26 気遣いとは
「殿下、少しよろしいですか」
ある日のことだ。王太子の仕事を必死で覚え、死ぬほど忙しいアリヴィアンの元に訪れた女性がいた。
それはエステルに付けた補佐のエマだった。
「ああ、エマか。どうした。エステルに何かあったか」
エマは齢三十三の、男顔負けの仕事をこなす女性で、アリヴィアンも認める優秀な人材だった。
これまで王宮の財務を担当する部署にいたが、アリヴィアンが抜擢し、エステルの傍に置かせた。将来エステルが王妃となった際には、王妃の最側近として活躍してくれることだろうと期待している。
そのエマが少々難しい顔でアリヴィアンの前に立っている。
王太子の執務室で側近たちと仕事をしていたが、皆何事かと顔を上げた。
「私はエステル様のお傍におりますから、エステル様の事でご報告に上がりました」
「…なんだ。言ってみろ」
つい緊張して問えば、軽くエマに睨まれた。
「殿下は王太子になられたばかりですし、とてもお忙しいのは重々承知しております。ですが、二週間もエステル様の元に来られないのでは、彼女が可哀相です」
報告というより圧をかけに来た感じだ。
常に冷静で、顔も割と怖いエマから出る言葉は質問より尋問に近いかもとそっと思ったアリヴィアン。部屋にいた補佐官のジェミアンとウルリヒ、そして護衛のラースもエマとアリヴィアンを交互に眺める。
「それは……、エステルが落ち込んでいるということか?」
「落ち込んでいるかどうかは別として、慣れない環境で参っていますね。殿下に二週間も会えていないのも大きいかと」
「……その件については私も憤慨している。まさか視察が二週間にも伸びるなんて思わなかった」
ドロニア国とルンドスフィア国の戦争が終結したとは言え、各地に残した爪痕は大きい。
各地方の領主達と会い、問題点など話し合っていたわけであるが、悪天候で移動ができないなど不運なことも重なって、一週間の予定が二週間に伸びてしまったというわけだ。
実はアリヴィアン達は先ほど戻ってきたばかりで、これからも書類仕事に追われる。
つくづく王太子の仕事なんて辞めてやりたいと今から思っているアリヴィアンだ。
加えて、父に「王太子の仕事をそれなりにこなせるようになってからエステル嬢に会え」とか「女に現を抜かす情けない男と周りに思われるぞ」とか「エステル嬢も今は大変なのだから、少しそっとしておけ」とか「他の者達とも交流を持たせろ」とか色々言われているせいもあって、気軽に会いに行きにくい状況だった。
(まあ…それもあるが…エステルを見たら、絶対に私が正気でいられない。絶対に手を出す…いや…既に……出してしまったが……)
手の平で口元を覆い、表情を誰にも見られないようにした。
いつだってアリヴィアンはエステルを抱きしめたくて仕方がないのだ。強く抱きしめて、沢山キスをしたい。
だが色々と余裕のないエステルにそれをしてしまってはどうなるか…。結局それもあって、王に煩く言われているのだろうが。
しかしエマはただでさえ怖いその顔を、さらに真っ赤にさせて皺を寄せた。
「アリヴィアン殿下は、エステル様を支えるとお約束されたのではないのですか?」
部屋の温度がひんやりと下がった。側近たちも少しだけ椅子を引いた。
エマの言葉に、アリヴィアンは眉をひそめて口を開く。
「当たり前だ。この王宮に連れて来た責任もあるが、私はエステルを全力で守る。その言葉に嘘偽りはない」
「でしたら、エステル様のお傍にいてあげるべきです。お互いに学ぶことが多く、周りに認められようと必死なのは分かりますが、今のエステル様の状態が続けば、いずれ潰れてしまいますよ」
「それは…。そんなに、エステルは参っているのか…?」
言葉を失ったアリヴィアンを、エマは真っ直ぐに見つめた。
「育った環境とここは全く違うのです。もう少し殿下が傍にいてあげてください」
「…………」
しばらく考えた後、アリヴィアンは一つ息をついて顔を上げる。
「そうだな…分かった。そうする。色々考えることもあったが…時間を見て会いに行くよ」
最初の一週間はあっという間に過ぎた。しかしもう一週間はモヤモヤする日々。アリヴィアンだって会いたくて仕方がなかったのだが、本当に忙しかったのは事実だった。
しかしそう伝えるも、エマはさらに怒りの表情になる。
「突然通わなくなればエステル様だって不安に思いますでしょう?そういう時は手紙の一つ出すなりして、気を遣ってあげて下さい。二週間も放置なんて…あり得ません!いいですか殿下!細かい気遣いをしてこそ、女性の心を掴むのですよ!このままではエステル嬢の心が殿下から離れてしまいますよ!いいのですか!?」
「…すまない…。分かった、その通りだったな…。私が迂闊だった…」
「贈り物どころか、一つの手紙もないなんて…全く、殿下は女性を一体なんだと…」
「…………」
贈り物は買う暇がなかったと言い訳してしまうだろう。(事実本当に買う暇なんてなかったのだが)
それにエステルに手紙を送るという発想も全くなかった。だってエステルは盲目なのだ。エステルに宛てたアリヴィアンの手紙は、誰かが声を上げて読むことになろうと分かっていたから、手紙は書きたくないわけで。
(しかしエマの言う通り、私がエステルに愛想を尽かされることもあるのか…)
そう思うと途端に恐ろしくなる。
そんな青ざめたアリヴィアンの様子を見ていた側近の一人・伯爵家出身のジェミアンは、笑いながら
「では殿下、休憩がてら今からエステル嬢のところに行かれてはいかがですか」
と提案してきた。ジェミアンもエステルとアリヴィアンの馴れ初めを知る人物だった。
一瞬迷ったが、エステルに逢いたいのは変えられない事実なので、ジェミアンの言う通りここは休憩を取ることにした。
アリヴィアンはエマと共に薔薇の宮へ足を運んだ。
さてさて、エステルのところにいたのはアリヴィアンもエマも、予想していなかった人物だった。
それはアリヴィアンの妹で、第三王女のラトニータだった。
ラトニータはエステルの隣に座り、エステルの手を取って懸命に話を聞いていた。
「そうですか…王妃教育は大変なのですね…。分かります。礼儀作法の先生は厳しいですし、歴史なんてもう大変ですよね」
「…ラトニータ様も?」
「勿論です!わたくしは歴史が本当に嫌いでっ!でも勉強は全般的に嫌いでしたよ。唯一音楽だけはできました。未だに外国語や歴史はさっぱりですよ。全然完璧ではない王女です」
「ふふ…あはは…。そうなんですね!意外です」
声を立てて楽しそうに笑うエステルの姿に、エマもアリヴィアンも驚いたが、その相手をしているのがラトニータということが更に驚きだった。
「ラトニータはよくエステルのところに来ているのか?」
「…いえ、どうでしょう。私が見たのも、今日が初めてです」
覗き見るような形で、二人の会話を聞くことになったアリヴィアン達は、そのままエステルとラトニータの様子を見守ることにした。
「ねえエステル様…。ずばり聞いてしまいますが、王宮に来たことを後悔しておりますか」
「……、なぜ…ですか…?」
「ん~…なぜって…。エステル様がちっとも楽しそうじゃないから…ですかね。なんか無理矢理アリヴィアン兄さまが連れて来たみたいだって思って」
ラトニータの言葉にアリヴィアンはぎょっとする。
思わず一歩飛び出したところで、エステルの言葉が耳に入った。




