第1章 第12話 どうやら心が痛む過去らしい
エレンに案内をしてもらいながら、僕は自分の部屋に向かっていた。
長い通路の窓から見える湖は、さっきまでの戦闘が嘘であったかのように静かに夜空を映している。
2人で歩いている間、エレンは勇者パーティーであった過去の話をしてくれた。
かつて、エレンは“魔素の世界”にいた。
世界樹の声を聞く者として、エレンはエルフの里に於いて“特別な地位”にあった。
ある日、傷ついたヒト系-コモンが3人、このエルフの里に迷い込んできた。
エルフの里は、他系統・他種族との交流を極端に嫌っている。
それは、世界樹を守護するという、古くからのエルフの使命によるものが大きい。
エレンは、里の仲間たちが反対するのを押し切って、傷ついたヒト系-コモンを回復した。
エレンの回復魔力は、他のエルフたちよりも数段高い。
ヒト系-コモンは名を“シモン”と名乗り、自分は勇者として魔王を倒す定めによって旅をしているという。
このエルフの里がある森で、魔王の強力な配下との戦闘となったそうだ。
そして、命からがら勝利したものの深手を負って、このエルフの里に何とか辿り着いたとのことであった。
勇者の仲間は、“マジックキャスター”の男と“レンジャー”の女である。
マジックキャスターの男は紺色のローブを纏った細身で背が高く、レンジャーの女は小柄で真っ赤な弓を大切そうに持っていた。
実は、エレンは“空虚の空間”に入ったことがある。
その為、2人の背格好は覚えているものの、その顔と名前の記憶は消えてしまっていた。
エレンは、エルフの里から外に出てみたいという強い気持ちを抱いていた為、その勇者パーティーの一員になる決心をしてエルフの里を後にした。
それから5年の月日が流れ、勇者パーティーは見事に魔王の討伐に成功する。
勇者パーティーは魔王討伐から帰還すると、王国から盛大な歓迎を受けたのであった。
その王国は魔王を討伐した国として、諸外国に対して優位な立場を得た。
その時は、これで世界に平和が広がると信じていたのだが・・・。
状況が変化したのはそれからである。
魔王という共通の敵が存在しなくなったことで、国同士の領地争いが勃発したのだ。
その争いは、すぐさま“魔素の世界”全土に広がった。
勇者パーティーには、王国に歯向かう“他国との戦争”に出撃するよう命令が下された。
しかし、勇者シモンは、その命令に従わなかった。
自分の力は魔物に対して振るうものであり、人殺しの為ではないと頑として応じなかったのだ。
それに憤慨した王と、勇者パーティーが他国の味方をするのではないかと危惧した側近により、勇者パーティーには“あらぬ濡れ衣”を着せられた上で、処刑命令が下された。
すぐに勇者パーティーの武器・防具は、王国に抑えられてしまった。
勇者シモンは捕縛されて、国の裏切り者として王国国民の前に引き摺り出されてしまう。
王国国民の目には、勇者シモンが魔王を討伐したことに対する感謝の色はなかった。
犯罪者を見る目。
それが、斬首台に抑えつけられた勇者シモンに一斉に向けられる。
そして、そのまま斬首は執行されてしまった。
その時のシモンの顔は、はっきりと覚えている。
この国、この世界に“深い恨み”を抱いたような顔であった。
エレン達は身支度を整える間もなく、すぐに王都から逃げ出すしかなかった。
それに対して王国は暗殺部隊を次々と送り込んでくる。
それは日々が地獄。
四六時中どこまでも暗殺部隊が襲ってくるのだ。
マジックキャスターとレンジャーの2人とは、逃亡している途中で逸れてしまった。
自分たちは、一体何の為に魔王を討伐したのだろうか。
暗殺部隊の襲来に怯えながら、エレンはそのことを何度も何度も考えた。
エルフの里に戻ることも頭を過った。
しかし、国同士の争いはエルフの里も巻き込んでいる。
自分はどんな顔をして、エルフの里に戻れば良いというのであろうか。
そんな中、早くも新たな魔王が誕生したということを虫の知らせで聞いた。
新たな魔王が誕生しても、王国から向けられる暗殺部隊の手は緩まない。
しまいには、新魔王の手下であるという根も葉もない嘘が広まって、元勇者パーティーには懸賞金まで懸けられていた。
ついにエレンは、逃げる気力を失ってしまう。
物陰に隠れたところで、地面にへたれ込んでしまった。
もう何日も寝ていない為、自身のMPは枯渇していて回復をかけることもできない。
もう、この世界から消えたいと思った。
その時、すぐそばで男の声が聞こえた。
「師に言われて君をスカウトに来たのだが・・・散々な目にあっておるな。」
エレンは、暗殺部隊に捕まったと感じて、下を向いたまま目を瞑る。
「安心したまえ。 私は、師の命で君をスカウトしに来た。」
「スカウト?何に?」
エレンはその男を見ることなく、下を向いたままで言葉を返す。
「残念ながら詳しく説明している時間がない。 君を狙った集団がそこまで来ているからね。」
どうやらこの男は、自分の命を狙う者ではないようだ。
「いますぐ決めて欲しい。君はこの世界に未練はないかね?」
「未練・・・ふっ、そんなのないわ。消えてしまいたいくらいよ。」
「それでは、スカウト成立としよう。」
男はそう言うと、エレンに回復魔法をかけた。
エレンは驚いた。
このレベルの回復魔法を使えるのは、いくら世界が広しといえど勇者パーティーであった自分くらいの実力がなければ無理である。
エレンは、男を見上げた。
「悪いが挨拶している時間がない。一度、真っ白な空間に転移するが、すぐにそこから君を助け出す。」
エレンは、男を見る間もなく一瞬で真っ白な場所に転移させられた。
空虚の空間である。
辺り一面が真っ白で、どこを見ても何もない。
自分は死んだのか?と、ふいにそう思えた。
すると、目の前の空間が歪んで自分の身体が何かに引っ張られた。
そしてエレンは、この異世界免許教習所に来たのである。
「・・・・・。」
エレンからの話を聞いて、僕は言葉を失ってしまった。
とんでもなく心が痛む。
「魔王を倒しても、世界は混乱に陥るものなんですね・・・。」
「そうね。魔王を肯定する気はないけど・・・。」
エレンはそう言うと、美しく長い金髪をかき上げた。
「創造神さまが、魔王の存在を認めているから、魔王は世界に現れるのよ。」
エレンは残念そうに微笑んだ。
「その時、エレンさんを助けたのは、誰だったのですか?」
「大賢者の弟子の一人に助けられたの。」
「大賢者の弟子とは、コマゾーさまの弟子ですか?」
「ふふっ。そうよ。」
「僕も明日から、大賢者コマゾーさまに色々と教えてもらえるみたいです。」
「あら。それはステキね。」
「僕も頑張って、今日みたいなことがあっても戦えるようになりたいです。」
「ふふっ。無理しないようにね。」
「そういえば、あの仮免堕ちとは何だったのですか?」
「そうね。それを説明する前にもう着いちゃったわね。」
エレンは大きな建物の扉の前で立ち止まった。
「さ、ミライ君。 今日はもう休みなさい。明日になれば大賢者に教えてもらえるからね。」
「わかりました。その、色々とありがとうございました。」
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
僕はエレンに深々と頭を下げて、扉を開けて建物の中に入った。
MAPには、建物の一番奥の部屋が僕の部屋だと表示されている。
自分の部屋に入った。
部屋の扉に鍵はついていないようだ。
部屋の中は真っ暗である。
僕は考えるよりも先に自然とスイッチを探してしまう。
スイッチは普通に壁にあった。
それを押すと部屋の中が明るくなる。
「ここにも電気があるのかな?」
そう思って、部屋のライトを見てみた。
どうやら光る石のようだ。
触っても熱くはない。
そういえば、ここに来るまでの通路や街灯が明るかったのも、この光る石が照らしてくれていたのかなと僕は思った。
まず、真っ先に部屋のトイレとお風呂を見てしまうのが人間だ。
トイレが匂わないということは、水洗なのであろうか?
お風呂には何から何まで全て備わっている。
もちろんシャンプーとリンスもだ。
お風呂の横の洗面台にあるこの細長い石は何だろうと思って持ち上げると、温風が噴き出した。
どうやらドライヤーのようなものらしい。
部屋の中は結構広い。
ベッドがヒーリングキノコでないところが、少し残念なところだ。
ベッドの上にはパジャマが置いてある。
クローゼットを開けてみると、僕の着替えが入っていた。
服のデザインを一言で言うなら・・・“村人A”かな。
白を基調として胸元が茶色の紐で編みこまれているシャツと茶色のパンツ。
聞いていた通り、同じ服ばかりが入っている。
どうやら、この村人Aとパジャマが、僕が恩恵を授かった服のようだ。
そういえば、ここに来て最初にエレンを見た時は白衣だった気がする。
さっき、僕を案内してくれた時は、水色の羽衣のような格好をしていた。
エレンはレベルが高いから、服でも色々な種類の恩恵を受けているのかな?
お風呂に入る前になぜかトイレに行きたくなるのが人間である。
僕はトイレで用を足した。
用を足し終わるとトイレの便器は、それを飲み込んだ。
「えっ?これどうなってんの??」
便器が飲み込む姿は、かなり怖い。
洗面台の横にあったカゴの蓋を開けて、脱いだ服を中に入れた。
すると、僕が抜いだ服をカゴが飲み込んだ。
「ええ~っ!ほんと何これっ!?」
カゴの中には、僕の脱いだ服はどこにも見当たらない。
きれいさっぱり消えてなくなってしまっている。
ついでに元いた世界で使っていた財布やスマートフォンまで一緒に消えてしまった。
かなりショックである。
「ふう。と、とにかくシャワーを浴びて、早く寝よう。」
この壁に備え付けられてある細長い石から、恐らくお湯が出るのであろう。
案の定、それを手に取ると、丁度良い温度のお湯が出てくる。
僕が浴びたお湯は、足元の浴槽が端からゴクンゴクン飲み込んでいる。
う~ん。本当に怖い。
さっきまでは、あのスケルトンやゾンビと戦っていたのだが・・・。
やっぱり僕は、心霊現象の類はどうも苦手である。
僕は身体を洗うと、洗面台横の棚にあったタオルで身体を拭いた。
試しに身体を拭いたタオルをカゴに入れると、やはりカゴはそれを飲み込んだ。
細長い石のドライヤーで髪を乾かし、ベッドにあるパジャマに着替えた。
「さて、明日から頑張らないと。」
僕はベッドの上に大の字になって寝ころんだ。
そういえば、目覚まし時計がない。
スマートフォンもカゴの中に消えてしまった。
そもそも、今は何時なのであろうか。
僕はどうしたものかと焦ったものの、全身の疲れに負けてそのまま眠りに落ちていった。
建物は僕の部屋だけ明かりがついたままである。
ここでは虫の声がしない。
夜の異世界免許教習所はすごく静かであった。
因みにエレンの白衣が装備であったということを知るのは、翌日のことである。