32 マハノヴァ侯爵家
会場にアリヴィアンと婚約者のエステルが現れると、その場にいた者達は声が出なくなった。
王太子のアリヴィアンは今日も美しい。
国一番の美貌の男性というのは決して噂ではなく、事実その通りで、その場にいた女性全員は彼の外見に魅了されてしまう。
だがそれ以上に驚いたのは、やはりアリヴィアンがエスコートしている婚約者となる女性だった。
目が、見えていないのだ。
白く濁った色の目は、どこを見ているのか分からないようで視点が定まらない。まさか美貌の王太子が選んだ女性が盲目であろうとは誰が予想したことか。だから彼女はこれまでその素性が隠されていたのかと誰しも納得をした。
そして彼女の着ているドレスにも注目が集まった。
胸元からふわっとゆるやかに広がった青いドレスは装飾が少なめで、一見すると地味なように見えるが、使用されている生地に細かい刺繍が施されているから、かなり高いだろうと誰しも予想できた。
胸元を強調しつつも、コルセットを必要としないドレスは誰も着ていない。
普通ならばコルセットを着けていないなんて恥ずかしいことだが、あの女性はそれを恥じるどころか、のびのびと歩いているではないか。
髪も高く結うのが普通だが、黒く長い髪には青い宝石のヘアバンドが付けられているだけ。
真っ直ぐな髪が自然に揺られ、ドレスとよく似合っている。
「王太子・アリヴィアン・セミョーノフ・ヴァロンティアと、エステル・バッケスホーフの婚約をここに発表する!」
王が高らかにそう言えば、拍手喝采が沸き起こった。
「バッケスホーフ侯爵家のご令嬢とは…。既に養子に入られていたとは驚きだ。用意周到だな」
「でも盲目なんて…。未来の王妃がそれで良いのかしら」
「でもアリヴィアン殿下のお顔をご覧よ。とろけそうな笑顔で彼女を見つめているぞ」
「いやいや、うちの娘を殿下の嫁にして欲しかったが…残念だ」
「どうして…どうしてアリヴィアン殿下はあんな女を選んだの!?私の方がよほど美人じゃない!」
「殿下が自分の容姿で近寄る女が嫌いな事は有名じゃないか。だとしたら目の見えない女を選んだのも頷けるな。自分の外見を見る必要はないし」
「ああ、成程。そういうことか」
「美女と野獣の逆ってところね。ま、そういう組み合わせってことで納得するしかないわよね」
「あ~…!殿下が他の女のモノになってしまうなんて…ショックだわ」
色々と言いたい放題の貴族達の声がちらほら聞こえる。エマやジェミアン、ウルリヒらはそれを聞いていて不快になった。
彼らも最初はエステルに対して不安を覚えたものだが、彼女の懸命さやアリヴィアンとの互いを想う深さを知れば、そんな事全部どうだって良くなる。
悔しいと思いながらエマが歯ぎしりすれば、見かねてジェミアンが「怖いですよ」と苦言を呈する。
「それよりも見て下さい。マハノヴァ侯爵家の人達を…」
言われて視線をそちらに向ければ。
マハノヴァ侯爵は厳しい顔つきでアリヴィアンとエステルを見ていた。モーリッツは何とも言えない複雑な顔で、次男と三男は開いた口が塞がらないといった具合か。
そしてアマーリエ夫人は……、憎悪がこもった目でエステルをじいっと眺めていた。
「まさか死んだと思っていた娘が、王太子の婚約者として現れるとはね。彼らにとって、青天の霹靂でしょうね」
「しかも既にバッケスホーフ侯爵家の養女に入っていますしね。彼らとエステル様はもう無関係でしょうし」
「……っと、エマ。アリヴィアン殿下とエステル様がこちらに来られるぞ」
大勢の人をかき分けて二人は側近たちの元へやって来る。
「エマ、どう?私変じゃないかしら」
頬を赤くさせたエステルを、深くにも可愛いとにやけそうになるエマは、いつもの鉄壁の仮面を被って頷く。
「お綺麗ですよ。私達が提案させて頂いたドレスもよくお似合いです。これでコルセットがなくなる世の中になれば嬉しいですね」
「ええ!本当に!でも私は流行でなくても、このドレスを着続けるわ。すごく楽だもの!」
ほのぼのとした会話をする二人に、新たに王女たちが加わる。
エステルと一番仲が良いラトニータは、やはりエステルが綺麗だと褒め称えた。
そうすることで、エステルが既に王族にも認められ受け入れられているということを周りの者達に認識させていた。
「エステル、体調は大丈夫か?」
アリヴィアンがそっとエステルの頬に手をやる。
本当は少しだけ目も頭も痛く、体も重かったが、それでもこの後のダンスをアリヴィアンと共に踊りたかったエステルは、笑顔で頷いた。
ダンスが始まると、アリヴィアンとエステルは中央に出ていく。
誰しも、盲目のエステルがどこまで踊れるのか見極めてやろうと思っていた。
「エステル、何も考えなくていい。ただ楽しもう?」
「……はい、アリー様」
ダンスが始まると、会場にいた者達は大いに驚いた。エステルは華麗なステップでアリヴィアンと踊ってみせたからだ。
「なんと…!あのご令嬢、ダンスが上手いではないか!」
「本当に目が見えないのかしら…?殿下と息がぴったりじゃない!」
青色のドレスがふわり、ふわりと舞う。優雅でとても美しい。
アリヴィアンの金色の髪に白い服、エステルの黒髪に青いドレスが鮮やかにその場を彩り、見る全ての者達に感嘆の声をあげさせていた。
「エステル…本当に、本当に綺麗だ…」
ダンスの最中、アリヴィアンはこそっとエステルの耳元で呟く。エステルは嬉しそうにその白い目を細めた。
「ありがとうございます。アリー様もきっと、すごくかっこいいのでしょうね」
「…エステル程ではない。どうしようか…もうパーティーなんて放っておいて二人でどこかに行ってしまいたい」
「………アリー様…」
「私の今考えている事を知りたいかい?」
「…いえ!ダンスに集中したいので」
少し話すくらいでダンスを乱すほど、エステルは下手ではない。
しかしアリヴィアンの甘い囁きは時に心臓に悪かった。
「私はね、こんな事を考えている。誰にもエステルを見せたくない。ここから連れ去りたい。私だけのモノとして、閉じ込めてしまいたいと」
モーリッツの事をバカにできないな、とアリヴィアンは心の中で猛省する。
今ならモーリッツの気持ちも少しだけ分かる。
自分の一番の女は、誰にも見せたくない。閉じ込めておきたいと自分も考えてしまっているからだ。
「アリー様…!」
「その黒くて綺麗な髪を、ぐしゃぐしゃに乱したい」
「…乱されたら困ります!」
「ドレスも破きたい」
「破かないで下さい!こんなお高いものを……!」
「冗談だよ。そんな事はしないよ。私は一応、礼儀正しい貴公子で通っているのだから」
「………本当に冗談ですか……。冗談に聞こえません」
「冗談ではあるが、願望でもある。やってみたいのは事実だ」
「……っ…!……っ………!!!」
軽口を叩き合いながらダンスを終え、盛大な拍手を送られる。
二人が相思相愛であることは疑いようもなく、その事実を既に知っている家族や側近たちは「あの甘い雰囲気、ここでも発揮している」と呆れていた。
モーリッツは非常に苦い想いで二人のダンスを見ていた。
(僕とエステルの血が繋がってなければ良かったと何回も思ってきた。しかしこの時程強くそう思ったことはないな…)
モーリッツがエステルに向ける感情は恋とか愛といった類のものだった。それが歪んだ形で現れているのも、自分でよく理解していた。
エステルが実の妹だから、そうなってしまったのもよく分かっている。
妹でなければ、堂々と婚約を申し出て、堂々と守っていただろうと考えるが、そんなのは「もしも」の話で、現実ではそうはならない。
結婚も婚約もできない女ならば、誰も手に渡らないように隠しておいて、自分だけが愛でるしかないのだ。アリヴィアンに卑怯だと言われようとも、モーリッツにはそうするしかできなかったのだ。
(いや、何のせいにしても詮無きことだ。僕とエステルが結ばれるなんて、絶対にありえないのだから)
はあとため息をつく。
隣をみれば、絶句したままの弟二人。怖い目でホール中央を見つめる母。そして何を考えているのか分からない父らがいた。
彼らが、特に父が何を考えているのか興味を持ったモーリッツは、こそっと父の傍に行き、小さい声で聞いてみた。
「父上。エステルですよ」
「……そのようだな」
父である侯爵の声はいつもと変わりはない。この人はやはり家族の情というものがないのだろうかとモーリッツは改めて認識をした。
「どのようにしてエステルが生きていたか、興味はないのですか?」
「お前が匿っていたのだろう?洞窟で」
あっさり返されてモーリッツは驚いた。
「……ご存じでしたか」
「当たり前だ。定期的にお前がこそこそと洞窟に行くのを、知らない私だと思うか」
「ならばなぜ止めなかったのです」
「別に止める必要もないだろう。興味もない」
「………興味がないですか?かつて愛した女性の子供でも…」
「ない。美しい女はいいが、私は子供は嫌いだからな」
マハノヴァ侯爵の冷たい言葉に、モーリッツはこれ以上話しても無駄だろうと早々諦めた。
「父上がそんなだから…母上が暴走するのですよ…。もう少し愛情を持って他人に接して下さい…」
母のアマーリエは、浪費家で我儘で傲慢な侯爵夫人だ。息子のモーリッツから見てもそう思う程なのだ。
侯爵がもう少し夫人を気にかけていたら、夫人もあそこまでならなかったかもしれない。
人は寂しさや虚しさといった心の隙間を、別の方法で埋めようとする傾向にあるから。
しかし侯爵にとっても、それはどうでも良いことだろう。
「愛など下らないことだ。それで己の身を滅ぼすならば、それは自業自得というもの」
「………」
「お前もせいぜい気を付けることだな、モーリッツ。私の跡を継いで侯爵になりたいならば」
「…………」
世の中には色々な人間がいる。
モーリッツは、自分も結構歪んだ思考だと自覚はしている。が、父親のように他人に対して愛情がないわけではないということも分かっている。
他人のぬくもりや愛情を必要とせず、面倒だと思う人間もいる。父親のように。
それはそれで仕方のないことだろうと、モーリッツは思ったのだった。




