変身
怪物はよろよろとシオンの方に近づいてくる。
こんな情けない俺がヒーローに?いや、そんなことを悩んでいる時間はない。
大丈夫だ。大丈夫。
自分に言い聞かせるように、シオンはもごもごとつぶやき装置を左腕に当てる。
装置から出た固定具が、しゅるりとシオンの手首に巻き付いた。
怪物が一歩踏み出す。シオンはボタンを押す。
『エンター!』
電子音声が装置から流れる。
怪物がまた一歩踏み出す。シオンは息を大きく吸い込み、レバーを動かした。
『マスクドオン!ジュピター!』
電子音声とともに軽快な音楽が流れ出し、シオンの体が光に包まれた。
「え?え?」
予想外のやかましさにあたふたしているうちに、シオンの姿はつい十数秒前まで自分を守っていたヒーローと同じそれになっていた。
シオンの変身とけたたましい音楽など意に介さず、雄叫びを上げながら怪物は突進する。
「う、うわああ!」
怯えながらもやみくもに繰り出したシオンの拳は、吸い込まれるように怪物の顔を捉えた。
突進の反動が拳から伝わり、シオンはよろめく。
偶然の一撃に吹っ飛ばされた怪物は立ち上がろうとするが、そのまま地面に倒れこむ。
脳震盪でも起こしたのか、その足ががくがくと震え、地面についた手も支えになっていない。
──今なら倒せる。
シオンは拳を握りしめ、怪物に向かって駆けた。
「うおおおおおおお!!」
叫びながら駆け、立ち上がれない怪物の頭を蹴る。蹴る。蹴る。
精彩を欠いた蹴りは、それでも確実にダメージを与えていく。
怪物はもう立ち上がろうとする体力すらなく、死体のように横たわる。
が、シオンにはそれに気がつくような余裕はない。
叫びながら蹴る。蹴る。蹴る。
「うおおおおおおおお!おお!おらぁ!」
何十回蹴り続けただろうか。怪物は光に包まれ、その光が剥がれ落ちて消えた。
中から現れたのは、ぐったりした中年の男。
その手からころりと何かが転がり落ちた。
「なんだ……コイン?」
確かめようとシオンはコインのようなものに近づく。
が、嫌な予感がしたのでそれを蹴り飛ばす。
ドオオオオオオオオン!!
予感は的中していたようで、コインのような何かは大爆発を起こし、爆炎と騒音をあたりに撒き散らした。
「あっぶねぇ……」
幸い音や炎の割に威力はないようで、何かが壊れたり延焼したりはなさそうだ。
「このままじゃ警察とか来るよな……」
自分を助けてくれた男の方を振り返る。
「あの……大丈夫ですか?」
声をかけると、男はかすかに頷いた。
「大丈夫だ。君が、守ってくれた。」と。
「あ、そうだ!救急車!」
ヒーローだった男は、首を横に振る。
「俺は……大丈夫だ。 君がここにいると……色々厄介になる……あらぬ疑いをかけられたり……よくないことに巻き込まれる……ここから離れたほうがいい。」
装置を腕から外すと、シオンの姿はもとに戻る。
男に返そうとしたが、それにも男は首を横に振った。
「君が持っていてくれ……俺がいない間、君がこの街を……」
シオンは頷くと、来た道を足早に帰り始めた。
男はシオンの背中が小さくなって行くのを眺めながらぼやく。
「情けないな……守るなんて大見得切って……守られて……ヒーローも幕引きか……」
パトカーのサイレンが近づいてくる。
──頼んだぞ、ヒーロー。
男は再び冷たい地面に体を横たえ、意識を手放した。