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美貌の王太子は、孤独な娘を逃がさない  作者: Aki


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20/35

20 過去のこと

 アリヴィアンの優しさに包まれて幸福を感じる中で、エステルは母親と過去の夢を見た。



 エステルの母のサティアは、エステルの知る限り他人に怒ったことがなく、常に穏やかで優しい気質を持つ女性だった。


 サティアの家は貧しい農村にあり、13歳からサティアも兄弟を養うために働いていた。

 縁あってマハノヴァ辺境伯邸のメイドになることができ、懸命に働くも、サティアが平民だということで嘲笑う同僚も多く、軽い虐めもされていたらしい。


 またサティアが可愛らしい顔つきをしていたから、男の同僚たちはサティアを好意的な目で見つめ、結果的に女性の嫉妬やひがみを買うことになってしまったことも原因の一つだ。


 マハノヴァ侯爵のグレートもその一人で、正妻がいるにも関わらず、サティアを無理矢理組み倒し我が物とした。結果、サティアは16歳の時にエステルを身籠った。




 妊娠が分かると、グレート・マハノヴァは完全にサティアへの興味を失ってしまった。

 グレートは元々子供が大嫌いで、自分の子供たちにも興味はなかった。ある程度の金を持たせ、サティアを屋敷から追い出そうとしたが、そこに待ったをかけた人物がいた。


 それがグレートの正妻で、マハノヴァ侯爵夫人のアマーリエだ。




「卑しい、下賤の女とその娘! おお、目障りだわ。今すぐ消えて欲しいわ。でもあたくしの知らないところで幸せな日々を送っているのを想像すると…それはそれで嫌なのよ。いいこと、あなたはこの屋敷で暮らしなさい。あたくしの目の届かないところへ逃げるなんてこと、許さなくてよ」


 夫人はサティアを心から憎んでいた。


 グレート・マハノヴァは、外では立派な指導者ではあったが、屋敷に帰れば家族には無関心な人だった。

 夫人もそんな夫に諦めの気持ちは抱いていたが、不幸なことに夫人は深く夫を愛してもいたのだ。だからこそ一時的にとは言え、グレートと関係を持ったサティアを許せなかった。


 エステルが産まれると、そこから夫人のサティアに対する壮絶な虐めの日々が始まった。


 地下の物置小屋でエステルと共に生活をするように強制され、奴隷のような扱いをするようにと使用人たちにも伝えた。サティアを裸にして鞭打ちにし、熱いお湯をかけて火傷を負わすなどして、身体の虐待も繰り返す。

 食事を抜かれることは当たり前、夫人の暴力は日常茶飯事。


 サティアはいつもエステルを守っていた。

 だから八歳になるまでエステルは夫人の暴力を直に受けたことはなく、エステルが明るい気質でいられたのも、そうしたサティアの努力あってこそだった。


「いつか、いつか良いことがあるよ…。だからエステル、今は必死で耐えようね」


 サティアはエステルの前では笑顔でいたが、本当はとうに心は壊れていたのだ。




 エステルが九歳になる事、とうとうサティアは死んでしまった。


 本当ならばもうとっくに死んでいてもおかしくない体だった。

 長年夫人に虐待され、夫に放置され、屋敷の誰からも構ってもらえない辛い日々を過ごした女性を、誰も助けてはしなかった。


 サティアが死んだ日の朝、エステルは大泣きした。

 泣いて叫んで、アマーリエ夫人のところに行き、大声で夫人を罵った。


「お前が死ねばいい! このブス! そんなブスだからお前は侯爵に見向きもされないんだ! お前の価値なんて金だけだ! しかもその金も侯爵のものだろ! お前は無価値の、最低の女だ!そしてお前は人殺しだっ! 私の母を殺した人殺し! 死ね!死んで償え!」


 その頃のエステルは、図書室で本を読むことが大好きだったから、同年代の子と比べても言葉を知っている方で、そしてこっそり下町に行くこともあって、随分と俗語を覚えてしまった。

 要は口がとても悪かった。


 エステルの口の悪さに周りの者達は呆気にとられたが、夫人は流石と言うか、顔を真っ赤にさせて言い返して来た。その内容を、エステルはあまり覚えていない。エステルも怒りが爆発したからだ。


 アマーリエ夫人は生意気すぎると叫び、エステルの顔に何かの液体を吹っかけて来た。


 その液体は人間にとって毒薬だった。エステルの目にかかった瞬間、口では表現できない程の痛みがエステルを襲った。


「ああああああああああ!」


 焼きつくような痛みに、エステルはもだえ苦しむ。

 アマーリエ夫人のキンキンした笑い声が部屋に響き渡る。使用人たちは何もせず、ただ苦しむエステルを眺めるだけ。


 部屋に来たのは、マハノヴァ侯爵家の嫡男・モーリッツだった。


「母上! やりすぎです!」

「お黙り! こんな下賤の小娘、ここで死んでもらいましょう!」

「それは殺人です!」


 殺人という言葉にぐっと詰まった夫人は、それ以上のことはエステルにしようとしなかった。ただ泣き叫ぶエステルが煩いからどこかにやれと、モーリッツに言い放って椅子に座った。


 マハノヴァ侯爵とアマーリエ夫人の間には三人の息子、つまりエステルにとっては異母兄になる人達がいる。


 二人の異母兄はエステルとサティアを虫の如く嫌って近寄らなかったが、長男のモーリッツだけは違い、彼がサティアとエステルを長年に渡って助けてくれていた。


 モーリッツは急いでエステルを部屋に連れて行く。目が痛いと訴えるエステルの言葉を聞き、医者を呼ぶように使用人に伝えるも、夫人が呼んではならないと命令を下していたものだから、結局医者が来ることはなかった。




 エステルは苦しんだ。モーリッツは何もできず、ただ苦しむエステルの傍にいてやった。

 そして奇跡的に助かったが、エステルは失明してしまったのだ。

 


 失明したと分かったエステルは、かつてない程の絶望の闇へと叩き落された。


「どうして! どうして私と母がこんな目に遭うの!? どうして死ななかったの!!」


 泣き叫んでも誰も答えてくれない。光はおろか、目を開けても真っ暗な闇が広がるだけ。


 好きな本ももう読めない。下町で遊ぶことすら叶わない。どこへ行くにしても、誰かの補助が必要。

 自分が哀れで、悲しくて、いっそのこと楽に死ねたらと思ったが、けれどいざ死を目の前にすると恐怖で固まり、結局エステルは死ねないままずるずると日々を過ごした。



「エステル…。ここにいては…君の為にならない。もしよかったら、秘密基地に棲んでみないか?」


 異母兄のモーリッツがそう言ってきたのはいつの頃だったか。

 絶望で沈み切ったエステルに声をかけてくるのは、この兄だけだった。


「実はね、ちょっと凄い洞窟があるのだけれど。あ、山の方にね。その洞窟には部屋がちゃんとあって…もし良ければ、そこで暮らさないか?」


 モーリッツの申し出は、凍り切ったエステルの心を少しだけ動かした。


「ここから出られるの…?」


 モーリッツはエステルの手を取って、優しく髪を撫でた。


「この屋敷にいるよりはいいだろ?父上は無関心だし、母上はあれだし…。弟二人も、君とは距離を置いている。だからどうだ…?ここから出ないか?」


 失明してから一年半。エステルは十歳、モーリッツは十八歳。モーリッツが自分を助けるために必死で考えてくれたということが嬉しかった。


「この地獄から出られるならば…行きたい。兄さま、行きたいです……!」


 失明した目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。

 モーリッツは明るい声で「良かった」と言い、エステルの頭を優しく撫ででから優しく抱いてくれる。


「母上も弟たちも、その洞窟の存在は知っているけれど、わざわざ行くなんてことはしないよ。だって真っ暗だもん。しかも結構距離があるし。だから安心して?絶対に僕が守って見せるよ」



 涙を流して、エステルは静かに頷いたのだった。




***


 気付けば眠りながら泣いていたようだ。「エステル?」と優しい声が聞こえ、エステルはゆっくりと目を開ける。


「どうした? 辛い夢でも見たのか?」


 横で寝ていたアリヴィアンはうなされていたエステルに気付いて目が覚めたようだ。表情は見えないが、優しい声からエステルの事を気遣っているのが分かり、昔の辛い夢を見たと素直にエステルは告げた。


「昔の出来事か…? どんな内容だったか聞いてもいいか?」

「……母の事ですよ。あとは失明した時のこととか……」

「………失明したのは、マハノヴァ侯爵夫人だったな…。くそ……本当、どうにかしてやりたい」

「ふふふ…物騒な事を言わないで下さい。もう昔のことですから」


 くすくす笑うエステルを、アリヴィアンは強く抱きしめる。


「冗談ではないよ、エステル。君が望めば、私が何とか罰を下してやる」

「いいえ、いいのです。本当に…いいの」

「………」

「私はこうして騎士様に出逢えただけで幸せなんです…」


 エステルが小さく言えば、アリヴィアンは「騎士様じゃなくて、アリヴィアン」と笑いながら言う。


「あ…申し訳ございません、殿下」

「まあいいさ。そのうち慣れてくれ」

「……はい…」


 エステルは笑いながら、恋人の唇にキスを送って機嫌を取る。それが、アリヴィアンにスイッチを入れることとなるとは露知らず。


「ん……っ……!?ま、待って……、待ってください殿下!?」


 アリヴィアンの手は休まることをしない。焦ったエステルが止めに入るが、既に遅し。


「エステルが悪い。私を煽るから…」

「い…いつ私が煽ったと………!」

「私が悪夢を見させないようにしてやる…。さあ、楽にして」

「~~~っ!!!!」


 人生とは本当に分からない。

 洞窟暮らしの、日陰が似合う自分だったのに、今はこうして国に一番高貴な人に愛されるなんて…とエステルはぼんやり考えたのだった。



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