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第4話 数百年ごしの戦い



「ところでずいぶん疲れた顔をしていますね、イネーズ。……ああそうか、東部を担当する剣聖が最近死んだんでした。だから忙しかった?」


 気遣う言葉に、イネーズは二ヶ月前に亡くした友人を思い出す。


 7人の剣聖はそれぞれ担当区域を持って活動しているが、最も事件が多発するロンドンはイネーズと共に南部の担当および南東部の担当の計3名が重複して警備していた。


 南東部の担当者は真面目で武骨な好感の持てる男だったが、彼の後任が決まるまでは悲しむ暇もない。2人でイングランドの南半分を見なくてはいけないのだ。多少の手伝いはあるにせよ。



「あんたには関係のないことだわ」


「いやあ、吸血鬼と言えども多少は罪悪感というものを感じるんです」


「……は?」



 心配を滲ませる声音から一転、からかい愉しむような表情がイネーズを戦慄させる。

 ギードはまるで思い出し笑いが止められないといった様子で肩を震わせた。


「貴女が僕を本気で殺しに来てくれないと困るんですよ」


「そう。……そういうこと」


 喉の奥の奥から漏れた声は地を這うほどに低い。

 剣を握る手に無駄な力が入り、剣先が微かに揺れる。


「殺し合いましょうイネーズ。僕はね、貴女と共に永遠を生きるという欲求をもう御せないのです」


「何百年も生きてるんだから理性でどうにかできないわけ? 末端種なんて絶対イヤなんだけど」


 ギードの瞳が輝きを増す。彼の周りの闇が深くなったように感じられた。


 吸血鬼には、真祖、純血種、隷属種、末端種と4つの格がある。

 隷属種によって作り変えられた者を末端種と呼び、他の吸血鬼と違って自らの手で吸血鬼を作り出すことはできない。さらに隷属種や末端種は――。

 


「僕が死んだら貴女も死ぬというのもまた抗しがたい響きですね、やはり一緒にいきましょうか、イネーズ?」


「しつこい男は嫌いだわ」


 先に動きだしたのはイネーズだ。剣を引きずるようにして走り、けれどもギードの目前に来て大きく振り上げた。その剣で断ち切りたかったのはギードか、それとも。


 予備動作もなく後方へ退いたギードが次の瞬間には溶けるように無数のコウモリに変じる。月明かりを受けていくつかの目が光った。

 イネーズをぐるぐると囲むように飛び回り、次第にその距離を詰めていく。


 対象がコウモリの形をとっているだけで、霧に変わる吸血鬼と同様にこれを切ってもどうにもならないことをイネーズは知っている。


 だからといって双方が怪我をしないというわけではない。

 群れの中から飛び出したコウモリが鋭利な牙でイネーズに些細な攻撃を仕掛けていく。装備に守られていない頬や手からは血が滲み、銀糸を混ぜて編まれた制服さえも少しずつ破れていった。


「宵闇に揺蕩う清き(かいな)が生みしは天鼓、光って響いて闇を打ち砕け」


 イネーズが剣の切っ先を真上に向けた瞬間、辺りが真昼のように光った。と同時に剣を中心に広い範囲に放電が起き、周囲を飛び回っていたコウモリが悲鳴をあげる。


「神の加護があること忘れたの、ギード?」


 ふらつきながら集まったコウモリの群れが徐々に人の形を作り、やがてギードが現れた。

 間髪を入れず左から剣を横薙ぎに振るって首を狙うが、ギードはそれを右腕で受けながら体勢を変えた。切り落とされる寸前で刃から腕を抜く。


「フランベルジュを選ぶなんて殺意が高すぎると思ってたんですが、実際痛いですね」


「そう、喜んでいただけてよかった」


 にこやかに笑うギードの左手がイネーズの首元に伸びる。イネーズは相手の鳩尾を蹴る反動を利用して後方へ飛び退いた。

 体勢を整える間も得られないまま、瞬間的に懐へ飛び込んでくるギード。その移動の最中イネーズから鮮血が迸り、露わになったデコルテにはサファイアのネックレスが輝く。


「おや、それが剣聖の証ですか。貴女の瞳そっくりに美しい青だ」


 イネーズはそれに構わず着地した足で土を蹴り、真上に飛んで背中からギードの心臓を狙った。


 吸血鬼は吸血鬼となった瞬間から、人間とは比較にならない身体能力を手に入れられる。ギードほど長く生きればなおさらだ。


 例えばヘグやネスのように連携して狩りを行う場合や、その他様々な理由で人間に擬態しながら狩りをする吸血鬼は少なくない。

 しかしいざ戦闘となれば驚異的な動きを見せるのが普通だ。


 だからヴァンパイアハンター集団であるルゴス騎士団は、特別な方法で身体能力を引き上げる必要があった。


「剣聖ともなると僕らとほとんど変わらない動きになりますね」


 ぐっと体の向きを変えて剣を肩で受けたギードが、顔をしかめながら言う。

 イネーズはギードの背後に着地するのと同時に剣を抜いて距離をとった。ギードのトップハットが転がり落ちてどこかへ消える。


 ギードが爪に残るイネーズの血を舐め取ると、腕の傷が薄くなって肩の出血も止まったように見えた。


3()()()は古い純血種の血らしいからね」


「おや、そんなこと敵に教えていいのですか?」


「公然の秘密ってやつでしょ。それにアンタここで死ぬし」


 ルゴス騎士団には、協力者がいた。人間との共存を願う吸血鬼の一派だ。

 入団のときに、昇格時に、そして剣聖試験の合格後に、彼らの血液を少量ずつ計三度にわたって体に取り入れる。それが人間でいられるギリギリの量らしい。



「僕が死んだら、やりたいことはあるんですか」


「聞きたいの?」


「もちろん。安心して逝くためには必要な情報ですから」


 人の目では追いつけもしないような一進一退の攻防が繰り広げられる中で、二人は平静を装って言葉を交わす。


「アンタのぶんまで世界中を旅行してあげるわ」


「嘘をつくときに唇の左端が上がるのは何度生まれ変わっても変わりませんね」


「嘘じゃ――っぐ……」


 イネーズは戦闘前に仕掛けていたトラップが反応したことに気を取られ、避け損ねてしまう。ギードの硬質な爪によって脇腹が深く抉られた。

 痛みに喘ぎつつ、しかし短詠唱の加護魔法でギードを牽制してその場を離れる。


 ソフト帽の男たちを守るための銀糸の結界が引きちぎられたのだ。

 ギードとの戦いに集中しすぎて、彼らから離れてしまった。すぐにも戻らなければいけないのに、既にいくつも小さくない傷を負っていて大した速度が出ない。


「いま、行くからっ」


 ルゴス騎士団のモットーは、人を見捨てないことだ。吸血鬼討伐よりも、人間への被害を最小限にとどめることが優先される。


 脇腹から溢れ出す血も構わず走ると、20ヤードほど先で何かが蠢いていることに気づく。

 影から這い出すロレッタだ。先ほどの戦闘では瞬間的に影に引っ込んで完全な断首を免れたらしい。指先を傷つけられるのも構わず銀糸の結界を壊そうとしていた。


 弱った吸血鬼が回復するためには人間の血が必要になる。ロレッタもまた生き延びるのに必死なのだ。



「ギードォ、そいつ殺しちゃってよぉ!」


 ロレッタの泣き叫ぶ声。銀糸は既に一部が完全に破壊されて結界としての役割は果たせそうにない。


「ウワーゥ!」

「ぎゃあっ!」


 甲高い猫の鳴き声に続き、ロレッタの悲鳴が上がった。耳を寝かせた黒猫が死にかけの吸血鬼に躍りかかったらしい。

 続いてギャアギャアと猫と吸血鬼の絶叫が響く。


 普通の黒猫ではなくとも、瀕死の重傷を負っていようとも、猫と能力持ちの吸血鬼とでは勝敗など火を見るよりも明らかだ。

 イネーズは走る足をさらに速めた。


「待ちなさい!」


 駆けだしたイネーズのマントを追いついたギードが掴んだ。


「離せッ!」


 切って捨てようと剣を振り上げるも、その手もギードが強く握る。振りほどこうとすれば脇腹に激しい痛みが走って十分に力が入らない。



「宵闇に――」

「そうじゃない! もう間に合わない!」


 それならばと魔法の詠唱を始めたイネーズにギードが怒鳴りつける。


「――揺蕩う清き」

「だから!」


 制止する言葉を無視して詠唱を続けると掴まれていた手が離れた。即座にイネーズが動きだす。

 けれども背を向けようとしたイネーズの視線は、ギードから離すことができなかった。



「ここだ、イネーズ」



 ギードが自らの左胸を叩いたから。




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