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第3話 いくつもの記憶を持つ女


 イネーズの剣は炎の名を冠しているが、彼女に加護を与えるのは雷の神だった。


 ルゴス騎士団には神の加護を受ける7人の剣聖がいる。古い民族に語り継がれた神話の神で、だからこそ新しい悪鬼に対抗し得るのかもしれない。


「穿て紫電!」


 垂直に飛んだイネーズは空中でフランベルジュを縦に一閃、その反動で体を回転させ三人の背後へ降り立った。

 左右から飛び掛かった兄弟たちの手は空を掴み、影から躍り出たロレッタの額に雷が落ちる。


「キャーッ!」


 剣聖の用いる加護魔法は、吸血鬼に小さくないダメージを与えることができる。

 しかしどれだけ傷をつけても、殺すには至らない。彼らを完全にこの世から消滅させるには、日光で炙ることを除けば銀で心臓を一突きにするか、同じく銀で首と体を完全に切り離すかしかないのだ。


「痛い、熱い、許さないわ。許さない」


 イネーズの攻撃をまともに食らった女が影から出て呻く。

 あどけない顔の真ん中に、縦に真っ直ぐ稲光のような模様が浮き出ていた。死なないからと言っても神の一撃、傷痕まで完治するには相応の時間が必要になるだろう。


「あんたたちはギードに隷属してるんだから、末端種だよね。それで固有スキルが発現してるってことは、古いのね?」


「それだけじゃない、たくさんたくさん人間を飲んだわ。アンタも飲んでやるんだからね」


「無理だよ」


 剣を右手に握って肩へ乗せたイネーズが首を小さく横に振った。


「どうして? 誰も影からは逃げることなんてできないのよ?」


 ずぶり、と影へ潜ったロレッタの言葉に頷いて、イネーズは今一度ふわりと飛びあがる。

 宙に舞った雷の剣聖は、いつまで経っても降りては来なかった。


 いかに影に溶け込もうとも、影と対象が接していなければロレッタは対象に近寄ることはできない。影と影が接していなければ移動することもできない。

 兄弟が動揺しつつも目を細めると、浮かぶイネーズの足下に一瞬だけ鋭く光る何かを見た。


「糸……?」


 他の騎士団員ならともかく、剣聖にとって長く生きただけのヘグやネスは敵ではない。

 脅威となり得るのはロレッタのように特殊スキルを発現した吸血鬼くらいのものだが、対応策さえわかれば問題ではないのだ。


「天翔ける一条の蒼き閃光、我が求めに応じ大地に広がる闇を切り裂け」


 イネーズが横に薙いだ剣の軌跡から、蒼く輝く光が走る。

 それは正しくヘグとネスを、そしてロレッタの潜む影を裂いて鮮血を迸らせた。


 ギャッと男たちが呻いて屈み、ロレッタが再度影から飛び出す。


「ヘグ、ネス、痛いよぉ!」

「駄目だ、出るなロレ――」

「兄ちゃ――」



 吸血鬼たちは、気づいたときには横倒れになっていた。

 いや、傷を抱えるように屈む自分の身体と血に濡れた剣を持ってそばに佇むイネーズを、下から見上げていた。


 斬られたのだと状況を理解したときにはもう、遅い。


「末端種じゃ相手にならないよ、ギード」


 ぐずぐずと吸血鬼だったモノが形を失っていく中で、イネーズが屋根を振り仰いで言う。

 宣言通り一部始終をただ眺めていたことは意外だったが、それも策略のひとつかもしれない。イネーズはあらためて周囲への警戒を強めた。



「ええ。でもマスターである僕が死ねば彼らも死ぬんです。彼らが生き残るには貴女を殺すしかない。そのチャンスは与えてやらなければね」


 ギードの背後には濁った月がある。

 イネーズは既視感を覚えたが、長い長い思い出を振り返ってみれば、彼は常に満月の夜にやって来たのだった。




 吸血鬼になったギードと別の道を歩むことになった日でさえも、嵐の翌日の夜で、そして満月だ。

 あの日、家族の遺体は()()だとして、葬儀もしないまま集落の人々によって燃やされてしまった。後片付けにヘトヘトだったイネーズがギードの家を訪れたのはもう日が沈んだ頃。


 ギードの両親はイネーズの家族と同様の姿で倒れていて、口の周りを真っ赤にしたギードがその場に佇んでいた。

 目が合ったイネーズに彼はたった一言「助けて」と言い残して、消えてしまった。そしてイネーズが集落を飛び出し、吸血鬼を救う方法を探しながら命尽きるまで一度も現れなかった。


 再会したのは、最初の別れから百数十年が経過したオールバニ公爵の治世。テイ川の北側の町だった。

 その次もそのまた次も、彼は満月の夜にイネーズに会いに来た。不思議なことに会えば必ず、前世も前々前世も、全て思い出させられた。だからイネーズは記憶を取り戻すたびに残りの人生を、吸血鬼を救う方法を探すことに費やして来たのだ。




「しかし本当に強くなりましたね」


「前世で学んだことをぜんぶ思い出すんだから、嫌でも強くなるわよ」


 ギードは世間話をするみたいに笑う。

 イネーズもまた、苦笑した。


「今回は――」


 何度も会いに来るんだね。そう言おうとして飲み込んだ。


 真の決別が近づいているのだと気づいたから。

 今までは人生に一度きりしかやって来なかったが、それはイネーズがギードに勝てる可能性が微塵もなかったからに違いない。

 

「僕は貴女の手で死にたいんです。そうしたら、貴女は僕を忘れないでしょう? 過去、何度も繰り返した人生の分だけ僕を思い出すでしょう?

 貴女が死んでから次に生まれるまで、生まれてから僕が会いに行くまで、この世界に僕のイネーズはいないんです。それがどれだけ絶望に染まるかわかりますか。

 今度は貴女の番です。貴女がその手で僕を殺し、僕のいない世界を味わってください。どれだけ空虚か、どれだけ無味乾燥か、知ってください」


「なにを言ってるの、祝うわよ。スコッチ(scotch)ロックで(with ice)煽るの」


「だけど本当は、貴女と未来永劫ずっと共にいられるのが望ましい。そうは思いませんか? 一緒に世界中を旅するんです。エジプトに行ったことはありますか? 日本は? ローマ教皇に会いに行ってみますか?

 ときには百年くらい一緒に寝るのもいいですね。寝て起きたら全く知らない国になってるんです。ヘンテコな服を着て、おかしな訛りの言葉で話す人間ばかり」


 音もなく降りて来たギードが、5ヤードほど離れたところで右に左に行ったり来たりしながら夢を語る。

 それは確かに、イネーズにとっても心くすぐる提案であった。


「吸血鬼は死んだらどうなるのかしら」


「貴女の神はなんと言っていますか? 僕が人間だった頃に信じた神は、人間しか救わないようです。いや、人間も救うか怪しいですね。贖宥状だなんて言いだしたときには大笑いしましたよ」


「私の神は何も言わないよ。今から宗旨替えしたらどう?」


 フランベルジュを握り直しながら、けれどもイネーズはそれが悲しかった。

 剣など持たずに話すことが叶ったならどれだけ良かったか。


 足を止めたギードが溜め息を吐きながら視線を上げ、一点を見つめた。

 イネーズもつられるようにして視線の先を追うと、窓から外の様子を窺っているらしい男が見える。


「どんな神に祈っても、僕らのような呪われた存在の行きつく先などありはしませんよ。ただ無が待つだけです」


 窓の向こうの男の傍らに若い女がやって来た。

 男は女のこめかみに愛おしそうにキスをして、カーテンを閉めた。


 あれは数百年前、悪鬼が訪れなかった場合のギードとイネーズの姿だったかもしれない。




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