25 噂
エステルは疲弊していた。
「はあ……。疲れたわ……」
薔薇の宮で与えられた部屋でようやく一人になれた。部屋着に着替えさせられてようやくゆったりできると、そのままベッドへダイブ。ふかふかで広いベッドは心地よい。
「ああ…今日習ったこと復習しないと…。でもダメだわ…眠い」
目を閉じればすぐに夢の中。毎日が目まぐるしく大変で、息をつく暇もない。流石のエステルも疲れ気味だ。
ここ一週間ばかり、アリヴィアンはエステルのところへ来てない。
アリヴィアンは王太子となったばかりで物凄く忙しいらしく、一週間は地方へ視察しなくてはいけないとか言っていた。
「恋した人が、次期王様って…。どこの物語って感じよ…」
助けた騎士は実は王子で、その王子に見初められて王都へやって来た。そこで王妃教育やその他の学問など徹底的に受ける。パスしなければ王子との結婚は認められないなんて、と。
アリヴィアンが王子だとは知らずに助け、その優しい人柄に惹かれてしまった。その時は一介の騎士だと思っていたが、それでも不相応だと思っていたし、恋人になれると思っていなかった。なぜなら自分は盲目で、洞窟で暮らす風変わりな女だからだ。
だからこそアリヴィアンがエステルに好きだと告げた時は嬉しかった。どんな苦労も厭わない、アリヴィアンとだったら生きて行けるとその時は思った。
しかしアリヴィアンの身分を知らされた時は驚きすぎて頭が回らなかった。
そこそこ裕福な平民か、下級貴族だと思っていた。
だと言うのに、まさか自分が住まう国の王族。
しかもアリヴィアンが次期王となるということは、ゆくゆくはエステルが王妃ということになってしまうという事に気付いた時はもう遅かった。
アリヴィアンは全ての根回しを済ませ、モーリッツを使ってエステルを王都に呼び寄せたのだから。
案の定、周りの者達は反対した。
エステルだって当たり前だと思う。一応貴族令嬢とは言え、自分のような盲目で世間知らずの女が王妃なんて務まるわけがない。
どんなに努力しても、世間の風当たりは強いだろう。アリヴィアンが守ってくれたとしても、「王太子の同情をひき、居座ろうとする図々しい女」と思われるだろうとエステルは考えていた。
薔薇の宮では王族のプライベートなところだから、口が堅く信頼のおける使用人と、忠臣の者達しか出入りができないと聞く。
しかし彼らからの視線も、決して好意的ではないとエステルは考えている。自意識過剰かもしれないが、ついついそう感じてしまうのだ。
二年間で王妃になるための全ての教育を終わらせるために、エステルには特別に補佐がついた。
これは盲目のエステルには日常的に助けが必要だと判断されたからだ。
そうしてやって来た一人の女性補佐。彼女は常に隣に控え、学問や礼儀作法、ありとあらゆることをエステルに教えて助ける人物だ。
この女性補佐、名前をエマと言う。
男爵家出身で、アカデミーを首席で卒業した才女、王宮の女性役人として働いていた。今回エステルの補佐となる役目をアリヴィアンから受け、一役人から昇格してエステルの傍で仕えることとなったのだが…。
(エマさんは…私の事があまり好きではないのかしら)
そう思ってしまうほど、エマの態度は固く冷たい。
仕事ができる女性なのだろう。エステルの出来の悪さに苛々しているに違いないとさえ感じる。
「エステル様、今から私の申し上げることを暗記してください」
文字が書けないエステルは、ありとあらゆることを耳から聞いて覚えなくてはならない。
エマはその補助が第一であるが、授業後には復習と称してエステルがどこまで授業内容を覚えているのか口頭で確認させるようにしている。だからエマは補助兼優秀な教師という立ち位置だ。
しかしこれがなかなかプレッシャーがかかる。
「忘れないようにメモをするという、普通の人がやることをエステル様はできません。ですから、一言一句間違わないように、正しく口に出して覚えましょう」
「は…はい、頑張ります…」
「そのお返事は王妃様らしくないですね。承知致しました、とだけ言えばよろしいかと」
「……承知致しました…」
エマの話し方は隙がなかった。
アリヴィアンとの会話は冗談も言えて楽しいものだったが、エマとはそういう感じには一切ならない。淡々と、業務をこなすかのように必要最低限の会話しかない。
おかげでエステルは、エマといるときは始終肩に力が入った状態だった。
加えて、ドレスも窮屈で苦しくて仕方がなかった。
洞窟暮らしの時は、コルセットを付けていなく、ゆったりした服を好んで着ていた。
だと言うのに、ここではコルセットをきつく巻かれ、ドレスもがっちりと着けられる。まるで甲冑だとエステルは密かに不満だった。
また今まで一人で気楽な生活を送ってきたエステルにとって、いつも隣に誰かがいるのは窮屈に感じてしまっていた。
エマだけではなく、ここでは使用人も護衛達もいる。常に誰かの目がある。
全く気が抜けず、常に背筋を伸ばしていないといけない。
加えて、
「目を包帯で隠していても、今何を思っているのか、エステル様の考えや表情は大体想像できます。故に、常に笑顔でいるように」
とエマには言われているが、ここのところ引きつった笑いしかしていない。
こんな調子だからこそ、ようやく夜に一人ベッドで好きにいられる時間はありがたい。
「はあああ~……………」
思わず深い溜息をついてしまう。ごろんと仰向けになり、邪魔な包帯を外して目を開ければ、薄っすらと部屋の明かりが目の奥に届く。
(勉強は面白いわ。礼儀作法も…きついけれど、なんとかやっていけるわ。多分……)
必死でそう言い聞かせてこの生活に耐える。全てはアリヴィアンの隣にいたいから。
でも果たしてこれでいいのかと。こんな調子で良いのかと思ってしまう自分がいることも確かなのだ。
「…………私ったら…。駄目ね……こんな……」
自分で決めたことなのにと。
どうしてこんな気持ちになってしまうのだろうと。
情けなくて悔しくて、気づけばほろりと涙が零れ落ちてしまうのだった。
***
ある日のことだ。
エマはどうやら元職場の方で引き継ぎの仕事があるということで、珍しくその日の授業はなしになり、久しぶりの休みがエステルに訪れた。
一人になれたことが嬉しく、外に出てみようと部屋を出た。薔薇の宮はその名の通り、庭の薔薇がとても美しのだから。
エステルが極力一人でいることを好むということを使用人たちはきちんと把握しているらしく、館の中を歩き回る時は一人にしてくれることが多い。それはエステルにとって、非常に有難いことだった。
コツ、コツ、と杖で自分の歩く廊下の広さや、物がないかを確認しながら歩く。
自分の慣れた場所 ー例えば洞窟内や温泉までの道ー は体が覚えているので問題ないが、まだまだ慣れないところではどうしても杖が必要になる。そうやって何度も歩いていると体が館の作りを覚えてくれるのだ。
エステルは杖を使うのがすごく嫌いだ。自由を好むエステルの性格もあるだろうが、手がふさがっているのが嫌らしい。
だからこそ怖がらずに外にでて、外のことを体と頭に叩き込む。何十回も繰り返せば、杖など必要なくなるから。
「さてさて、こちらの廊下にも…誰もいないわね?」
誰の気配も感じない事を確認し、更に広い廊下に出て早足で庭を目指した。
人の気配に敏感なエステルは、誰かが近づいてくるととっさにその道を避けて隠れる術も覚えた。貴族令嬢としてダメな行動だとは分かっているが、休憩中くらい好きにさせて欲しいというのがエステルの言い分だ。
「あの人、本当に王妃になるのかしらねえー…」
「無理じゃない? 目が見えない上に、貴族令嬢らしくないじゃない」
軽口を叩き合いながら廊下を歩いていたのは、使用人の女性達二人だったようだ。その二人が通り過ぎるのを待とうと隠れていたエステルは、運悪くその会話を聞くことになってしまった。
(これは…私の事よね…)
「大体、なんでアリヴィアン殿下はあの人を選んだのかしらー…。殿下程の美しい男性ならば、選り取り見取りでしょうにねえ」
「本当にね。類まれなる美貌のアリヴィアン殿下の隣に立つのは、これまた美しい女性か、もしくは可愛らしい年下の女性かって思っていたのに…。寄りによって、あれだものねえ」
ぐさり、ぐさりと見えない刃がエステルの心臓を刺す。
使用人はエステルの前では何も言わないが、やはりそれが本心かと思い知らされて。
「盲目なのは仕方ないとしても…なんかちょっとね…覇気がないっていうか…。王妃殿下になる方は、もう少し芯が強くないとやっていけないんじゃないのーって思っちゃうわ」
「そうよね。王妃様も王女殿下方も、‘これぞ王族!’って雰囲気あるものね。それと比べたらごくごく普通の人よね」
「戦争が終結したとは言え、王子殿下達が亡くなってまだまだ大変なことが続くのに…。火種になるような女性がアリヴィアン殿下のゆくゆくの婚約者って……、厄介よね。国が荒れないといいけれど…」
「盲目で荒れた環境にいらしたから、アリヴィアン殿下は同情したんじゃないかしら?きっと時間が経てば飽きると思うわよー」
「私もそう思う!己の過ちに気付き、それなりにちゃんとしたご令嬢を正妃にすると思う」
「そうよね。美貌の王太子殿下だしね。別のご令嬢を好きになるのは時間の問題かしらね」
エステルはただそこで立ち尽くしていた。頭の中が白くなり、カタカタと震える。
彼女たちの声が遠ざかっても、エステルはその場から動けなかった。




