寄らないことでしょう。でもそれは畏怖でもあります。強く逞しい騎士様に、みんな声をかけにくいのでしょうね」
可笑しくて大声で笑ってしまうアリヴィアンに、きょとんとするエステル。
アリヴィアンはその美しい顔故に、彼がパーティーに出れば女性が虫のように群がるほどだった。
また王族であるから、幼い頃からダンスは仕込まれている。つまり名人級だ。下手なんてとんでもない。つまり、エステルの想像しているアリヴィアンは現実の彼と似ても似つかない。
だがエステルの思い描くアリヴィアンは、アリヴィアン自身が理想とする姿でもあった。
(筋肉モリモリで、女たちが畏怖する強面の騎士だなんて…私がなりたい男の像そのものじゃないか)
己の姿を見ていなくても、エステルがそのように考えていてくれたならばとても嬉しい。
「ああ、騎士様。もうすぐ着きますよ。お疲れさまでした」
ややあってエステルがそう言うと、光が入って来るのを感じる。
「洞窟の…出口か?」
「はい。出口も狭いですが、通れるので。あそこを出れば、マハノヴァ辺境伯邸に出る道へと辿り着きます」
「!?」
マハノヴァ辺境伯、それはアリヴィアン達が現在いる領地を治める貴族だ。
「この洞窟を含め、騎士様がいらしたところはマハノヴァ辺境伯がいるところですよ」
「……では…エステルはもしや…マハノヴァ辺境伯の…?」
「はい、一応その一族になります」
なんてことだ。自分は敵地どころか、とても安全なところにいたらしい。
そしてエステルがマハノヴァ辺境伯の縁の者と知り驚いている。
「しかし侯爵は息子だけと聞いていたが…」
「前に申し上げました通り私の母は平民で、侯爵夫人は私の存在を疎ましく思っておりました。だからこそ兄によって私はここに隠されたのです」
まさかエステルが、自分と面識のある侯爵家の令嬢だとは思わなかった。
アリヴィアンは苦い想いをかみしめ、盲目の孤独な娘を見つめた。




