喪失
薄暗く殺風景な建物の中。狼の姿をした怪人が息も絶え絶えに扉を開けた。
「はぁ……はぁ……ゲホッ あの芋虫め……」
「尻尾を巻いて帰ってきたか。無様だねぇ、スィニーヴォルク」
ヴォルクを慇懃に出迎えたのは、金属のような光沢を放つ怪人。同じく金属質なローブの下に隠された表情は読めない──とはいえ表情があるのかも定かではないが。
「シルバーマナ……あんた、なんでここに……?」
「シルバーマナ「さん」と呼べと、何度言えばわかるのかな。可愛げのない駄犬だこと」
シルバーマナと呼ばれた銀灰色の怪人は不愉快そうに言い放つと、手首を軽くスナップさせた。
いつの間にかその指の間には一枚の長方形のカード。描かれているのは逆さまの塔。
「塔の逆位置。誰か死ぬか…天変地異でも起こるのかねぇ。どう思う、ヴォルク?」
「死ぬ?俺は生きて帰ってきた。フレイムボルトさんが死ぬなんてことはありえない、となるとあのイモムシが死ぬか。ははは、意趣返しができないのは残念だが、仕方あるまい。」
スィニーヴォルクは人間の姿に戻ると、よろよろと奥の方に歩いていく。
「肩くらい貸してあげようか、ヴォルク?」
「馬鹿言うな、これ以上無様晒せるかよ。」
外から雨音が聞こえ始めた。少し季節外れな土砂降りだ。
シルバーマナはまた手首をスナップさせた。
指の間のカードには、丸い文様が描かれていた。
「運命の輪、か。」
カードをしばらく見つめたあと、シルバーマナはそれを握りつぶした。
「逆位置だ。」
建物の奥の通路、スィニーヴォルクは壁に寄りかかり、荒い息を吐く。
どこからともなく聞こえる機械音が、今日はやけに耳障りだった。
──おかしい。あの人が、こんなに遅くなるなんて。ありえない。
嫌な予感がして連絡用の端末を開く。 なんの連絡もない。
「まさか……フレイムボルトさん……?」
誰に言うとでもなく呟く。答えはなく、声は無機質なコンクリートの壁に反響して消えた。
その日、フレイムボルトは帰ってこなかった。
雨に打たれながら真っ暗な曇り空を眺め、ヴォルクは── 千疋 蒼は歯軋りした。
「あのイモムシ……絶対に……」
遠くで雷鳴が聞こえた。
「絶対に……次は殺す……!」
蒼は強く拳を握り締めた。遠くでまた雷が鳴った。