27 涙のわけ
「そんな、無理矢理なんてことは絶対ないですよ。確かに王族の方だと知った時は本当に驚いたのですけれど…。でも私なりに決心して王都に参りました。ですから、無理矢理ということは絶対にありません」
エステルの言葉を聞いて、アリヴィアンはまた動きを止める。
ラトニータは目を丸くさせて「へえ」と小さく呟いた。
「意外ですわ…。そうなのですか。てっきり兄さまの片思いかと思っていたのに!」
「え?どうしてですか」
「…それは今言った通りよ。エステル様が全然幸せそうに見えないって言うか…。無理しているのではないかと感じまして。酷い環境からいきなり王宮に来たのですもの…戸惑うことの方が多いでしょう」
「………」
「王妃になるって、大変だと知っております。王族である私ですらそう思うのですから…。ミロ姉上だって、王妃教育は大変だと愚痴をこぼしておりましたし」
「…………」
「ですからエステル様…」
ラトニータはそっとエステルの手の上に、己の手を置いて笑った。
「どうか、心の内に溜め込まないで下さいね。まだまだ周りの者達を信用できないと分かっておりますけれど、せめてアリヴィアン兄さまには、些細な事でも相談するべきですよ。でないとエステル様が壊れてしまいますわ」
エステルは包帯の下で目を丸くさせた。
ややあってから、柔らかい声でラトニータに礼を言う。
「…ありがとうございます。てっきり、私は王族の方々に疎まれていると思っておりましたから…ラトニータ様のお言葉が嬉しいです」
「……そうですよね、そう思いますよね。でもわたくしはエステル様を応援しますわよ。兄さまと幸せになって頂きたいですわ」
「……それは…どうして」
「エステル様。ラトニータ様」
アリヴィアンは二人の会話をじっと聞き入ってしまっていたが、エマはそこで割って入った。
アリヴィアンの予定は分刻みだ。ここであまりゆっくりしている暇はない。エステルに会えと真正面から堂々と助言したエマだが、こういうところは非常に冷静な女だった。
エマとアリヴィアンの登場に、エステルとラトニータははっと振り返る。
「あら、兄さまにエマ。ご機嫌麗しく」
「…お前がエステルのところに来ているとは予想外だったな、ラトニータ」
「何回かお邪魔させて頂いております。どこかの誰かさんは、エステル様を放ったらかしにしていたようですし。お仕事が忙しいのは分かりますけれど」
「………」
棘のあるラトニータの言葉にアリヴィアンはピクリと片眉を上げる。ラトニータはアリヴィアンが来た理由を察したのか、さっと立ち上がり、エマと共に部屋を出て行く。
「あのラトニータ様…」
「折角アリヴィアン兄さまが来たのですしね。どうぞ、ゆっくりしてください。エステル様、悩みがあればきちんと兄さまに伝えるのですよ」
二人が去っていくと、部屋にはアリヴィアンとエステルだけが残された。
婚姻前の男女を部屋に二人きりにするのは貴族間ではあまり許されていないが、ここは人の少ない王族専用の薔薇の宮。世間一般のルールもあまり気にされない。
「……アリヴィアン殿下、お久しぶりです…」
エステルが遠慮がちに声をかける。アリヴィアンは何だかエステルに申し訳ない気持ちになった。
「ああ…すまないな。二週間も来なくて…」
「……いえ……その、お忙しいのは…分かっておりますし…」
途端に無言になり、早くもアリヴィアンは音を上げそうになったが、愛しい女性が困っているのだ。ここで引いてどうすると自分を鼓舞する。
(いや、そもそも私はなぜこんなに緊張しているのだ…)
コホン、とわざとらしく咳払いを一つして、アリヴィアンはエステルの手を取った。
「ここにラトニータが来ているなんて知らなかったな。あいつとは仲がいいのか?」
「…ラトニータ様ですか?そうですね…比較的仲良くさせて頂いていると思っております。八日程前に突然部屋に来られましたの。しかも共の者も付けずに」
「…あいつのやりそうなことだ。あいつは姉妹の中で一番のお転婆だ」
「そのようですね。ご本人もそう仰っておりましたよ。双子のお姉さんの方は大人しいとか」
「セシリアか?まあ…そうだな。しかし私に言わせれば、あいつもラトニータ同様に煩いがな…」
「アリヴィアン殿下にはご姉妹が多いのですね。羨ましいです」
「ああ。十人いた中で、六人は女だ。四人は私を含めて男兄弟だったが…ついこの前、その三人は死んだ」
「…………」
エステルは何も言うことができずにきゅっと唇を結んだ。
話題選びを間違えたかと苦笑しつつ、アリヴィアンはエステルの頬に手を添えた。
「エステル…。ここでの生活はどうだ?何か辛いことがあるのか?もしそうならば、私に話してくれ」
「………」
「…それとも、私には言えないことか?もしそうならば、エマとかラトニータに言ってくれればいいが……」
「………いえ…その……」
きっと何かを言いたいのだろうが、それをすることを躊躇っている様子だ。
きっとエステルは、王妃になる者は弱音を吐くことも許されないと思っているに違いない。それは違うのに、とアリヴィアンは彼女の指を自分の唇に持っていき、優しくキスをした。
「エステル、大丈夫だ。その程度で私は君を嫌うことはない…。不安や心配事があれば共有したい。私だって、既に君に情けない姿を見せているだろう?」
「………」
「………、包帯を、取ってもいいか?」
その瞳が見たかった。顔がちゃんと見たかった。
頭の後ろに手を回して優しく包帯を取れば、不安そうな彼女の白い目が現れる。
あまり見慣れない表情のエステルに、アリヴィアンは優しい気持ちになり、その目元にもキスを送った。
するとどうだろうか。
エステルの目から、大粒の涙が流れた。
「エステル…!」
流石のアリヴィアンも焦り、ぎゅっと強くエステルを抱きしめて宥める。おずおずとエステルの手はアリヴィアンの背中に回り、彼の服を握りしめた。
「どうした、エステル…。何があった」
「……何も、何もあるわけではないのです。ただ自分が情けなくて…。思うように上手くいかなくて…悔しくて恥ずかしくて」
「………具体的にどういうことを…?」
「…私は、決して……あなたに、アリヴィアン殿下にふさわしい女ではありません…。目がこんなだし、教養もないし、他人が傍にいられるのは苦手ですし…。何もかもダメすぎて……辛いのです…」
「………そんな事はない」
「殿下はそう思って下さっていても、周りの人達はそう思いません…。私だって客観的に見て、自分のような女は王宮にいるべきではないと思っております…」
さらにポロポロと泣くエステルの涙を、アリヴィアンはポケットから取り出したハンカチで拭いてやる。
「殿下のことは好きです。お慕いしております。でも…自分に自信が持てないのです。何もかもダメすぎて…」
「……エステル…」
「私の母は…、侯爵夫人や使用人にずっと虐められていました。ずっと一人で耐えて、ずっと一人でぐるぐる考えて…。どうしてやり返さないのだろうって子供ながらに思っていましたけど、今の私は母と同じ思考に陥っているんです。考えれば考える程、不安と嫌な事しか考えられなくて。こんな私、私らしくなって自分でも思うのに…。いつもの元気がでなくて……」
「…………」
「こんなはずじゃなかった…。どんな境遇でも笑って吹き飛ばせる元気さがあるはずだったのに…。でも蓋を開けてみれば…」
アリヴィアンはそれ以上聞いていられず、勢いよくエステルを抱きしめた。
「もういい…。すまない、もういいんだエステル。私のせいだな…。君を支えると言ったくせに、君を追い込んでしまったのは、私のせいだな」




