第6話 「レオタ」は何者か
「レオタさん。この後、予定はありますか?」
冒険者ギルドを出てすぐに、レオタさんに尋ねました。
「……特にはない」
「では、私に付き合ってもらっても良いですか?」
レオタさんをじっと見つめると、私の意を汲んでくださったらしく、彼は何も言わずに頷きました。
「ありがとうございます。では、私の借りている宿に行きましょう」
「何故、宿なんだ?」
「それは着いてからのお楽しみということで」
私が借りている宿は冒険者ギルドから歩いてすぐの所にあります。
冒険者御用達となっているその宿――「猫の微睡み亭」に私達が入ると、受付にいたおばちゃんが三角の耳をピクッと動かしました。
「あら、セフィちゃん。随分と遅いお帰りだったわねぇ」
おばちゃんは黒いモフモフの尻尾をゆらゆらさせて、これまたモフモフのお顔を綻ばせました。
「おばちゃん! 今日も(毛並みが)お美しいですね!」
「あらヤダ、褒めたって宿代は安くしないよ」
この宿の女将さん――皆さんからは親しみを込めて「おばちゃん」と呼ばれています――は、黒猫の獣人さんです。
見た目は人間サイズの二足歩行する猫。
ですが、人間と同じ言葉を使い、同じように文化的な生活をする立派な“人族”です。
大昔は魔族の一員だとして迫害を受けていたそうですが、今では普通に人間と共に生活しています。
「昨日はそちらの方とお楽しみだったのかい?」
おばちゃんがチラリとレオタさんを見ます。
お楽しみ? ……はっ!
「ち、違いますよ! 昨日はトラブルがあって遅くなっただけで、彼は同じパーティの仲間です!」
「そうかいそうかい。じゃあ、鍵を渡しとくね」
おばちゃんは受付の下から鍵を取り出し、渡してきました。
その時、私は彼女から耳打ちされます。
「イイ男じゃないかい。絶対にモノにするんだよ」
「だから違いますって!」
私は恥ずかしくなってレオタさんを引っ張り、自分が借りている部屋に移動しました。
「……顔が赤いようだが、大丈夫か?」
「からかわれただけなので気にしないでください……」
私は深呼吸して、何とか気分を落ち着かせます。
部屋の中は私が物を溜め込まない性分なこともあり、ガランとしています。
結構長く借りてはいますが、いざ出ていく時に物があると大変ですからね。
「それで、何故この宿に?」
「それはこの宿が特殊だからですよ。ここ、お客さんが安眠できるように各部屋に防音対策が施されているんです」
なんでも、おばちゃんの眠りが浅く少しの物音で目覚めてしまうことから、各部屋に魔法で遮音の効果をかけているそうです。
宿代は少々高めですがそれでもこの町では安い方ですし、冒険者ギルドも近いです。何より私も眠りが浅いので、この宿を借りています。
「成程。ここなら誰にも聞かれる心配がないということか」
「はい。だから、教えていただけますか? レオタさんが何者なのか」
長い沈黙の後、レオタさんが口を開きます。
「……私自身、自分が何者なのかわからない。だから、私が知る限りのことを話そう」
私はレオタさんに椅子に座るよう勧めて、自分はベッドに腰掛けました。
「最初に言っておくが、今からする話はかなり現実味がない。よって、信じる信じないは君が決めてくれ」
私はコクリと頷きました。
「では、話そう。私が“私”となった時のことを」
◇◇◇
私が目覚めたのは、酷く広い豪奢な空間だった。
そこが「魔王の間」だということはすぐにわかった。
周囲を確認したが視認できず、誰かがいる気配も感じない。
自分の姿に目をやれば、私は全裸で横たわっていた。傍らには見慣れない簡素な大剣が置かれている。
さっきまで身に付けていた装備を探してアイテムボックスの中を覗けば、装備が全て入っていた。
何故か直前まで使っていた武器は消えてしまっていたが、今は構わないかとそれを取り出そうとした時、私は強烈な違和感を覚えた。
入っていたのは、勇者が身に付けていた装備と魔王が身に付けていた装備の2つ。
そして、私には“その2つとも身に付けていた”という記憶があった。
そんなことはありえない。それぞれの鎧は、その持ち主のみにしか着ることができないようになっているからだ。
最初、自分は勇者か魔王のどちらかだったのではないかと思った。
だから、それぞれにしか使えないスキルを発動しようとした。
しかし、どちらのスキルも発動しなかった。
それならばと、今度はそれぞれの装備を取り出して着てみることにした。
結果として、私はその両方を着ることができた。
持ち主にしか着れないという装備の効果が変わっていなければ、私は勇者であり、魔王であるということになる。
勇者と魔王はそれぞれ別個体として存在していた。だから、私が“彼ら”であるはずがない。
だが、私の中の記憶がそれを否定する。
私には勇者として旅をしていた記憶も、魔王として魔族を統率していた記憶もあった。
そして、勇者と魔王が戦い、亜空間で共に果てたという記憶も。
この記憶が確かなら、勇者と魔王は死んでいるはずなのだ。
――なら、彼らの記憶を持つ私は、一体何者だ?
私はそっと、大きな傷跡のある胸に手をやった。
自分が勇者なのか魔王なのか、はたまた別の存在なのかはわからないが、こうすれば自分の種族くらいはわかるだろうと思った。
人族であれば心臓の鼓動が感じられ、魔族であれば魔核から出る魔力を感じられるはずだからだ。
……君にはもうわかっただろう。何故、私が魔族でも人間でも無いと言ったのか。
何も感じなかった。心臓の鼓動も、魔核の魔力も。
仮に私が魔物であっても、魔物の体内にあるべき魔石の魔力すら感知できなかった。
私は人族でも魔族でもなければ、魔物でもない。
自分が何故生きているのか。それすらもわからなくなってしまった。
私は“私”という存在に恐怖した。
いっそ、傍にある剣で死のうかとも考えた。
だが、それで死ねなかったら?
……そう考えた時の方が怖かった。本当に、自分が化物だと証明してしまうようで。
だから、私は生きることにした。
生きるためには食糧が必要だ。だが、恐らく魔王城には食糧など残っていないだろう。
そう思い、一先ずここを出ることにした。
勇者が持っていた鉄の鎧を身に纏い、傍らの剣を背負う。
見たことのない大剣であったが、何故か手に馴染み、背負った感覚も違和感がなかった。
その後、私は宝物庫に行き、そこにあった物を全てアイテムボックスに詰め込んだ。
必要になるかはわからないが、もしもの時の備えにしようと思った。
魔王城を出ると、そこは荒野と化していた。
何か感じるかと思ったが、特に心が動かされることは無かった。
ただ、もう全てが終わったのだと、その光景で理解した。
理解したと同時に、私の中である考えが浮かんだ。
――全てが終わった後の世界を見てみたい。
勇者は各地を駆け巡っていたが、人を助けるのに精一杯だった。魔王は城を一度も出たことがなかった。
彼らの意識は常に自らの種族を守るというところにあり、他は二の次だった。
だが、全てが終わったならば、そんなことを考えなくても良いだろう。
この世界をただ見て回りたい。ただの一般人として気ままな旅をしたい。
そう思った私は、この荒野を抜けるべく、歩き出したのだ。
◇◇◇
「その荒野……かつて魔族の領地だった場所を抜け、私はここまで来た。名を「レオタ」と変え、ここに来るまでにいくつかの町で寝泊まりしたが、私が何者なのかがわかることはなかった」
そこまで言うと、レオタさんは小さなため息をつきました。
「今のが“私”の全てだ。嘘みたいな話だっただろう?」
彼の表情のない顔からは何を考えているのかわかりません。
「でも、全て本当の話ですよね」
ですが、私は彼を信じました。
昨日出会ったばかりですが、彼が嘘をつくような方には思えません。
それに、昨日の戦いの中で彼が見せた行為は、勇者であり魔王でもあったという彼の発言を裏付けるものでした。
「……君の気を引きたいがためについた嘘かもしれないぞ」
「今の話を聞いてレオタさんに惹かれる人なんてそうそういませんよ。皆さん、聞いた瞬間にドン引きするんじゃないですか?」
悲しげに目を伏せるレオタさんに向かって、私はウインクします。
「まあ、本当の話だってわかっている私はドン引きなんてしませんけどね」
レオタさんは目を見開きました。
「何故だ? 本当の話だと信じたのなら、私は人族でも魔族でもない。生きているのかさえわからない化物だぞ」
「化物なんかじゃないですよ。レオタさんはレオタさんです」
彼の膝の上で強く握りしめられた拳に、私はそっと手を置きます。
「化物が人間を助けたりしますか? 自らが不審がられるのも厭わず、その力を使ってまで人を助けたいなんて思いますか?」
「……あれは勇者の記憶に引きずられただけだ。私の意思ではない」
「では、魔物を従わせた時も、勇者様の記憶に引きずられていたと?」
「それは……」
「違いますよね。あの時のあなたは勇者様というより魔王に近かったのではありませんか? つまり、あの時助けたのはあなたの意思でやったことなのでしょう?」
視線をさまよわせ俯く彼の手を、私は優しく包み込みました。
「例えレオタさんが勇者様や魔王の記憶に引きずられてやったとしても、あなたが行ったことに変わりはありません。レオタさんが私達を助けて下さったんです」
「……助けただなんておこがましい。昨日の出来事は私が彼らを引き留めていれば起きることはなかった」
「それは勇者様としての言葉ですか? それとも魔王としての言葉ですか?」
顔を上げたレオタさんに、私は微笑みました。
「今のはレオタさんとしての言葉ですよね。勇者様と魔王の記憶に引きずられたわけじゃない、あなた自身が感じたことですよね?」
不安そうに揺らぐ彼の瞳は、紫色をしていました。
先程までの赤みがかった紫ではなく、赤と青が均等に混ざったような紫色です。
「あなたが何者であっても、私はあなたを信じます。レオタさんはレオタさんであると、私が証明します。だから……私も、レオタさんの旅に同行させてください」
一瞬の静寂。
耳に痛いそれを破ったのは、レオタさんの戸惑った声でした。
「君は自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「わかってますよ? ああ、旅慣れしてないと思っていらっしゃるかもしれませんが、こう見えて遠征に参加したことがありますので大丈夫ですよ!」
「そういう意味ではなくてだな……。私と旅に出たら変な噂が立つかもしれないぞ」
「え? 噂になってもいいですよ、別に?」
私とレオタさんの仲が良いことが知れ渡れば、レオタさんにちょっかいを出す人が減るでしょうし、私がいないなかで他の人とパーティを組んでレオタさんの秘密を知られてしまう危険も減ります。
むしろ噂になった方がレオタさんのためには良いのではないでしょうか?
「あらぬ噂が立ってもレオタさんが相手なら気になりませんから」
そう言った瞬間、レオタさんの瞳は青くなり、顔は真っ赤に染まりました。
「な……!? と、年端もいかない女の子なんだから、気にしないとダメだよ!」
「年端もいかないって、私一応成人してますよ?」
この国では16歳で成人と認められます。
私はこの間、16歳の誕生日を迎え、成人の仲間入りをしました。
「そういうことを言っているわけじゃなくて! 君に好きな人ができた時にそんな噂があったら困るだろうってことを言いたいんだ」
「成程、そういうことでしたか。大丈夫です、そうなった時は冒険者辞めますので!」
好きな人との結婚を考えるなら、冒険者という命懸けの職業を続けているわけにはいきませんからね。
「それまではレオタさんに同行させていただきます!」
「いや、でもね……」
「それにレオタさんは色々な所を旅したいのでしょう? ついて行ったら私も多くの人を助けられると思うんです!」
元々、私はいつまでもこの町に留まるつもりはありませんでした。
いずれはここを出て旅をしながら多くの人を救いたいと考えていたので、今回レオタさんについて行くと決めたのは私のそういった思いもありました。
「ですが、ついて行くと決めた一番の理由は、レオタさんが心配だからです」
「心配?」
「レオタさんはちょっと不安定な感じがするというか……危うい人のように思えるんです。私が支えてあげなければ、消えてしまうんじゃないかって」
言い方は悪いですが、レオタさんは勇者様と魔王の記憶に振り回されている気がします。
もしかすると、その記憶のせいで良くないことに巻き込まれてしまうかもしれません。
「どんなことが起きても私がそばで支えます! ですから、レオタさんはご自分がやりたいことを好きなだけやって下さい!」
自分の思いを鼻息を荒くして伝えると、レオタさんは大きく息を吐き出しました。
「……君は強引だね」
「目的達成のためならグイグイいかなくちゃダメだとシスターに教わったので!」
「す、凄いシスターだね。……でも、今の俺には君ぐらい強引な子がついていてくれた方が良いのかもしれない」
彼は目を閉じ、今度は小さく息をつきます。
再び開かれた目は、紫色に変わっていました。
「私の負けだ。君の同行を認めよう」
「本当ですか!?」
「ああ。迷惑をかけると思うが、これからよろしく頼む」
レオタさんは右手を差し出してきます。
私はその手をガッシリ握り、ブンブンと上下させました。
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
――かくして、私はレオタさんと旅をすることになりました。
彼との出会いが私の運命だけでなく、世界の運命すらも変えることになろうとは、この時の私は思ってもみなかったのです。
セフィーリアちゃんは興奮すると自分がとんでもないことを言っているのに気づけない系女子です
第1章はこれにて完結……の予定でしたが、次回の番外編で完結とさせてください!
早ければ今年中に投稿予定です
第2章は少々お時間いただくことになると思います
気長にお待ちいただけますと幸いです