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小さな恋とはぐれ手袋

作者: 月食ぱんな

お読み下さってありがとうございます。

初めて短編を執筆しました。

その結果削りに削って、二万文字とちょっとになりました。

そんな短編です。

 全寮制の魔法学校に通うシリルはその日、突然自分を呼び出した母親と王宮の庭でお茶をしていた。


「お兄ちゃん二人は無事片付いたでしょう?問題はシリル。あなたのことよ?」

「僕ですか?」

「そう。あなたの婚約者さえ決まれば私は余生を楽しめるの。ねぇ、魔法学校の同級生にいい子はいないの?」

「学校では他人と極力関わらないようにしていますので」


 うっかり事実を口にしたシリルは「しまった」と自分の失敗を即座に悟る。

 何故なら母マノンの視線が、それはもう獲物を見つけたとばかりキラリと輝いたからだ。


「そうだと思った。ねぇ、今度の舞踏会にはめぼしい子を招待しておくから、いい子がいたらこっそり教えて頂戴。そうそう、私は秋にはジョレーヌの城に移り住もうと思って。だからシリル……」


 わかってるわねと母親であるマノンに睨まれ、よわい十五歳のシリルは震えた。


 父である国王が病によって崩御し、それから兄である第一王子ブライアンが特にトラブルに見舞われる事無く無事国王の座についた。そして先日、父の喪が明けた一年の節目にもう一人の兄である第二王子エリクの結婚式が無事執り行われた今。


 母はただ一人、将来の伴侶候補をいつになっても決めないシリルに痺れを切らし、とうとう本気を出す事にしたらしい。


(何故なら母上は余生を楽しみたいから。確かに今まで頑張ってた母上が気楽に隠居生活を楽しみたいと思う、その気持ちはわかるけど。でもまだ僕は婚約者とかいらない)


 シリルは内心「ありがた迷惑だ」とうんざりした気持ちになる。

 というのも、シリルは現在、全寮制の魔法学校で大人の目を離れ、自由気ままにのびのびと生活している。


(捨てがたい、この暮らし)


 シリルは本気でそう思っている。

 それにシリルは知っているのだ。


(婚約者がいると、束縛が凄いじゃん)


 魔法学校の数少ない友人達は、誕生日だの、婚約記念日だの、手つなぎ記念日だのと、わりと年間を通し記念日に翻弄されている。


(しかもそれを忘れると、大変な事になるようだし)


 婚約者のご機嫌取りに時間を取られ、頭を悩ませる友人達の顔がシリルの脳裏に浮かぶ。


(やっぱ、女の子って怖いし、面倒)


 シリルは早々とその結論に達した。


「希望があれば聞いておくわよ?シリルの好きなタイプってどんな感じ?」


 めくるめく余生ライフのために前のめり気味に自分に問いかける母を見てシリルは思う。


(婚約者を決めなきゃならないなら、もう誰でもいいよ。母上の気に入った子で)


 シリルはぶすっとした顔で紅茶カップに口をつけ、ひたすらため息をつかない事だけに全身神経を集中させていたのであった。



 ★★★



 鮮やかな真紅色に彩られた空間。天井にはいくつものまばゆい光を放つシャンデリア。

 ゴールドをアクセントにした室内の装飾品にも目を瞠るが、壁に飾られた王家の歴史を綴った大判のタペストリーがとにかく圧巻。


 この国の威厳を内外に知らしめる為に存在するその豪華な部屋で本日行われているのは、シリルの母マノンが主催した舞踏会。


 シリルにとっては例の「わかっているね」というマノンからのプレッシャーを背負った舞踏会である。


(ま、母上からの圧が凄いし、面倒だから最初に目が合った子を気に入ったって事にするか)


 とまぁ、シリルはとんでもなくいい加減な気持ちで参加していた。


 その結果。


「そう言えば、シリル殿下のお姿が見当たらないようだけれど」

「先程まで、陛下のお傍にいらしたような気がするのに。あらほんと。何処にもいらっしゃらないわね」

「陛下のお隣でシリル殿下が憂いある表情をされていたのは、私も見たわ」

「いつまでも小さな王子殿下だと思っていましたけれど、随分と凛々しく成長されて」

「それにしても、シリル殿下は一体何処へ行かれたのかしら?」


 舞踏会に参加するお目付け役の貴婦人達が思い出したように、井戸端会議の話題にシリルを登場させていた頃。


 シリルは早々に舞踏会を抜け出し裏庭にいた。


 先程までは確かにシリルは王座に座る兄ブラインの脇で目のキワに涙を溜めながら必死に堪えていた。


 曰く退屈な気持ちを。


 因みに涙を溜めていたのは、必死に欠伸を噛み殺していたからである。


「それに言われるがままに踊っていたら、こっちの体力が持たないっての」


 自分につけられた馴染みの近衛相手に愚痴を溢すシリル。


「シリル様、お戻りになられた方が。本日はシリル様が主役のようなものですし」


 スラリと背が高く、目鼻立ちがハッキリとした見目麗しい見た目の近衛。

 ダニエルがやんわりとシリルに意見する。


「えー。やだ」

「お子様ですか」

「けどさ、与えられた公務はちゃんとこなしたし」


 既に魔法学校の知り合いとは挨拶を交わしたし、重鎮達のご機嫌もしっかり取った。

 それなりに令嬢達と会話し、ダンスもした。


 そしてシリルは気付いてしまった。


(どこの子も綺麗だし可愛いし完璧な御令嬢だった。でもさ)


 だからこそ、誰でもいいんじゃないか?と思わずにはいられなかったのだ。


「もっとちゃんと話せば違うのだろうけど、こういう場で内面まで探るのって難しくないか?僕にはみんな同じに見えたんだけど。ダニエルはどう?」

「ドレスの色や形が違いました」

「あとは?」

「髪型……はまぁ、難易度が高いですけど、背の高さ……も同じようでしたけれど、あっ!!」


 突然頭の上にピカーンと魔石灯がともったような声を出したダニエルに期待を込めシリルは尋ねた。


「なに?何に気付いたの?」

「瞳の色と髪色が個性豊かでしたよ。シリル様!!」


(えっ、そんなこと?)


 シリルはがっかりした。


「確かにそれは違った。でもそれって結婚にあまり重要じゃないような気がするんだけど」

「この色だけは生理的に受けつないとかないんですか?」

「ないよ。ダニエル二はあるの?」

「とくに……ありません」


 シリルとダニエルの間に訪れる沈黙。


「ま、結局のところ誰でもいいって事だよね」


 ふわぁぁと欠伸をしながらシリルは空を見上げる。

 シリルの視界には満天の星が映り込む。


「たけぼうき座に、デッキブラシ座、えーとあれはなんだっけ?ダニエル覚えてるか?」


 シリルは主だった星座の名前を口にし、どうしても思い出せないあと一個を必死に考える。


「見つけた……はぐれ手袋」

「はぐれ手袋座なんてあったっけ」

「今日は絶対に、絶対に、シルクだと思ったのに」

「シルク?」

「なんで?なんで、庭師の軍手なの!!」


 シリルは興奮した声と共に、足元に気配を感じ俯いた。


「えっ、だれ?」


 足元を確認したシリルの目に飛び込んで来たのは、シルバーのドレスに身を包む怪しい少女だった。

 髪色は多分ピンクブロンド。顔も瞳の色もわからない。何故なら、まるで地面を這う蟻を観察するような姿勢でシリルの足元に怪しい少女はしゃがみ込んでいたからだ。


(何となく途中から女の子と喋っている気はしたけど。この子は何者?何で僕の足元をジッと見つめてるのさ)


 困惑したシリルは背後にいるダニエルに助けを求めるために顔を向ける。

 するとダニエルは何故か両手を顔で覆っていた。


(近衛のくせに視界を遮っちゃまずいだろう)


 シリルは咄嗟にそう思った。


「庭師の軍手。しかもこれは物忘れ型……ハッ」


 怪しい少女は地面に顔を向けたままピクリと肩を動かす。

 それからキョロキョロと、まるで穴から顔を覗かせるイタチのように辺りを見回した。


「これは……もし私の推理が正しいとなると」


 ブツブツと独り言を言いながらスクッと立ち上がった少女。

 今度はシリルの立つ場所の脇に植えられたバラの生け垣をじっくりと観察している。


「位置関係からすると、ここで間違いないわ」

「何の位置関係だよ」


 堪らずシリルは怪しい少女に質問を投げかける。

 すると少女はシリルに初めてしっかりと目を合わせた。


(なるほど、瞳の色は琥珀色っと、顔はまぁ、可愛い方かも)


 さり気なく容姿を確認したシリル。

 でもだからと言って、恋に落ちるような事はない。

 ただただ、不信な気持ちで怪しい少女を幾分冷めた目で見つめるだけだ。


「いいですか?今日は王城の舞踏会。つまり裏庭も解放されます。特にこの裏庭は自然美を特徴とし、高木や低木。それに咲き乱れる花といったまるで風景画のような景色が年間を通して楽しめると評判の庭園です」

「まぁ、母がこだわっているからね」


 シリルの言葉に怪しい少女は大きく頷いた。


「つまり私が何を言いたいかといいますと、今日の舞踏会の為に庭師がここを剪定に訪れたという事です。しかも今日の今日で」

「何でそんな事がわかるんだよ」

「何故なら、ふふっ。知りたいですか?」


 口元に手をあて、言いたくてたまらないといった様子の怪しい少女。


(ここで、やっぱいいですとは流石に言えないよな)


 紳士たるもの、淑女の気持ちは汲むべき。さすれば、家庭円満。

 何となくそう教わった気がするシリルは取り敢えずそれを実行に移す事にした。


「そりゃ、そこまで聞かされたら知りたい」

「では特別に私の推理をお教えいたしましょう」


 期待通りの言葉をシリルがかけたからか、ふふんと得意げに胸を張った怪しい少女。


「昨日は雨が降っていましたね?」

「うん」

「つまり、もし昨日ここで植物の剪定をしていて落としたならば、濡れていなければおかしいのです」

「何が?」

「こちらです」


 ピシリと怪しい少女が指差した先にあったのは、片方だけの軍手。


(まぁ、良く見かける光景ではあるけど)


 シリルは落ちている軍手については「あるあるだよね」とすんなり受け入れた。


「これがどうしたのさ……って濡れていない?……まさか!!」


 シリルは慌ててその場にしゃがみ込む。

 そして落ちている軍手に触れ、なるほどそういう事かと納得した。


「もうお気づきですね?」

「うん。君が言いたいのは、この手袋の持ち主と考えられる庭師は今日ここで舞踏会の為に剪定した。しかも手袋を落としたのに気付かないくらい慌てていたってこと」


 シリルはもはや怪しい少女を探る気持ちよりも、地面に落ちた手袋から導き出される推理に自分の心がワクワクとするのを感じた。


「御名答。とは言え夜露で若干湿ってはいますけど、こちらのはぐれ手袋軍手バージョンは今日落としたという事で間違いないと思います。それに、さらに推測を進めるとすると、こちら」

「えっ、ちょっと待って。はぐれ手袋って何?」

「片方だけ落ちた手袋の可愛い名称です」

「な、なるほど」


 シリルの疑問に答えつつ、数歩いた怪しい少女はまたもやバラの生け垣の下。地面に伸びたアイビーを指差した。


「地面に植えたアイビーは外壁を覆いつくしてしまうこともあるくらいすざましいポテンシャルを秘めた葉っぱです。ですから、ここで庭師はしゃがみ込んで伸びてしまったアイビーの剪定をした。そしてその時に軍手を落としたのではと、私は推理します」


 確かに怪しい少女の推理通り、目を離すと外壁を埋め尽くさんばかりの勢いで成長するネイビーが綺麗に剪定されていた。


「バラの支柱にネイビーが絡みついていない所を見ると、まぁ、位置関係的にも君の推理は正しそうだな」


 シリルは素直に納得した。


「すっきりしましたね」


 怪しい少女は清々しい顔をシリル――ではなく地面に落ちた軍手に向けている。


「残るはこの軍手ですが。このまま物忘れ型にしておくのは忍びないので」


 謎の言葉を発した怪しい少女は軍手をヒョイと拾い上げる。

 そして、近くの低木の天辺にチョコンと庭師の手袋をかぶせた。


「これで優しさ注入型の出来上がりっと」


 パンパンと白い手袋越しに手を叩く怪しい少女。

 その姿を目で追いながら、シリルは思った。


「君はだ……」


 誰?と言いかけたシリル。

 しかし怪しい少女がシリルの言葉を遮る。


「あっ、シルクの。しかもドレス引っかかり型なんて凄いレアだわ!!」


 舞踏会が行われている会場に顔を向けパッと顔を輝かせる怪しい少女。

 そしてパタパタとドレスを翻しシリルの前からあっという間にいなくなってしまった。


「えっと、何だ、あの子は……」


 呆気に取られたシリルは一人虚しく呟く。


「一体誰なんだ?初めて見る顔だったけど」

「シャーロットです」

「なるほどシャーロット嬢か。いくつくらいなんだろう」

「あれでも十五になります。はぁ……」

「へー、僕と同い年か」


(というか、ダニエルは何であの子にそんなに詳しいんだ?まさか、あの子はダニエルの婚約者なのか?)


 シリルは咄嗟に浮かんだ考えに小さく頭を振る。

 ダニエルは既婚者だ。だから婚約者ではない。


「シリル様、悪い事は言いません。アレはやめておいたほうがいいです」


 ダニエルにそう言われたシリルはむっとする。


「何でだよ。母上は気になる子がいたら紹介しろって。僕に自由に選んでいいと言ってくれたんだ。だから僕が誰を選ぼうと勝手だろう?」


(まさか犯罪者の子なのか?でもだったら、今日ここに呼ばれていないはず)


 シリルは母がめぼしい子を集めておくと口にしていた事を思い出す。


「何であの子が駄目なんだよ」

「実は誠に言いにくいのですが、さきほどのアレははぐれ手袋の事になると周囲が見えなくなるらしく、途端に落ち着きのない、そして伯爵令嬢の「は」の字もない、無礼極まりない、野生児で変人になるのです。そりゃ見目は悪くない。だから今まで是非嫁にという話もありましたが、とてもじゃないですけ――」

「ストットプ、ダニエル、流石にそれは言い過ぎじゃないか?」


 まるでせき止められた水が一気に流れ落ちるように先程の令嬢の悪口を次々と口にし始めたダニエル。そんなダニエルに堪らずシリルは釘を刺した。


「いいえ、ここは敢えて言わせて頂きます。何故ならお恥ずかしい事に私の妹なんですよ。アレ」

「えっ!?」


 ダニエルとシリルの間に微妙な空気が流れる。


「なるほど、ダニエルの妹」


 そう言われて見れば、はっきりとした目元が似ていなくも……。


(まずい、顔をあまり見ていなかった!!)


 あまりに衝撃的な会話内容な上に、あちらこちらに視線を無理矢理誘導されたシリルは正直シャーロットの顔より庭師の軍手、しかも片方だけが先に思い浮かぶ状況だ。


「はい。末っ子で可愛がりすぎたせいで、だいぶ自由に育ってしまいまして。結果あのような子に。まぁ、一応はぐれ手袋さえ発見しなければその他大勢に擬態できる能力は、家族総出で何とか身につけさせたのですが、しかし一度はぐれ手袋の事になると……さっきのアレです」


 ダニエルは深く項垂れた。目には見えないが確実に悲壮感を漂わせているのがシリルには伝わってきた。


(でもそこまで悲観するような事はない気がするけど)


 シリルは気付けば気負うことなく、普通にシャーロットと会話が出来ていた事を思い出す。


(確かに王子である僕に接する態度としては間違っているのだろうけど)


「はぐれ手袋さえなければ普通の子なんだろう?だったら問題ないじゃないか」

「甘いですよ、シリル様。はぐれ手袋は全世界規模で平等に何処かに必ず落ちている謎の現象ですから」


 ダニエルは遠い目をした。


(あ、軽く海を越えてる……気がする)


 シリルは思う。

 自分を王子だとわきまえて接してくれる子が自分の妃となるには相応しい。それは確実だ。


「それでも僕は、シャーロット嬢が気になるよ、ダニエル」


 この日シリルは初めて女の子に、いや、正確にははぐれ手袋マニアだというシャーロットに興味を持ったのであった。



 ★★★



 シリルが舞踏会で覚えている令嬢はシャーロット嬢だけ。


(悪いけど、利用させてもらおうっと。無駄な夜会はもう勘弁願いたいし)


 腹黒さを抱きシリルは早速母親に気になる子がいると報告した。


 その結果。


「フォンタニエ伯爵家自体も特に問題なしのようね。それに、家族もシャーロット嬢にも特に悪い噂はないそうよ。だから頑張ってシリル。私は秋にはジョレーヌの城に移り――」


 相変わらず余生を楽しむ事に積極的な母親からのプレッシャーを背負い、シリルは魔法学校の寮生活に戻った。


 魔法学校は基本、身分関係なしという建前なのでシリルの自室も皆と一緒。つまりかなり狭い。

 そんな中、現在シリルは作戦会議と称し、ダニエルを自室に招き椅子に座らせている。因みにシリル自身はベッドに腰をおろしているという状態だ。なんせ、狭いから。


「母上の許可も下りた。というわけで、僕はシャーロット嬢をまずは観察しようと思う」


 きっぱりとダニエルに言い放ったシリル。


「だからシリル様は私を専属にと指名されたんですね。栄転かと思ったのに妹のお陰とか悲しい……」


 ダニエルは項垂れて黒い近衛の制服の裾をイジイジとつまんでいる。

 その姿を見て、少し悪い事をしたかなとシリルはミジンコくらい反省した


(だって、先ずは身内を囲い込むのは当たり前だろう?)


 落ち込むダニエルを無視し、シリルはダニエルに問いかける。


「ダニエル、頼んでいたデータはもう用意出来たか?」

「はい。家族総出で血眼になって、シャーロットを押し付ける……コホン、殿下に売り込む……いえ、アピールするチャンスだと必死になって作成させて頂きました」


(言い直した意味はあるのだろうか)


 シリルは半目状態でじっとりとダニエルを見る。するとダニエルは慌てたように床に置いてあった革の黒い鞄の中から、分厚い紙の束を取り出した。


 それを見たシリルは内心ギョッとする。


(鈍器としてあの角を使えば、人を殺せそうなほどの厚みなんだけど……)


「シリル様、どうぞこちらをお納め下さい」

「ありがとう」


 絶対に机に自立しそうだと思いながら、やたら厚みのある報告書をシリルは何喰わぬ顔でダニエルから受け取った。


 そしてその報告書をパラパラとめくる。


「なるほど、フォンタニエ伯爵家でシャーロットは随分と愛されているようだ」

「えっ、もうお読みになられたんですか?」


 ダニエルが驚きの顔をシリルに向けた。

 その顔に笑顔を返すシリル。


「まさか。この厚みを見てそう思っただけ。だって我が子の事をここまで語れるってのは、シャーロット嬢が愛されている何よりの証拠だろう?ま、これはゆっくり後ほど一人で確認させてもらう」


 シリルの言葉にダニエルは気恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。


「なるほど。ばれてしまったという訳ですね。確かに妹は我が家のアイドルです。男ばかり四人。その後にようやく授かった女の子ですから。それはもう、両親を筆頭にみんなで可愛がりました。だから正直なところ、シリル様に妹が見初められたのはとても複雑な気持ちです」


 ダニエルが突然、本音らしきものを口にしたのでシリルは何となく姿勢を正した。そしてダニエルが何処か不安そうに冴えない顔をしている理由に思いを馳せる。


(まぁそうだよな。家族が不安になる気持ちはわかる気がする)


 事前に母から聞いた情報によると、フォンタニエ伯爵家は代々、何が何でも政務の中心で活躍したいといったような野心家な家系ではないようだ。


(言い換えればそれは、出来たら目立たず平穏に過ごしたいという事だよな)


 シリルは三番目とは言えそれでも一国の王子。

 一挙一投足が国民に注目される。だからこそ国民の手本となるべきであって、間違いはおこせない。国民が誇れる王子でいなければならないのである。


(僕はその生活を当たり前。そう思って生きてきたけど)


 普通はそこまで覚悟を持って生きている人間なんて、いたとしても一握りだとシリルは思う。


(僕が妃にと望む。それは相手にも自分と同じようにだいぶ窮屈な生活を強いる事になるということなんだよな)


 それには色々な準備やそもそもの心構えが必要だろう。

 だからこそ、兄達には早めに婚約者がいたのだろうし、母親に早く決めろと自分も急かされているのだとシリルはこの時初めてそう気付いた。


(何だか申し訳ない気持ちになってきた)


 シリルはどんよりと落ち込む。

 自分が興味を持っただけで相手には酷く迷惑かも知れないのだ。


(その事実は、少し、いやかなり辛いものがあるな。でもしょうがない、僕は王子なんだし)


 シリルは自分の一生変わる事のない運命に自嘲的にはははと笑って暗い気持ちを吹き飛ばす。


「シリル様、失礼を承知で申し上げてもよろしいでしょうか」


 ダニエルが至極真面目な顔をシリルに向けた。


「勿論だよ。不敬には問わないから言って」


 シリルは内心ダニエルに自分にとって耳に痛い話をされるのだろうなと身構える。


「ありがとうございます。我が妹、シャーロットの良さ。それははぐれ手袋を愛でてやまない所だと私達家族は満場一致でそう思っております。ですから、妹からはぐれ手袋を奪わないで頂きたいのです」


 ダニエルのまるでこれから戦いに向かう兵士のような、そんな緊張した顔つきからは想像もつかない「はぐれ手袋」の話が飛び出してシリルは驚いた。


(そこまで?)


 正直そう思ったし、まさかフォンタニエ伯爵家の面々は家族揃ってはぐれ手袋マニアなのかと一瞬疑った。そしてその疑いはしっかりと顔に出てしまっていたようだ。


「あ、私は全然アレに魅力を感じないのでご安心下さい」

「そ、そうなんだ」

「ただ、私達はシャーロットが一番彼女らしく生き生きとして見えるのが、はぐれ手袋を捜索している時だなと、そう見えるので、失礼を承知でお願いをしたまでです」


 ダニエルはニコリとシリルに笑みを向けた。


「ま、出来たらもう少し年頃の娘らしい趣味を持ってくれるよう祈る気持ちも無きにしもあらずではありますけどね」

「確かにね。でもま、趣味くらい好きに選べる世の中であって欲しい気持ちはあるかな」


 シリルとダニエルは、ここにいないシャーロットをそれぞれ想い苦笑いをしたのであった。



 ★★★




 はぐれ手袋マニアであるシャーロットの朝は早いようだ。

 誰よりも早く寮から学校へ登校し、そして構内をまるでリスのように小走りにあちらこちら元気に駆け回り、はぐれ手袋を探しているのである。


 そんな姿を密かにダニエルと共に追いかけるシリル。


「可愛いな」

「妹をコソコソ追いかけ回すという状況に兄としては、とても複雑な気分です」


 自分が変態っぽいとぼやくダニエルを無視し、シリルはシャーロットの行動を引き続き観察する。


「ヴァネッサ様、その魔植物専用手袋、とても素敵ですね」

「あら、シャーロット様のその絶叫系魔植物専用手袋も素敵ですわ」

「おほほほほ」

「おほほほほ」


 授業中のシャーロットは、はぐれ手袋を見つけた時のようなハイテンションさをひた隠しにし、その他大勢の中にしっかりと紛れ込んでいた。


「凄いな。ごく普通の令嬢に見える」

「多少手袋という単語を口にする時、口元が必要以上に緩みかけていましたが、まぁあれくらいならばセーフですね」


 兄らしくシャーロットにダメ出しをするダニエルを無視し、シリルはシャーロットの行動を引き続き観察する。


「今日はシャーリーは何ランチにするの?」

「そうね。私はパスタにしようかな」


 シャーロットは学食で友人達と仲良く食事をとっている。

 その様子を離れた所から、密かに観察するシリルは気付いた。


(あっ、何故か床に靴下が落ちている!?)


 シリルの心臓はドクンと大きく波打つ。

 何故ならシャーロットが片方だけの靴下に反応し、興奮した結果友人達に白い目で見られないか心配になったのだ。


(今まで観察した所によると、完全にシャーロット嬢は群れで泳ぐ小魚の一匹くらい、目立たない地味な生活を送っている)


 一緒にいる令嬢もシャーロットと同じような、穏やかそうで特段目立つ子達ではない。

 だからこそ、はぐれ手袋を見つけた時のようにハイテンションになったら友人達に「この人おかしい」と距離を置かれてしまうのでは?とシリルは密かに心配になったのである。


「あ、シャリー。またトマトパスタにするんだ」

「うん。私トマトパスタ好きなんだ」

「でも白い制服にハネるよね」

「わかる。でも防水魔法をかけておけば平気だよ?」

「確かにそっか」

「ふふふふ」

「はははは」


 シャーロットと友人は仲良くトマトパスタを注文していた。

 そしてそのまま、人混みで溢れるカフェテラスにその姿が紛れてしまった。


「あれ?靴下は無視なのか?」


 思わず声に出すシリル。


「手袋ではありませんからね。気付いてもいないんじゃないですか」


(そういうもんなのか)


 シリルは驚く。

 ただ落ちている物に構わず興味がある。そういうわけではないと知ったからだ。


「というか、何で靴下が食堂に片方だけ落ちているんですかね?」


 ダニエルが怪訝な表情になりシリルに問いかけた。


「まぁ、手袋ほどではないが、アレもわりと見かけるよな」


(他にも、ハンカチやら何やら。世の中には色々と落とし物は存在する)


 けれどシャーロットが好きなのははぐれ手袋。

 どうやらそれ以外の落とし物には反応しないらしい。


(人の趣味嗜好は奥が深いな)


 シリルは新たな知識を得て、これでまた世の中の知識が深まったと満足する。


「靴下も確かに良く落ちてるのを見かけますよねぇ。シャーリーほどではありませんが、色々と想像してしまいますね」

「そうだよな。あの靴下の持ち主は、靴下が片方ない状態で帰ったのか気になるし、ペアであるべきものが一つになってしまった場合、もう片方の運命はどうなるのだろうかとか、色々と気になる状況ではあるよな」


 ダニエルとそんな会話を交わしながら、シリルは落ちていた片方だけの靴下を拾い事務室に届けたのであった。


 そしてシャーロットを数日ほど観察し、彼女の行動パターンと人となりを確認したシリルはついに意を決しシャーロットに接触する事にした。


「ここ、いい?」


 晴れた日の放課後、一人で中庭のベンチに座り本を読み耽っているシャーロット。

 そんなシャーロットに自然な感じで近づきシリルは相席の許可を取った。


「えっ、あ、シリル様。申し訳ありません。私はあっちに移動しますね」


 シリルの顔を見て驚きの表情をした後、慌ててベンチを移動しようと立ち上がるシャーロット。


「いや、いい。君はそのままで。その、め、迷惑じゃなければだけど」


 王子らしさをどこかに置き忘れ、ただ好きな子を前にガチガチに緊張する一人の男に成り下がるシリル。

 しかも周囲のベンチがいくらでも空いているのにもかかわらず、わざわざシャーロットの隣に座りたいと口にする不自然さ。


(わ、わかってるけど、ピンチはチャンスだ)


 シリルは自分をそう励ます。


「迷惑ではないです。でもあっちのベンチも空いてますし。私が移動しますね」


 シャーロットは気を利かせつもりなのか、シリルにとって残酷な提案を口にした。


(それじゃ、意味がないんだよ!!)


 焦ったシリル。


「君の隣がいいんだ。駄目だろうか?」


 必死な形相で、ついうっかり口から飛び出した言葉。


(やばい、これってもう僕がシャーロット嬢に好意的だと、告白したも同然じゃんか!!)


 シリルは自分の顔が茹でたタコのようになっているだろうなと自覚する。

 それくらい恥ずかしかったからだ。


(くそう、恥ずかしい。穴があったら入りたい。この際、蛇が出てくる壺でもいい。誰か穴を僕に手配してくれ!!)


「あ、ダニエルお兄様。え?何?いいから座れ、あやまれ。あっ……なるほど」


 シリルが一人穴を心から所望している間に、シャーロットは離れた所にいたダニエルを発見し、読唇術でダニエルの指示を読み取ったようだ。


 その事に気付いたシリルは流石家族、そしてダニエルグッジョブとひたすら感謝した。


「では、お言葉に甘えてご一緒させて頂きますね。シリル様」


(やった!!)


 先ずは一緒に放課後を過ごす権利を確保した。


(幸先いいぞ)


 一言で表しきれないほどシリルは嬉しかった。


「では、お先に失礼しますね」


 シャーロットがベンチに腰を下ろそうとして、ふとシリルは紳士のマニュアルに記載されていた内容を思い出す。


(紳士の心得、二十八。女性の服が汚れないよう座る時はハンカチを敷くのが紳士のマナー。意中のあの子の高感度もアップ)


「あっ、ちょっと待って」


 シリルは慌ててポケットから真っ白なハンカチを取り出した。そしてシャーロットがもともと座っていた場所にそのハンカチを広げて敷いた。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 シャーロットは少し照れたようにそう口にすると、静かにシリルの敷いたハンカチの上に腰をおろした。


 その姿に安堵したのもつかの間。

 シリルの心はまたもや落ち着かない気持ちで支配された。


(ま、まずい。真ん中寄りにハンカチを敷いてしまった!!)


 現在シャーロット腰を掛けているのはわりとこぢんまりとした二人掛けのベンチの中央寄り、向かって右側。


(つまり、僕が腰掛ける場所は左側だけど)


 それにしても確実にシャーロットと身を寄せた感じになってしまう位置だ。


(まずい。初対面に近い状況でこれは密になりすぎなのでは!?)


 動揺するシリルに素晴らしく澄んだ声がかかる。


「シリル様。ご迷惑でなければどうぞ、お座りになって下さい」

「し、失礼する」


 やたら背筋を伸ばし、なおかつシャーロットに触れそうで触れない微妙な距離を保つ体の左側がひたすら緊張しているのを感じるシリル。


(わりと、拷問なんだけど)


 心臓はドキドキするし、心がふわふわと落ち着かない。

 この状況が続けば、確実に頭が悪くなりそうだとシリルは自分が心配になった。


「シリル様、丁度良かったです」

「えっ、何が?」

「この前の舞踏会。私は随分とシリル様に対し失礼な事をしましたよね」

「失礼だとは思ってないけど」

「あの後、兄に物凄く叱られて。あ、そうか。あれはシリル様だったのかと気付きました」


(つまり、ダニエルに言われるまで僕だと気付かなかったんだ)


 シリルははぐれ手袋に負ける自分の存在価値について素直に悲しみを覚えた。


「でも、あの時。後で思い返して見ると家族以外に私のああいう、えーと」


 シャーロットは思案した顔になる。

 どうやらぴったりくる言葉を懸命に探しているようだ。


「マニアなところ?」

「そう。それです。マニアなところ」


 シャーロットはシリルがもたらした言葉に嬉しそうに微笑んだ。

 それを見てシリルも嬉しくなる。


「そういうマニアな部分を他人に見せたのが初めてで、だけどシリル様と一緒に推理するのがとても楽しかったんです」

「今の君は別人みたいだもんね」

「それは、緊張していますから」

「僕も結構緊張してる。そっか。今の君はシラフの状態なんだ」

「シラフですか?」

「そう。はぐれ手袋を見つけた時は酔っ払い」

「ちょっと言い方、ひどいです」


 キリリとシリルを睨むシャーロット。


「あ、ごめん」


 慌ててシリルは謝った。


(調子に乗りすぎたかな)


 自分の少し浮かれた行動に反省し、そんな自分をシリルは不思議に思った。

 何故なら、今シリルは冗談を口にしただけだ。謝る程の事は口にしていない。

 普段なら笑って「だってそうだろう?」と流せる程度。


(そっか、僕はこの子に嫌われたくない)


 その事に思い当たったシリルはもうかなり自分はシャーロットが好きなんだと気付いた。


(うわ、何か滅茶苦茶恥ずかしい)


 一人動揺するシリルに全く気付かず、シャーロットは饒舌にはぐれ手袋への思いを口にする。


「それで、この前の晩餐会の時にナタリア様のドレスにどなたかの手袋が片方だけ張り付いていたんです。自分史上最高のレアケースで、もうドキドキしちゃいました」


 シリルが見たことないくらい輝く笑顔のシャーロット。


「君は本当にはぐれ手袋が好きなんだね」

「はい、大好きです。はぐれ手袋を見つけるとその、世界が広がるって言うか」

「あ、それ分かる。僕もこないだ落ちている靴下を見て、ついその背景を想像しちゃった」

「そうなんですよ!!それに、はぐれ手袋って何処にでもあるから、初めての町とかで見つけると安心するんですよね。あ、ここにもちゃんと落ちてるって」

「へー、そういうもんなのか」


(ちょっとその気持はまだわからないけど)


 でもシャーロットと話しているとやっぱり楽しいとシリルは再確認する。


(僕がシャーロット嬢を選んだ事。間違ってなかったんだ。彼女には悪い気もするけど)


 でも逃がさないからねと心で思い、シリルはシャーロットの話すはぐれ手袋の分類についてしっかりと、人の良さそうな顔を向け耳を傾けた。


 結局その日シリルは日が暮れるまでシャーロットとはぐれ手袋の不思議について熱く語りあった。


 その様子を離れた所から警護と称し見守っていたダニエルには「一生分のはぐれ手袋の話を聞きました。良くあんなに語れますね」と嫌味を言われるシリルであった。



 ★★★



 初恋に浮かれるシリルはシャーロットに簡単にのめり込んだ。


 シャーロットの時間が許す限りと口にしつつも、自分が王子という立場をすっかり忘れ、シャーロットを毎日放課後一緒に過ごそうと誘う日々。

 そしていつの間にかシリルははぐれ手袋に詳しくなり、更に言えばシャーロットとはぐれ手袋以外の会話も普通に交わせるほど親しくなった頃。


 シリルは母親であるマノンに王城に呼び出された。


(何だろう?でも丁度良かったかもな)


 そろそろ自分の気持ちをしっかりとシャーロットに伝えようと思っていた事もあり、その許可を陛下となった兄と母に取っておくのに丁度いいタイミングだと、ひたすら前向きな気持ちでシリルは王城へ向かった。


 そして、ショックを受ける。


「フォンタニエ伯爵家はあなたとシャーロットを結婚させたくないという噂を聞いたわ。一体あなたは何をしたの?」


 マノンにそう告げられたシリル。


「えっ、昨日も一昨日も、ずっとシャーロット嬢と放課後を一緒に過ごしたけど、嫌がっていなかったのに」


(何だ?何でだ?)


 シリルは混乱する。


「……それね」


 じっとりとした目でシリルを見るマノンいわく。


「あなたは自分の気持ちばかり押し付けて、シャーロットへのフォローが足りなかったのよ」


(フォロー?)


 一体それは何の事なのか。

 マノンはその答えを知っているようだった。


「母上それはどういう意味ですか?」

「シャーロットを大事に思うなら自分で考えなさい」

「……はい」

「それに私だって、いつまでもあなたの傍にいることは出来ないのよ」


(そりゃそうだけど)


 シリルはマノンの「いつまでも傍にいられない」という意外に重い言葉を受け、どんよりとした気持ちで魔法学校の寮へ戻った。


 そしてダニエルを自室に連れ込み、迷わず問い詰めた。


「シャーロット嬢は僕が嫌いなのだろうか?」

「……私に聞かれましても」

「でも、フォンタニエ伯爵家は僕と彼女を結婚させたくないようだ」


 悔しい気持ちでダニエルを睨むシリル。

 母が口にしたフォローの意味も答えも分からず、完全に八つ当たり気味だとシリルは自覚している。


(だけどわからないんだ)


 シリルはしょんぼりと項垂れた。


「それは、まぁ……」

「絶対に怒らないから、一体何が起こってそうなったのか教えてくれ」


 まるで子どもが「一生のお願いだから」と何度も頼み込む口調でなりふり構わず、必死にダニエルに懇願するシリル。


 ダニエルはそんなシリルを哀れに思ったのか、ポツリポツリと話はじめた。


「シャーロットがシリル様をどう思っているのかは、本人にしかわかりません。しかし最近実家に戻ったシャーロットを見て、少しふさぎ込んでいる様子に家族一同心を痛めた事は確かです」


(塞ぎ込んでいる?僕の前では明るかったけど)


 シリルは益々わけがわからないと顔を顰める。


「本人が詳しく話そうとしないので、シャーロットが塞ぎ込む原因について家族会議した結果――」


 そこで勿体ぶるように言葉を切ったダニエルがシリルに深刻そうな顔を向けた。


(何だ、原因は何なんだ!!)


「シャーロットが塞ぎ込む原因は、やはりはぐれ手袋なのではと」

「はぐれ手袋!?」


 シリルは目を丸くする。


「私はシリル様に言いましたよね?シャーロットからはぐれ手袋を奪わないでほしいと」

「うん」

「つまりそういう事です」


 もっともらしい顔をシリルに向けるダニエル。


(えっ、ちょっと意味がわからない)


 どう考えてもシリルには理解不能だった。


 それでも、シャーロットに惹かれているシリルはダニエルの言葉の意味を数日ほど至極真面目に考えた。それはもう、その事が解決しないとこの世の終わりだというくらい本気で。


「くいしんぼうねずみ、おしゃれぎつね、そして僕……僕はここで一生暮らすことにしよう」


 ついにははぐれ手袋にねずみときつねと共に住んでいるというカオスな夢でシリルが目が覚めた朝。


「駄目だ、もうはぐれ手袋に僕の心は支配されている!!」


 シリルはいてもたってもいられなくなり、朝食も取らず登校した。

 毎日誰よりも早く登校し、はぐれ手袋を探すシャーロットを捕まえるためだ。


「落ち着いて下さい、シリル様。そんな怖い顔でシャーリーと接触したら怖がられて嫌われてしまいますよ!!」


 ダニエルに必死にシャーロットと接触する事を止められたシリル。


「だけどシャーロット嬢の気持ちも、はぐれ手袋の事も僕には何もわからない。だけど僕がこうして答えに辿り着けない間もシャーロット嬢は塞ぎ込んでいるんだろう?だったら早く助けてあげたい。だからもう本人に聞くしかないんだよ、ダニエル」

「シリル様……」


 シリルが思いの丈を口にするとダニエルも納得してくれたようだった。

 だからシリルは早朝の構内ではぐれ手袋を探しているはずのシャーロットを探した。


 草むらに頭を突っ込み、ゴミ箱の中まで。


「シリル様、流石にそこにはいないかと」

「何故だ、何故シャーロット嬢はどこにもいないんだ!!」


 そう。シリルが確実に会えると踏んだ早朝。

 はぐれ手袋を探すシャーロットの姿は何処にもなかったのである。


「シャーロット嬢がはぐれ手袋の捜索活動をしていないだと!?これは確実に緊急事態だ……」


 シリルはようやく事の重大さに気付いたのであった。



 ★★★



 その日の放課後。

 意外に行動派であるシリルは数日ぶりにシャーロットと中庭のベンチに並んで腰をかけていた。


「シリル様、数日ぶりですね」

「うん。元気だった?」

「はい」


(たかだか、数日話していなかっただけなのに、何だか懐かしく感じる)


 そして緊張するなとシリルは身を強張らせる。


(だけど、ちゃんとあの事を聞かなくちゃ)


 シリルは膝の上で揃えた両手を握りしめる。


「あ、あのさ。君は何ではぐれ手袋を探さないの?」

「え?探さない……ですか?」

「うん。悪いと思ったけど、以前ダニエルと君を観察させてもらった。その時君は毎朝誰よりも早く登校して、はぐれ手袋を探していたじゃないか」


 シリルはこっそり観察していたと口にするのはだいぶ勇気がいった。

 最悪嫌われかねない行動だと自覚していたからだ。

 けれど、このままシャーロットに距離を置かれる方が怖かったので、思い切って口にした。


「……見られちゃっていたんですね。というか、ダニエルお兄様を懲らしめないと」


 シャーロットは既に離れた所でこちらの様子をうかがうダニエルを睨みつけている。


「君には悪いとは思ったけど、でも舞踏会で会った日から、僕は君が気になっていたから。だから無理矢理ダニエルを付き合わせた。だから彼は悪くない」

「そうだったんですね……」

「それで、さっきの質問だけど。君は何で今朝、はぐれ手袋を探さなかったんだ?」


 シャーロットを前に、気持ちが焦るせいかシリルは矢継ぎ早に同じ質問を繰り返す。


「……もう辞めたからです」


 間をもたせた後、シャーロットは力なくそうシリルに告げた。


「もう辞めた?何で?はぐれ手袋に興味がなくなったの?」

「いいえ。まだ興味はあります。気になって仕方ない気持ちもありますよ?」


(はぐれ手袋に興味があると言うくせに、何か前と感じが違う)


 シリルははぐれ手袋に対するシャーロットの情熱に以前とかなり温度差があるのを感じた。


(一体どうしたんだろう)


「具合でも悪いのか?」


 つい思いついた事が口から飛び出してしまうシリル。


「元気です」

「じゃ、何ではぐれ手袋を探さないんだよ」

「それは……他にも興味を引く事はいっぱいあると気づいたから。だからもういいんです」


 シャーロットは俯いてしまう。


(あ、つい、強い口調になっちゃったからか?)


 嫌われたくない。けれど確実にシャーロットの様子がおかしい。

 絶対に何か隠していると確信するも、もし自分のせいだとしたら申し訳ない。

 でも今更シャーロットと見知らぬ仲には戻りたくない。


 シリルは様々な感情が自分の中に次々と沸き起こり、その結果不安な気持ちで何を口にしたら正解なのかわからなくなる。


(確か紳士の心得七。飾らず素直に行動するのが一番。正直者は救われるって確か書いてあったし。よし、ここはきっぱり告げよう)


 悩んだ末、少しやけっぱちになったシリルはそう決めた。

 そしてシリルは隣でうつむくシャーロットに少しだけ体を向ける。


「あのさ、僕はいわゆるこの国の王子なんだけど」

「え?あ、はい。そうですね。存じ上げています」

「だからみんな僕とそういう感じで接するって言うか」

「そうですよね……だってシリル様は王子殿下ですから」


 シャーロットの声のトーンが下がる。


「だけど、舞踏会の裏庭に落ちていたはぐれ手袋について君と推理した時、君は完全に僕が王子である事よりもはぐれ手袋に夢中だっただろ?」

「……申し訳ありませんでした」

「いや、別に責めている訳じゃないんだ」

「…………」


 ついには黙ってしまったシャーロットにシリルは慌てる。


「あ、あのさ、あの時僕はそれが嬉しくて。だから君の事が気になった」

「それは、物珍しさからですか?」

「うん。最初はそうだったと思う」

「今も、ですか?」


 シャーロットはシリルをうかがうように見つめた。


(何だかとても頼りなさげで、不安そうなのは何故だ?)


 シリルは儚い感じにも見えるシャーロットがこのまま目の前からシャボン玉が弾けるように消えてなくなってしまうんじゃないかと心配になった。手遅れになる前にはやく自分の気持を伝えなければと、シリルは懸命に言葉を紡ぎ出す。


「今は違う。君と放課後を共に過ごしているうちに、君が明るくはぐれ手袋について話す姿がとても興味深くて、その、ええと、なんて言うがとても可愛く思えてきたっていうか」


 シリルは緊張のあまりしどろもどろになる。

 そしてその情けない姿に心が同調し僅かな隙き間を縫ってシリルの心に迷いが割り込んでくる。


(僕は王子だ。つまりここでハッキリと僕の気持ちをぶつけてしまえば、立場的に断りにくいだろうし、その事でシャーロット嬢がもっと悩む事になるのだとしたら、きっとこの先は口にすべきじゃない)


 それでも、とシリルは思う。


(だけど僕はシャーロット嬢が好きなんだ)


 素直なその気持を思い出し、そしてやっぱり迷惑でも伝えたい気持ちが込み上げる。


(どうせ嫌われるのなら、ちゃんと自分の気持ちを口にしてからの方がましだし)


 悩んだ末、シリルは自分の我儘を通す事に決めた。


「シャーロット嬢。僕は君が好きだ。出来れば君と共に人生を歩みたい。そう希望している」


 かなり緊張した。けれど噛まずに言えたとシリルはホッと胸を撫で下ろす。と同時に。


(シャーロット嬢はきっと困った顔をしているんだろうな)


 何の返答もない沈黙が続く現実にシリルは辛い気持ちになる。


「今のは僕の完全なる我儘だし、僕の妻になる人はすごく大変だと思う。だから、無理にとは言わない。ただ君に僕の気持ちを知って欲しくて口にした。ずるくて、押し付けがましくて、ほんとごめん」


 シリルは格好悪いなと思いながらも、自分が覚悟を決めて口にした言葉の補足を加える。


「私もシリル様が好きです」

「そうだよね。やっぱりめいわ……えっ!?」


 シリルは驚いて顔をあげる。

 すると真っ赤に顔を染めたシャーロットとしっかりと目が会った。


「私もシリル様の事をお慕い申し上げています」

「本当に?」

「本当です」

「夢じゃなくて?」

「現実です」

「……あ、ありがとう。嬉しい」


 シリルはこの世に生まれた事を素直に感謝した。


(ありがとうみんな、ありがとう世界、そしてありがとうはぐれ手袋!!)


 つい緩む頬をそのままシャーロットに向ける。


「私はシリル様が好き。でも、だからこそはぐれ手袋を追いかけるのはやめるべきだと思うのです」

「えっ、何で?」


(別に僕は全然はぐれ手袋を追いかけてくれて構わないけど)


 シリルは深刻な顔を自分に向けるシャーロットの気持ちがさっぱり理解出来なかった。


「シリル様は王子殿下です。そんな立派な方の隣に立つ。その覚悟が断捨離です」

「はぐれ手袋の断捨離ってこと?」

「正しくははぐれ手袋がどうしても気になる気持ちと、です」

「別に気にしてくれたままで全然構わないけど」


 シャーロットはシリルの言葉を否定するように首を小さく左右に振った。


「そんな中途半端な気持ちでは、シリル様のお隣に並び立つなんて無理です」

「どうしてそう思うのさ」

「もし公務などで舞踏会に参加していたとします」

「うん」

「その時、目の前にはぐれ手袋が落ちていた場合、今のままの私では必ず視線をはぐれ手袋に向けてしまいます。そして、きっとそのはぐれ手袋の事が気になって、気になって、頭がはぐれ手袋で埋まってしまいます。そんなの立派な淑女じゃないし、シリル様にもご迷惑をかけてしまう未来しか私には見えません」


 シャーロットはシリルから視線をそらし、また俯いてしまった。


「シリル様を取るか、はぐれ手袋を取るか。私は物凄く悩みました」


 思いつめたような声でシャーロットは独白を続ける。


「でも私はシリル様が好きだから、だからもういいんです、はぐれ手袋は!!」


 シャーロットは無理矢理自分に言い聞かせるように乱暴にそう言い切ると、突然ベンチから立ち上がった。


「シリル様、私頑張ります。だから完全にはぐれ手袋を忘れる為にも、もう少し待ってて下さい。今日はありがとうございました。大好きです!!」


 シリルに頭を下げたシャーロットは泣きそうな顔になって、パタパタと走り去って行ってしまった。


「全然良くなさそうだけど……というか、僕はシャーロット嬢と両思いって事でいいんだよな?」


 シャーロットが走り去った方向を唖然とした顔で眺めながらシリルは一人呟く。


「シリル様。もし両思いだったとして、あの状況で本当にシャーロットは、妹は本当に幸せだと言えるのでしょうか」


 いつの間にかベンチの脇に立ったダニエルがシリルに静かに問いかける。


「それは……」


 シリルの脳裏にダニエルの問いかけと共に、はぐれ手袋を探し、見つけ、生き生きとしていたシャーロットの姿が浮かぶ。はぐれ手袋を見つけたシャーロットの顔は、今シリルを好きだと口にした時よりずっと幸せそうな笑顔だった。


(あんなに好きだった物を諦めさせて、それで僕はいいのか?)


 シリルは別にシャーロットにはぐれ手袋を愛でる事を諦めてほしいとはこれっぽっちも思っていない。


(むしろ僕は、はぐれ手袋に魅了されているシャーロット嬢が好きだ)


 その事に気づいたシリルもベンチから立ち上がる。


「ダニエル、君は僕にシャーロット嬢からはぐれ手袋を奪うなと言ったよね?」

「はい。そのように申し上げました」

「だから僕は、はぐれ手袋を好きなままのシャーロット嬢を手に入れる事にする」


 ダニエルにきっぱりとそう言いきったシリル。


「作戦変更だ」

「御意」


 晴れやかな顔をするシリルにダニエルは穏やかな顔で頭を下げたのであった。



 ★★★



 シリルが裏庭で新たな決意をした日から、既に一週間が経っていた。


 現在シリルは魔法学校の大ホール。壇上の上に並べられた椅子に行儀よく着席している。

 というのも明日から魔法学校は夏休み。そして今日は学期末の終業式。全校生徒がホールに集められているのである。


「なんか緊張するな」


 警護の為に自分の後ろに並ぶダニエルにシリルは小声で話しかける。


「まぁ、何もこんな大勢がいる場所でとは思いますが」


 ダニエルの言葉にごもっとも。そう思いながらシリルは緊張した面持ちで大ホールにずらりと並ぶ木製の長テーブルに腰をかけた生徒達の顔を見つめる。


 その中には壇上で今まさに、夏休みの過ごし方について話をする校長の顔を真剣な面持ちで眺める――いや、眺めると見せかけて、不自然に壇上に落ちているオレンジ色のはぐれ手袋にムズムズとしている様子を見せるシャーロットの姿があった。


(シャーロット嬢。悪いけど僕は本当の君を手に入れるから)


 シリルは決意を込めギュッと唇を噛んだ。


「では、最後にシリル王子殿下より挨拶をお願いします」


 校長の話が終了し、司会役の教師がシリルを呼んだ。


(う、心臓が口から飛び出そうだ)


 毎回学期終わりと学期始めに恒例となっている、シリルの挨拶。

 いつもは端的にもっともらしくをモットーに当たり障りのない言葉を生徒にかけるだけ。シリルにとって王子である自分に求められる通常公務の一つでしかない。


(でも今日は違う。僕の、シャーロット嬢の人生がかかっている)


 シリルは椅子から立ち上がると、緊張を隠しスマートに演説台に向かった。

 その途中、わざとらしく今気づいたといった風に、壇上に落ちている不自然なはぐれ手袋の前で足を止める。


「あれ、こんな所に手袋が片方だけ落ちている。先生方、どなたか落とされましたか?」


 シリルは大きな声をあげる。


「私のではないようだ」

「私のでもありませんね」

「私の手袋はこちらにあります」

「落とし物でしょうか?」


 シリルの事情を知り説明を受けている教師たち。

 シリルの問いかけに対し、台本通りに自分たちの物ではないと口にする。


「ふむ。だとすると不思議ですね。何故こんな所にはぐれ手袋が……」


 シリルはわざとらしく顎に手を添え考え込むフリをする。


「シリル様、発言をよろしいですか!!」


 シリルの数少ない友人が打ち合わせ通り、絶妙なタイミングで手を挙げた。


「いいよ。君の意見を聞かせてくれ」

「はい、そのオレンジ色の手袋は、僕が想像するに特殊な目的の為に作られた手袋の片割れだと思います」

「なるほど。作業用ってことか」


 シリルは友人の言葉を補足する。


「はい、私はその手袋はイボイボしているので背中を掻くためのものであると考えます」

「違うんじゃないか?イボイボは滑り止めなんじゃないだろうか」

「確かに滑りにくそうではあるが、あっ、もしかしてヌルヌルする魚専用とか」

「いや、案外犬や猫のトリミング用かも」

「トリミング……だとしたら人間のツボ押し用とも考えられないか?」

「いや、あれは防水魔法がかかっていそうだぞ?」

「やはり魚介の為のもの……」


(えっ、そっか。そう来たか……)


 シリルは内心焦る。


(もう少しわかりやすい手袋にしておけば良かったかな)


 シリルは激しく後悔した。

 というのもシリルの足元に落ちた手袋は、確かにイボイボがついた手袋だ。しかし背中を掻く為のものでも、犬や猫のトリミングの為でもない。


(確かに想像力をくすぐる手袋だけど、でもこれを用意するしかなかったんだ)


 シリルは誰かがうっかり自分の物だと名乗りをあげないよう、念入りにマニアックな手袋を用意したのである。


(話が広がり過ぎ……でもそれは多分僕のせい!!)


 というのもシリルは手袋の種類の他に思い当たるフシがあったのだ。

 それは事前に友人達にこう伝えてあったこと。


『壇上にある不自然な手袋について、僕が騒ぐから君達の推理を聞かせて欲しい』


 不信な顔をしていた友人達だったが、二つ返事で「まかせてください」と了解してくれた。

 王子の頼みだ。断れるわけがない。シリルは友を巻き込む事に僅かばかり申し訳ない気持ちを抱きつつ協力を頼み込んだのだ。


(でもちょっと僕の斜め上の展開なんだけど)


 シリルは片手袋がここに落ちている現象について議論して欲しかった。

 しかし、どうやら友人達は片手袋の種類について興味を持ってしまったようだ。


(くそっ、ここまでか……)


 シリルは内心失敗だと頭を抱える。


 その時、可憐な声がホールに響き渡った。


「違います!!」


 堪らずといった感じでシャーロットが席から立ち上がったのである。


「ちょっと、シャーリー。目立ってるってば」


 シャーロットの友人が焦ったようにシャーロットの制服の袖を引っ張る。


「あっ……ご、ごめんなさい。失礼しました」


 シャーロットは自分がうっかり反応してしまった事に今更気づいたようで、所在なさげに小さくなると消え入りそうな感じで席に座ろうとした。


(まって!!)


 シリルは慌ててシャーロットに声をかける。

 勿論冷静な王子を気取って。


「いいよ、君の意見を是非聞かせて。こちらへどうぞ」


 シャーロットはシリルの誘いに一瞬戸惑った顔になった。


「あ、でも私は……」

「僕は君の意見が聞きたい。聞かせてくれないか?」


 シリルが譲らないと言った感じでハッキリそう口にする。


(もはや命令のようだけど)


 それでもこのチャンスを逃す気はないとシリルは真っ直ぐシャーロットを見据える。するとシャーロットは意を決したように、緊張した面持ちで壇上へゆっくりと上がった。


 そしてオレンジ色のイボイボとしたはぐれ手袋を挟み、シリルはシャーロットと向かい合う。


「では、この片方だけ落ちている謎の手袋について、君の見解を聞かせてくれ」


 シャーロットの顔には明らかに後悔する気持ちが浮かんでいた。


(頑張って、一歩踏み出す勇気を出すんだ)


「大丈夫。僕は君の推理が聞きたいんだ。あの時みたいに」


 シリルは出来るだけ優しく、小声でシャーロットに告げる。


「あの時……」

「そう。僕と君が出会った舞踏会の裏庭。あの時みたいに」

「……わかりました」


 シャーロットは覚悟を決めたようにくいっと顔をあげた。


「まず、この手袋は見ての通り特殊な手袋です。どなたかが口にされていましたけれど、確かに防水加工の魔法もかけられています」

「じゃ、やっぱり魚類専用なのか!!」


 シリルの友人が確信を持った声を出す。


「いいえ、残念ながらこれは魚類専用ではありません」

「じゃ、一体何の用途に使われる手袋なんだ!?」


 ホールが生徒たちのガヤガヤとした声に包まれる。


「これはじゃがいもの皮むき専用手袋です」


 堂々と胸を張っててシャーロットが生徒達に告げた。


「何だって!?」

「じゃがいも専用だと!?」

「そんな手袋まであるのか」

「手袋の時代がそこまで進んでいるとは……」


 驚いた生徒の声がホールに響く。


(流石だな。大正解だよ)


 シリルは内心ニンマリとする。しかしシリルは素知らぬフリを続ける。


「なるほど。その発想はなかった」

「ですから、この手袋を学校で使う人は限られてきます」

「そうだね。僕たちはじゃがいもを剥く機会はないに等しいから」

「はい。ですから私はこのイボイボの手袋は、食堂で働く職員の物だと思います」


 きっぱりとそう断言したシャーロットは自信に満ち、とても溌剌としているように見えた。


(そう。君のそういう所が僕はたまらず好きなんだ。だからあと少しこの茶番に付き合ってもらうよ、シャーロット嬢)


 シリルはそんな何処か腹黒い自分の気持を隠し、人畜無害に見える爽やかな笑みをシャーロットに向ける。


「なるほど。でも不思議だな。今ここには食堂の職員は見当たらない」


 シリルはわざとらしく周囲を見回しながらそう口にする。


「そうです。いません。だって、この手袋をここに落としたのは……」


 シャーロットは顔を上げると、シリルと目を合わせた。


「シリル様。あなたですよね?」


 シャーロットがきっぱりとそう言い切った。


「どうしてそう思うの?」

「だって、こんなオレンジ色をした目立つ手袋がここに落ちているのに、先生方はそれが存在しないかのように、淡々と終業式を進めていました。ですから私は違和感を感じたのです」

「違和感?」

「はい。これは仕組まれたものなのではないのかと」


 シリルはシャーロットの洞察力にその身を震わせる。


(そう。この感じが僕はたまらなく好きだ)


 身震いしながらも表面上は冷静を装いシリルはシャーロットに問いかける。


「仕組まれたって、一体何のために?」

「それは……私をおびき寄せる……この壇上に立たせるためです」


 シャーロットは恥ずかしそうに声のトーンを落とす。


「そうだね。正解だ。ねぇシャーロット嬢。僕がどうしてこんな事をしたと思う?」

「私の秘密にしている趣味をみんなに知らせるため……ですよね」


 シリルは俯いて声を小さくするシャーロットに満足気な顔を向ける。


(あとちょっとだから、ごめんね)


 シリルは居た堪れない様子のシャーロットに罪悪感を抱きながらも、心を鬼にする。そして演説台に近づくと、それはもう王子らしく堂々と背筋を張り、高貴な雰囲気のする顔をホールに集まった生徒に向ける。


「いつもならば、ここに立った僕は君達に休みを有意義に過ごす為の真面目な、だけど少し退屈な話をするところだ。けれど今日は僕の個人的な話をしようと思う」


 シリルの言葉にホール内が一体何事かとざわつく。


「僕はここにいるシャーロット嬢と婚約を結ぼうと思っている」


 シリルの言葉にホールに集まった生徒達は一斉に驚きの顔になる。

 その中でも一番驚いているのは、当事者であるシャーロットだった。


「シャーロット嬢は見ての通り、推理力抜群だ。それにみんなが当てられなかった手袋の用途も的確に当てるほどの知識もある。それにふと誰もが不思議に思うけれど見過ごしてしまう現象を追い求める探究心にも溢れている。僕は彼女のそういう所に惹かれた」

「私はそんな立派な人じゃないです。だって、はぐれ手袋の事になると今みたいに我慢できなくなってしまいますもの」

「でも、僕が用意した答えをちゃんと当てた。それにさ、やっぱり僕は思うんだ。何かに情熱を注げる人はとても美しいと」


 シリルはシャーロットをしっかりと見据える。


「でも情熱と言っても、勉強とか、刺繍とか、それに薬草とか、いずれ役に立つ物ではなくて、はぐれ手袋にですよ?」

「そうだね」

「それに私は一番じゃないかも知れません。もっと詳しくはぐれ手袋を熱心に研究している人がいるかも知れないですし」

「それでもいいじゃないか。何かを追い求める事は悪いことじゃない。そして一番になる事だけが正解じゃないだろ?要は自分が満たされた気持ちになるかどうかが重要だ。だって趣味なんだろう?」


「趣味ですけど……」


 困惑した顔をみせるシャーロット。


「それに、はぐれ手袋について語る君は僕から見たら誰よりも魅力的に見える」


 シャーロットがボッと焚き付けた火のように顔を真赤に染めた。


「僕が選んだシャーロット嬢は道端に落ちている手袋に隠された物語を推理するのが趣味の子だ。それをおかしいと責める者がいたら、今ここでその理由と共に教えて欲しい」


 シリルはホールにいる生徒達に問いかけた。

 するとしばらく沈黙が続いたのち、どこからともなく声があがる。


「実は僕、エラーコインマニアなんだよね」

「私も実は食中魔植物が無類に好き」

「僕はそら飛ぶ箒マニアだ」

「箒と言えば、私は実は魔法のタワシを集めているの」

「僕はご当地キーホルダー集めが趣味だ」

「私はキノコが好き!!」


 生徒から密かな趣味をカミングアウトする声が次々とあがる。

 その声を満足気に聞きながら、シリルも最近気付いた自分の趣味を堂々と口にする。


「僕の趣味は、はぐれ手袋を追いかける女の子を観察する事だ」


 シリルがはにかんだ笑みと共に生徒達にそう告げると、会場は何処となく微妙な空気に包まれた。


「シリル様。それは公言しない方がよろしいかと」


 シリルの背後に控えていたダニエルが小声でそう忠告した。


(って、もう遅いよ……)


 既に微妙な空気に支配されたホールを見回して手遅れだとシリルは悟る。


「コホン。で、僕は思う。そういう様々な事に興味を惹かれる余裕があるのは、今この国が平和だからなんじゃないかと。だから僕は皆に誓う」


 シリルはそこで言葉を切り、ゆっくりとホール全体に顔を向ける。


「この先も人々が安心して趣味に費やす時間を持てるよう、僕はこの身をこの国に捧げるつもりだ」


 シリルが堂々と言い切ると、何処からともなくパチパチと拍手の音があがる。

 始めはまばらだった拍手が段々と大きくなり、いつの間にかホールは大きな拍手の音に包まれた。


「シャーロット嬢。僕ははぐれ手袋に夢中になる君が好き。でも僕と一緒になる事で、その趣味が公然の事実となって、確かに変に噂されるかも知れない」


 シリルの言葉にシャーロットは制服のボレロの裾をイジイジといじっている。


(全く、行動がダニエルそっくりだ)


 呆れつつ、しかし新たに発見したそんな所も愛おしいとシリルは思う。


「でもさ、そしたら僕は君がどんなに素晴らしい人間なのか。その人物の元に出向いて納得させるまで言い聞かせる」

「シリル様……」


 シャーロットがボレロの裾から手を離す。


「だから、世界でたった一人。君と共に歩む人生を許される男に僕を選んで欲しい」

「はい。私もシリル様が」


 大好きですと照れたような顔で呟いた、シャーロットの小さな声がシリルに届く。


 その言葉にうっかりシャーロットを抱きしめようと一歩踏み出そうとしてダニエルに背中を引っ張られた。


「そういうのは、二人きりの時になさって下さい。シリル()()殿()()


 シリルが振り向くと、笑顔なのに確実に殺気立ったダニエルとシリルはバッチリ目が合った。


(ちぇっ。いいムードだったのに)


 折角のタイミングを邪魔されたシリルはふてくれる。


(でもまぁ、シャーロット嬢と共に歩む人生は始まったばかりだし)


 シリルは物分り良く、前向きに考えた。


 その代わり――。


「それと、やっぱり僕の趣味は、はぐれ手袋を追いかける君を観察する事だ。言っとくけど異論は認めないよ。悪いけど、僕はこの国の王子だからね」


 堂々と、けれど茶目っ気のある顔をしてきっぱりと言い切ったシリルであった。




 おしまい

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