21 独占欲
エステルが使っていた洞窟内の暗い部屋で、モーリッツはぼうっとしていた。
エステルはもういない。ある男がエステルを連れて行ってしまったから。
「く……エステル…。僕の可愛い妹。僕の可愛い女子…」
モーリッツの頭の中には、闇の中で一人泣いているエステルがいる。そこに手を差し伸べれば、笑って縋り付いて来る。そう、自分だけに縋り付いて来るその姿が堪らなくいい。エステルに必要なのは自分だけで、他の人間は必要がなかった。
だから洞窟に閉じ込めたと言うのに。
どうしてあの男とエステルは出会ってしまったのだ。考えれば考える程悔しくて仕方ない。
***
前マハノヴァ辺境伯は風変わりな老人と有名だった。
地質学に興味があったのか、自身の所有する山を掘って石を集めては喜ぶ人物だったらしい。その石が宝石とか鉱物の類ならば事業を興すこともできただろうに、あまり金にならない石ばかりを集める酔狂な老人だった。
またそこに貴族のような豪華な部屋を作って、一人の時間を過ごすという静かな時を愛する人でもあったようだ。
老人の死後、エステルの父であるグレートがマハノヴァ侯爵家を継いだが、老人が愛した洞窟に手を加えるつもりはなかった。
一族の者ならば老人の趣味の塊である洞窟の部屋の存在を、誰しも知っていた。
しかし誰しも近寄ろうとはしなかったのは、ただの闇が広がる場所を好む人間などいなかったということが理由に他ならない。
グレートもアマーリエ夫人も性根が腐った暗い性格の大人ではあったが、だからと言って暗い場所が好きだというわけではなかったようだ。傲慢で自分勝手な彼らが好きなのは、キラキラ光る金が集まる世界だった。
モーリッツも別にその洞窟が好きだったわけではない。むしろ親と同じように、薄気味悪く、嫌なところだと感じていた。
だが失明した妹を匿い、己一人が会いにいくとなると、これ以上都合の良い場所はないとほくそ笑む。
モーリッツは親と同じくらい、歪んだ少年だった。
家族に興味のない父、他人をいたぶっては喜ぶ母、散財ばかりする弟たち。そんな家族に囲まれ、捻くれるのは仕方ないかもしれない。
だから純粋で明るく、めげない性格の異母妹・エステルに特殊な感情を持つようになったのは当然と言えば当然の成り行きだった。
エステルは平凡な顔つきをした少女だった。
母親のサティアはモーリッツから見てもとても可愛らしい顔つきをしていたが、エステルはどこにでもいる平凡で、特別目立つ容姿ではなかった。
だが彼女の魅力は、明るく元気で、優しいその内面にある。
モーリッツはいつしか、その異母妹に強烈に惹かれて止まなくなっていた。
しかしそれは純粋な恋愛感情とは程遠いものだった。
サティアとエステルに食事を運び、地下での生活に不便がないように手を貸していたのはモーリッツだったが、それは弱者に優しくして優越感を覚える、一種の性癖のようなものだった。
モーリッツの好みの女性は、「今不幸な境遇にいる女の子」だった。
容姿とか身分とか門地とか、果てしなくどうでも良い。勿論多少可愛いならば文句はないが、それが全てではない。
誰が見ても酷い境遇に置かれ、そこで苦しむ子というのが、モーリッツが興奮を覚える女の子の特徴だった。
失明したエステルに心底興奮をしていたのもモーリッツだ。
しくしく泣いてモーリッツにすがるエステルが非常に可愛い。もっともっと暗闇の中に突き落として、自分しか頼れないようにしてやりたい。彼女の世界に存在するのは自分一人であって欲しい。そんな欲望を胸に抱いていたのだ。
(僕は母の嫌なところを引き継いだのかな…)
失明して何も出来なくなったエステルの身の回りの全ての世話を、モーリッツがやっていたのもそんな理由があったからだ。
食事も、体を拭くのも、下の世話も、全てモーリッツにとって嬉しくて興奮することだ。絶望で染まったエステルの表情を見ていると、背中がゾクゾクしてきて堪らなくなる。
洞窟に閉じ込めてからはそれが一層強くなった。
暗闇の中、一人で怯えて暮らすエステルの姿が最高に可愛い。
あれは女であって女ではない生き物だ。
エステルと恋人になるとか、結婚したいとか考えたことはあっても、実行するだけの勇気は流石のモーリッツにもなかったけれども。
半分しか血が繋がっていないとはいえ、彼女は妹だ。その妹と関係するなど、獣に成り下がるつもりはないとモーリッツは自分に言い聞かせている。
だがエステルを手放してやることなど絶対にない。彼女は永遠に自分のものだと決めていた。
幾度も見合いの話が出て婚約者も決められそうになるも、モーリッツは全てその話を蹴り、結局三十歳になる現在まで独身を貫いていた。
(僕とエステルの関係は特別だ。普通の兄妹でも、普通の男女の仲でもない。そう、特別なのだ…)
そう感じて満足する日々を過ごしていたが、戦争が勃発し、思うようにエステルのところへ通うことが困難になってしまう。二か月間も行けなかった時は、発狂しそうになるくらいエステルが恋しかった。
そうして二か月後半後にやっとエステルに会いに行けたと思ったら。
「騎士様を助けたの。兄さまのベッドを使わせてもらったわ…。怒らない?」
そうエステルから話を聞いた時、腸が煮えくり返りそうになった。自分以外の男をこの洞窟に入れ、そして共に過ごしたのかと。
戦時中で忙しく、洞窟の様子を見に来られなかったことが悔やまれる。知っていたらそんな男叩きだしてやったと言うのに。
そしてその「騎士」が、まさかこの国の第三王子・アリヴィアンだとは予想もしていなかった。
彼が行方不明だというのは知っていたが、どうして自分の妹が匿って介抱しているなんて予想していようか。
アリヴィアンがエステルの元に戻ってきた時、嫌な予感がした。エステルはきっと、この男に連れ去られてしまうだろうと。
事実、エステルはモーリッツに向かって「一緒にいたい人がいます」とアリヴィアンを改めて紹介してきた。ああ、やはりなとモーリッツは怒りで頭が沸騰しそうになる。
「お前をもらってくれる人がいるなんて。しかも王子殿下だなんて…。エステル、良かったね。おめでとう」
口ではそう言ったものの、心の中では全く真逆の事を思っている。
アリヴィアンはそんなモーリッツの心の内を見透かすような目でじっと見つめる。何も知らないのはエステルだけだ。
生憎モーリッツは、愛しい女を他人の男に奪われたのに祝福できるほど心が広くない。
アリヴィアンもモーリッツのことは好かないだろう。
それでいいさ、どうせ自分達は一人の女に惹かれた男だ。せいぜいお前のやり方でエステルを守ってみせるがいい。苦労するだろうがな…とモーリッツは心の中で一人呟いた。




