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14 異母兄

 約一日半をかけてマハノヴァ辺境伯領に辿り着いた。

 今回の目的は砦でも、仲間たちがいる騎士団でもなく、エステルと彼女の棲むところである。


(なぜこんなにも急くのだ。早く、早く着きたいと願って止まないのだ…)


 王都から飛ばして来たアリヴィアンはもうフラフラだった。連日の寝不足もあってか、頭も体もずきずきする。


「確か、ここら辺から入って…歩いていけば洞窟に出て……」


 山道へ入ろうとしたその時、アリヴィアンの目の前には誰かが立ってじっとアリヴィアンを見ていた。アリヴィアンは周りを気にする余裕がなく、ようやく気付いたのは、その人物の真ん前に足を運んでからだ。


「っ!? 誰だ…!」


 中肉中背、年のころは二十代後半から三十代前半、背はそこまで高くない。黒髪の男は手に沢山の籠を持っており、ずっとアリヴィアンを見ていたのだ。

 誰かがいるなんて思わなかったアリヴィアンは驚いて、思わず腰の剣に手を伸ばした。


 男はそんなアリヴィアンを一瞥すると、無表情のまま問うてきた。


「‘誰だ’はこちらの台詞だ。お前こそ誰だ。勝手に我がマハノヴァ侯爵家が所有する山に入るのか」

「……っ!」


 アリヴィアンはハッとしてその男を眺めて、そこでようやくこの男がマハノヴァ侯爵に似ていることに気付いたわけで。

 ああ、ここは確かに侯爵の山だったと変に納得しては可笑しくなった。


「何を笑っている」

「いえ…大変失礼致しました。マハノヴァ侯爵の嫡男とお見受けします。…小侯爵殿ですね」

「…僕の顔を知らないとなれば領民ではないな? まさか隣国の者か?」

「違います。私はアリヴィアン・セミョーノフ・ヴァロンティアと申します」

「………!」


 マハノヴァ侯爵の嫡男すなわちエステルの兄は、アリヴィアンが正式名称で名乗ると顔を強張らせ、持っていた荷物全てを地面の上に置いてからアリヴィアンに対し、紳士の礼を持って返答した。


「アリヴィアン殿下でいらっしゃいましたか。大変失礼致しました」

「……あっさり信じるのだな。偽物と疑わないのか?」

「輝く金髪、青い目、誰しも振り返る程の美しい男性と噂を耳にしております。その通りだったかと実感しております」

「………あまり嬉しくない判断のされ方だが…まあいい……。君には一度会っておきたかった」

「……モーリッツ、と申します」


 眠たくダルい体に鞭を打ってアリヴィアンはモーリッツに向き直る。


「二か月前に、私はエステルに助けてもらった。その事は知っているか?」

「……はい。実は知ったのはつい一月前ですが…まさか殿下の事だとは思いもしませんでした」

「…エステルからはどのように聞いた?」

「怪我をした騎士様を介抱したと。二か月間療養した後、洞窟から出て行ったと。その間、僕が使っているベッドを貸したから、怒らないで欲しいとも」

「………そうか……」


 エステルのことだから、あっけらかんと言ったに違いない。目の前のモーリッツという男がどのような人物かは図りかねるが、エステルのような明るさやお気楽さは全く感じられない。良くも悪くも、貴族の嫡男といった感じだ。


「それで殿下…。お尋ねいたしますが、エステルとあの場の事を他の誰かにお話されましたか…?」


 少々不安そうなモーリッツの目がアリヴィアンのそれと交じり合う。なぜかイラっとしたのは仕方ないだろう。


「私の上司である騎士団長には報告した。……今はまだ…それだけだ……」

「……さようでございますか…。して、殿下はなぜこちらに来られたのですか?」

「…予想はついているのだろう? エステルに会いに」

「………それはなぜですか? もしやエステルと恋仲にでもなりましたか?」

「…………違う」


 自分達はそんな間柄ではないとはっきり否定するも、なぜか心の中にモヤモヤが募る。


「そんなではない。あそこの……、温泉とやらが気に入って……。それで…」

「ああ、成程」


 モーリッツはニコッと笑った。もしここで、エステルと恋仲であると言ったら、こいつはどんな反応をしていたのやらと思ってしまうアリヴィアン。


(私もつくづく、性格が悪いな…)


「あそこの温泉は僕も気に入っております。どうぞ、洞窟の中を案内しますよ。丁度エステルに食材を届けに行くつもりでしたし」

「………やはり小侯爵がエステルに食べ物を届けていたのか…」


 薄々そうだとは思っていた。エステルは一度も買い物をすることがなかったし、狩猟をしているわけでもないから。だとしたら誰かがエステルに渡しているとしか考えられない。


「あの子をあそこへ追いやったのは僕ですからね。このくらいのことは何でもないですよ。食材の他、生活に必要な物は全て僕が揃えております」

「…………」

「ああでも良かったです、殿下。ここで僕と会って。エステルが暮らす部屋に辿り着くまでには、洞窟の迷路を通らなくてはなりません。僕がいなければ殿下はきっと迷っておりましたよ」


 言われてみればそうだった。洞窟から出るときも、エステルの案内があってこそだった。一本道だと思い込んでいたが、真っ暗で何も見えなかっただけで、実際はいくつも分かれ道があるとモーリッツは言う。


「暗いので、足元にお気をつけ下さい」


 片手にランプを持ち、もう片方の手で荷物を持つ。この男と共に進ことになるのは何となく嫌だったが、洞窟の中で迷っては洒落にならない。渋々と従うことにした。





「時にお尋ねいたしますが…。エステルは、殿下のことをどこまで知っているのですか…?王族だと名乗ったのですか?」

「……いや、王族だとは言っていない」

「…でしょうね。でなければ、流石のエステルも慌てるに違いないでしょうから」

「………ああ」


 エステルは最後の最後までアリヴィアンの名前を呼んではくれず、ずっと「騎士様」と言っていた。その事を少々寂しく思うも、モーリッツ以外の者と接することがないならば仕方がないのかもしれない。


「小侯爵。私が思うことを言ってもいいか?」

「……なんなりと」


 前を歩くモーリッツから、静かなる声が届く。


「エステルが盲目になってしまった原因を、ざっくりだが本人から聞いた。そして小侯爵が、その原因をつくった夫人からエステルを隠していることも知っている。だが…洞窟の中に、貴族令嬢を押しやるのはいかがなものか。こんな、誰もいない処で……」

「…………」


「夫人から守るにしても、もっと違うやり方があったはずだ。こんな、罪人みたいな扱い…私はどうかと思う」

「…ですがエステルは楽しそうにしているでしょう?」

「あれはエステルの前向きで明るい性格をしているから成せることだろう。普通だったら…、狂ってしまってもおかしくない」

「……そうでしょうね…ええ、分かっていますよ」

「……だったらなぜ」


 会えば言わずにはいられないと予想していたが、果たしてそうなってしまった。

 アリヴィアンは怒りを含んだ声でモーリッツに不満をぶつける。


 モーリッツはしばらく何も言わなかったが、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。その内容は、アリヴィアンが予想しなかったものだった。


「エステルは…僕の可愛い妹でした。僕はエステルを守りたかった。誰の目にも触れさせず、エステルも他の誰も見ることなく…」

「……」

「殿下の仰ったように、エステルを守る方法ならば他にいくらでもありましたよ。でも、僕はこの方法が良かった。僕の屋敷の傍にある洞窟の部屋で、一人で暮らして、時々僕が行くことで僕から離れないでいる…あのエステルがとても可愛くて……」

「…………」


 モーリッツはまるで恋人の事を話しているかのように楽しそうだ。アリヴィアンの頭がガンガンに痛み出し、イライラが増す。


「君は…エステルの実兄だろう!?」

「ええ、残念ながら。半分血が繋がった実の兄です。それでも僕にとって、エステルは可愛い女です」

「……!」

「悲しい事に、エステル以外の女に興奮しないのですよ。一人で生きる盲目のエステルが可愛くて、できるならばもっと闇に突き落としてしまいたいのです。そして僕だけを頼って欲しいと思っています」

「……狂っている……!」

「知っています。僕は異常者だと。実の妹に、邪な想いを抱いております。それでもいいんです。エステルが可愛いのです。僕の妄想の中では、エステルは僕だけの可愛い恋人ですよ」


 興奮してきているのか、モーリッツの声が段々と大きくなる。


「本当ならば、エステルにはもっと絶望して欲しかった。僕しか希望がないと思い込んで欲しかった。そうして僕を愛して欲しかった。でもエステルは自分で人生を切り開いて、強くて逞しく生きていて。僕のことを、結局兄としか見ていない。いっそのこと、ぐちゃぐちゃに潰してやりたいとも思いました…!」


 聞いていられなくなったアリヴィアンは、気づけば思いっきりモーリッツの頬を殴り飛ばしていた。



【登場人物紹介】

●モーリッツ・マハノヴァ……エステルの異母兄。三十歳。独身。マハノヴァ侯爵家の嫡男。

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