28 愛
「ん………っ…!?」
アリヴィアンはエステルを抱きしめながらキスをした。何度も何度も、繰り返して熱く甘いキスを恋人に送る。
「あ…アリヴィアン殿下……!」
切羽詰まったエステルの声が耳に届くと同時に、アリヴィアンはエステルをソファーの上に押し倒し、恋人を見下ろした。
エステルの白い目は丸くなり、アリヴィアンを見上げる。
黒い髪は赤いソファー一面に広がり、それがとても美しい。
ゆっくりとエステルの身体の上に己の身体を重ね、可愛らしい耳元でほうっと息をつくと、アリヴィアンは弱弱しい声でエステルに話し出した。
「…ああ、また…。こうしてしまうだろうと分かっていたさ…。ああ、私は案外意志が弱い男の様だ」
「……え?」
「王太子としての務めを、誰もが文句付けられないくらい立派に果たせてみせると意気込んで忙しかったというのがこの二週間だが…。本音を言えば、視察にエステルも連れて行きたかった。エステルを傍において毎晩のんびりしたいという願望が……あってだな……」
次第に声が小さくなっていく。
エステルは驚いた表情でアリヴィアンを、アリヴィアンは苦笑しながらエステルのそんな顔を見た。
「見損なったか…?男なんて、所詮こんな事しか考えていないさ…。何度も言っただろう?男を信用するなと」
「え…ええ…」
「私が仕事を頑張れるのは、エステルと早く結婚したいからであって…。ああもう、こんな事しか思えない自分が情けないさ。エド兄上だったら、絶対に国のことを第一に考えていただろうって……」
更にぽかんとした顔のエステルの首元に、アリヴィアンは己の顔を置いた。
「だが私が会いに来られなかったから、エステルが一人悩んでいたのだろう?すまない…本当に……。私はいつも自分のことばかりだな……」
「いえ!そんな事は!お仕事だって分かっております!」
慌てたエステルにアリヴィアンは笑った。
「エステル、私だってあれこれ悩む。亡くなった王太子のエド兄上は本当に優秀な人で、次期国王として申し分ない人で…。そんなエド兄上と私を比べる貴族は多い。エド兄上の方が良かったって言われているのも知っている」
「そんな…!そんな事を言う人が…!?」
「沢山いるさ。私は王族ではあるが、ずっと騎士団にいたから王宮での政治的な駆け引きに慣れていない。補佐や側近たちに頼りきりで、まだまだ勉強中だ。ストレスと悩みで眠れない日も続く」
目を閉じて、自分の仕事を思い出す。
王太子としての仕事は山積みで、周りからの信頼を勝ち取るのはまだまだ先だろう。正直、体を動かしている方が性に合っているとも知っている。だが、これは与えられた使命だとも分かっていた。
「まあでも…私は私のやり方で突き進むしかないと思っているさ。最初は完璧であろうともしたが、周りの者達の助けをかりていく方が遥かに上手くいくと開き直った。何年かかってもいい、慌てずにやればいいって」
「……アリヴィアン殿下……」
「こう考えることもできたのも、君のおかげなのだよ、エステル」
「え……?私の…?」
「‘人生、適度に適当’がいいのだろう?君の口癖だったよな」
「………」
「私はその言葉、凄く好きだ。そんな風に思えるエステルも好きだ。そのおかげで、私は肩の力を抜くことができた。だからエステルも、そこまで真面目に思い詰めすぎる必要はない」
「…………は……い……」
「君のいいところは明るくて元気なところだろう?気持ちが沈んでしまうようだったら、全て笑ってやればいい。それで解決できなければ、私に言いなさい。一緒に解決策を考えよう」
「……はい……っ…!」
再びエステルの目からははらはらと涙が流れる。
不謹慎ではあるが、そんなエステルの様子が堪らなく可愛いとアリヴィアンは内心で叫んでいた。
「アリヴィアン殿下…」
エステルの腕がアリヴィアンの首に巻きつき、アリヴィアンは少しだけ身を起こした。
「エステル、どうか私のことはアリーと呼んでくれ」
「……アリー殿下?」
「…できれば殿下もいらない」
「……ではアリー様と……」
「…ああ。姉妹たちにもアリーと呼ばれることもあるし。エステルにもそう呼んでもらえたら嬉しい」
「ふふ…承知致しました。何やら可愛らしい呼び方ですね…」
「………まあ…女のような愛称ではあるが……。ボニーが…、弟が私のことをよくそう呼んでいたのでな」
「………」
何かを感じつつ、にっこりと笑って、エステルは自分からそっとアリヴィアンにキスを送った。
エステルからのキスは初めてだから、つい呆気にとられたアリヴィアンだ。驚いているアリヴィアンをその空気で感じ取ったエステルは、してやったりと言わんばかりの表情で笑う。
「アリー様、もう一つ私の話を聞いて下さいますか?」
「なんなりと。私の愛しい人」
頬に唇を寄せて軽くキスをし、アリヴィアンはエステルにそう伝える。エステルも笑ってアリヴィアンの首に回している腕の力を強め、更に顔を近づけさせた。
「私ね、自分の目が見えない事はさほど気にしていないのです。失明した時は夫人を恨みましたし、絶望した時もありました。でもそれからは穏やかで幸せな日々でしたから…」
「ああ」
「でも、でもね…。ここに来てから、少しだけですが…。盲目であることが嫌だって思いました」
「…………何があった……」
アリヴィアンから強張った声が出ると、エステルは酷く切ない顔になった。
「アリー様の…お顔が、見たかったなって……。周りの人達が噂しているのです。アリー様は、すごくお綺麗な男性なのでしょう?私の想像では強面の男性でしたけれど、全く違うって知って……。だから、一度だけ見てみたかったと。そう思いました」
「………エステル……!」
「それだけが、悔しいです。好きな人のお顔が見られないことだけが。その時だけは……それだけは悲しいです」
堪らなくなり、アリヴィアンはエステルを抱きしめた。エステルもアリヴィアンを抱きしめ返し、抱擁を強め合う。
これだけは、アリヴィアンは何も助言はできない。
他のことはいくらでも相談に乗れるし、あれこれ言うこともできよう。しかしこれだけは。
それでも何かしてやりたくて、アリヴィアンは自分の首に巻き付いているエステルの腕を離し、ソファーの上に身を起こして座らせた。首を傾げるエステルの手を今一度取ると、その指を自分の顔に触れさせる。誰しもが美しいと絶賛する、己の顔に。
「指で、触れてみてはどうだ?これが私の顔だ。どうだろうか…少しは想像できるか…?」
小さく息を飲んだエステルの目に、たちまち涙が溜まる。ああ、どうしてその顔がとても美しいと思うのか。彼も彼でエステルの顔に触れた。
「エステルの顔は小さいな。肌は滑らかで、目はぱっちりしていて。きっと化粧映えするだろう。それに黒い髪が羨ましい。私の家族全員は黒髪で、私だけが金髪だから…。黒髪に随分憧れたのだよ」
涙を一つこぼして、エステルは嬉しそうに笑った。
「アリー様の睫毛は、すごく長いのですね。それに私の予想よりも、彫が深い骨格をされていらっしゃる…。あ、鼻が高い…。髪は金髪なのですね…。金でも、どんな色合いでしょうか?濃い金色?それとも薄い色?」
「割と薄い方だと思う。こう言ってはあれだが…肌も結構白くて。騎士団にいた頃は多少日焼けしたが、昔からあまり焼けない体質でな…。同僚たちは真っ黒になっていくのに、私だけが白いままで結構恥ずかしかったものだ」
「女からすれば、それは羨ましいお話だと思いますよ。…アリー様は私が想像する以上に、さぞお綺麗な男性なのでしょうね」
「………私は自分の容姿は好きではない…。エステルが頭の中で描いていた私の像こそが、私が理想としている己の姿だ」
「そうなのですか?」
「所詮、無いものねだりなのだがな」
「…ふふふ、あはは…そうですね。それが人ってものですよね」
エステルは笑ってアリヴィアンに勢いよく抱き着いたものだから、アリヴィアンは驚きながらその体をソファーに沈めた。今度はアリヴィアンがエステルに押し倒される形になった。
「アリー様、愛しております…。本当に、本当に、心から…」
「………エステル、それは反則だ」
突然の言葉に固まったアリヴィアンは、両手で自分の顔を覆い溜息をついたが、エステルの両腕を持ちにやりと笑った。
「先ほど言っただろう?二週間ここに来なかったのは、自分を制御していたと。だと言うのにそんな可愛い事を言われては……もう無理だろう」
「え?………っ!?」
気付いた時は遅かった。
エステルとアリヴィアンの体制は逆転し、エステルは再びソファーに横たわる。沢山のキスをされ、アリヴィアンの手がエステルの隅々を支配する。
「君が欲しいんだが。どうしようか」
「……っ! その台詞、前にも聞きましたっ!!」
「そうだったかな。まあなんでもいいさ」
「もう!適当すぎます!」
「適度に適当でいいだろうが」
「アリー様っ!!」
「………いいから黙ってエステル。愛している……。君を愛したい……」
「……っ!」
熱を帯びた声で問われ、エステルは何も言うことができなかった。
ただ流れに身を任せ、恋人の熱を感じ、久しぶりの幸福な時間を二人で過ごし、心に巣食っていた闇を払いのけたのだった。




