22 王都へ
(まさかドロニア国の王子殿下だとは思わなかった…)
アリヴィアンの素性を知った時、エステルは卒倒するくらい顔を青ざめさせた。
砕けた口調故に平民出身の騎士だと思い込んでいたから、「アリヴィアン・セミョーノフ・ヴァロンティア」という名前を聞いてもエステルがピンとこなかったのは仕方なかろう。
アリヴィアンが己の名をエステルに告げた時、その声が多少緊張の色を帯びていた。
何かを感じ取ったエステルは「もしかして貴族でいらっしゃいますか」と聞いた。エステルは冷遇されているとはいえ、一応マハノヴァ辺境伯の令嬢ということになる。貴族の位は侯爵で、結構高い身分だ。
(私の方が身分高かったら…、尻込みしているとか思われていたらどうしよう…)
この時はまだ、アリヴィアンが地方の貴族の出身かしらという程度しか思わなかった。エステルのこうした考えは全くの的外れなのだが。
ずっと洞窟暮らしのエステルが王族の名前を聞いても一発で分からなかったということも仕方がないと言うもの。
勿論アリヴィアンはその事について責めるつもりは毛頭なかった。
苦笑気味に「実は王家の出身で」と言われた時にエステルはようやく気付き、比較的図太いメンタルを持っているはずだと言うのに、思いっきり震えてしまった。
「エステルは、私の事を好きだと言ってくれただろう? それなのに王太子では難しいと言うのか?」
「そ……そういうわけでは……!」
我ながらずるい聞き方だとアリヴィアンは知っている。だがエステルに断られるつもりは全くなかった。
鼻と唇が触れ合うくらいまで顔を近づける。
「騎士様……!」
「アリヴィアン、だよ。エステル」
「ア、……アリヴィ…アン殿下…!待ってください!」
「待たない」
「っ…ん!」
ついばむような軽いキスから、角度を変えて深いキスへと変化させる。アリヴィアンにとって不都合な事をエステルが口にしそうならば、全てキスで塞いでしまおうと言わんばかりだ。
「もし私と共に行けないと言うならば……」
「いえ!そんな事は……!」
「断るつもりはなさそうで良かった。断られたら、この洞窟ごと騎士団で占領してやろうかと考えていた」
冗談か本気か分かりかねることを言って笑うアリヴィアンを、エステルは顔を真っ赤にさせて睨む。
「分かっているよ、私の我儘だって。エステルには相当苦労かけると思う。それでも、どうか一緒に来て欲しい。愛している……君を、愛しているんだ」
「……殿下………」
アリヴィアンの愛の言葉が、エステルの緊張をほどいていく。
エステルは目を閉じて、アリヴィアンの愛を体全体で受け止める。
勿論、エステルもアリヴィアンを愛している。この人と離れたら、もう一生これ程自分を想ってくれる人には出会えないだろうとも思っている。だから一緒に行くことには抵抗はない。
ただ、ほんの少しだけ不安なのだ。
王族と最高位の貴族達が集まる王宮という華やかな場所で渦巻くであろう、様々な人たちの想い・思念。
自分のような女が王太子のアリヴィアンの妻としてすんなり認めてもらえるなどとは、エステルだって考えていなかったからー……。
***
アリヴィアンが正式に王太子となった同時期に、戦争が勝利という形で終了した。
そして多くの貴族達から、新たに王太子となるアリヴィアンに見合い話が持ち込まれたのも当然の流れというもの。
元々見目麗しい王太子の妻になりたいと願う令嬢は多かったが、アリヴィアンはそれを片っ端から断った。これには流石に家族たちが苦言を呈する。
『アリヴィアン、いつかは王妃となる方を決めなくてはなりませんよ。まだ結婚しろとは言いません。せめて婚約だけでも決めなさい。でないと国民も貴族達も納得しません』
姉で第一王女のミロヴィアーナは、この時既に結婚をして他国に嫁いでおり、わざわざ手紙でそう忠告してきたくらいだ。
他の姉妹たちも、どこの令嬢がいいだとか、仲の良い令嬢にお薦めがいるだとか好き勝手言う。
アリヴィアンはそれらの忠告も助言も全て聞き流し、エステルを迎え入れるために着々と準備を進めていた。
(しかしそう簡単に、エステルを皆が好意的に受け入れてくれるとは思わない…。長期戦になるだろうな)
アリヴィアンは自身の伴侶はエステルでないと嫌だと決めているが、では今のエステルが王妃にふさわしいかと問われれば、「そうだ」と胸を張って言うことはできなかった。
エステルは長年の洞窟暮らしから、貴族令嬢の行動と思えないことまでしてしまっている。
それはアリヴィアンにとっては非常に楽しく好ましいものだが、「王妃」に求められているものはもっと違うものだということも分かっている。
(今のエステルのままでは、貴族達も国民も納得はしないだろう…)
だからこそ彼女には王妃教育をみっちりと受けてもらうのだが、盲目ということが大きなハンデとなってのしかかろう。
アリヴィアンに対する信頼も支持率も一時的とは言え下降するだろうし、下手したらアリヴィアンに従わないという貴族も出るかもしれない。
それでもあがいてみたいとアリヴィアンは思っていた。
きっと自分は兄のエドアルド程、完璧な王太子とはなれないだろう。それを隣で支えてくれる人ならば、エステルがいいと思っている。
とは言え、問題は山積みだ。
明日、エステルを家族や一部の家臣らに紹介するが、どんな反応をされるか目に見えている。
「ま…なんとかなるか。あれこれ考えても仕方ないな」
何があってもエステルは守るし、彼女の為ならば何でもしてやる。
ただ一つ心残りがあるとすれば…。
エステルの覚悟が定まらないうちに、全てアリヴィアンが物事を決めたということだ。
彼女の口から断られるのが怖かったというのが一番の理由で、これまた情けない理由だとアリヴィアン自身は分かっているのだが。
***
そうして迎えた、顔合わせの前日。
マハノヴァ辺境伯の地からエステルをこっそり呼び寄せ、王族専用の館「薔薇の宮」で彼女の部屋を与えた。
全てはモーリッツの協力の下で実現したことで、アリヴィアンはマハノヴァ侯爵とついぞ会わないでその地を去った。
「これも皆に後で色々と言われそうだが…。まあいい。強行突破をしてやる」
マハノヴァ侯爵には「あなたの娘さんをもらいます」と挨拶をすべきかどうかギリギリで悩み、あまり気は乗らなかったがモーリッツに相談したところ、「エステルは既に死んだことになっておりますので、マハノヴァ侯爵家に挨拶は必要ないですよ」という驚きの答えが返ってきた。
「エステルは失明して一年半後に失踪したことになっています。そして死亡届も出しております。父も母も、そして使用人全員もエステルが生きているとは思っていませんよ」
よくよく聞けば、モーリッツはこっそりとエステルを屋敷から連れ出し、そして洞窟に隠した。
エステルは絶望して屋敷を飛び出し、どこかで野垂れ死んだと屋敷の者達は思っていると。
あの山の洞窟に入ればエステルがそこで暮らしているというのに、モーリッツ以外誰も洞窟に入らないということに驚いた。そこまで遠くもなく、れっきとしたマハノヴァ侯爵家所有の山だと言うのにだ。
「……本当にあの洞窟には、誰も近寄らないのか……」
「それはそうですよ。よほどの物好きでない限り、あんな暗闇に入りません。それにあそこには悪魔が出ると言う噂を流していましたからね」
「……君が流していたのか?その噂を」
「勿論です。エステルに誰も近づかないようにと」
そこまでいけば色々と凄い。呆れを通り越し、何やら感心してしまったアリヴィアンだ。
薔薇の宮に来たエステルは、いつもの明るく元気な彼女ではなく、緊張でガチガチ、口数も少なかった。
「アリヴィアン殿下…。ここは本当に王都の王宮ですか…?」
エステルがアリヴィアンに向かって手を伸ばし、アリヴィアンがその手を優しくとる。
「そうだ。しばらくここで、私達のことを知ってもらう。覚えてもらうことも多いが…」
アリヴィアンが少しだけ申し訳なさそうな顔をすると、エステルは苦笑しながらアリヴィアンの手を取った。
「はい、どうぞよろしくお願い致します。アリヴィアン殿下…」
背筋をぴっと伸ばし、柔らかい声でそう言ったエステルに、アリヴィアンもにっこりと笑った。




